内部コミュニケーション

22.06.30

ここはISO規格の解説ではなく、ISO規格を家庭に適用したらどうかを考える……というか想像して遊ぶところ。本日は内部コミュニケーションの規格要求を家庭でルール化して運用したときをシミュレーションしてみよう。


ISO規格の文言なんて忘れたという人(覚えてない人)も多いだろう……私もその一人だ……それでISO14001:2015の内部コミュニケーションの項番を下記に示す。

7.4.2 内部コミュニケーション
組織は、次の事項を行わなければならない。
  • 必要に応じて、環境マネジメントシステムの変更を含め、環境マネジメントシステムに関連する情報について、組織の種々の階層及び機能間で内部コミュニケーションを行う。
  • コミュニケーションプロセスが、組織の管理下で働く人々の継続的改善への寄与を可能にすることを確実にする。

ところで会社における情報の性質とその扱いと家庭におけるそれらは大きく違う。それにそもそも組織名・部門名も異なる。
それで第一段階として家庭向けにするため、組織を家庭に置き換えて、「環境」という言葉は取り除こう。すると家庭内コミュニケーションの要求事項は次のようになる……かな?

家庭の内部コミュニケーション
各家庭は、次の事項を行わなければならない。
  • 必要に応じて、家庭内の組織、役割分担、手順の変更を含め、それらに関する情報について、家族間で内部コミュニケーションを行う。
  • コミュニケーションの方法や手順については、家族みんなが暮らしの向上に貢献できるようにする。

まあ名詞を入れ替えても、家庭生活において何がどうなのか分けわからんから、易しい言葉というか大和言葉にすると次のようになるかな?

家庭の内部コミュニケーション
家庭では、次のようにする。
  • 家族の構成や役割分担や家事や暮らし方などを変更するとか、家族についての話があれば、家族みんなに伝えるようにしよう。
  • お話を伝えることにより、家族全員が家族を思いやり、より良い暮らしにするように努めましょう。

あまり改善にならないようです。
ところで、あることを伝達するときその動作・行為から描くのもあり、その意図とか気持ちから表すのもありだと思います。いえ、私が思うだけです。
今までの記述はみな、動作とか行為を求めている書き方です。まあISOMS規格に限らず、文章化することはそういう性格になります。
ではアプローチ方向を変えて、気持ちあるいは心構えという切り口から表現してみました。

家庭では、両親を敬い、兄弟姉妹は仲良くし、夫婦は心を合わせて仲睦まじくし、慎ましい態度と謙虚で広い心を持って行動しましょう。

うん、たった一文で済みました。
コミュケーションにあたっては、常にこの文章に照らし合わせ、あるべき道(つまり方針だ)に反しないか省みることで、すばらしい内部コミュニケーションが実現できるのではなかろうか、なんて思うのです。

ええと実はこの文章、私が作ったものではありません。教育勅語現代語訳というものの中で家族関係について記述しているところです。
教育勅語が気に入らないなら、ほかにもたくさんあります。論語でも二宮尊徳でも「学問ノススメ」からでも似たような文章を抜粋して内部コミュニケーションのルールにしても良いです。


話はパット変わって、
改めてみると、ISOMS規格の文章は性善説に基づいていると思います。
性善説だって 性悪説ではないのか
そういう疑問を持つ人は多いでしょう。ISOMS規格の文章は、あれやれ・これやれという文章がひたすら並びます。なんていってもタイトルが「○○マネジメントシステムの要求事項」ですから、要求事項つまり命令が並んでいるのも当然です。

しかし膨大な数のshallがあるものの、実はISOMS規格にはフィードバック機構が書いてない。もちろんあるにはあるのです。とはいえフィードバック機構は、認識の項番で「自分の仕事の重要性・逸脱した時の問題」をしっかり教えろとあることと、日常管理は監視測定で、仕組みの監視は内部監査で確認せよ、そしてマネジメントレビューがあるだけ。

基本的に仕組みを作れ、その通り運用しろというだけです。言えば必ずやってくれると人を信じていなければ、フィードバック機構のない仕組みを要求しないでしょう。 それともISOMS規格は原始的なオープンループなのでしょうか?

