「人間は夢を見る唯一の動物である」という言い回しを聞いたことがある。
更に言えば、「人間は妄想を持つ唯一の動物である」のかもしれない。
本当を言えば人間だけが妄想を持つのかどうかはあやしい。猫なんかも目が覚めたとき一瞬ボンヤリしていることがある。
もっとも、あれは寝ボケか? 寝ボケと妄想は違うのかどうか・・・いずれ考えよう 
 
世の中には話し合いがすべてを解決すると信じている人々がいる。
日本では憲法が
社会に害をもたらさなければなにを信じようと良いと書いてある。しかし話し合いがすべてを解決するという思想あるいは宗教は、社会に大いなる害をもたらしているような気がしてならない。
 最近、朝日新聞を丹念に読むようになり、その言い回しを学びつつあるところです。
最近、朝日新聞を丹念に読むようになり、その言い回しを学びつつあるところです。
自分が語ったことの責任を問われないように、自分が言いたいことをあたかも他人が語ったように表現する手法など、朝日新聞を読んでいるとそんな姑息なテクニックを学ぶことができます。
さあ、本日のお題は「話し合いはものごとを解決するか」である。それが真実なのか、妄想なのかを考えて見たい。 
朝日新聞的表現である  
自分の考えを他人に伝えることは簡単なことであろうか?
30年以上連れ添った家内と私であっても、自分の希望が伝わらないことがある。もちろん即物的なことは伝わるが思いとか真意というものを理解してもらうのは言葉を通じては隔靴掻痒
(足が痒いとき靴の底をかくような感じ)である。
仕事でもなかなか思いが伝わらないことがある。いや、伝わらないことのほうが多いのではないだろうか。分かりやすいようにと、たとえ話をすると今度はたとえ話が理解されないということになる。
要するに私の考えていることのイメージを伝えることができないのだ。

その理由はお互いの人生体験が重なっている部分が少なく、私の言葉の意味するところを理解することができないからではないかと愚考する。赤の他人、更には年代も異なり生まれ育ちも異なると、同じ日本語を話していてもその言魂の世界はまったく違うのであろう。同床異夢ならぬ、同文異夢あるいは同文異考なのだ。
私が若いときはどうだったのだろう?と思い返すと、確かに年配者の話でわからないこともあった。しかし当時の常識として目上の方のお話をその場で分かりませんということは失礼とされていたので、あとで他の人に聞いたりということだったのだろう。
なあに、かえって 
朝日新聞的表現である お互いの誤解のないようにするには、その場で分かりませんといったほうが適切かもしれない。
それと昔は世の中の動きがゆっくりであり、歳が離れてもそう価値観とか考え方の相違が少なかったのは間違いない。私と10歳上の人、5歳下の人を比べると、歳の差は10歳の方が大きいが、価値観とか考え方の差は小さいと思う。そしてその非対称はいずれの年代でも同じであろうと思う。時代の変化はますます加速しているから。
そんなわけで、国際コミュニケーションだけでなく、日本人同士のコミュニケーションは困難になりつつある。
じゃあ、言葉だけで伝わらないならどうすれば理解してくれるのか?

昔、山本五十六が「して見せて、話して聞かせ、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」と語ったということだが、それでも人が動くかどうか、私はかなり懐疑的である。
 それは山本元帥の言葉じゃないなんてことはとりあえず置いておく
いずれにしても、話して聞かせるだけでは、鉄の規律の軍隊でもだめだったようだ。
ちょっと待ってほしい 
朝日新聞的表現である 
革新政党、とくに社民党とか共産党は「話し合い」というフレーズが大好きな政党である。彼らなら、話し合いでお互いの意思疎通ができ、かつ成果を出すことができるのではないか?
はたして例にあげた政党は話し合いでものごとを進めているのか? といえば、考えるまでもなく、現実はまったく違うことは明白である。
共産党の執行はまさに独裁である。党の運営は民主的でもなく話し合いも存在しない。
(参照:「日本共産党」筆坂秀世)
社民党は国会で議案に反対であると、大声を出す駄々っ子のように審議拒否とか牛歩戦術などを愛用しており、話し合いで解決しようとした事例は私の記憶にない。
過去話し合いを尊ぶ政党が、話し合いが不得手どころか実は嫌いだなんて笑い話である。
では、革新政党や平和主義者が大好きな中国、韓国、北朝鮮に話し合いが有効か検討しよう。
 
