ああ言えばこう言う 2006.01.09

憲法9条に限らず、憲法の読み方、あるいは自衛隊の是非の議論をみると、双方の現状認識が大きく異なることが多い。
そして現在の日本で、戦争が嫌いだという人、平和主義者と自称する人、護憲主義者が唱える平和を構築する手段、戦争を防ぐ手段はほとんどパターン化している。彼らは金太郎飴のごとく、壊れたレコードのごとく、まさに彼らが大嫌いな軍隊のようにみな同じ軍服を着て歩調を合わせて歩いている分列行進のようだ。
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モグラ様
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相方
まさに軍靴(グンクツ)の音がする。
sake.jpg 私たち、KABU先生、モトさん、相方その他もろもろの同志の意見が一致しているなどということはぜえーったいにない。お互いの意見はみな異なり、内部では熾烈な議論がある。
何しろ我々は民主主義者なのだ
オフ会で会えば、どの女優が美人かとか、日本三景はどこか、どの酒が日本一かなどについて、お互いの意見は決して合わない。そして、妥協を知らない口だけはたっしゃなメンバーばかりであるから、国会討論などとは比べものにならない論理的、流暢、厳しいツッコミの応酬となる。それはネットでサヨクと論戦するときよりも激しいことはいうまでもない。

KABU様
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モト様
議論の展開も、刀の果し合いと思っていたらピストルを持ち出し、こちらがピストルをとりだすと法哲学を語るなど坂本竜馬にも劣らない変幻自在・融通無碍・なんでもありなのである。このような我々の議論では事前準備は役に立たない。
他方、平和主義者の論理というのは決まりきっているから、そのパターンを検討しておけば議論のとき役に立つ。試験勉強で過去問の練習をするようだ。

では、本日はあちこちの掲示板から採取した平和主義者の論理の傾向と対策である。
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中国の打ち上げた人間衛星だって軍事目的でしょう。
あれを打ち上げるには日本の宇宙開発予算よりはお金がかかっているでしょうね。
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中国のイージス艦です。


憲法第9条の存続を主張している方は、攻めてくる国なんてないもんね、こちらからしかけなければ戦争は起きない、だから平和憲法を守ろうというお考えである。
マッカーサー憲法が平和憲法か否かという突っ込みはとりあえずおいておく
だから議論はかみ合わないし、議論にならない。
本来は議論すべきは憲法改正とか第9条をどうするではなく、日本という国家はどうあるべきかであり、更にさかのぼって必要なのは現実認識であるはずだ。
議論がかみ合わない原因は前提である共通の現実認識がないからである。

彼らがあがめる中国が実際に何をしているかを知らない。知ろうともしない。
アメリカを非難するが、アルカイダがなにものかを知らない。知ろうともしない。
イスラエルを非難するが、パレスチナが正義であるわけではない。
劣化ウランの害を声高らかに叫ぶが、彼らの支持する国々が毒ガスを使い、対人地雷を大量にばら撒いた事実を知らない、知ろうともしない。
テレビや新聞報道をみているのか?その裏にあるものをみているのか?というところにさかのぼってくる。
自衛隊が必要かとか、憲法改正是非ということは実は自衛隊とか憲法9条の論議ではなく、現実認識の問題なのである。

じゃあ、そういった人々は日常の生活で現実認識はあるのだろうか?
この一般解は私はわからない。
しかし過去に付き合ったそういった思想の方々に思い当たるのは余裕があることである。
共産党活動を一生懸命にしていたのは、私のような貧しい人ではなかった。工員であっても地主の息子とか暮らしに余裕があり、ハーレーなどに乗って通勤していた人たちであった。
今テレビで見かける大物サヨクも暮らしに困ってはいないようだ。
彼らにとって、平和運動とは趣味なのだろうか?



