指導者なき追随者と?追随者なき指導者 2004.06.20
法律では第2条が定義と決まっている。
ISO規格でも本文の前には必ず『定義』という章がある。定義の章が、これが膨大になると、定義だけであたらな規格になったりする。少し厳密な話をする場合には語義をはっきりしなくてはならないということだ。
たとえばISO9001を理解するにはISO9000を読む必要がある。
    こんなケチなウェブサイトで書くものにたいそれたものはない。しかし、お互いに誤解のないようにするために言葉の意味を決めておこう。
  • 指導者とは目的に向かって他の人を導いていこうとする人とする。従う人がいない場合も含む。
  • 追随者とは目的に向かって行動するさいに、指示を受けて行動する人とする。指示する人がいない場合も含む。
    指導者をリーダー(leader)、追随者はフォロワー(follower)とすべきかもしれない。しかしフォロワーというと信奉者・支持者という訳もあり、それでは意味がちと違うと思う。あるいは追従者というべきかも知れないが、俗に言うお追従とも違い、ここでは追随者とする。
    機械ではカムで駆動されるものをフォロワーといい直感的に理解しやすい。
さて、やっと本文である。
『指導者なき追随者が良いのか?追随者なき指導者が良いのか?』なんて問を30年以上前に見たことがあった。
hatena.gif 指導者なき追随者は一体どこに進むのか分からず、目的に向かう組織的行動はとられることはなく、最悪の場合はみなで断崖に向かって盲目に行進する可能性もある。
一方追随者なき指導者は道化に過ぎない。ドンキホーテでさえ従者が一人いたのである。
モーゼがエジプトから民を導いたのは指導者足りえる指導者がいて、それに従う追随者がいたという稀有な事例なのである。

いかなる時代においても、またいかなる組織においても指導者と追随者という二種に別れる。そしていかなる時代においても、またいかなる組織においても指導者と追随者が必要だ。
みんながリーダーになることはありえない。リーダーを独裁者と決め付けることは間違いである。同様に追随者が自分の意思を持たないと決め付けることも間違いである。
そして指導者になるのも追随者になるのも簡単ではない。誰でもなれるのではないのだ。
話はパット変って、
私が若いとき勤めていた工場では下っ端から、職長(しょくちょう)、掛長(かかりちょう)、課長、部長という職階であった。
職長は10人から30人を束ね、掛長は数人の職長、課長は数人の掛長の上に立つというハイラルキーである。大学を出てきた者はもちろんはじめは平社員であるが、やがては掛長からこの階段を上り始める。一方中学・高校を出てきたものは平社員となる。しかしやがて能があると認められると職長となる。さらに能があると皆が認められると掛長になり、中には課長にまでなるものもいた。
ところが、職長の仕事と、掛長の仕事、課長の仕事というのは量的なものではなく、質的にまったく違うのだ。有能な工員が職長として通用するかどうかはある程度リンクする。自分の腕で飯を食っているという自負のある人間は自分より腕の悪い人間の言うことを聞かない。私もその主義だ。
だから現場で腕のいい人間が職長になるとその職場で職長に逆らう者は普通はいない。
ところが腕のいい職長が掛長になれば、良い掛長になれるのか?といえば、まったく関係がないとしかいいようがない。なれる場合もあるし、なれない場合もある。
もちろん、大学を出てくれば良い掛長になれるのか?と言えば、なれる場合もあるし、なれない場合もある。掛長に求められるものは技能とか知識とはまったく異なるものなのだ。課長になればまた異なる能力を要求される。
ものすごい知識や知恵を持てば指導者足りえるかというと物事はそんなに簡単ではない。
リーダーたる者はその能力と共に人望が必要なのである。
ヒトラーがいかにして階段を上って行ったか?それは単なるスローガンと恐怖政治だけでできるわけではない。だいたい権力を持たずに野にいて恐怖政治を行えるはずがない。

以前スイミン学習で書いたが、強権だけでは人は集まらないし、集まってもその話を聞くはずがない。
指導者が分かりやすい言葉で自分の思いを伝えられるか?という点にかかっている。さらには聞く人がその情報に関心があるか否かということも重要だ。
ところでマスメディアはみな『自分は指導者である』と認識しているようだ。まあ、世の中を導くという気概のないマスメディアはイエローペーパーと言うべきだろう。
中にはパワーペーパーと自称している新聞社(広告社?)もある。
すごい自信だ!スバラシイ! 
ところでパワーペーパーとは一体なんだ?パワーとは必ずしも・・・いや全然・・・正義とか善を意味しない。英英辞典でも広辞苑でも『力』であり、『悪』という意味もある。
 パワーペーパーと自称するのは中身に価値があるのではなく単に元気がいいと宣言しているのだろうか?