- 北朝鮮に話し合おうといっても相手にしない
 6カ国協議も2国間協議もまったく金将軍の気まぐれによって左右される。
 実は金将軍の気まぐれではなく、したたかな作戦なのだが
 北朝鮮が戦後補償を決めてからと話し合いを拒否しているそうだが、そんなものは日本にいちゃもんつける話ではなく、韓国と北朝鮮の二国間協議で行えばよいことである。もっとも韓国の大統領は北朝鮮との統一が夢であるので、統一するなら賠償金の分配を話し合う必要もないだろう。
 北朝鮮はアメリカとも日本とも話し合わずにミサイルをちゃくちゃくと開発している。その照準は日本であることは間違いない。 
- 中国が日本に無断でガス田開発をしている。
 とんでもないことだ! 日本の領土をかすめとるとはどろぼうではないか
 さあ、話し合い主義者よ、中国と話し合いをしてくれ
 現実には、中国に話し合おうといっても相手にならない
 「靖国問題が障害になっている」なんて言っちゃいけない。靖国は心の問題であるが、領海侵犯、不法占拠は現実の資源略奪なのである。
 さあ!話し合いで解決する方法を教えて欲しい
- 韓国が竹島を不法占拠している。
 話し合いで解決しようとしても、韓国もまた話し合いに応じる意思はまったくない。
 日本が国際法廷に行きましょうといっても、韓国は己の非を知っているらしく、行かないと拒否するばかり
 さあ!話し合い主義者たちよ、話し合いで解決する方法を教えて欲しい
 現実を見ればもう話し合いがなんの力も持たないことは明らかである。
 いずれのケースにおいても、話し合いが問題を解決するか否かの前に話し合いにならないのだから、「話し合いはものごとを解決するか」という疑問に対しては「話し合いができないのでものごとが解決できない」というのが回答なのだろうか?
即断は禁物である。冷静な対応が求められる。 
これも朝日新聞的表現である 
世の中には多様なコンフリクトがあり、それらの解決のためには話し合いが適切かもしれない。
- 話し合い主義の本家・家元 朝日新聞はどうだろうか?
 きっと会社の運営も論調も話し合いで決められているに違いない。
 だが、残念なことにそうではないようである。
 今年も朝日新聞には不祥事が多々あったが、社員の集会で朝日新聞を改革しようといろいろな意見があったそうだがそれが会社の運営に反映はされなかったようだ。(週刊誌の記事による)
- 岩国基地の移転についてはどうだろうか?
 市長をはじめとして住民投票の結果、話し合いの余地がないと語っている。
 不思議なことだ?
 自分たちが選挙で負ければ話し合おうといい、選挙で勝てば話し合いの余地はないらしい?
 これは主義思想ではなく、精神異常の範疇かもしれない。
- 成田空港も話し合いに応じない
 公共の利益はどうなるのでしょうか?
- 田嶋陽子先生も自分が話すだけ、三宅さんとの話し合いはしません。
 なぜなら、論破されちゃうから
- 筑紫哲也さんも自分が話すだけ、自説と異なる人と話し合いはしません。
 なぜなら、話し合うのが嫌いだから
 
- 松井やよりが出演した番組を見たことがある。
 人ごととはいえ、私は恥ずかしく見るに耐えなかった。 
 
こうしてみると、話し合いに応じないのは、話し合いを主張する人々だけのようだ。
とすると、話し合いで解決するという方法は、論理的矛盾を内包しているらしい。
そして話し合いという手法は実施に当たっては更に越えるべきハードルがある。
- 出席
 考えてみよう。話し合いとは交渉当事者が二人としても、双方が話し合おうとしないと、成り立たないのである。話し合いをするには、交渉相手を話し合いのテーブルにつかせることが前提なのである。
 しかし多くの場合、話し合いをしたくないというケースが多いのである。
 
| 組み合わせ | あなた |  | 話し合おう | 話し合いたくない |  | 相手 | 話し合おう | 話し合い成立 | 決裂 |  | 話し合いたくない | 決裂 | 決裂 |  
 