Chic Stone様からお便りを頂きました(06.01.10)
護憲主義者への反論提案
はじめまして、いつも拝見させていただいております。
今回の「ああ言えばこう言う」は特に秀逸でした。
実は僕も、護憲派に対する切り札があるのですがこれが使えるかどうか、よろしければごらんになってください。
アイデアそのものは「枕元の計算用紙」でこれまでも練ってきているのですが…少し長さ制限があるので、すみませんが分けて投稿します。
憲法九条の「武力による威嚇又は」という言葉を考えれば、自衛隊や日米安保条約の存在は明白に違憲ではないでしょうか。
自衛隊が「攻めてきたら戦って、そっちにも損害は与えるぞ」と“威嚇”し、日米安保で「日本を攻めたらアメリカが黙っちゃいないぞ」と“威嚇”しているからこそ、日本は侵略されていないのでは。
日本の安全に自衛隊や日米安保は貢献していない、憲法九条が日本を守ってきたのだ、という立場ではそれは否定されるでしょうが…
自衛隊も日米安保も違憲だとしたら、完全な非武装中立しかない…でもそのときは万一の侵略を考えるべきです。
考える必要はない、信じればいい…それは信仰と同じであり、それをいうならちゃんと軍隊を憲法で認めてシビリアンコントロールで制御し、同盟や国際貢献を含む軍事力による相互抑止を基盤にした外交で大きな戦争はずっと起きない、というのも同じく「成功すると信じればいい」のです。
現在のアメリカと、戦前の延長の政治家が支配している状態での改憲が信用できない、というなら、政権交代で国民が国の舵を切ることができる民主主義が実現されるまでは改憲は待て、でいいはずです。
何より心配なのは非武装を選んで侵略され、皆殺しならまだいい…ホロコーストや、別の侵略に加担させられたら?
非暴力不服従で対抗しようとしても、本質的に非暴力不服従は全員に強制することはできません。家族を含む拷問処刑を甘受するという、特攻以上の覚悟が必要だからです。少なくとも僕は特攻には耐えられますが、上級の拷問や家族を人質にとっての脅迫には耐えられません。
国民の一部が…実際には大部分でしょう…非暴力不服従に徹することができず、ホロコーストや別の侵略=虐殺に加担する可能性を許容してでも自国の非武装は貫徹させたい、というのは矛盾では…非戦非武装を求めるのは、「二度と殺したくない」し「戦争で殺されたくもない」からでは?
だから本気で非武装中立をし、その理由が平和の誓いであるなら、日本人全員に爆弾入り首輪をつけるか遠隔操作毒カプセルを埋め込んでおいて侵略されたら全員自殺する準備をし、それを宣言するほかないでしょう。
それは侵略側にとっても強い国際世論の批判を喚起し、また侵略で手に入るものがなくなり、メリットが少なくデメリットが大きくなるのでよい抑止になります。また、もし非武装中立にすれば日本は安全だというのなら、全員自殺システムは設置コストが大きく誤作動のリスクがわずかにあるだけの掛け捨て保険に過ぎません。
コスタリカにそのシステムはないですが、コスタリカはいざとなれば戦う覚悟も準備もアメリカの傘もあるので、日本国憲法九条が求める完全非戦非武装とは違います。
覚悟なき護憲は欺瞞である…これに反論できますか?

突然の長文、連続メールで大変失礼しました。
寒い日が続きますので、何とどご自愛のほどを。
それでは失礼いたします。
Chic Stone様、ご指導ありがとうございます。
「憲法九条の「武力による威嚇又は」という言葉を考えれば、自衛隊や日米安保条約の存在は明白に違憲ではないでしょうか。」とおっしゃいますが、そう言い切れるのでしょうか?
現在の憲法の条文は「国際紛争を解決する手段」としての行使を禁止しているのであって、明白な侵略に対しては武力行使を禁じていないとも思えます。
自衛のための軍備が現行の憲法に違反するか否かだけをとりあげても、過去より見解はさまざまでした。言葉の遊びと思われるかしれませんが、私はどちらの結論にでも展開することができます。少なくとも憲法の文言から断定はできないと思います。
また威嚇というのが軍事力によるかも不明といいますか、あいまいです。
「武力による威嚇」の原文は「threat or use of force」でして、これが「threat or use, of force」であれば「武力による威嚇または武力の行使(現行訳文)」であるし、「threat, or use of force」であれば「威嚇、または武力の行使」となります。どちらが正しいのかよくわかりません。後者であれば経済大国であること自体が威嚇にあたるかもしれません。
全員自殺システムが侵略を抑止するか否かを考えれば、そのシステムは侵略を抑止する効果はまったくないでしょう。過去に中性子爆弾などというものが考えられましたが、侵略する国の設備を一切破壊せずに国民のみを殺傷しようという発想もあったのです。「攻め込むぞ!」と言ったら相手の国民が抵抗せずに全員自殺してくれるならこれほどありがたいことはありません。国際社会の非難など一顧だにすることもなさそうです。いえ、生存者のない国のために国際社会はなにもしてくれないでしょう。クゥエートを侵攻したイラクに対して連合軍が反撃したのはイラクの圧政下にある国土国民そして亡命したクゥエート軍があったからこそです。あるいはA国が侵略するぞといって日本人が全員自殺した後、B国が日本を占拠することは国際社会から非難を受けないかもしれません。
更に根本的なことですが、国を守るために命を捧げよという論理を否定し、国の理念を守るために命を捧げよという論理が肯定されるのでしょうか?通常の戦闘と特攻が比較され、特攻が非難されるのはなぜか?国を守るために闘うという論理は過去非難されておりません。国の理念を守るためにただ死を選べという論理が広く認められ支持されるとは考えにくいですね。 国民と国家の契約と考えたとき、国民の義務を果たせば参政権を与えるというのは現在の世界の常識ですが、死ぬ義務を受け入れれば参政権を与えるというのはおよそ一般的ではなさそうです。ちょっと飛躍しますが好気性に対する嫌気性という言葉を思い浮かべてしまいました。
覚悟なき護憲は欺瞞である…これに反論できますか?
おっしゃるとおり私には反論できません。しかし護憲論者は反論するでしょうし、できるでしょう。
過去に社民党の辻元議員は「私たちは憲法を守ります。敵が攻めてきたら逃げます」と明言しています。
護憲主義者はChic Stone様や私が考えている論理では動いていないようです。


Chic Stone様からお便りを頂きました(06.01.16)
こんにちは。
全くの愚問に、丁寧な考察ありがとうございました。
憲法と、自衛隊および安保が共存するか、というのはいろいろ議論があるようですね。
僕は「子供が納得するか」で否定していましたが、いろいろな解釈がある、ということを受け入れるべきであるようです。
少なくとも、色々な解釈を許す曖昧な条文であることは確かだと思います。
全員自殺システムは侵略を抑止しない、という考察も納得できました。

更に根本的なことですが、国を守るために命を捧げよという論理を否定し、
国の理念を守るために命を捧げよという論理が肯定されるのでしょうか?


