「あゝ青春零戦隊」 小高 登貫 good

出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
光人社 4-7698-0004-51985/06/141000(500)全1巻

私がおおいに漫画を読んだのは、昭和30年代はじめ小学校4・5年の頃である。当時はまだ週刊マンガ雑誌というものは存在していなかった。
週に何回か小学校帰りに貸し本屋によって、マンガを借りて読んだ。そんなことを以前書いた
貸本のマンガというのは大きさは現在のマンガ単行本くらいのサイズで、紙質は非常に悪く厚かった。物語は1冊完結でその内容は恋愛ものなどはまったくなく、戦争物、あるいは何事かに一途に熱中する男の物語が多かったような記憶がある。無法松の一生なんかも読んだ記憶がある。
そんなまんが本の中での戦争とは、かっこいいとか善悪とかいう表現は見当たらなかったような記憶がある。書かれていたのは、義務としての行為という位置づけだったような気がする。
なにせ、こどもの頃のことで記憶は定かではない。
当時は反戦とか、戦争は悪だという主義主張がまだ力を持っていなかったのは間違いない。
戦中の価値観のマンガが存在したのである。

ちなみに連続マンガというのは私が貸本を読んだ時代より時代が下る。
少年サンデーが発刊されたのがその嚆矢であり、多分昭和30年代中ごろだったろう。その後続々とマンガ週刊誌が発行され、私が中学頃になると週刊マンガ雑誌が主流となった。そのため、貸本屋は廃業するものが多く、私は毎週買うお金がなく、必然的にマンガから遠ざかった。
その頃は太平洋戦争を題材にしたいろいろな戦争マンガが連載された。
zero.gif space.gif「0戦はやと」 昭和37年
space.gif「ゼロ戦レッド」 昭和38年
space.gif「紫電改のタカ」 昭和39年
時々は、友達から借りてこれらを読んだ記憶があるが、こういった物語の中でも戦争反対!とか戦争は悪だ!という価値観は見出せない。マンガの中の登場人物はいかに飛行機を操るかということに、敵機を数多く墜すということに、戦いの中で生き延びるということに価値をおいて生きており、反戦思想など読み取れない。
「サブマリン707」(昭和38年)というのもあった。この物語は潜水艦が主役でかつ太平洋戦争ではなく、戦いの相手は悪の秘密結社なのだが、戦うことに意義があり、反戦とか武器を捨てようなんて発想はなかった。

私が再びマンガを読むようになったのは、社会人となって小銭を持つようになってからである。その頃にはもう戦争マンガというジャンルはなかった。いやあっても反戦思想が滲み出すもの、あるいは反戦主張そのものが多かったと思う。なにせ、まさに同時期にベトナム戦争があったわけで、太平洋戦争のゼロ戦の活躍なんて書いてもしらけたのは間違いなかったろう。
ちなみに「エリア88」はずっと下がって79年(昭和54年)である。
私の高校生の同級生が会社に就職するより、アメリカ軍の戦死者の死体処理の仕事の給料がいいのでその仕事に就こうかと考えていると言ったことがある。そんな時代である。
言いたいことは、私にとって零戦というものはあまり身近なものではなかったということです。
子供はみなそうであるように、私もミリタリーオタクでしたが、見たこともない零戦よりも親父がいつも語っていた自動車部隊とか38式歩兵銃の使い方のほうに現実感がありました。近所のがきどもが集まれば戦争ごっこというのは定番でしたが、それは原っぱで二手に分かれて敵の陣地を攻撃するという小隊レベルの地上戦が相場で戦車さえありません。木っ端で作った小銃が唯一の武器で口で「バンバン」といって撃ちあったのです。なかなか時代考証はされていて、小銃は5発撃つと弾を込めないとならないのでした。 
手旗信号とか旧軍の階級などを知らないと仲間に入れてもらえないのでした。

私がゼロ戦という存在を知ったのは申し上げたような貸本屋のマンガからです。
プラモデルというものが出てきたのはずっと後だ。
ところでゼロ戦とは元々あった呼び方ではないそうです。会社の先輩で軍隊に行っていた人は「ゼロせん」と言わずに「れいせん」と言っていました。何かの本で読んだのですが、もともとアメリカ軍がゼロファイターと呼んでいたのが日本に入ってゼロ戦という呼称ができたとか。戦争中は戦闘機といえば零戦のことだったという話を聞いたこともあります。
この絵は手で書きました。20分かかりました 私は終戦後の生まれですから零戦の実物を、まして空を飛んでいるものを見たことがありません。
私の年長のいとこは、終戦後破壊され放棄された旧日本軍の飛行機で遊んだ記憶があるそうです。
なにせ、戦争末期にはいたるところに軍の飛行場があったのですから。
そんなわけで、零戦の戦いというのは大人になって坂井三郎の著作なども読んだ程度で、あまり現実感はありませんし、かっこいいぞう!なんて思ったこともありません。
それに身近に飛行機乗りがいませんでした。戦争中、飛行機乗りというのは学術優秀、体力もなければなれなかったそうですから、私の親類縁者、出身地の人々にはそのようなエリートはいなかったということでしょう。

さて、年末にろくな仕事もないので近くの古本屋で時間をつぶしておりました。
実は、最初本屋にいたのですが、買おうと思った本がありまして、それをレジにもって行く途中、その本がひょっとして古本屋にあるんじゃないかと考えまして、数軒となりの古本屋に行ったというわけです。
狙いの本が半値でありましたが、暇つぶしにその辺を眺めていてこの本を見つけたというしだいです。
何度もこのホームページを訪問されている方は、私の性格というか思考回路が読めてきたのではないかと思います。 
この本はマンガじゃありません。本当の零戦乗りの戦いの記録です。日本には坂井三郎だけでなく、たくさんのベテランパイロットがいたのですね。
ベテランの本来の語義は「歴戦の」であります。
レシプロ戦闘機の最高傑作といわれる この本を読むと、新しい零戦がなく、つぎはぎして飛んでいたとか機数が足りないとか書いてはいる。
しかし、零戦がアメリカ軍のF6Fに劣っているとか、高空まで上がらないとか愚痴めいたことが一切ない!
むしろP39が低性能であるとか、アメリカ軍の戦闘機の戦法が稚拙とか書いてある。
一語として、性能が劣って負けたということは書いてない。
もちろん、B29やムスタングと闘ったときは零戦ではなく紫電改ではあるが、
これは戦闘機乗りの自負なのか?
終戦後も、源田司令以下降伏はしないで断固戦うぞという意気を持っているし、実際の空戦でも負けた気がしていないのだ。こんな日本軍もあったのだ。
諸般の事情がありこういった本がメジャーにならないのだろうが、やはり、戦争に従軍した人の感覚からすればこのような誇り高いそして連戦連勝の戦闘機載りは稀有な存在だったのだろう。
もちろん連戦連勝でなければ生き残れないのだが


ミリタリーオタクでなくとも十分にためになります。
お勧め!



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