猫背、肩こり、スマホ首

23.05.15

お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたい方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。


っ、ご訪問された方々へ、お願いです。
「俺は猫背や肩こりには縁がない」とサヨナラしないでください。
この小文は猫背対策でなく、標準化はいかにあるべきかという高尚・・なお話なのです。

本当でしょうか(笑)


寄る年波という言葉があるが、今私には、まさに台風か津波のような
サーフィンは
私の夢である
わしじゃ
サーフボード
激しい年波がおしよせている。
五十嵐カノアのようにさっそうと波に乗れればカッコいいが、もし私がサーフィンに挑戦すれば、波に巻かれて飛ばされてワイプアウト、そしてお陀仏というのがオチだろう。

とりあえずサーフィンはおいといて、歳をとるとどんな変化があるかといえば、老化そのものだ。
老化には、日々衰えを感じるのもあるし、何かの際に以前より大きく衰えていることに気づきギョとすることもある。

後者の例を挙げると……外出するときマンションの中庭を通る。建物の廊下を歩いても良いのだが、屋根の下を歩くより太陽の下を歩いたほうが気分がよい。
マンションの中庭は幼児と小学低学年の遊び場だ。10歳以上のボール遊びは禁止だ。

縄跳び 小さな子供たちがまあいろいろな遊びをしているが、二重飛びの練習をしている小学低学年の子がいた。おせっかいな私は子供から縄跳びのひもを借りて、かっこよく二重飛びをして見せようとした。
できませんでした。足が思ったように上がらないのです。

運動音痴の私だって50前は、二重飛びを20回や30回は連続で飛んだものです。今は昔であります。
そう言えば……20年以上前、ちょうど50歳になった年に、職場の若いもの10人くらいと磐梯熱海のスケートリンクに行ったことがあります。若いつもりでスピンしようとしたら転び、左手首を骨折したのは私です。その日はもうスケートどころではありませんでした。


前者、つまり日々、歳を取ったと感じるものは、体が利かなくなることです。ひじが曲がる範囲、手が届く範囲、首の回る範囲、そういう可動域が年年歳歳ではなく日々day by day狭くなります。
特に私は若い時から、周りの人に猫背だと言われてきました。今は家内が、背が曲がっている!顔を上げろ!胸を張れ!とハートマン軍曹ビリー軍曹ハイウェイ軍曹のようなことを言う。
言われて嫌だと思うのは当然ですが、自分の体が思うように動かなくなるのはそれ以上に嫌です。

私の場合一番気になるのは、ひざや腰の可動域が狭くなることですね。例えば、ひざを曲げて足の爪を切ろうとする……片膝立てても……手の届くところまで足の爪が近づいてこないのです。家内に切ってくれというと、汚いから触りたくないと冷たい。
しかたがないので、毎朝ストレッチ、筋膜リリースに励み、自分で足の爪を切れるように、足が近づくようにと努力しております。


ところでお前は毎日スイミングをしているだろう。それは効果がないのか?
そう問われるでしょう。
そうなのです。効果はありません(キリッ
私の実感ですが、スイミングをしても良くなるのって心肺能力くらいでしょう。筋肉は何もしないよりはましだと思いますが、今以上に筋肉が付くとは思えません。
老人のスイミングは中高生の水泳とは違います。速く泳ごうなんて気持ちは元からありません。長い時間泳ぎますが、いかにしてエネルギーを使わずに泳ぐかということしか考えません。だから、1時間半 泳いでいても プールにいても、泳ぐのはせいぜい2キロ、消費カロリーも少なく疲れるほどじゃありません。

あ〜、それはスイミングに限りません。筋トレをしても自転車とかランニングなど有酸素運動をしても、体の可動域が改善するわけはありません。それどころか逆に筋トレとかスイミングをするために、体の可動域を広げるようストレッチしないとならないのです。

ところで私は毎日ストレッチとか筋膜リリースをしているのですが、それで猫背が治るわけでもない。猫背対策はまた別です。


不肖おばQは勉強家である()。ネットを猫背でググれば、いろいろな情報があるが、みな散発的で、基本から初歩・実践・応用なんて包括的なことは載っていない。
それで猫背を治す本を読むことにした。もちろん本を買うなんていたしません。図書館から借ります。私は市民税を払っておりますので、図書館蔵書の利用権があります。
えっ、使用権はあるけど利用権はないのですか?