こそが根源的だと思います…例えば森永卓郎氏など一部護憲派は、九条の理念のため国民全員虐殺も甘受せよ、という考えのようです。
僕は主にそれに対する反論として、孫が第二次(肯定派が想像する)南京大虐殺に参加してもいいのか、ホロコーストに対して家族を犠牲にしても非暴力不服従抵抗ができるのか、と考えたのがこの論理の始まりでした。
僕も、国の理念を守るために全員に死を強制するのは狂気の沙汰だと思います。
しかし、死を強制するのでなければ、無条件降伏論では非暴力不服従またはレジスタンスというそれ以上に過酷になりうるものを強制することになるのでは、と考えたのですが…やはり非武装中立という理念は、国民全員に死または拷問の覚悟を強要していると思わざるを得ません。
その状況をリアルに想像したことがないのでしょうか、護憲論者は。
護憲論者の反論は、今までコメントで聞いた限りではせいぜい、非武装中立日本を侵略し、しかもホロコーストや第三国の侵略を行うというのは蓋然性が低い、という程度で、これが純然たる論理の問題だとは理解されていないようです。
ブログにもいらしていただいてありがとうございます。
お体に気をつけて、よりいっそうのご健筆を願っております。
本当にありがとうございました。
Chic Stone様、お便りありがとうございます。
森永卓郎という人物も自分が何を語っているのか理解しているのでしょうか?
護憲論者とか9条の会というカテゴリーに入る人たちは世界を見ておらず、自分の頭の中にある仮想世界を見ているのではないでしょうか?
パレスチナにいって武器を捨てさせることができるのか?インドネシアに行って反政府勢力の和解工作ができるのか?中国に行ってチベット侵略を止めることができるのか?日本で己が法を守った運動ができるのか?定かではありません。
自衛隊官舎への違法侵入ビラ配りを恥じることなく護憲を語る論理が不思議です。
敵が来たら逃げると語る人が護憲を語ってはいけません。敵が来たら非武装主義を説得してほしいものです。
既に、日本人は覚醒しています。その証拠に憲法改正をしようという人たちが過半を占めています。
将来、日本が再び戦争に負けることがあっても、私は座して殺されるのはイヤですね。


Chic Stone様からお便りを頂きました(06.01.22)
ご返信ありがとうございます。
護憲論者は自分の都合のいいようにしか世界を見ていない、というのは確かだと思います。特にスウェーデン型を検討しようとしないのが不思議です。
僕はむしろ、こちらも同様に自分の都合のいいように世界を見ないように注意していきたいと思っています。だから不快感はあっても、左右問わずバランスよくネットを歩くようにしていますし、偏見を持たず相手の視点で考える訓練も自分なりにやってはいます。

彼らのいうとおりにやってみて、本当によくなるのか…それをどこまで真剣に信じているのかは僕も疑いたくなります。
護憲論者というのは護憲、すなわち憲法を改正しないことを目標に運動をしているわけですが、その目的が平和維持、あるいは非暴力なのか?ということは大いに怪しい。
過去に民主党の某政治家が「憲法を守るためには非合法手段もいとわない」と語るに落ちたこともあります。
ロートル学生運動家が「非戦のためにはテロをする」とも語っています。
要するに、護憲主義者は平和主義であるという命題は真ではなさそうです。
明日、共産主義が政権をとれば、親中派が政権をとれば、すぐにも武装をして中国の指揮下に戦争をすると私は確信しています。
そのとき、本当に平和主義で護憲論者を支持していた人々は裏切られたと思うでしょうが、私には単に詐欺にあった愚か者としか思えません。
 せめて!
この日本を道連れにしないでくれと叫んでおります。

