地球市民、世界市民 2004.04.26
自由とは何か?とは既に書きましたので本日はその後編として・・・
地球市民と自称する方がいる。世界市民と名乗っている団体や協会もある。
quest.gif ホウ、世界市民とか地球市民とは何でしょうか?
なにしろ、私は老い先短いジジイでして、最近の流行語はあまりよく知らないのですよ。
まあ、私なりに、考えてみました。
  • まず辞典を引いてみました。
    広辞苑にはありません。
  • インターネットで検索するといろいろ出てきます。
    世界市民と銘打った団体がぞろぞろみつかります。そんなウェブサイトでとりあげているのはチョムスキーとか憲法9条など・・・・定番と言ってしまえばそれでおしまいのようです。 
まあそこに書いてあることでは、地域や国家にこだわらない世界単位で物事を考え行動する人々のことなんだそうです。
しかしいろいろな本を読みますと、人間の関心というものは物理的距離と時間的長さによって低下していくそうです。まあ常識的にはそうだと思います。
いくら将来を見据えてといっても、たとえば甲子園の優勝に備えて練習しても1回戦の相手に勝たなくてはなりません。国家や会社の計画というのは長期にわたるものが多いですが、長期は荒く、短期については詳細に決めているのが普通です。
それは優先順位(プライオリティ)という原則でありますし、また緊急避難という考えを導きます。通常は禁止あるいは避けていることも緊急な時には短期的にはやむなしということです。
チェルノブイリの事故のとき、北欧でトナカイを飼育している人が放射能が危険だと知りながら、今食べるものがないという理由でトナカイの肉を食べたのも、これまたやむをえないことでありましょう。
臨機応変ということは実務においては非常に重要である死活を分けることになります。
イエス様も言っています。『明日のことを思い煩うな』とね   人間できることは最大限努力しなくちゃいけませんが、できないことは人事を尽くして天命を待つしかありません。それを悩んでも仕方のないことです。それが宗教かと・・・
そういった発想と時間的、距離的に関心が低下するということは整合といいますか必然なのでしょう。

kansin1.gif
ちょっと絵を書いてみましょう。通常の関心の度合いを絵に描きますと、自分を中心にして遠くなればなるほど低くあるいは薄くなっていくことが分かります。ところで世界市民ともなりますとそういう価値観とは異なります。さすがですね。
 何がさすがかはワカリマセンが 

地域的には間違いなく、近隣社会よりも国家レベルよりも、遠くはなれた地球の裏側に高い関心を持っているわけです。
また今の目の前の問題よりも、将来起きるであろう問題について高い関心を持っている頃が分かります。
最近せつな的な人が多いですが、こういう考えを見習わねばなりません。 
こういったことを踏まえると、地球市民、世界市民を名乗る人々の関心は近くより遠くに高い関心を持っていることが分かります。

kansin2.gif しかしなんですね、イラク人質事件でテレビで放送された家族や所属団体の様子から見ると、ものすごい濃厚な関係が見て取れます。親離れ子離れしていないのでしょうか?
これを絵に描きますと、単純に中間レベルが落ち込んでいるのであって、世界市民を名乗った場合とはかなり異なる関心の高さではないのでしょうか?
更に言えば「劣化ウラン」「劣化ウラン」と壊れたレコードのように繰り返し、反日・反米と英会話の練習の如く繰り返していますが、対人地雷廃止とか反フセインとか反パレスチナとか反北朝鮮とは叫んでいない。
日本は対人地雷を持っていない。中国や北朝鮮や韓国は大量に・・・・すると彼らの関心ごとというのは単なる同心円ではなくベクトルを持っているのだろうか?

