原爆ドーム 2006.02.05
東北生まれの私は子供のときから大人になるまで、関東より西では、長野県や一部山岳地以外では、冬も寒くなく雪も降らないもの思い込んでいた。しかし2年ほど前に始めて広島を訪れたのが冬で、そのとき市内でも雪がちらついていたのに非常に驚いた。
その後、広島には何回も行っている。広島には交通の中心がふたつあり、ひとつはJRの広島駅で、もうひとつは街中のバスセンターである。
広島に行けば当然であるが、広島駅もバスセンターも利用する。原爆ドームはバスセンターから歩いてほんの数分の距離にある。有名な死の影も歩いてすぐのところだ。
地方都市と東京では距離感覚がかなり違う。
東京では、皇居を見て、東京ドームで野球を観戦して、江戸東京博物館で東京大空襲の展示を見て、お台場で観覧車に乗るなんてデートはちょっと無理である。(不可能ではないが移動時間ばかりかかる)
しかし広島では、広島城を見て、広島市民球場で観戦して、原爆ドームを見て、マリーナホップで観覧車に乗るなんてことが歩いてもできてしまうのである。ほんとを言えば歩きではきついかもしれない
とは言っても私の旅はどこへ行っても分刻みなので、水戸黄門のように漫遊するわけには行かない。原爆ドームがバスセンターのすぐそばにあるとは知っていたが、今まで行ったことがなかった。
原爆ドーム 今回ほんのすこしであったが乗り継ぎの時間があったので、バスセンターから歩いて原爆ドームまで行った。
歩いてすぐ、散歩の距離ほどもない。
今現在原爆ドームは保存工事中とのことで、周りに足場を組み、ネットをかけて作業中であり、全体像を見ることができなかった。見えたのは特徴的なドームの丸い骨組み、周囲を取り巻くフェンスの中にころがっている瓦礫だけである。

見た印象を、どういったらいいのだろうか?
まず非常に小さいものである。だいたい縦20メートル横30メートルくらい、札幌の時計台より小さい。
工事中なので回りがネットで囲まれており内部は見えないのだが、フェンスの外側に写真が掲示されていてそれを拝見した。
原爆ドームというのは簡単に言えば瓦礫である。何もせずにおけば崩れてしまうしろものである。だから、ふつう建物の工事のときには外側に足場を組むが、その反対に建物の内側に鉄骨を組み、建物の構造物を崩れないように支えている状態らしい。

小さいということ以外に何を感じたか、誤解を恐れずにいえば、何もインプレッションは受けなかった。
世界唯ニの市街地に原子爆弾が使われた証拠であり、世界遺産であるとかということは知っている。しかしそこにあるのはどこにでもある廃墟であり、瓦礫である。
実は私たちは日常的に同様なものをこれでもかというほど見ているのである。
ニューヨークWTC 戦争による破壊に限っても、私が子供の頃は中東の戦争をニュース映画で見たし、大きくなってからはベトナムの映像を見た。クウェートの映像、ニューヨークWTC、もっと最近ではイラクの映像をリアルタイムで見た。今現在、世界各地でテロが起きるとまったく同じ映像を見る。
自然災害であればその規模は桁が違う。私が一番印象にあるのは、テレビで見た雲仙普賢岳である。実際に行ったところでは鬼押出しも福島県の五色沼もすごい。鬼押出しは江戸時代、五色沼は明治時代に火山の爆発によってできた自然による自然破壊の跡である。
原爆である 比較の問題じゃない、これは核兵器によるもので別格であるという理屈もあるかもしれない。
原爆による破壊が通常兵器によるものより強烈なのはわかる。しかし私にはふるさとの田舎町に落ちた1トン爆弾による被害に比べて、より特別であるということはないような気がする。
日本だけではない、クウェートでイラク軍に殺された人、WTCビルで亡くなった人の悲劇が広島以下であるはずはない。

誤解されても困る。
悲劇は広島だけではない。原爆ではなくても東京空襲は世界史に残るジェノサイドのひとつであり、田舎町の空襲で死んだ一般市民の悲劇は広島以下ではないということである。
私は戦後の生まれであるが、戦争とか空襲とか無縁ではなかった。子供の頃、まわりには空襲の跡があり、公共の建物に艦載機の機銃掃射の弾の跡が残っており、薬きょうだって拾えた時代である。
そして大人たちから空襲の話を聞かされた。「この家の人は防空壕に逃げ遅れて、押入れに隠れたけど銃撃で死んだんだよ」という実物の家が残っていたのだ。

