ナショナリズム2 2005.01.22
以前、ナショナリズムというタイトルで駄文を書いたので、これはその2である。

現代の日本では、マスメディアで、書物で、街頭で、インターネットでとにかくさまざまな意見、主張が唱えられている。 けっこうなことである。
man1.gif 世の中は広いから様々な意見があってよいし、そうでなければならないと思う。
言論の自由とはかくも尊いものである。戦前の日本にはなかったなんておっしゃる方がいるが、そんなボケかましちゃいけません。それどころじゃありません。つい最近の1990年までソ連すなわちロシアにはなかったのですし、そして今現在の中国や北朝鮮にも存在していないのです。それが言論の自由です。
日本人はその尊さを再確認し、自らがそれを謳歌するだけでなく、言論弾圧の国家に対して人権を認めるよう圧力をかけなくてはなりません。

オット、話が横道にそれてしまう。本日はナショナリズムの話であった。
「ナショナリズムが危険だ!」という意見はいたるところでお聞きする。「ナショナリズム症候群」とか「諸悪の根源」とか「戦争の素」なんていう表現もある。
今ではナショナリズムというのは調味料になったのか?
「誰が唱えている?」なんて問うまでもない。私の「ありがとうのコーナー」に頂いているお便りメールの中にもたくさんある。
最近、私が国旗国歌反対論に批判の文を書いたら「ワシのことか?」というクレームが来たが、このインターネットの広い世界、そう自意識過剰になることもあるまい。
そういったご意見はたくさんあり、お便りを出されたお方が思っているほどオリジナリティのあるものではない。 
また話がそれてしまった。話を戻す。
たくさんの主義主張はあるが、ナショナリズム反対を唱える人々の主張を考えてみると不思議なことが見えてくる。それを考えたい。
以前「平和が好きですか? 戦争が好きですか? 」という駄文を書いたが、そこでも論じているがご存じのように「戦争と平和」は反対語ではない。
男と女は反対語、熱いと冷たいも、甘いと辛いもしかり、
しかし、男と熱いは全然その意味する性質の種類が異なっている。
「熱いのが好きですか?冷たいのが好きですか?」というのは問いとしておかしくはない。しかし「熱いのが好きですか?甘いのが好きですか?」では問いとしては大いにおかしい。
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「熱い恋が好きか? 甘い恋が好きか?」という問いなら成り立つかもしれない。
しかしながら「私は熱く甘い恋が好きだ」という回答が可能なことを考えると、やはり熱いのと甘いのは一本の軸上にあるものではないことがわかるように、比較できるものではない。

ナショナリズム反対主義者の話に戻るが、ナショナリズムが嫌いというイズムには必ず次の主張がセットになっている。
man7.gif  ・日本が嫌い
 ・過去の日本の戦争は悪である
 ・憲法改正が嫌い
 ・アメリカが嫌い
 ・自衛隊には生理的反感がある

でも好きなものもあり、これもまたセットになっている。
woman6.gif  ・中国が好き
 ・憲法9条が好き
 ・朝鮮が好き
 ・テロリストには反感がない
 ・世界市民がすてき

そして目に見えるものと目に見えないものもなぜかセットになっている。
 ・劣化ウランの悪を追求しよう
 ・中国のベトナム侵攻、チベット侵攻を無視する
 ・フセインの毒ガスは知らないふりをする。

さて、この組み合わせを見て気づくのだが、ナショナリズムが好きか嫌いという軸は他の論点とはまったく異なっていると私は考えるのだ。ナショナリズムが嫌いだ!と考えることは決して間違っていることでもなく、批判されることでもない。
当然だが、反ナショナリズムを唱えるからにはいかなる国のナショナリズムにも反対しなければそのお人はダブルスタンダードと言われてもやむをえない。
早い話が 嘘つきだ! ということである。

ナショナリズムと自由主義、あるいは平和主義というものは同じ軸上にはないことは容易に分かる。ナショナリズムであっても自由主義者であることもあるし、社会主義者であることもある。ナチスはナショナリズムで国家社会主義を名乗っていた。
また反ナショナリズムであっても自由主義者であることもあるし、社会主義者であることもある。
ナショナリズムであって憲法9条が好きな人もいても、ナショナリズムであって憲法9条改正論者もいて論理的になんら矛盾はない。
なぜならナショナリズムという軸と経済的な軸、あるいは外交政策の軸はディメンションが異なるのだからその組み合わせがどうあっても矛盾はしない。
簡単に言えば、太った平和主義者がいても、やせた平和主義者がいてもなんら不思議ではないということだ。
しかし、平和主義、世界市民を標榜する人々は組み合わせにバリエーションがないことに気づく。
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  • アメリカのイラク侵攻に反対し、中国のチベット侵攻を無視する平和主義者はたくさんいる。
  • アメリカのイラク侵攻に反対し、中国のチベット侵攻を批判する平和主義者はいない。

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  • イラクでの人質事件で日本政府を批判し、テロリストの要求を飲もうと語った平和主義者はたくさんいる。
  • イラクでの人質事件で日本政府を支持し、テロリストの要求を断固拒もうと語った平和主義者はいない。

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  • ナショナリズムが嫌いといって、中国の覇権主義に気づかない平和主義者はたくさんいる。
  • ナショナリズムが嫌いといって、中国の覇権主義に反対する平和主義者はいない。

ナショナリズムが嫌いといいながら、中国の覇権主義に気づかない人は、国家を超越した世界市民ではない。
それは気づかないのではなく、故意にきづかないふりをしているとしか思えない。
とすれば反ナショナリズムと称することは、実は反ナショナリズムではなく、日本という国家に反対し、中国の利権に寄与するということを隠しているだけではないのだろうか?
もし、私の疑義を否定するなら、反ナショナリズムであって中国の覇権主義に反対している方を揚げていただきたい。
私の知らないところで、中国の覇権主義に反対している方がいらっしゃるかもしれない。 

お断りするが、私は中国が覇権主義であってもいけないとはいわない。
すべての国にはそれぞれの事情があるのだ。
よそさまの国の国策をどうこう批評するほど失礼はいたしません。
しかしながら、日本にも日本の事情があり、中国の覇権主義をとめなくてはならないと考えております。



本日の主張

 ナショナリズムが悪いという方には
ナショナリズムがなぜ悪いのか?
とお聞きしようと思う。


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