Chic Stone様からお便りを頂きました(06.01.31)
佐為様 お返事遅れてすみませんでした。
護憲論者の目的が本当に平和なのか、というのが疑わしいのは確かだと思えます。
論理的には、本当に平和を貫くには全員自殺システムを整えるか、または全員がいかなる拷問にも耐えられるよう非暴力不服従の闘士として訓練される必要があるはずなのに、それを口にしません。
攻められたらどうする?に、攻められないような国にするというのはガンジーすらも呆れるでしょう。
そんなことができるなら、軍備を持っても侵略しないようにうまく軍事、外交、経済などを使いこなすほうがはるかに簡単で、しかもスウェーデン、スイスという手本もちゃんとあります。
うまくいかなかった場合を想定するのが政治というもので、想定しなくていいなら政治は必要ありません。
今の護憲派が国民に信用されておらず、革命側に馳せ参じるという目的が見えてしまっているゆえに支持されるはずがない…
嘘なく「平和」「民主化」という正しい目的にとっては、護憲派は実に大きな妨害者であったし、いまも妨害しているといえましょう。
例えば護憲派がなく、日本が早期に憲法を改正してアメリカの対等なパートナー、またはスウェーデン型の重武装緩衝中立国となっていた場合、もしかしたらそれがアジアの軍事力を全体として少なくしていた可能性もありますから。
逆に護憲派が勝って日本がソ連、中国の衛星国家となっていたとしたら、間違いなくそれは平和にはマイナスであり、アジア諸国民に多くの被害をもたらしたはずです。
また、それ自体別に間違った思想ではない(僕はおそらく社民主義者ではないですが、政治思想の穏健な限りの多様性は必要だと思っています)
「社会民主主義」という政治思想が、現在の社会民主党が看板を奪ってしまっているせいで日本で受け入れられていないのも、日本の民主主義にとって大きなマイナスだと思います。たとえばちゃんとヨーロッパで社会民主主義を学んできた人が、これが本当の社会民主主義だ!と政党を作ろうとしても、まず名前を取られており、そして誰も相手にしないでしょう…おそらく護憲派の猛攻を受けて潰されるでしょうね。
本当に平和を望む者が、間違った道に行かないよう僕も頑張ります。
どうかお体にはお気をつけて。
Chic Stone様 毎度ありがとうございます。
私はChic Stone様のアイデアに若干違和感を感じます。
それは平和を貫くこと、非武装を貫くことが至上という発想に囚われているのではないかという気がするのです。
平和は尊いでしょう。武器を持つより持たない方がよさそうです。
しかし、本当に大事なのは何か?日本という国家が安全に日本国民が平穏に暮らせるということではないでしょうか?
国家を維持するための手段である平和主義を貫くために全員自殺をするということを選択することは、日本の存続・国民の命の保証というより上位目的に反するのではないでしょうか?
目的は何か?
まずそこから出発です。
 ・憲法を守ることが大事なのか?
  護憲とは語義的に完全な間違いですが・とりあえず
 ・アメリカと同盟を結ぶことが大事なのか?
 ・非武装が大事なのか?
 ・中国のご機嫌を取るのが大事なのか?
そんなものはみんな目的じゃありません。
私たちが望むのは、日本と日本人が平和裏にこの東アジアに存在し続けることではないでしょうか?
そのためにどのような施策をとるべきか?
その方向を憲法に定めよう
そして当面の策としてどの国家と同盟を結ぶか?友好関係を維持するか?
そのためには武器を持つこともあるだろうし、武器を持たないなら持たなくてもよい政治、政略を考えるべきです。
「我が国民は誰も殺したくないから我が国は自殺システムを採用する」なんて宣言したら笑いものでしょう。
既に平和憲法で世界中の笑いものになってますけど 


Chic Stone様からお便りを頂きました(06.02.04)
私はChic Stone様のアイデアに若干違和感を感じます。
それは平和を貫くこと、非武装を貫くことが至上という発想に囚われているのではないかという気がするのです。


ご指摘ありがとうございます…もちろん、僕の「全員自殺」論は皮肉のほうが大きく、僕はそれには反対です。
国家の独立よりも平和を、というのならば全員自殺がなければ論理的にも一貫しないだろう、ということです。
僕がクリスチャンではないにもかかわらず、聖書や神学の本をよく読んでいてプロテスタントの側からものを考えることができるのと同じように、徹底した平和主義者としてものを考えた結果で論理遊戯に近いです。

しかし、本当に大事なのは何か?日本という国家が安全に日本国民が平穏に暮らせるということではないでしょうか?

全く同感です。僕が本当に望んでいるのは、きちんと憲法を改正して後に示す二つの改憲案のBをとり、軍を民主的にシビリアンコントロールして侵略や無駄な戦争をすることなく、できるだけ戦争をしないで戦わずして勝つ、できれば両方が得をするように、そのためにきちんと民主主義を機能させる、ということなのです。
そして平和は、医が外科と内科に予防に…色々必要なように、軍事も外交も経済もうまく調和して実現されるべきである、とも確信しています。

国家を維持するための手段である平和主義を貫くために全員自殺をするということを選択することは、日本の存続・国民の命の保証というより上位目的に反するのではないでしょうか?

護憲派にとっては「独立」<「国民の命」がまずあるようです。
ではそれならば、無条件降伏した占領国が次の侵略、虐殺への加担を命じたら…
さらに、「平和の誓い」「九条」のほうが「国民の命」より重い、という人もいます。
つまり「独立」<「命」<「平和の誓い」ということです。
この不等式は、全員自殺システムに帰着せざるを得ません…それほどグロテスクなものなのではないか、と護憲派に突きつけてみたいのですよ。

私たちが望むのは日本と日本人が平和裏にこの東アジアに存在し続けることではないでしょうか?

まさしくその通りです。
それとの関係の大きさはわかりませんが、僕は今の憲法九条は複数の解釈を許す、曖昧なもので法律としては欠陥があると思っています。
何より、子供に「戦力は持っちゃいけないのになぜ自衛隊があるの」と聞かれたら戦後史全部説明する必要ができてしまいます。
だから、論理的に正しい憲法九条としてこの二つの案を推し、僕はB案を支持します。
そして護憲派には、本当に「平和の誓い」が何よりも重いというならA案を支持すべきだと突きつけたいのです。論理的には正しいはずです。
  1. 第九条【戦争の放棄、軍備および交戦権、自衛権の否認】
    日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、二度と戦争や虐殺をしないと誓い、自衛を含め一切の戦争、武力による威嚇、武力行使を永久に放棄する。
    2:日本は軍事を絶対的に否定し、戦力、武器を一切持たない。
    日本に交戦権、自衛権はない。
    3:徴兵、徴用、戒厳令、緊急事態その他軍事に属する命令、法律、条例、条約、同盟は一切認めない。
    4:日本人が戦争、虐殺に加担させられないため、日本が侵略された場合は即座に全ての財産設備を破壊し、日本国民は全員自殺するものとする。
    そのための準備については法律でこれを定め、その実行は両議会、緊急時においては内閣総理大臣および天皇の決断で実行される。
    5:日本領に外国の軍隊が駐留すること、日本政府および国民が外国の軍事行動および大量虐殺、人権侵害に参加協力することを絶対に禁止する。