ISO9001が日本上陸した1990年代初め、ISOは人間主体でなく仕事主体、がんじがらめに仕事を決めてその通り実行させる、人間性無視だなんていわれたもんです。
実はそれ勘違いですね。
当時のISO品質保証規格も現在のISOマネジメントシステム規格も性善説で書かれていたようです。


では不完全なところはともかく、ISOMS規格のコミュニケーションを家庭内に展開したらどうるのだろう?
家庭においてフィードバック機構のない仕組みが運用できるかというと、正直難しい。というのは会社と違い、多くの家庭では乳幼児から未成年の人がいるからです。

会社と家庭の違い
区分構 成 員備 考
会社 OL社員役員ハーフです課長 構成員は均質・背の高さは違っても知識/年齢のばらつきは少ない
目的は明確であり共有される
家庭 お母さん赤ちゃんファイル名お父さん爺さん 構成員はバラエティーに富む。養う人と養われる人がいる
目的は不明確なこともあり、人によって異なる

「勉強しなさい」「お片付けしなさい」「お手伝いしてほしい」とか、いやいやもっと簡単な「窓を閉めて」「テレビを消してね」という具体的なお願い・命令でさえ実行してくれるかどうか定かでない。
となると家庭における内部コミュニケーションはオープンループ制御では期待する結果が得られるはずがない。

ISOMS規格は性善説だといっても信じるだけでなく、組織内において命令を実行しないと懲戒という強制力がある。それはISOMS規格の存在以前にアプリオリ(でもないか)として存在する。
一方、家庭においては親が言ったことを子供がしないと、家族から追放するとは言えない。
「両親を敬い、兄弟姉妹は仲良く……」と言ったところで、そうしないと罰するぞというフィードバック機構がないと絵に描いた餅でしかない。

現在、体罰は実質的に禁止だ。私は子供時代なにごとかあると元海軍下士官だった親父のビンタが飛んできた。だから体罰は反対だし、私の二人の子供を殴ったことはない。
だけど万が一、子供が悪いことをしたら罰を与えるという前提がなければ子供を導くことはできるのだろうか?

リベラルの人たちは国際問題が起きると「話し合いで解決しろ」という。SEALDsの某青年はアラブの問題解決のために自分がアラブに行って、テロリストと酒を飲み交わして解決すると語った。この無知とお花畑的発想には笑うしかない。
ウクライナであろうと尖閣も竹島も話し合いで解決できないから問題なのだ。

それにまた会社に限らずゲゼルシャフトは、所属する人は同じ目的を持つことと力量が基準以上であるという前提がある。それを満たさない者はメンバー入れない(採用しない)とか、メンバーに入れたのち教育するという全体だ。
だから大枠としての指揮命令系統があり、個々の執務要綱があれば仕事は進んでいくだろう。

だが家庭は所属する人を選べない。生まれた子供の性格はいろいろであり知能も体力も多様である。いや、バラエティーに富んだ子供を、社会で通用するように育てるという機能そのものが家庭の本質だ。はっきりいってゲゼルシャフトへの要求であるISOMS規格の内部コミュニケーションだけでは不足だろう。
じゃあ親となるべき人への要求を、型にはめる教育を行えか、あるいは子供の好みや性質を伸ばすべきか……となって要求事項を標準化することは不可能に思える。

結局「両親を敬い、兄弟姉妹は仲良く……」という各人の立場に応じて行うべき人の道を示すことしかないのではないだろうか?


うそ800 本日の気分

ISO規格を家庭内で……と始めましたが、ISO規格の内容はゲゼルシャフト専用の気がしてきました。
ゲゼルシャフト用に作られたマネジメントシステム規格は家庭には使えないのでしょうか?




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