「世界は憲法前文をどう作っているか」  中山 太郎 good
出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
TBSブリタニカ 4-484-01415-72001/11/301714全1巻

衆議院憲法調査会というのをご存じでしょうか? 同様に参議院憲法調査会というのもあります。
過去より設置されて、日本国憲法をどおすべきかといろいろと議論している機関です。
そしてその議論の経過や調査報告はインターネットにアップされており、無料で閲覧できるようになっています。
税金で運営されているのですから当然ですよね
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kenpou.htm
私もときどき見て参考にしているのですが、報告書全部ではpdf形式で何百ページにもなるのでプリントアウトする気にはなりません。せいぜいキーワードで検索してつまみ食いする程度です。
しかし、憲法を考えるにはまずはじめにこれを読むのが参考になります。なぜなら少なくとも問題となりそうなところを多くの識者が議論して問題点を整理してくれていますから、
いろいろな意見があります。
koizumi.gif
憲法変えましょう
小泉さんや安倍さん、石原慎太郎氏のご意見もありますし、平和憲法を守ろうという人びと、土井たか子、小田 実なども参加しております。
護憲派の方は「それなり」のイデオロギーで染まっているご意見を述べておられます。
doi.gif
憲法変えません
しかしなんですね、共産主義国家が崩壊して10数年たった今でもイデオロギーに染まった意見を吐く方がいるという現実は・・・日本という国家もたいへんです 
この本はそれらの膨大な資料や報告ではなく、調査したほんの一部である約60カ国の憲法前文がただ並んでいるだけなのです。
しかしこれを読むと非常に面白いです。
特に印象深いのは旧共産主義国家の憲法前文です。いくつか例をあげてみましょう。 このような文章を読むとあなたはいかなる思いを抱くでしょうか?
hatena.gif このような憲法前文を書いたのは、あるいは書かせたのは『ソ連の軍隊』であろうと思うのは当然でしょうね!? そして本当はそんな文章を書きたかったんじゃないだろうと思うのではないでしょうか?
実際に、1990年頃にそれらの国々で共産主義政権が崩壊した後に、新しく制定された憲法では前文もすべて書き換えられ、現在の憲法前文にはソ連を称える言葉もなく、資本主義から、圧制から脱することができたという叫びもありません。共産主義憲法と自由主義憲法の前文の乖離を比べて見ると、いっそうこれらのソ連を称える言葉がむなしく見えます。
私たちも他国の憲法前文なら割合と冷静に読め、論調が変だなとかこれは押し付けられた憲法だとか分かります。そして旧憲法制定時にはソ連軍の武力で押し付けられたのも仕方がなかったのだろうと思うでしょう。

東ヨーロッパで共産主義憲法が続々と制定されたのと同じ頃に、東アジアで制定された憲法にも似たような憲法前文があります。
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

この文章が独立国家としての喜び溢れた文章と思う方はいるでしょうか?
祖国に誇りを持つ文章であると思う方はいるでしょうか?
東ヨーロッパの旧共産圏諸国の憲法前文を「押し付けられた」前文だ、「裏で誰かが書いたものだ」と感づいたあなたなら日本国憲法前文も「押し付けられた」「誰かが書いた」薄っぺらなものだと気付いたことでしょう。
そして、東欧の憲法前文に感じた悲しみと同じく、己の言葉で主張できなかった悲しみを感じないでしょうか?

この前文にアメリカという固有名詞はありません。でも、この憲法前文を読むと封建社会だった日本をアメリカ軍が解放したとしか読めないではありませんか?
日本はアメリカのおかげでアメリカ軍によって解放されたのでしょうか!?
憲法前文には、戦争がずっと続いていたように書いてあります。圧制から解放されたと書いてあります。それまでは民主主義というものが少しもなかったと書いてあります。日本の文化、伝統についてはひとことも書いてありません。
本当にそうだったのでしょうか?
自分たちの国の憲法ならば、自分たちの国の歴史、文化、伝統といったものを取り上げて、それを子々孫々に伝えていくことが国民の願いであり誇りであると書くのが普通ではないのでしょうか?
現実に、東欧諸国は共産主義から脱却したときに、みな憲法前文を書き換えてしまいました。
そして自分たちの言葉で、自分の国の伝統を誇り、すばらしい国を作ろうという喜びをあらわしています。

マッカーサー憲法と呼ぶべき日本国憲法を平和憲法とかすばらしい憲法と呼ぶ人々がいます。しかしこの前文を読んだだけで、もう傀儡(かいらい)の作った人工的憲法であることがバレバレです。
もとより憲法前文そのものにはなんの罪も責任もありません。また傀儡が作ろうと押し付けであろうと良いものは良いと判断することもあるでしょう。しかしまさに蒸留水のごときこの憲法前文は何の味わいもないことは間違いなさそうです。
150×211 憲法前文には『日本』という語句が何箇所かありますが、ここを他の国の名前と入れ替えても通ってしまうように日本の文化も伝統も一切含んでいないのです。
自分の国の憲法そして憲法前文にはもっと土着の文化があってほしいと思うのは私だけではないと思います。

しかし、日本国憲法をどう思うか? ということは、やはり日本国憲法だけを見ても分からないといえましょう。やはり多くの国々の憲法を並べてみて、良さ悪さというのが見えてくるのではないでしょうか?
この本を買うまでもありません。インターネットの憲法調査会の報告書などを時間のある限りながめてください。きっと日本の憲法とはこうあるべきだと思えるものが見つかると思います。
その意味で、憲法調査会とは良い仕事をしています。

みなさん、ぜひ憲法調査会の報告書をお読みください。
護憲だ、改憲だ、と大声を出す前に、まずいろいろな観点から現在の憲法は世界の憲法に比べるとどうなのだろうか?と見て見ませんか?
きっといろいろなことがわかります。
そしてやはりちょっと変だと気がつくでしょう。





推薦する本の目次にもどる