  2. 【軍事の制限、文民統制、侵略の否定、国際平和の尊重】
    日本国の主権者である国民は日本国の独立自尊、国民の安全、正義と秩序ある国際平和のために必要十分な軍を保有する。
    軍は名誉と誇りをもって民主的な政府、法律に従い、外交その他と調和して国民の協力のもとあくまで平和、独立、安全のために最善を尽くさねばならない。
    2:日本軍は他国を侵略してはならない。
    他国の領土に軍事力を行使するのは自衛のためやむをえない場合、国際平和もしくは無辜の虐殺を阻止するために必要で、機能している国際機関の許可または国際社会の合意がある場合に限られる。
    3:日本軍の最高指揮官は内閣総理大臣である。
    軍事行動は緊急事態を除き国会の承認を得なければならず、緊急事態であっても三ヶ月以内に国会および国民に対する報告、説明の義務がある。
    4:徴兵制は禁止される{または法律による制限と良心的兵役拒否権明記}。
    徴用、戒厳令その他は法律による。緊急事態には内閣総理大臣が命令できるが、三ヶ月以内に国会の承認を得なければならない。
    5:外国との軍事同盟は…
    (他、軍法会議などいろいろあるでしょう。そのいくつかは憲法のほかの部分もいじらなければならないはずです。全体に「目的は平和と独立、人道」「侵略否定」「文民統制」が目的です)
さて、話は少し変わりますが、最近読み返した「22世紀から回顧する21世紀全史(ジェントリー・リー&マイクル・ホワイト/アーティストハウス刊)」という本で驚かされたのが、P129で2036〜50年代の世界大不況の描写の中で「レイバー・デイの数日後、フィオーナと名付けられたカテゴリー5の大型ハリケーンが〜ニューオーリンズは水没した。〜」という予言的な一節がありました。
そして、その本には中国の勃興〜無能なアメリカ大統領が大災害に対応できず、台湾占領を許す〜日本没落、南京大虐殺全面謝罪というショッキングなシーンもありました。ハリケーンの予言を思い合わせてぞっとしてしまいました。

やはり中国の宣伝に流されているのか、と思ってよく読んでみました…
事実関係について二十万人と明言しており、批判的に検討する視点は見られません。
また「〜全ての地域の学校で、早い時期からホロコーストについて教えられるドイツの子供たちとちがって、日本の子供たちは祖先が大量虐殺という最悪の罪を犯したことを知らなかった。」という、日本保守派から見ると中国プロパガンダ鵜呑み、単純なドイツとの同一視という浅薄さがあります。ただし、それもこの本の「二十二世紀の歴史家が書いた本」という性質を考えると、そういう見解以外考えられないほどに中国の影響力が強まっている、と行間に書いているのかもしれません。
よく読んでみると、日本の謝罪の本質は事実関係より、むしろ新たな覇権国家となった中国に衰退の一途をたどる日本が無条件降伏した、ということのようです…
「結局、日本は折れた。歴史家のタカミ・トシオはこう書いている。「日本に選択肢はなかった。未来ははっきりしていた〜」」
また、謝罪自体についてもその本の中での日本の未来の首相のスピーチは三十万、二千万ではなく「何千という数の武器を持たない中国人兵士と中国人民を殺害したことを」です。
数自体、事実関係はどうでもよく、本質的には無条件降伏、アメリカの覇権からの転落と必然的な中国の超大国化、そして日本の没落が書きたいことなのでしょう。西洋人の作者はあくまで「西洋の没落」の延長で考えているのでしょうし。
そして、「ワン・フェイ(未来の中国指導者、日本を屈服させ台湾を占領した。才気溢れると描写される)のスピーチは中国国内できわめて高い評価を受けた。
しかし、日本での反応はちがった。日本政府は、南京で行われたこの式典が国民に与える衝撃を過小評価していた。多くの日本人がこの式典の模様を見て、最悪の屈辱を感じていた〜」と、日本が正式謝罪(=中国側歴史観の全面受け入れ)によって受けるダメージも理解しており、二十二世紀初頭の日本は沈滞した三流国として描写されています。
その洞察…南京大虐殺を認めて中国が求めるとおりに謝罪すれば日本は衰退する、というのは的確でしょう。
それはなんとしても防がなければならない…中国の歴史観、「南京大虐殺」が本質的に体制維持のための宗教神話の代用、かつ国際戦略の一環であり、冷静な評価(虐殺数の批判的検討、他の軍隊との比較)が必要であることを知らせ、そして多面的な歴史観と事実の尊重を主張し、またあくまで中国の民主化を求めて日本は努力すべきだし、また国自体の衰退を防ぐためにもきちんとしたビジョン作りをしなければならないと僕は思いました。