広島の悲劇を繰り返すな、と聞けばもっともだと思う。
しかし広島の原爆ばかりが特別ではない、原爆ドームを見てそんなことを思った。

私の論が間違っているというご批判は当然予想している。
ご批判は甘んじてお受けする。

「過ちは繰り返しませぬから」は間違いです
「過ちは繰り返させません」であるべきなのだ
それは言葉の言い回しだけでなく、 他力本願か、
  己の意思を実現するかの違いであり
平和を願うのか
平和を築くかの違いなのである





●しがない大学生様からお便りを頂きました(06.02.06)
初めまして
インターネットを使える環境になってから歴史を正しく認識し始めた者です。
私は性格的に9条万歳というようなサヨクの思想に浸りこそしませんでしたが、愛国心を持って生きてこなかった事も事実です。
こちらのサイトや様々なサイトで勉強するうちにそれが如何に大切であるかが分かってきました。
ところで何かとろくでもないことばかり言ってる日教組ですが、私が中学で社会を学んだ教師は、今考えるとまともであったと思います。彼は、日本が統治した国には日本に感謝してる所もあることや、憲法9条がいかに滑稽であるか日本をいじめられっ子に例えて即興劇で表現してくれたりしました。また、拉致事件が騒がれていない2000年当時からそれについて言及してましたし、「ところで太平洋戦争で一番ひどい事したのはどこだと思う?」と尋ねて私の友人が「原爆を落としたアメリカ」と答えると「そうだよな」と言って話をまとめました。
原爆の話で思い出したので、とりあえず教師の中でも、真っ当な認識を持った人もいる事をお伝えしようと思い、お便り差し上げました。愛国心を持つのは大切だと分かりましたが、これもこれまで受けた教育やメディアぁ(以下文字化け)
しがない大学生様、お便りありがとうございます。
日教組、俗に日狂組とか呼ばれていますが、組織率は下がる一方です。しかし何しろ声が大きいし、何かことあると訴訟だ!デモだ!日の丸引きずりおろせ!というラジカルな方々ですから目立つのです。
でもよい先生に巡り会えたのですね。
私が小学校の頃も日教組なんてめだつものはありませんでした。
まともな日本人が先生をしてたのです。
では今はまともな日本人でないのが先生をしているのか?といえば、専制をしてるのかもしれません。

次回はメールアドレスを記載いただければご返事差し上げます。
そうしますと文字化けの心配はありません。

●なおと様からお便りを頂きました(06.02.07)
原爆ドームについて
こんにちは。いつも読ませていただいております。
今回の原爆ドームの話、私も同感です。
私は長崎市出身です。小学校〜中学校にかけて、「平和教育」と称し、原爆被害の悲惨さ“のみ”を、文字通り「教え込まれ」ました。
夏休みの登校日は8月9日で、全校集会で11:02に黙祷。被爆直後の体験記を読まされ、図書室へ行っても広島・長崎の原爆関連の本が多数を占める・・・。
子供時代の私にとって、「戦争=原爆」であり、「戦争の被害を受けた街=広島&長崎」であって、その他の地域での被害の話など一言も聞かされなかったのです。
今にして思えば、これは非常に「偏った教育」であったと思います。
使われた爆弾が原爆であっただけであって、他の地域より特別ではなく、高貴であるはずもない。
放射能・放射線による特殊な被害・病気・症状があったとはいえ、広島・長崎と同等、いやそれ以上の被害を受けた都市は他にもたくさんある・・・。
高校の頃になって、それに気づかされた時、衝撃を受けたことを思い出します。
それに気づかぬまま、広島・長崎だけがある種「聖地」と思い込まされ、世界平和を叫ぶ長崎市民も多数いるのでは?と思います。
「世界初の、2種類の原爆の実験台に使われた」と言う、やや偏った「被害者意識」も働くのかもしれません。
取り留めのない話になってしまいましたが、もう少し、他の被害を受けた都市のことも、日本が他国に対して、実際どんなことをしたのか?なぜ日本が爆撃されたのか?ということも、わけ隔てなく、事実はしっかりと教えていくべきだと思いました。
なおと様、お便りありがとうございます。
実を言いまして、この拙文を書きながら、これは大分抗議のメールが来るだろうと覚悟しておりました。
なおと様がおっしゃるとおりのことを私も考えておりました。
へんな例えですが、無限といっても大小があります。だって正の整数は無限ですが負の整数を加えればその倍あるわけです。
原爆の悲劇は空襲を受けた田舎町よりも悲劇が大きいのでしょうか?
悲しみの総和は大きいかもしれないけれど、個人の悲劇は同じではないのでしょうか?
私はそんなことをずっと考えてきました。
またのご意見をお待ちしております。