なんてボケをかましちゃいけませんよね、
市民運動というものがサヨクと同義であるように、日本において地球市民とは反米運動あるいは反日運動と同義なのだろう。
そりゃそうだよね、単に詐欺とか横領で有罪になったというより、政治的陰謀の犠牲者とか、他の議員もしているとかいったほうが一般の市民(本当の意味での)に誤解させやすく勘違いして「おお、かわいそう」なんて署名や募金をしてくれる人もいるはず。
戦争に負けた後、半世紀「敗戦記念日」といわずして「終戦記念日」と言い続けている民族もあることだし・・・・もっとも「無条件降伏」というのはうそで「ポツダム宣言を受諾した条件付降伏」であったことをアメリカも日本も黙しているのはなぜ?
イラクは無条件降伏でもない。
壊滅的敗戦ではあるが、未だ降伏調印していない。
それを考えると現在の混乱はテロではなく戦争の継続なのだろうか?
であれば戦争地域に自衛隊を派遣するなという考えは正しいが、同時にNPOやカメラマンも戦場であることを認識して行動しなければならないと返す刀で切られてしまう。
地球市民を名乗るなら、まず本当の意味での個の確立した市民でないといけません。
近隣社会や国家よりも全世界あるいは文化的にも大いに異なる外国を身近に感じるという価値観が存在することは不可能に思えます。
証明といわれるとすぐには困難ですが・・・・

もっともテロリストもそうですが、世界市民・地球市民にも国際的に定まった定義はないようですので、どうでもいいことなのでしょう。 



本日の結論、


世界市民とか地球市民なんて私にはわかりません。
 でも、
家庭を大切にしない人が他人を大切にできるはずがない。
立派な仕事を持たない人にボランティアができるはずがない。
日本を愛せない人が世界を愛せるはずがない。
日本でまともでない人が外国でまともなはずがない。





銀河市民、宇宙市民 2004.04.26
世界市民、地球市民なんてアホを語るな!と昨日語りました。
本日はじゃあ、国家や地域に煩わされない市民はいかにあるべきか?ということを。

人間、所属する血縁、地縁、グループ、団体、国家あるいは・・・とより広く見ることは大事なことでありましょう。
人間、小さくまとまっちゃいけないよ、一回りも二回りも大きくなろうじゃないか。

しかしながら、まだ世界市民、地球市民なんてことを叫んでいる人はちいせい ちいせい、
まだ地球市民と名乗っているようじゃ、国家という枠組みから解放されても地球という範囲に囚われているのでしょうか?
それなら悲しいことです。
だって、あなたはなにものに制約されない普遍的人類愛と無私公平な価値観をお持ちなのでしょう。
地球市民と名乗ることはまだこの球体の中でしか考えられないということでっしゃろ、
世界市民ということは、月の世界あるいは将来火星とかに植民したときはその人たちの立場では考えることができないということでしょう。 

ならば、銀河市民、宇宙市民と名乗って欲しい、
えっつ、そう名乗るほどの自信がないのですか?

多分・・・想像ですが・・・宇宙には人間のバラツキを超えたさまざまな価値観、宗教、論理、嗜好の生物がいるんでしょうなあ?
oldman1.gif そんなさまざまな生物との平和共存を、繁栄を達成するためにあなた、銀河市民、宇宙市民を名乗ってくださいな、
それともあなたはそんな理解不能な生物の相手をするのは無理なのでしょうか?人間の価値観、宗教ならばハンドリングできるという自信というか確信があるのでしょうか?
いえ、それでもけっこうなのですが
それならばパレスチナに行って、自爆テロを止めろと説得してくださいな。
イラクでアメリカに対抗するのは武器でなく、選挙で意見を表明するように言ってくださいな。
シーア派、スンニ派双方に理解しあおうと説得してくださいな。
無理なんでしょうか?

じゃあ、世界市民、地球市民なんてアホを語っちゃいけませんよ、

へんな運動をする前に『銀河市民』(ロバート・ハインライン)でも読んで、ソービーの正義感と義務感を学んで欲しいもの、
「責任感のある銀河の市民は、宇宙の辺境で行なわれている悪を許すべきではない。常に正義を実現すべきだ」

この本で語るのは市民の権利や自由ではない。市民の義務と責任である。
市民を名乗るなら権利を主張するな、自由を標榜するな、
市民は責任を感じ、義務を果たさなければならないのだ。
あるいは『宇宙市民』(ロバート・シェクリイ)でも読んで、人間いかなる境遇に置かれようとも、常に努力することを学びましょうや、

実は私はSFオタクでして・・・・

地球市民や世界市民なんて軽々しく語っちゃいけません。
本日は酒を飲んで少し荒れております。 
本日はこれまで!



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