色々長くなってしまってすみません。
更新も楽しみにしています!
くれぐれもご自愛ください。
Chic Stone様、ありがとうございます。
まず自殺システムは私があなた様の文章をよく読まなかったことの間違いでお詫びします。
いろいろと9条をお考えですね。あなたの論を読むとその通りと思います。9条とは自己矛盾、悪臭をはなつような論理、文章であると感じます。
二つ発言したいと思います。
第一、憲法は国家と国民の契約です。ですから私は現憲法とあなた様の草案の「日本国民は・・・武力行使を永久に放棄する。」というフレーズに納得しません。私の憲法論のどこかにも書いてますが、理屈から言って「日本国民は・・・国家が武力行使することを認めない」とすべきだろうと考えます。
さらに、「永久に放棄する」とはナンセンスではありませんか?
だって現憲法が「永久に放棄する」と書いてあるのに、あなた様はB案を提示しているのです。これって? あきらかにナンセンス、矛盾です。
憲法であろうと人間のすることに「永久」などと使うべきではないでしょう。
第二に、中国は果たして継続的に発展するのか?ということです。
私は別に希望的観測ではありませんが、絶対に世界に君臨する国家にはなれないと考えます。
なぜか?
簡単です。それを実現するリソースをどこから得るのか?得られないだろうということです。
今、中国は世界中から石油をかき集めています。しかしモータリゼーションが現実となればそれを支える石油は世界中捜してもないでしょう。
何年も前に、誰が中国を養うのかという本がありました。中国政府は必死になってそれを否定しました。現実はどうでしょうか?
まだ飢饉は発生していないようですが、水不足、毒菜と呼ばれる農薬漬けの農産物の話題が大変です。
私は対岸の火事と思って喜んでいるのではありません。日本も実は砂上の楼閣なのです。食料や石油をとらえれば中国以下の自給率です。石油、食料、水、みんな輸入品です。ただ、中国より規模が小さく今まで半世紀うまいぐあいに処理してきたということです。
水といってもピンと来ないかもしれませんが、バーチャルウォターという考えがあります。
まあ、日本が没落すると同時に中国もブラックホールか底なし沼に吸い込まれるように崩壊すると予測します。
「22世紀から回顧する21世紀全史」は22世紀になったら未来を予測できなかった愚者の書とみなされるのではないでしょうか?
私がバカを語っているつもりはありません。
 世の中、先立つものは金です。
 そして世界経済において先立つものはリソースです。
独裁者であっても国家が国民が疲弊していれば何もできません。
そこが北朝鮮の金将軍とイラクのフセインの違いです。金将軍はソ連の援助がなくなった瞬間に麻薬、偽札、ミサイル以外に軍を支える金を得る道はありませんでした。
フセインは豊かな石油で武器を買い軍隊を維持することができたのです。
さて、中国はどうなるのでしょうか?
継続的に成長するのか、成長が止まり停滞するのか、破滅するのか、賭けませんか?
私は今から10年で分裂し今の中国は存在しなくなるほうに賭けましょう。
またお便りをくださいね


Chic Stone様からお便りを頂きました(06.02.09)
佐為様、ありがとうございます。

まず自殺システムは私があなた様の文章をよく読まなかったことの間違いでお詫びします。
いえいえ、初めに明言しなかったこちらが悪いのでもあります。
ただ、僕がもし絶対平和主義者だったら、強く全員自殺制度を主張すると思いますよ。
本当の絶対平和主義には、全員自殺システムが不可欠だというのは論理的に正しいと思います。だから平和主義はおかしいともいえるし、また全員自殺をいわない日本型平和主義者は本物の平和主義者ではない、ともいえます。論理的な間違いがあるでしょうか?

いろいろと9条をお考えですね。あなたの論を読むとその通りと思います。9条とは自己矛盾、悪臭をはなつような論理、文章であると感じます。
子供の素朴な疑問に耐えられず、少なくとも複数の解釈を許すという時点で法律としては失格でしょう。個人的には、九条自体の解釈は絶対非武装が正しいと思います。

第一、憲法は国家と国民の契約です。ですから私は現憲法とあなた様の草案の「日本国民は・・・武力行使を永久に放棄する。」というフレーズに納得しません。
なるほど。それは考えられるかもしれません。

憲法であろうと人間のすることに「永久」などと使うべきではないでしょう。
平和主義、基本的人権、国民主権は改正限界の外…というのが、いわゆる憲法学者(もはや差別用語)の定説だそうですがね。
では外部の力で終了させられたら…?
そして、大げさに言わなくても「日本は侵略しない。」だけで十分ですよね、いくら永久にだのなんだかんだと付け加えても、するときはするししないときはしないでしょう。現に、現在の憲法でも「近隣諸国は日本を信用しておらず、軍国主義の復活を恐れている」のですから(笑)。

第二に、中国は果たして継続的に発展するのか?ということです。
僕も難しいとは思いました。
おそらく、あの本は作者、アメリカ進歩主義者特有の中国びいきと、現在の経済成長率だけを見てその無理に目が行かなかったのでしょう。
ハリケーンの予測に目を奪われてしまったのかもしれません。
でも警告としては価値があると思います。注意しておきましょう。

何年も前に、誰が中国を養うのかという本がありました。中国政府は必死になってそれを否定しました。現実はどうでしょうか?
僕も、歴史の循環がまた起きる可能性は大きいと思っています。
でもそういう点で希望的観測をして恥をかいたことが…僕が中学校のとき、天安門事件で中国も分裂すると言い放ったことがあるんですよ。