●大国主命様からお便りを頂きました(06.02.08)
どうも、管理人さん。大国主命であります。
最初に、交通の中心ですが、もうひとつ抜けているものがございます。
それは、広島電鉄という市電です。小生の友人もこの管理人さんのサイトを見ていまして、「抜けている!」とお冠でした。
なにしろ、小生の友人は、広島電鉄に勤務しておりますので、余計にうるさいのです。ご容赦のほどを・・・。
では、本題に入りたいと思います。原爆ドームですが、そういえば、ずいぶん前も補強工事をしていたはずですね。
また、これについては、かずやんさんの「つれづれなるままに」のレポート「2006年1月7日〜9日」にも掲載されています。
http://www.geocities.jp/cwwrs348/report.html
たしかに、広島だけでなく、長崎、東京等工業集積や軍事基地のあった箇所は、例外なく大爆撃をうけています。日本海側では富山市でしょうか。わずか10万の都市に3000人以上の死者が出たのは。
戦争だけでなく、テロ等の大規模被害は、世界中をさがせばどこにでもあります。「戦争を繰り返すな」「暴力の連鎖をとめよ」とかは、アカ匪新聞等サヨクメディアの常套文句になっています。原爆も、これもまた、サヨクの専売特許のごとくなっています。例年8月には「築地の軍靴踊り」のオンパレードになります。まあ、例年の年中行事になっているのは確かです。
現時点、「原爆」の脅威は日増しに強くなっています。アメリカの小型核ばかり目立ちますが、中朝韓の核開発がスルーされているのは、まさに工作員がメディアのサヨク化を進展させていることを象徴しているのではないのでしょうか。遼寧省には日本向け中距離核弾頭が林立しているとの情報もあります。北の豚饅頭が、国民を飢え死にさせてまで12発もの核を作り上げたとの情報すら、インターネットに掲載されています。韓国も、10年前に、あと一歩で完成させていたというのもありました。これらは、間違いなく、日本向けです。
これらの脅威を食い止めなければ、台湾や日本、東南アジア、中央アジアだねでなく、全世界が中華帝国主義の餌食になります。そのキーマンは、日本しかいないのです。現在の、無知無能、売国奴の巣窟とかした永田町には、日本の国益を真剣に考える、まともな政治家は多分両手で足りるのではないでしょうか。
また、核以上に危険なのは、中国の環境破壊でしょう。なんでも、「毎日魚を食べてはならない」というお触れが実際でるほど、危険水位に達しているのです。極地の氷や永久凍土が今世紀に入って急激に進行しています。これは、中国の資源浪費型経済が原因です。
世界中の企業が、中国の偽者の統計に騙されて、工場や企業を持ってくるから、このようなことになるのです。中国には、「餌を与えないでください」という看板を出さなければ、世界中が原爆ドームのような、ナウシカのような廃墟になるのは、不可避でしょう。
そして、結論です。「日本の政治家よ、中国に擦り寄りすぎて、広島や長崎、東京などの悲劇を繰り返すな!世界の指導者よ、中国に企業進出させるのは、禁止せよ!」
おお!大国主命様、私の間違いをお許しください。
広島に行ったときもちろん路面電車にも乗りました。決して無視したのではありません。
大国主命様のご友人にその旨お伝えください。
ところで原爆ドームは廃墟ではありません。瓦礫です。瓦礫をむりやり固定して形を残しているように思えてなりません。
決して広島を忘れてはならないと思います。
しかし同時に第二次世界大戦、いえ太平洋戦争とはなんだったのか?空襲とはどういったものだったのか、我々は何を間違えたのか?間違えなかったのかを再検証しなければなりません。
同時に、アメリカは何を間違えたのか?中国は今何を間違えているのか?韓国はなぜ噛み付くのかをじっくりと何時間も、いえ何年もかけて問い詰める・・・おっと我々日本人は冷静に考えなければなりません。
決して、彼らのおもわく、願望、捏造で日本の歴史を変えてはならないのです。