注:「利用」とは著作物を「複製、上映、公衆に見せる」などの行為で、「使用」とは著作物を読む、見る行為だそうです。

猫背をキーワードに図書館の蔵書検索をすると、ヒットしたのが52件、全部借りて読むのも大変です。それでネットで口コミを見て、読むべきか、読むまでもないか選別しました。結果7冊を借りることにしました。

猫
猫は骨の仕組みが違い、猫背が正常なのだ

私は、小説はともかく専門書やノウハウ本は、1冊だけ読んでもダメと考えています。著者によって考えが違いますから、複数読んでみてどんな考えがあるのか、それぞれを比較して優劣を考える、それからどれを採用すべきか決めるべきと考えています。

さて借りてきた7冊の本を読むと、直接的に猫背を治すのではなく、猫背の原因を見極めてそれを改善しようというものがほとんどです。それはまっとうな方法です。不良対策、いや上品に言えば品質対策だって、悪いものをひたすら治すより、悪くなった原因を見つけ、その原因の対策をするのが筋です。

借りてきた本の値段は多少の高い安いはあるが、9割は税別で1,000〜1,500円くらいの範囲に収まる。そして大きさはA5サイズ(15センチ×21センチ)である。今のノウハウ本はこのサイズがスタンダードなのだろうか。ページ数は120ページ前後、何度もめくって見ることを想定してか、紙質は良く厚さもあり丈夫だ。


内容は猫背の矯正をテーマとしているのは当たり前で、その方法は9割方同じである。
そして著者が違っても、提案する矯正方法、早い話がストレッチ方法とか生活習慣などはほとんど同じです。「ほとんど」というところに注意ね、まったく同じじゃない。
ではどのようなところが違うのかというと、そこはいろいろ違うのですが、それを考えるのが本日のお話です。


以下は私が読んでみて、分かりやすいとか誤解しやすいか否かという観点での評価である。そこで述べている猫背矯正方法が、適正なのか否かを評価する能力は私にはない。そんなことに詳しければこのような本を読むはずがありません。
この文は、猫背矯正の方法を伝えるには、どういう方法、文章が良いのかという検討である。

理解を早めるためにまず具体例を挙げよう。
どの本でも「あなたの猫背をチェックしよう」なんてのが冒頭にある。

一つの本からチェックリストを引用すると後で訴えられるかもしれないから、下の設問は読んだ本の中から適当に選んだものだ。

次の設問にそうだと思えたらを付けましょう。
 □ 時々肩こりする
 □ 時々目がかすむ
 □ 猫背だといわれたことがある
 □ 体を後ろにそらすのが難しい
 □ 上向きで眠れない
 □ 朝起きると腰が痛い
 □ 鏡を見ると猫背だ
 □ 背中が丸いと言われる
「○個以上あれば、あなたは猫背です。ぎよ〜ほほぉ〜」指
オイオイ、笑うセールスマンかよ

では上記設問にを付けてみましょう。

私は、よくもまあこんな客観的に評価できないチェックリストを作ったものだと、感心したのであります。


また猫背かどうかチェックするというと、必ず壁に背を向けて、頭、背中、お尻、かかとを壁に付けて立つというのがある。
そして頭、背、腰が壁に付いて、お腹の後ろの隙間が掌が入るくらいが望ましいとある。

猫背のチェック

多くの本は上図の右のように、頭、背中、お尻、かかとを壁に付くか否かをチェックするとある。
しかし1冊だけ上図の左のように、「かかとは壁から3センチ離して」、頭、背中、お尻が壁に付くかをチェックするとあった。

さあ、どちらが正しいのだろうか?
実際に私が立ってみると、かかとを壁につけても3点共壁に付くが、少し緊張した感じになる。3センチ離れたほうが楽だ。緊張したほうが正しいのか、緊張しないほうが正しいのか私わからない。
だが一方が正しければ、他方は正しくないはず……論理的にそれは間違いない。もし両方が正しいなら、わざわざ書く必要がない。

もしかかとを壁に付けると3点付かないが、かかとを3センチ離せば3点付く人がいた場合、猫背判定はどうなるのか?
どうでも良いとは言えない。猫背を治そうというとき、猫背か否か判定できないなら、そりゃナンセンスだ。ナンセンスって無意味ってことだよ。

お財布

野球でストライクゾーンが3センチ違えば、優勝チームが変わるかもしれない。優勝チームが違えば、選手の年俸も変わり、それぞれの暮らしも変わる。それどころではない。優勝チームの経済効果は大きいから、九州の経済が上向くか、北海道の経済が上向くか、日本経済に重大な影響を与える。
果たしてかかとは3センチ離すのか、付けるのか、重大問題である。

もし要領書/手順書にこのような矛盾があって、作業者が迷うことがあれば、その要領書/手順書を書いた技術者は、腹まで切ることはないだろうが、坊主頭になって反省すべきレベルだ。人はそれくらいの気概と責任感を持って仕事をしなければならない。

組み立て説明書とか取扱説明書を書く人は、「ミニ四駆」とか「ガンプラ」などの組立説明書を学ぶことが必要だ。サルにも分かるように書くにはどうあるべきかと常に考えて実践すること。
決して「iHone」の取扱説明書を真似てはいけない。直観能力に期待するような取扱説明書はサルには使えない。