先ほどの言い回しを修正せねばならない。世の中を導くという気負いがないマスメディアがイエローペーパーなのではなく、世の中を導けないマスメディアがイエローペーパーなのだ。
ほらを吹くマスメディアがあり、それを信じる追随者がいればその行く手には断崖しかあるまい。
正しい目的を持ち、実行可能な目標を提示する指導者がいたとしても、それに従わずあるいは怠惰に耽る追随者ではこれまた目標にも目的にも届かないだろう。 先ほどあげたモーゼでさえも自ら疑問を感じることも多く、追随者に至ってはしょっちゅう脱線したのである。 

するといかなる組織においても皆がベクトルを合わせてより良くして行こうというには追随者と指導者がいれば要件を満たすわけではなく、よき指導者とよき追随者がいることが必要条件のようである。
とすればますますもってその取り合わせは存在が稀有であり、理想状態は実現しないような気がする。

quest.gif 現実の世界ですばらしい指導者とすばらしい追随者が組み合せなどなかなか見かけない。
日本を貶めれば外交がうまくいくとしか考えていない人間を政党指導者に担ぎ上げた人々の頭を疑う。もし、この人々が日本の実像ならば私はこのウェブサイトを閉じるしかない。
日本の実像はそうじゃなく正義と信義に基づいた外交を行うべきだと考えている人が多いと信じているのだが・・・

あるいはものすごく説得力があり、多くの人にアッピールするプレゼンスを行う指導者もいるが中身はエ!』というのもある。こういったものを扇動という。
夜遅いテレビの出ているあの方!あの方ですよ 


さらに話はパット変わって、 インターネットの世界でもすばらしい指導者とすばらしい追随者で交換される掲示板などは見かけない。ものすごいアイディアを提示する方もいるが、その表現があまりにも学問的でそれを理解しようと努力する人だけが理解できるというと、なんか自己矛盾のような感じを受けることもある。だって、むずかしいことを理解できるならもともとその情報に触れる必要がなかったはずだ。
『理解するとはいかなることか?』という説明もこれまた多々あるのだが、ある本では『相手の中に自分を見つけること』とあった。
何の本だかご存じの方いますか?
他方追随者にしても耳障りの良い言葉のみを聞き、苦味の利いた言葉には耳をふさいでしまう人もいる。
目的を理解し、そのための最善策であると納得しないとよき追随者にはなれない。
選挙のたびごとに、耳障りのいいキャッチフレーズに騙されてばかりいる方は、良き追随者にはなれないのだ。
自分も嫌だ、他人も徳にならない、でも全体を考えればこれを選択するのが最善あるいは最少悪の選択であると理解できる人を市民というのではないか?
観念的、感情的に正義派ぶることは一人前の大人ではない。

man1.gif

今の日本には、
指導者も追随者もいないのではないか?


私はバカなことばかり書いているが、多くの人に考えてほしいと願っている。
そして考える追随者になって欲しいと念じているのだが・・





WPP様からお便りを頂きました。(2004.06.24)
リーダーについて
最近の日本をみると、アメリカと比べ、日本にはボスはいるけどリーダーがいないのがよく分かります。日本でリーダーの定義が甘いかと思います。暴走族や政治家の派閥の長、ワンマン社長はボスで、リーダーと言うのは少し変な使い方と思います。
アメリカは子供の時からリーダーシップを身に着けるよう教育をしています。一流大学では学業だけでなく、リーダーシップがあるかどうかも合格にとても影響します。これは学校だけでなくビジネスでも政治でもすべてに要求されます。軍隊では特にリーダーシップがないとみなされると司令官でも即クビになります。米軍のイラク人虐待問題では司令官のリーダーシップに問題があるとされています。

どうも最近、このリーダー、リーダーシップ不在が日本には目立つように思います。小学校のイジメやN,M自動車、銀行、政治、外交等どれをとってみてもリーダーシップ欠如が原因と思います。どこかの国のようにリーダーシップ過剰も困りものですが。

WPP様、ご指導ありがとうございます。
現実の社会では職階と権力と実務能力と指導力・管理能力などがごちゃまぜになっているのではないでしょうか?
私も会社人生が長いですが、長がつけば付かない人をいかにあごで使おうかと考えている人が多いような気がします。威張りちらすわりになんも責任をとらない人では救いようありません。だから、能力主義とかリストラ(良い意味で)などにあい、降格などされようものなら意気消沈となってしまうのではないでしょうか?
リーダーは権力を持つ者ではなく、それに従うことは恥でもなんでもないと教えなくてはならず、また理解しなくてはなりません。
おっしゃるとおり、日本ではそういったことが教えられていないのです。






Yosh様からお便りを頂きました。(2004.06.25)
とうた様 久方ぶりです。
とうた様の[指導者なき追随者と?追随者なき指導者]を読んでいますが。で思うたのが[狂人走 不狂人走]です。
愚かな気違いは大変に多いようですが。未だ日本には狂人がいますか?

Yosh様、いつもご指導ありがとうございます。
狂人走不狂人走ではありませんが、最近日本では外国人強盗団走り日本人逃げる状態です。
まったく困ったことです。私は毎日通勤や仕事で出歩くときいつもキョロキョロ辺りを見回しており、変な人には近づかないようにしております。
治安は最大の福祉ですね、
 年金も大事だが、今日の命がもっと大事です。


本日はこれまで!