●あらま様からお便りを頂きました(06.02.10)
佐為さま あらまです
広島記念館に足を運ぶたびに、深い悲しみに包まれます。
確かに、佐為さまがおっしゃるように戦争の悲惨さは、何もヒロシマだけではありませんね。
ヒロシマの特徴は、「核戦争には勝利者がいない」ということを訴えている点にあると思います。
核には、「攻撃核」と「抑止核」とがあり、核保有国はすべて、自国の核は抑止核と言って、これ以上の核保有を認めていません。
これは、闘争本能を持ちながら、一方では平和を願うという人間の矛盾を、国家レベルでも反映していると思います。
もし、第三次世界大戦が起こるとしたら、それは間違いなく核戦争となり、種をも残らないものとなるでしょう。万一、種子が残ったとしても、相当なダメージを残すことになるでしょう。
そうした意味でも、核戦争は絶対起こしてはならないことを人類レベルで訴えているのがヒロシマだとおもいます。
そういうと、「それでは、核戦争でなければよいのか・・・」という愚問が必ず寄せられます。
良い戦争なんて、あるはずがありません。
しかし、隣人が武装していたら、こちらも構えなくてはなりません。
「丸腰だから攻めてこない」という理屈は、「いままで交通事故に遭わなかったから、今日も遭わない」とか「地震がなかったから、今後も来ない」なんていう理屈と同じですね。日ごろから、天災、人災に備えておくことが必要ですね。
そして、いざ災害が起こったときは、今までの日ごろの訓練を発揮するときです。
「応戦」とは、まさにそのときだと思います。
本当の平和祈願とか無事を祈るということは、十分な備えをしたうえで祈ることだとおもいます。
(合格祈願も、ちゃんと勉強した受験生に、神様は微笑んでくれると思います。)
余談になりますが、数年前、無事故無違反20年ということで式に参加したことがありましたが、そのときも「防衛運転」が大切であることを確認しました。
人間は神様ではない。だから現実をよく把握し折り合いをつけていくという行き方しか、個人的にも国家規模でもありえないのではないでしょうか?
「理想を求めなければならない」という論理は否定しがたいのですが、それはやはり人間には無理なのではないでしょうか?
死刑廃止を訴えていた弁護士が、家族を殺されてから死刑存続派に転向したのを、揶揄する権利など誰にもありません。
武器を捨てよというのも、諸国の正義に期待するというのも、大変けっこうなのですが、やはり無理ではないかと考えます。
そんなことを原爆ドームで堂々といえるようになることを期待します。

●あらま様からお便りを頂きました(06.02.12)
理想論
佐為さま あらまです。
「理想を求めなければならない」という論理は否定しがたいのですが、それはやはり人間には無理なのではないでしょうか?

争いのない理想的な世界、ユートピア、理想郷。
勿論、実現不可ですね。
人間には無理ですよ。
いち、にっ、さん、で、いっせいに全世界のひとが武器を放つことができますか。
絶対にできません。(命を懸けても良いです。これで敗れたら本望です。)
でも、理想の上では可能ですね。
だからこそ、理想と現実とをわきまえなくてはならないと思います。
現実だけ重視する人は、「理想」は「妄想」に映るようです。
理想だけ重視する人は、病人です。
情理円満を目指したいものです。
わたしは不器用な鍛冶屋です。
私が絶対にできないと思っていたことが、次の世代の人が軽々と実現してくれています。
技術とは、そんなものだと思います。
実現した人は、理想を現実に変えてくれた人です。
しかし、そうであっても、「人類の武器よさらば」は、永久に不可能であると思います。