私は対岸の火事と思って喜んでいるのではありません。日本も実は砂上の楼閣なのです。食料や石油をとらえれば中国以下の自給率です。石油、食料、水、みんな輸入品です。ただ、中国より規模が小さく今まで半世紀うまいぐあいに処理してきたということです。
それはそれで非常に深刻ですね。これからの文明を、いかに持続可能なものにするかというのも重大なテーマだと思います。
人間の資質を考えると難しい気がしますが…日本は現実に、それ…持続可能文明の構築に成功した実績があります。

「22世紀から回顧する21世紀全史」は22世紀になったら未来を予測できなかった愚者の書とみなされるのではないでしょうか?
そうなってほしいです、ただ反面何十億もの死者が出る大動乱、日本やアメリカも巻き込む事態にはなってほしくないです。
できるだけ少ない犠牲で、分裂→ゆるい連邦制、個々の民主化の道を歩んでくれるのが理想なのですが。

そして世界経済において先立つものはリソースです。
独裁者であっても国家が国民が疲弊していれば何もできません。

そうですね。その論理は納得できます。

継続的に成長するのか、成長が止まり停滞するのか、破滅するのか、賭けませんか?
私は今から10年で分裂し今の中国は存在しなくなるほうに賭けましょう。

僕は10年…2015年までの分裂が20%、2015〜2050ぐらいが50%、安定成長で覇権国家は10%もないと思います。
中国の安定成長には、ご指摘の通り事実上無限のエネルギー、水、そして市場が必要になりますから。

だからこそ、日本は少しでも中国にも北朝鮮にも、少ない犠牲で民主化、軍縮、文化の開放と寛容の方向に向かわせるよう努力すべきだと思います…それこそがまさに平和の道では?また、最悪の事態の一つとして中国の安定成長があっても、それでも日本は尊厳を失わず対等な大国として向き合えるようにきちんと今から石を置いておくべきでしょう。そのほうが、日本が屈服するより平和になるはずです。
その点でも日本の平和主義者は、本当の平和主義者ではないと思います。

それでは失礼します。秋篠宮様ご夫妻のお子様のご無事を祈りつつ…
Chic Stone様、毎度ありがとうございます。
もうここの常連になられましたね。
お互いの認識がずれていないなら、もうコメントすることはありません。

ひとつ思考実験を提案します。
なぜ中国に民主化を求めるのか?
中国が分裂し、混乱に陥った方が世界平和に貢献するとは考えられないでしょうか?
ご意見をお待ちします。
そのときは、このページでなく別途 Chic Stone様と討論する場を設けましょう。
きっと、大国主命様、タイガージョー様、あらま様からちゃちゃが入ることでしょう 

この続きはこちらです。



タイガージョー様からお便りを頂きました(06.01.12)
拝啓 佐為様
 いつも楽しく読ませてもらっております。朝日新聞の愛読者によるともっと多くの意見があります。
  1. 人のいやがることをしないのが最低限のルールです
    ああ・・。アメリカは自衛隊が海外派遣を拒否してきたのをすごくいやがっていました。アメリカのいやがることをしないように気を使ってばかりいると国民の税金がなくなってしまいます。
  2. 小泉首相は自分が始めたことには責任を取らなくてはいけません
    ああ・・・。日本が始めたODAのために中国の核軍事化が進んでしまいました。借金取りのまねごとなど礼節を重んじる日本人には似合わないのですが、小泉首相には責任を取って中国対日借款を取り立ててもらいましょう。
  3. 現在、世界中の国はみんなアメリカからの侵略を防ぐために武装している。パキスタンの核武装、中国や北朝鮮の軍備、パレスチナのゲリラもそのためである。従ってアメリカさえなくなれば世界は本来の通り平和になる。アメリカを何とかしなくてはいけない。
ああ・・・。もう何も申し上げることはありません。上記の言葉は私の知り合いが申したことです。世界事情について多くの書物を読み、見聞を深めるしかありません。
「3」の様な方はもう足が地に着いてないと言うべきでしょうか?。
ドクター銀田一先生の医療相談を受けるならばなにか光明が見えるかも知れません。
  タイガージョー拝
タイガージョーさん、銀田一である。
ワシは精神科じゃない。ワシの診察室にはアブナイのを連れてくるのはお断りだとあれほど言っておるのがわからんのか?