 
 
- 妥協
 第二に、話し合って解決するかどうか?ということである。
 話し合いで解決が図れるなら、もともと話し合いをする必要がないのではないか?
 だってお互いに平和裏に解決しようという意思があるならば、話し合いをしようと声を掛け合う前に交渉し妥協点を探っているはずだ。
外交交渉というと私は二つの事例を思い出す。
 ひとつは朝鮮戦争の連合軍と北朝鮮の交渉であり、もうひとつはベトナム戦争のアメリカと北ベトナムの交渉である。いずれも共産主義者のしたたかな粘り腰(正確に言えば共産主義国家の不誠実というべきだろう)にアメリカはもてあそばれた。そして話し合いは成果を出すことができず、決定したのは戦場の戦闘である。
 あのキッシンジャーに「北ベトナムはしたたかだ」と言わせたのである。「同意したと思ったら、認識が一致したに過ぎないと言われたとかなんとか・・・」細かい言い回しは忘れてしまった。
  今、北ベトナムに代わって北朝鮮が大国を手玉にとろうと危険な遊びをしている。北朝鮮が時たま6カ国協議に顔を出しても、日本やアメリカを批判非難するだけで、話にならない。 今、北ベトナムに代わって北朝鮮が大国を手玉にとろうと危険な遊びをしている。北朝鮮が時たま6カ国協議に顔を出しても、日本やアメリカを批判非難するだけで、話にならない。
 口から言葉を発することは、話し合いではないのだ。話し合いとは双方が相手の言葉を解釈し、その意味するところに妥協の余地があるかを吟味し妥協の諾否、あるいはそれ以上の提案を返すことをいうのであって、物理的に言葉が飛び交うことではない。
 
 
- 履行
 第三に、話し合って同意したことを履行するか否かという問題がある。
 損害賠償の民事裁判で勝訴しても、相手が支払ってくれるという保証はない。払わなければ改めて強制執行の裁判を起こさなければならないのだ。
 外交交渉でも、お互いに同意したことを守るかどうか? これは、はなはだ怪しいのである。
 韓国が竹島について同意したことを守るとは思えない。
 だが我が日本は外交交渉で決めたことを完全履行することは疑いの余地もない。ということは、実は誉められることではなく、日本は相手になめられるということなのである。
本日のまとめに、最近朝日新聞が発した「ジャーナリスト宣言」をお借りしたいと思う。
なにせ私は朝日新聞の愛読者なのである。 
 
 言葉に救われた。
言葉に救われた。
言葉に背中を押された。
言葉に涙を流した。
言葉は人を動かす。
私たちは信じている、
言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞(05/22)
本日の宣言
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言葉は救ってくれない。
  言葉は裏切る。 むなしい言葉に涙した。
 言葉は人を動かさない。
 私たちは信じている、
 言葉の無力を。
 放しあい宣言。
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話し合いでないことに気付いてくれましたか? 

 
水亀屋様からお便りを頂きました(06.06.19)
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謹啓ありがとうございました。
 「話し合いの効用」を拝読いたしまして大笑いしました。
 プロの論究士と拝察いたしました
 お体にご自愛くださいます。
 明日からは、日記の更新をお待ち申し上げます。 敬具
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水亀屋様、お便りありがとうございます。
『プロの論究士』とはいったい何ものでしょうか?
ご存じと思いますが、私はアマの時事漫談、時事落語、講釈師を目指しております。
ダジャレとオヤジギャグを認めていただけないと、自信をなくしてしまいます。
次回は私のオヤジギャグのパンチ力とか、ばかばかしさについて論評していただきたいと・・・
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