毎度ありがとうございます。
Chic Stone様と私の意見交換を見て黙ってられなくなったのでしょう 
おっしゃるとおり、というか当たり前のことを理解できない人、あるいは理解しようとしない人、はたまた間違った考えを広めようとしている人々が【非武装平和主義者】なのでしょう。
精神分析でもしてもらわないといけないと思うのですが、精神科の医者まで感染しているという恐ろしい病気のようです。
doc.gif これは一刻も早く病気を治し、直すことができないならせめても隔離して、あるいは日本国内に広まらないように水際で押さえつけないといけません。
なお、この病気は接触感染、空気感染のほかに、大変恐ろしいことにメディア感染といってテレビを見たり、本を読んだりしても感染するのです。このようにBSEや鳥インフルエンザより非常に危険な病魔です。
日本の報道機関は感染者のテレビ放映を禁じなければ、日本中にこのバイキンが広がる危険があります。
どうしたらいいものでしょう?


●しがない大学生様からお便りを頂きました(06.02.13)
先日は文字化けで失礼致しました
何分、ネット上でのやりとりにまだ慣れていないため失礼しました。
それにしても本当に日本はまともな国に生まれ変わろうとしているんだなあと感じる今日この頃です。
今日は、たまたまバンキシャで陸上自衛隊の島へ上陸するための訓練の特集を見ました。そういう訓練はこれまで「周辺諸国への配慮」という下らない理由のために行われていなかったそうです。国を守る立場できつい訓練に耐える彼らには素直に敬意を感じました。
未だに「自衛隊はやっぱ違憲だ」とか言ってるどっかの党や眉毛ジジイとは大違いです。私はこうした歴史の過渡期に居合わせていることを嬉しく感じます。今の知識を持ったままの自分が、例えば10年前に生きていたとしたらじれったくて仕方なかったと思います。その一方でサヨクはまだまだ根強いのだなと感じることにも遭遇しました。先日、私が受講する「日本国憲法」の授業に普段と違う講師が招かれ、「所で従軍慰安婦って知っていますか」などと言って説明を始めました。私はその言葉が出た時点で、話にならないなと思い、講義室を出て、試験期間中だったので別の試験の勉強をしました。私は今年参政権を手にします。
しがない大学生様、毎度ありがとうございます。
あまり眉毛ジジイと言わないでください。歳をとると眉毛の寿命が長くなるそうです。それで私も眉毛が長くなりつつあるところです。
従軍慰安婦をいまだ語っているとは、かなり時代錯誤というか周囲の雰囲気を読んでいないと思われます。
既に、朝日も慰安婦と呼び方を変えています。
従軍慰安婦といわれたら、韓国兵はベトナム戦争で活用したそうですねと言い返しましょう。
あなたが私の歳、還暦になる頃にはきっとよい日本になるようにお互いに努力しましょう。


