真面目に考えたエコ生活

22.03.03

先日のエコ生活ってなんだろう」では主に公共サービスに視点をおいたので、本日は生活様式というか生き方に視点を向けてみよう。

そもそも「エコ生活」とはなんなのだろう?
「エコ生活」なんて言葉は法律で使われていないし、明確な定義もないイメージだけの言葉だ。
どんな風に使われているかと調べると、「地球環境に配慮しつつ経済の発展も妨げない暮らし方」とか、「地球を思いやる暮らし方」なんだそうだ。前者は持続可能性そのものだが、後者はますます意味不明だ。「地球を思いやる」なんて言ったら地球からお叱りを受けるだろう。お前は地球を思いやれるほど偉いのか? 力があるのかってね、
ともかく「エコ生活」とははっきりしない言葉であるが、とりあえず環境影響を小さくする暮らしと仮定して話を進める。


環境影響を小さくするといっても、私たち個人ができる範囲でのことだろう。政府とか国際機関が考えることならエコ生活ではなく、エコ政策とかエコ対策とか称するのではないか。

では個人が行えるエコ生活の一例を考えてみよう。
オーストラリアからの輸入品は鉱石や食料品がほとんどで、具体的には石炭、原油・ガス、鉄鉱石、アルミ鉱石・アルミ、牛肉、パルプなどである。
ここでオーストラリアの鉱山の環境影響を小さくするエコ生活を考えると、私自身どうしたらいいのか分からない。せいぜいオーストラリアからの輸入している鉱石から作られるものを、買わない・使わないと努めるくらいか?

しかし個人が鉱石から作られる鉄とかアルミ製品を買わないと行動しても、日本が輸入するのは変わらない。なぜならオーストラリアも日本も単独で存在しているわけではなく、世界中がジグソーパズルのように組み合わさり相互補完的に成り立っている。
だからオーストラリアの鉱山の環境影響を削減しようとして、日本が輸入を減らしても、日本がオーストラリアから輸入する鉱石が減ればそれをほかの国が買い、日本のオーストラリアへの影響力が減り、日本経済がシュリンクした分だけ世界に対する発言力も減少する。

そんなことは過去に石油でもあったこと。日本が石油を使わないようになればなるほど、日本の産油国への発言力が弱まり、高い石油を買うようになる。馬鹿な話だ。
一人が行動しても何も変わらないし、大勢が行動してオーストラリアから鉱石を買わなくても、地球規模で考えれば大して影響はないのだ。


もう一つ例をあげる。
家庭電気製品の寿命が延びれば良いかといえば、そうとも言えない。
二宮尊徳 今まで耐用年数7年だったものを14年に伸ばしても価格が倍になったら消費者はプラスもマイナスもない。
一方、家電メーカーにとっては売上高が半減するし、サービス部品供給などマイナス要因しかない。
他方、寿命が2倍になっても価格も2倍になったら消費者は何もメリットがない。そして家電メーカーにとっては、中国の安物家電が今以上に日本に進出することにより、国内メーカーは売上減少することになる。
二宮尊徳のように勤勉・貯蓄を勧めることは個人にとって悪いことではないが、国家経済には悪いことだ。世の中簡単ではない。

お前は何を言いたいんだと言われそうだ。現実には何をするにしても、絶対正しいとか絶対に間違いないなんてことはまずない。ものごとは複雑に絡み合っており、過去より人間は改善をしようと工夫してきた結果が今の現実だ。だから現状をちょっといじって良くなるなんてことはまずない。


とまあ、そんなふうに私は世の中を見ている。
では暮らしていくに重要なものを昔から衣食住という。そんな切り口で考えていきますか。

まず衣だ。
「ファーフリー運動」というが、日本語にすれば「毛皮よ、さよなら運動」というのかな。有名女優とかモデルが、動物愛護のために毛皮を身に着けませんと語るのがいる。ええかっこしいであるが、それは正当な主張なのだろうか?

テン・ミンク・狐など昔から毛皮が重宝されてきた。昔、毛皮は単なるファッションではなく、人が生きていく上で代替えがない必需品であり、それを供給するのは一大産業だった。
だから値打ちあるそういう動物を尊いと考えた。ビーバーはカナダの国獣であり、アメリカ ニューヨーク州の州獣である。ジョン・ウェインなんて今の人は知らないだろうが、映画の中で彼はビーバーの帽子をかぶっていた。