また猫背の判断基準を、数字(長さとか角度)で記載していないのです。「手がまっすぐ上がればOKです」って? まっすぐといっても90度なのか、80度以上ならよいのか、そもそも正常な人はどうなのか? それじゃ判定できるわけありません。

実は読んだ本の中に1冊だけ、判断基準を数値化しているものがありました。前項で3センチ離すとあった本です。
その本では、図の中に線を引いて、この角度は〇度以上ならOK、左右の足のここの違いが〇センチ以内ならOKと記してあるのです。
これは素晴らしい。会社の作業要領書で手の動かし方、仕上がりなどを数値で記載しているのは、書いた人が実際にやってみて測ったのは間違いない。書いてないのは実際にやってみなかったのでしょう。
私が書いた作業要領書にはすべて合否が分かるように書きましたよ(キリッ


また多くの本では治療前、治療後の写真がありましたが、はっきり言って違いが判らないものも多い。照明が不適当だと影ができて要点が見えないし、背景が柄物のカーテンだったりして理解できないものもありました。
反面、はっきりわかるように細かいところを拡大した図にしているものもありました。
Before/afterを示すには実際の人の写真がベストでしょうけど、手足の動きとか角度を示すにはイラストのほうが分かりやすいこともあります。

私の経験では作業要領書などの絵は、実際にいろいろ書いてみて第三者にも見てもらい、誤解のないようにしなければなりません。現場のスタッフは自分がミスすれば、そのツケは自分が払う羽目になりますから、必死に考えました。それは自分を鍛えてくれます。

■ ツケを払うってお金を払うことじゃありません。自分のミスで不良が出ると、皆帰った後で一人残り、一生懸命手直しをしたものです。涙が出ました。
これってブラック企業なのか?

逆説的ですが、わかりやすい絵を描こうとすると、実際とは違う絵にしたほうが良いとか、実際には見えない角度で書いたほうが良いこともあります。
例えばひとつの工程で大小のボルトを使用するときは、大きさを2乗くらいに大げさにしたほうが間違いにくい。10ミリは9ミリの1.1倍ですが、1.1倍の2乗は1.2ですから、図を1.2倍くらいに描くと間違いが防止できます。私の経験則です。
正しい比率比率を2乗
10ミリボルト10ミリボルト
9ミリボルト9ミリボルト
大小が分かりにく
く間違いやすい
大小が一目で分か
り間違いにくい


いずれにしても図があれば良いということではない。そもそも図や写真は存在することに意味があるのではなく、説明に役立つか否かである。
しかし本の中の図や写真には、見て分かりやすいか、誤解しないかの検証をしたとは思えないものが多い。写真だけでなく文章も十分吟味したと思えないものが多いのである。

曲げたりストレッチしたりする回数を書いてないのも多い。1セットとは何回することで1日何セットするとか、一日最大で何回までとかを、書いてくれないとワケワカラン……いや危険ですよ。

もっと大事なことですが、異常なこととか危ないとき、止めるべき判断基準を書いているのはほとんどなかった。
「痛くなったら止めましょう」ではまずいだろう。どうなった場合は即止めるとか、医者に行くとか記述すべきだろう。それは最低限の必要条件です。
もしかして著者たちは、そんな危険性を気にしていないのかもしれない。


さて、ダラダラと書いてきたが、この小文をここまで読めば何かをつかんだ人はいるはずだ。
すなわち、なにごとかをするためのガイドブック、マニュアルは使う人の身になって、分かりやすく、誤解されにくく書くのは当然である。
しかしそれだけではそれだけである。その仕事やエクササイズの目的、そのためのさまざまな動作は目的達成にどのように寄与(貢献)するのか、方法や手順を誤った場合はどんな問題が起きるのか(問題が起きなければ方法や手順を定めることはない)、そういうことを明記しなければならない。なんかISO規格にある文章そのままだね。
当然であるが重要なこと安全に関することは、太字とかアンダーラインあるいは色を変えるとか、注意を喚起するように工夫するべき。
まさにISOMS規格でいう、認識とか訓練の要求事項そのままである。

まとめると、指導は山本五十六「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」に尽きる。
そして指導書は、まず目的を示し、理屈を示し、方法を示し、程度を示し、異常時の対応を示す。そうでなければ指導書ではない。

今回、猫背を直そうと何冊かの本を読んでみたが、そういうことを実践しているようには見えないものが多かった。
もちろん書いてあることは立派なことなんだろうが、それを伝える方法(文章や写真)は内容と同様に重要なことである。こんな文章でよく売れるものだという思いはした。
あっ、売れてないのかもしれない。


翻って我々企業で働く人の場合を考えてみると、およそ会社で働く人は、あいまいな文章を書くことは許されない。

サラリーマンは日々、猫背を治す本よりもまともな文章を書いております。
こんなあいまいな文章で銭を稼ごうってのはいかがなものでしょう?