●しがない大学生様からお便りを頂きました(06.03.05)
私のような文字化けで中途半端な文章にまでコメントしていただいてありがとうございます。
実は私、この時期学生の無駄に長い春休みを利用し、東京の友人を訪ねてから京都へ旅行に行っておりました。私の高校は修学旅行がなく、京都に行ったことがなかったためです。
ネットサーフィンはよくするのですが、メールは本当に時々しかチェックしないため、今日まで気が付きませんでした。HPでコメントは拝見していましたが、結果的に長い間無視したことをお詫びします。
東京を訪れた際には、初めて靖国神社へ行き、正式ではありませんが参拝もしました。歴史を知るにつれ、日本人として一度は訪れるべきだと考えていたので、良い経験をしたと思います。また東京を訪れる機会があれば正式に参拝もしてみたいと思います。
ところで私が前回のお便りで本当に述べたかったのは、文字化けした部分でして、端的に言えば、今年参政権を手にする身として責任を持って行使したいと言うことです。昨年は、もう1年早く生まれていれば、と思ったものです。現状では、私の住民票は実家にあるのですが、少なくとも次の国政選挙までには、現住所に移したいと思います。
何故かといえば、実は私、あるサイトにこう書いてあるのを見てこの気持ちをなくすところでした。それは、統計学的に言えば国政選挙のサンプルなど1%もあれば十分であり、1票によって当選者が変わる確率など天文学的数字である、と言うものでした。初めて聞いたときには納得してしまったものです。
しかし、別のサイトで、この考えに従って皆が実践したらどうなるか?ということが書かれていました。答えは、投票率が下がり、固定票を持った政党がますます有利になると言うことでした。ちょっと数字を忘れましたが、投票率がある下限まで行くと、公明党が第1党になるという計算結果が出ていた記憶があります。現実にはありえないでしょうが、これは恐ろしいことだなと感じました。理屈に振り回される私はなってないなとつくづく感じます。そんなものがどうであろうと、責任として選挙は行くべきであると佐為様なら仰るのではないかと思います。
そこで自分自身に言い聞かせるためにも一度表明しておきたいと勝手ながら考えました。試験に関してですが、3月の末でないと結果が出ないみたいです。不安な科目はありますが、きちんと考えて解答したつもりですし、すでに事は私の手を離れていますので、思い悩むことなく結果が出るのを待ちたいと思います
しがない大学生様、毎度ありがとうございます。
あなた様のお書きになったものを拝見しますと、礼儀正しい、己の欲望を抑制できる、しっかりした躾をされた方とお見受けいたします。
しかしながら、私の傍若無人な物言いを許していただけるなら、しがない大学生様はもっともっと自己を権利を主張しないといけません。社会においては、謙遜はもちろん美徳でありますが、同時に自分の思いを実現するためには主張することも大事なことですし、会社においては特にそれが求められます。会議で発言しないなら出てくるなといわれることもあります。
本題でございます。
アンケートとか世論調査は対象とする数が多い少ないに関わらず、パーセントではなくだいたい1000個のサンプルを抜き取ると大勢が分かるといわれています。(詳細を知りたいなら抜取試験を勉強してください)
1万人でも1000個、1000万人でも1000個というのが正しい。それは統計学の裏づけがあります。
しかしそれは「1票の価値がない」ということとは全然意味が異なると思います。
順序が逆なのです。一人一人の意見があって、どのような大勢かを抜き取って調べるのであって、一部の意見がメジャーであるということではないのです。
以前「ひとりでは、ひとりなら、ひとりでも」なんて駄文を書きましたが、一人の価値はあるのだという信念を持たねばなりません。
そしてまた、代議士をリプレゼンタティブといいます。意味は代理者です。要するに代議士なんて偉いわけではなく、私たちが働いたり学校に行かなくてはならないから、その代わりに政治を行うという意味なのです。
まあそんなふうに斜めに見ることも大切です。
もっとも私は斜めにばかり見て、真正面から見ることができなくなってしまいました。


●のら様からお便りを頂きました(08.08.02)
初めてメールいたします。このHPはだいぶ前に発見しておりました。
私は広島市に住んでいます。今年もまた原爆の日が近づいてきました。
私は平和公園を通って通勤しているのですが、この時期になると必ず「平和バカ」がたくさん出没して署名を求めてきます。非常に不快です。
極論ですが、この「平和バカども」が言うように世界中がずーーっと平和で人類みな仲良し!だったらどうなるでしょう?
人口が爆発的に増え人類が滅亡するか、食料や資源の奪い合いで結局戦争が起こるでしょう。この世には母性的発想と父性的発想があります。
日本は「みんな仲良く」という、あまりに母性的発想だけが幅をきかせています。どう考えてもこの世は「生存競争」という父性的側面があるのに、全く無視しています。この世では生存するために「争うこと」がどうしても必要です。「争うこと」を放棄した憲法を後生大事に持ち続ける日本が斜陽の国になっていくのは当たり前だと思います。
職場にも「平和バカ」が多くて困ります。でも近隣無法者国家群のおかげで多少は売国奴が減ってきたようにも見えます。
現在の日本は、愛国者がバラバラに存在していますね。横のつながりをもっと築かないと一大勢力にはなりません。
のら様 お便りありがとうございます。
マルサスは大昔、人口が増えると大変だ〜と語っていましたが、地球が有限である限りそれは真理でしょう。
ただ、人口過剰を戦争でない方法で解決するのがあるべき姿であるとは思います。
しかし、広島にお住まいではいろいろとご心労があるでしょうね。
被爆者のことを思うといい加減なことは言えませんが、原爆のひどさと愛国心と反政府運動を同じ次元で語れるものではないと思います。
広島市長の語る平和運動だけでは決して平和は来ないし、核戦争を防ぐこともできないと確信します。
もっと真剣な、建設的な検討と、最悪の場合力を行使するという覚悟がないと戦争は防げないでしょう。
私はそう思います。


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