大国主命様からお便りを頂きました(06.01.13)
どうも、管理人さん。大国主命であります。
最近はやりの論調が抜けていますので、小生的に勝手ながら追加させていただきます。
小さな親切、大きなお世話かもしれませんが・・・。
  1. 中国は急激な経済成長をとげている。すぐに日本を抜くだろう。
    まず無理。中国に巣食う共産党やその取り巻きを駆逐しないとだめでしょう。あと、民間企業の不良債権比率知っていますか?
    中国優良企業のひとつ、すぐ壊れる洗濯機をつくるハイアールは、11パーセントですよ。ハイアールだけに、アイヤー、駄目あるよなんて言っても駄目ですよ。
    銀行なんて3,4割の不良債権額。さあ、これでどうやって経済成長できるんですか?反論お願いしますよ。
  2. ロケット打ち上げなど、科学技術発展が著しい。
    ぷぷ!あのロケットってロシアから輸入したものですけど。ちょっと補助ブースターを変えて出来上がり、ってやつですよ。だから自前の技術じゃない!
    あと、研究開発費は、GDPの0.7パーセントしか使われていません。あと、電車は毎日脱線するから、珍しくないことでないので、放送しないと中国の留学生が語っていましたよ。ささ、反論してね。でないと、嘘ついたのばれますよ。
  3. 車をアメリカに輸出できる工業力がある。
    まあ、そうでしょうね。安いだけで。安全基準は、星ゼロですよ。
    20年前の日本車、現在の韓国車でも星は最低ひとつや二つあったんですけどね。工業力って品質第一じゃあないんですか?
    basha.jpg あと、中国には、道路交通法はあるけど車両法がないんです。だから、安全基準なんてものはなし。だから、トラックのキャビンをビタミン不足の痩せ牛が牽引する光景が見られるそうです。嘘だって?そりゃあ、テレビじゃあ中国の都合悪いのは映さないでしょうけど。現実はそんなもんです。ほかにも結構無茶なもんネットででてますよ。
  4. 中国の人は礼儀正しい。だから、人民軍もすばらしい。
    ゲホゲホ・・・。腹筋切れそう(笑)。じゃあ、「赤ん坊の姿焼き」をうまそうに食っている画像みたことあります?
    人民軍なんて、今じゃあ脱走が絶えないし、高射砲を牛や馬で引っ張っているんですよ。
    この馬とかは、農家の役畜を無断借用しているんですし。あと、都会出身の兵士は、大学入れないのが仕方なく入ってくるから、体力なんてない。当然気力もなし。一人っ子で甘えまくりなんだから。
  5. 日本は、大陸で悪いことしまくった。だから賠償しなさい。
    全くナンセンス!黄文雄氏の本を買い込んで勉強しなさい。
    日本は今の中国や韓国をつくったんですよ。ささ、反論しなさい。
    いかがでしょう。ほかにもありますが、有名なもの追加しておきます。
大国主命様 すばらしい写真ありがとうございます。
中国の恐ろしさはその成長とか国力ではなく、異常時にどのような施策をとるか予測できないということですね。
私にとって、中国とはわがまま小僧が大人になったというイメージがあります。
どらえもんのジャイアンは子供だからああいった行動をとり、また取り巻く大人子供が理解を示す余地がありますが、大人になってもあのままの行動をとれば警察沙汰になるでしょう。しかし警察の力の及ばない国際社会において中国が大人になったジャイアンを演じた場合、どうなるのか?というのが危険なところです。
できれば、エネルギーをはじめとするリソースの制約によって中国がその影響力を大きくしないことを望みます。
もっとも南沙諸島、東シナ海のガス田などおとなしくはしないことが明白です。中国は主義主張に関わらず、存在すること自体が危険なのかもしれません。



関口様からお便りを頂きました(06.01.15)
「日本人よ誇りを持て」をいつも拝見させていただいております。
大変わかりやすく左翼平和主義者の論点を整理・論破されていて胸のすく思いで読ませていただきました。
「集団成員全員が何か一つの教条に縛られることは、その集団の破滅につながる」ということは、自由貿易を過度に信奉して没落したオランダや、大国意識のみが先行して欧米の簒奪を止められなかった支那の例を出すまでもなく明らかなことです。
同じことが平和・護憲を標榜する者たちの教条にも見られると思います。彼らは原理が先行して、その原理の通りに行動することを望みます。その原理原則がその人たちの環境に適応的であればまだよいでしょう。しかし、どうもオランダや支那のように平和主義者の教条は破綻しているようです。それが近年になってからの破綻なのか(平和主義者であることが適応的であった時代があったのか)、当初から破綻していたのか、浅学不才の小生にはわかりませんが。
その破綻に左翼平和主義者達が気付くことがなければ、直に彼らは淘汰されてしまうことと思います。それが日本国の滅亡を喚起しないことを願ってやみません。そのために出来ることを小さなことでもしていきたいと思います。
でも、個人的な好みの問題は別にして、平和主義者の意見も意見として認められているということは、日本という国が、まだまだ健全な民主主義の国であることの証明にもなっていると思います。そういった意味では、平和主義の方たちの存在がある限り、日本の自由は守られているという側面もあるわけで、複雑な思いもいたします。アリの社会では、働かないアリが適度にいた方が、その社会全体の生産効率が上がるそうですが、彼らは何もしないのではなく害毒を垂れ流しているので駄目ですね。
何かわけのわからない文章になってしまいましたが、思いついたことを文章にしてみました。乱筆ご容赦ください。
関口様、毎度ありがとうございます。
生き物も同じ形質だと何事かあったときに全滅してしまうといいます。
いろいろな体質の人がいれば誰かは生き残り再興が期待できるということらしいです。
ということは平和主義者だけになると、この世は破滅するという自己矛盾なのでしょうか?
いずれにしても関口様がおっしゃるように、日本に言論の自由があればこその話です。
それはすばらしいことです。
冷戦時代、自由主義諸国では反戦運動がありましたが、共産主義国家では反戦運動などありえませんでした。
これも平和主義者の多くが共産主義者である現実を見ると自己矛盾もはなはだしいですね、
関口理論で言えば、更には平和主義者がいてこそ日本の活力と発展が期待できるのでしょうか?
それもあながち否定できませんね。
だって、サヨクがいなければ私は孫守りと囲碁でぼけてしまうかもしれませんものね、
本当は、まだ孫はいませんよ



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