そういう観点で見て私のイチオシは「人生が変わる1分間姿勢教室」です。
動きを数値で示しているし、判断基準も客観的に明記していた。
もちろん冒頭にも記したが、その本に書いてある通りすれば猫背が治るのかどうかはまた別問題だ。


なお蛇足であるが、ここで取り上げたいずれの本も、タイトルが異常に長い。名詞だけでなく、SVOCのある文章さえある。

この小文を書くために読んだ本
書名著者出版社ISBN初版タイトル
文字数
ストレートネックと猫背が劇的に改善1分間ストレッチ村田雅史日東書院978452802355021/06/1525字
人生が変わる1分間姿勢教室しょうじ幻冬舎978434403957522/06/2013字
あらゆるコリ、痛みが消える肩甲骨はがし藤縄 理日本文芸社978453722068123/01/3019字
猫背は壁1mあれば一瞬で治せる大沼勝寛学研978405801869922/08/0914字
座り仕事の疲れが全部とれるコリほぐしストレッチなあさんダイヤモンド社978447810925020/06/0423字
猫背、肩こりをスッキリ改善呼吸ストレッチ 医師が教える、健康寿命を10年延ばす呼吸法本間生夫飛鳥新社978486410743320/02/2040字
医者が考えた猫背がなおる
30秒ストレッチ
小林弘幸PHP研究所978456984211019/01/2419字

注:出版日はアマゾンに書いてある日付と実物の日付が異なるのが多い。実際に店頭に並ぶ日も違う。表には現物に印刷された日付を書いた。アマゾンや他の通販会社の表示と違うのはやむをえない。


ちなみにネット小説のタイトルは、今や小説のあらすじを記述するような一つの文章である。どうせ読者は紹介文さえ読んでくれない、ならばタイトルにすべてを込めるしかない……という発想で長くなってきていると聞く。

参考
ネット小説サイトとしては、「小説になろう」とか「カクヨム」などがあるが、そこで見かけたいくつかを挙げてみよう。
「奴隷商異世界を往く?奴隷商人の娘に転生したんだけど、ホワイトに努めていたら奴隷みんなに慕われ過ぎて売れなくなったので、人材派遣サービスで一旗揚げようと思います?」80文字ある。
「龍馬の息子 知識チートで海援隊と共に明治を駆け抜け日露戦争を楽勝にする!」36文字
「憧れの先輩に手料理を振る舞ったら、いつの間にか胃袋どころか心まで掴んでしまったらしい」42文字
いずれも宣伝文句とか本の紹介ではなく、タイトルである。
本文を読まなくても、タイトルを読めば内容が大体予想できるでしょう。読者を捕まえようとしてタイトルを長くすると、タイトルを見ただけで読んだつもりになって通り過ぎてしまうかもしれない。

ストレッチとか猫背対策をするのも、中身を読まずタイトルだけ読んで買うのだろうか?
しかしネット小説と同じく、タイトルを見ただけで本を読んだつもりになり、通り過ぎてしまうかもしれない。
えっ! 猫背は治ったかって なわけねーよ、


うそ800 本日の標準化魂

引退して10年経っても我が標準化魂は消えず(笑)
おっと「標準化」とは何事かを共通化することではなく、規則を作ったり、比較できるように二つのもののパラメーターを合わせたりすることです。

「曖昧を敵にしては神々の戦いもむなしい」を書いたのは、私の大好きなアイザック・アシモフ。
猫背の本を読んで文章表現があいまいではどうしようもないと思い、標準化せよと怒り狂うアホな老人に励ましを送ろう!

注:「標準化」とは元々日本語ではない。Standardizationの翻訳語で、その意味はstandardを作ることで「一貫性と規則性を確保し比較できるようにすること」である。
基準やルールに合わせ、交換や比較できるようにすること。当然、良い悪いを言えるようになる。

🏱
更に言えばstandardという言葉は「直立したポール」または「立てられた旗」を意味するラテン語の「standartis」に由来する。古代から中世にかけてstandardは、軍隊やギルドの人々が文字通り集まる場所を示すものであった。
時が下るにつれて、このstandardの意味は、さまざまな尺度や測るさいの長さや重さの基準となった。
更に時代が下り、standardは測定の基準だけでなく、テクノロジー、製造、通信、商業などのさまざまな分野において共通なルールの意味となり、通信を可能に、部品でなくシステムや仕事の交換を可能に、そして安全性、信頼性を向上させた。
標準化は価値ある行為なのである。
となると標準化されてないのは……価値がないのだろうか?





推薦する本に戻る
うそ800に戻る

アクセスカウンター