変るもの変らないもの 2004.02.15
いつも行き当たりばったりで文章を書いております。実を言いまして、私が文章を書くときに事前には筋書きも落ちも考えずにキーボードを叩いております。
それで表題と内容とが全然関係ないことがほとんどです。
本日も一応表題を掲げてみましたが、それに見合ったものになるかならないか?私には分かりません。 

さて、変るもの変らないものといいましても何から書き出しましょうか?
  • 小学校の時、置き傘って買わされませんでしたか?
    私の通った小学校までは片道4キロはありました。田舎というだけじゃなくて、山林を切り開いて引揚者の住宅を作ったのですが新しい小学校まで手が回らなかったのです。
    唐傘 子供の足では最低一時間かかりました。途中で雨なんて降られれば大変です。まあ、親が迎えに来るような時代じゃありませんしね 
    私たちは入学時に置き傘といって学校に備えておく傘を買わされたわけです。
    その雨傘は・・・唐傘でした。
    ご存知でしょうか? 骨は竹で油紙に渋を塗ったあの唐傘です。
    置き傘は学級の鴨居にズラットぶら下げてありました。持ち主の名前が書いてありましたが、一度雨が降って使用すると持ってくるのを忘れたりして、他人のものを使ったりして悲喜劇、けんかが起きたのは毎度のことです。
    さて、私の妹が入学したときは置き傘はなんと、こうもり傘になりました。私たちはいやあ高級なものになったなあという感じでしたね、当時は置き傘だけでなく一般家庭でも唐傘が普通でしたからね。
    昭和30年を少し過ぎた頃の話です。
    あれから45年、いまじゃ唐傘なんて高級品ですね!
    こうもり傘なら立派な実用傘が1000円くらい、ビニール傘なら100円で買えます。一方唐傘のたぐいは舞台用、芸者さんなどに用いられるだけとなり、お値段はおおむね1万円以上、安いものでも何千円もします。当時の傘を大事に保存しておいて今雨が降ったときに使ったら・・・・受けませんか?
    似たようなものに団扇(うちわ)もあります。
    昔はもちろん骨が竹の団扇しかありません。プラスチックの団扇が表れたときはスゴイと思いました。
    でもプラスチックの団扇の風って、涼しくないんですよね!
    だからもらっても竹製以外は捨ててしまいます。
  • らんばと日照り
    「らんば」ってご存じないですか?
    ランバダではありません。ランバダが流行ったのはもう何年になるでしょう? ものうげなリズムと身体を密着させたセクシーなダンスでしたね。 
    らんばとは私の地方の方言で「墓地」のことです。墓地はまあ大体薄暗く、地面も湿っていたものです。
    日照りとはもちろん太陽の光に照らされていること、場所のことです。
    そこから、らんばとは勉強ばかりしていて顔が青白い子供のことで、日照りとは遊びまくって真っ黒に日焼けした子供のことでした。
    つまり「らんばみてえな顔して、お前みたいなヤツはすぐ病気になっちゃうぞ」という使い方をしたのであります。
    今は懐かしい風景だ この太陽賛歌、日光浴迷信は当時全世界に蔓延していたようです。
    私が成年になった頃、70年にはアメリカ人は体を覆う面積を最少にして・・・場合によってはゼロにして・・・日光浴に励んだのです。誰も彼もが海でサンオイルを塗りたくり一生懸命黒くしたものです。
    あれからわずか30年、今では紫外線は敵、メラニンは危険の兆候、可能なかぎり日の光を避け、日焼け止めをし、日傘を差しています。長袖を着る方もいます。紫外線を防ぐには白色ではなく紫色のほうが効果的であるとオーストラリアあたりでは学校の制服を紫にしたところもあるとか?
    田舎でも「らんば」という言葉は年配者しか使わなりました。もし今使うとすれば「おまえ日照りで日焼けしていると病気になるかららんばみたいになれ」とでも言うのでしょうか?

  • 体格がいいこと
    昔は健康優良児という表彰制度があったと以前書きました。なにしろ昭和30年頃はみなが満足に食えずやせこけて身長も伸びない時代です。
    まさに現在の北朝鮮のようでありました。

