話し合いの効用 2006.06.18

「人間は夢を見る唯一の動物である」という言い回しを聞いたことがある。
更に言えば、「人間は妄想を持つ唯一の動物である」のかもしれない。
本当を言えば人間だけが妄想を持つのかどうかはあやしい。猫なんかも目が覚めたとき一瞬ボンヤリしていることがある。
もっとも、あれは寝ボケか? 寝ボケと妄想は違うのかどうか・・・いずれ考えよう 

世の中には話し合いがすべてを解決すると信じている人々がいる。
日本では憲法が社会に害をもたらさなければなにを信じようと良いと書いてある。しかし話し合いがすべてを解決するという思想あるいは宗教は、社会に大いなる害をもたらしているような気がしてならない。
nisehata.gif 最近、朝日新聞を丹念に読むようになり、その言い回しを学びつつあるところです。
自分が語ったことの責任を問われないように、自分が言いたいことをあたかも他人が語ったように表現する手法など、朝日新聞を読んでいるとそんな姑息なテクニックを学ぶことができます。
さあ、本日のお題は「話し合いはものごとを解決するか」である。それが真実なのか、妄想なのかを考えて見たい。 朝日新聞的表現である 

自分の考えを他人に伝えることは簡単なことであろうか?
30年以上連れ添った家内と私であっても、自分の希望が伝わらないことがある。もちろん即物的なことは伝わるが思いとか真意というものを理解してもらうのは言葉を通じては隔靴掻痒(足が痒いとき靴の底をかくような感じ)である。
仕事でもなかなか思いが伝わらないことがある。いや、伝わらないことのほうが多いのではないだろうか。分かりやすいようにと、たとえ話をすると今度はたとえ話が理解されないということになる。
要するに私の考えていることのイメージを伝えることができないのだ。futari.gifその理由はお互いの人生体験が重なっている部分が少なく、私の言葉の意味するところを理解することができないからではないかと愚考する。赤の他人、更には年代も異なり生まれ育ちも異なると、同じ日本語を話していてもその言魂の世界はまったく違うのであろう。同床異夢ならぬ、同文異夢あるいは同文異考なのだ。
私が若いときはどうだったのだろう?と思い返すと、確かに年配者の話でわからないこともあった。しかし当時の常識として目上の方のお話をその場で分かりませんということは失礼とされていたので、あとで他の人に聞いたりということだったのだろう。
なあに、かえって 朝日新聞的表現である お互いの誤解のないようにするには、その場で分かりませんといったほうが適切かもしれない。
それと昔は世の中の動きがゆっくりであり、歳が離れてもそう価値観とか考え方の相違が少なかったのは間違いない。私と10歳上の人、5歳下の人を比べると、歳の差は10歳の方が大きいが、価値観とか考え方の差は小さいと思う。そしてその非対称はいずれの年代でも同じであろうと思う。時代の変化はますます加速しているから。
そんなわけで、国際コミュニケーションだけでなく、日本人同士のコミュニケーションは困難になりつつある。

じゃあ、言葉だけで伝わらないならどうすれば理解してくれるのか?
yamamoto.jpg 昔、山本五十六が「して見せて、話して聞かせ、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」と語ったということだが、それでも人が動くかどうか、私はかなり懐疑的である。
 それは山本元帥の言葉じゃないなんてことはとりあえず置いておく
いずれにしても、話して聞かせるだけでは、鉄の規律の軍隊でもだめだったようだ。

ちょっと待ってほしい 朝日新聞的表現である 
革新政党、とくに社民党とか共産党は「話し合い」というフレーズが大好きな政党である。彼らなら、話し合いでお互いの意思疎通ができ、かつ成果を出すことができるのではないか?
はたして例にあげた政党は話し合いでものごとを進めているのか? といえば、考えるまでもなく、現実はまったく違うことは明白である。
共産党の執行はまさに独裁である。党の運営は民主的でもなく話し合いも存在しない。(参照:「日本共産党」筆坂秀世)
社民党は国会で議案に反対であると、大声を出す駄々っ子のように審議拒否とか牛歩戦術などを愛用しており、話し合いで解決しようとした事例は私の記憶にない。
過去話し合いを尊ぶ政党が、話し合いが不得手どころか実は嫌いだなんて笑い話である。

では、革新政党や平和主義者が大好きな中国、韓国、北朝鮮に話し合いが有効か検討しよう。 即断は禁物である。冷静な対応が求められる。 これも朝日新聞的表現である 
世の中には多様なコンフリクトがあり、それらの解決のためには話し合いが適切かもしれない。 こうしてみると、話し合いに応じないのは、話し合いを主張する人々だけのようだ。
とすると、話し合いで解決するという方法は、論理的矛盾を内包しているらしい。
そして話し合いという手法は実施に当たっては更に越えるべきハードルがある。 本日のまとめに、最近朝日新聞が発した「ジャーナリスト宣言」をお借りしたいと思う。
なにせ私は朝日新聞の愛読者なのである。 
asahisengen.jpg 言葉に救われた。
言葉に背中を押された。
言葉に涙を流した。
言葉は人を動かす。
私たちは信じている、
言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝新聞(05/22)




本日の宣言

言葉は救ってくれない。
pen.gif 言葉は裏切る。
むなしい言葉に涙した。
言葉は人を動かさない。
私たちは信じている、
言葉の無力を。
放しあい宣言。


話し合いでないことに気付いてくれましたか? 




水亀屋様からお便りを頂きました(06.06.19)
謹啓
 ありがとうございました。
「話し合いの効用」を拝読いたしまして大笑いしました。
プロの論究士と拝察いたしました
お体にご自愛くださいます。
明日からは、日記の更新をお待ち申し上げます。 敬具
水亀屋様、お便りありがとうございます。
『プロの論究士』とはいったい何ものでしょうか?
ご存じと思いますが、私はアマの時事漫談、時事落語、講釈師を目指しております。
ダジャレとオヤジギャグを認めていただけないと、自信をなくしてしまいます。
次回は私のオヤジギャグのパンチ力とか、ばかばかしさについて論評していただきたいと・・・


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