    だから赤ちゃんから小学校に入るくらいまでの子供で栄養豊かで体が大きいと、それゆえに市町村から表彰されたのです。
    おかしいですか? 金持ちの子が表彰されるだろうって? そうですよ、貧しい家では満足に肉も卵も牛乳も与えることができません。
    高校時代、私は学校帰りに夕食の肉を買っていく同級生を別世界の人間のように感じたものです。我が家は麦飯と野菜の食生活でしたから、
    さて、現代ではこれまた価値観が裏返しになったようです。
    若い女性は細いことに価値があるそうです。身長が160センチくらいでも体重が50キロあると太りすぎというのですから驚きます。
    何かの本で読んだのですが、モデルのサリーサイズは年代が下がると共に細くなっているそうです。
    商業主義といえばそれまでですが、若い女性がスリムになるといったい誰が儲けるのでしょうか? 繊維メーカーではなさそうです。
    私は高校時代体重が55キロくらいしかなく、どうしたら60キロになれるだろうかと悩みました。早い話がもっと食えばいいわけですが、食うものがないのですよ。
    あれからちょうど40年、今私は体重65キロ、高脂血症を改善するために医者から体重を下げるように言われています。もっとも家内に言わせると「そんなことを気にするから良くない!」でおしまいです。

  • 物を持つこと
    LPレコードってご存知ですか?
    そりゃ知ってますよね、CDが表れるまでは音楽と言えばLPレコードと決まってました。直径30センチ回転数33rpmの黒い円盤です。私が結婚した頃、友人でLPレコードを300枚も持っている人がいました。うらやましかったですね、
    一枚3000円として300枚、エー100万円じゃないですか!大金です。
    当時私は2・30枚くらいしかレコードを持ってませんでした。
    今はどうでしょうか?好きな歌はネットからダウンロードしてMP3とかで聞くのが当たり前となりました。ものは持つものではなく、利用することに価値があるのでしょう。これは正しい方向への進化であったと思います。
    大体、レコードが300枚といえば、そのボリュームたるやCDやMDとは比較になりません。押入れが一杯です。その重さもはんぱじゃありません。引っ越すのも大変です。
    私が持っていたレコードはどうなったか? いつの間にか全部捨てました。
    300枚持っていた人は捨てるのも大変だったでしょうねえ、
  • 大きいことはいいことだ
    「大きいことはいいことだ」このフレーズご存知ですか? 70年頃でしょうか?チョコレートを比べたとき、小さなチョコより大きなチョコレートがいいよというコマーシャルのフレーズです。
    同じ頃、トヨタカローラと日産サニーが大衆車の覇を競った時代があります。このときのフレーズは「隣の車が小さく見えます」でした。まあ、虚栄心に火をつけようとするけなげな努力と言いましょうか?
    写真フィルムでは「20枚と24枚撮り、どっちが得かな?」というのもありました。
    今、そのようなコマーシャルを打ったとしても、あまり受けないと違いますか?
    まず他人と同じ線上で競争するということが少なくなったと思います。ナンバーワンよりオンリーワンなんて言葉が流行る時代です。君は車が趣味か?おれはダイビングが趣味さという按配で価値が複線化しています。
    それとみなが豊かになって大体のものは手に入るようになりました。ゴルフがほしいがお金がなくて変えないということはないのではないですか?ゴルフを買うなら半値の車を買って差額で海外旅行が10回行けると考えているのではないでしょうか?

  • 買うより捨てるのが大変な時代
    私が若いときは物を買うのには金がかかるのは当たり前でしたが、捨てるのに金がかかるとか、物を捨てるのに困ることはありませんでした。食料の残りは庭に穴を掘って埋めるのが普通でしたし、電気製品や家具などは市が無料で処理してくれるのが当然でした。
    私が若いときラジカセは物品税の関係で26,000円というのがひとつの線だったのですが、最近では1万円を割るようなものばかり、若いとき財布の中身を見ながら買うか買うまいか悩んだのがうそのようです。
    car.jpg まあ当時は車を持っている人なんてほとんどいませんでしたがどんなポンコツ車でも多少は値が付いたものです。高校のときどなたかが廃車した車を寄贈してくれて、ありがたく教材としていただいたことがありました。アメリカではいらなくなった車を捨てるのだと聞いて、そんなことをすればすぐに誰かが拾いに行だろうと疑問に思ったものです。
    最近では物は安くなり誰でも何でも買えるようになりましたが、その一方捨てるのが一仕事となってしまいました。
    まず家電4品目(最近は冷凍庫も加わりました)を捨てるときは、家電リサイクル法に従い廃却費用と運搬費用を払わないとなりません。その辺に捨てると・・・・逮捕されます。
    ベッドなんて捨てようとするといったいどうするのか悩んでしまいます。

取り留めのない話でありましたが「変るもの変らないもの」ではなく「変化したもの」ばかりとなりました。

学校で国歌を歌うとか国旗を揚げるというのは私が子供の頃は当たり前のことでした。祝祭日には各家庭で国旗を掲げたのです。その習慣は変ったのでしょうか?
国旗国歌の強制は軍国主義の復活だと叫ぶ人もいますが、私の子供の頃は日の丸を揚げてはいても軍国主義ではなかったような気がします。



本日のテーマはいったいなんだ? と問いますかな?
前回申し上げたように私はまじめなことを三回続けて書くことができないのです。




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