第13条2002.01.14
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

この文書をお読みになられてどのような感想をお持ちになりますか?
「いや〜、立派なこと言ってますね!すばらしい!」
なんて私が言うとは思ってないでしょうね?(^^)
私はこれは理念だと思います。理念、つまり憲法の概念、要旨とか理想像、到達点でしょう。いやしくも民主国家としてはこの理念は当然のことでしょう。
しかし、言っていることは曖昧模糊(あいまいもこ)雲をつかむような記述です。憲法の条文としては、はなはだ不適であると考えます。

分析開始
文章を断定的に書くということは責任が発生し、勇気が要ります。
私は会社規則なんか何百本もバンバン作りました。(ISOシステム構築なんかしますと会社規則100本くらい作ります。過去10年間に数回システム構築しましたので数百本はうそじゃありません)
---★法律や規則は何本と数えます。---
この手順でやれば間違いないと信じれば「○を□せよ」「△をしてはいけない」と書けます。自分が仕事を知らないと、断定した記述ができないので作る規則はあいまいで使い物にならないものになります。
私はこのホームページの文言一切について責任を負います。誹謗中傷があればそれはもちろんのこと、憲法解釈について誤謬があればすべて私の責任です。
その代わり、すべての文章を断定する権利を持ちます。
決して、「・・・じゃないですか」とか「・・・と聞きました」とは文を終わらないつもりです。
参考のために、アメリカ憲法を見ますと、まったく同じことを定めたものはないんですが類似するものとして、
修正第14条第一節第2行
「いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定あるいは施行してはならない。」
簡単明瞭です。この文章を読んで意味が分からないと言う人はいないでしょう。
『最大』も『尊重』も『必要』もありません。
主語は明確、実施してはいけないことも明確、述語も明確、まさに憲法だけでなく論理的文章の鑑(かがみ)じゃありませんか!


私の13条修正案

「公共の福祉を優先、維持するためを除き、国民の権利を制限する法律を制定してはならない。」

こんなもんでどうでしょうか?

誤解はないと思いますが、個人の権利と公共の福祉(言い方を変えればより大勢のほかの人の権利)は常に天秤にかけられます。
より多くの人を満足させるためには、少数の人の権利が制限されるのはやむを得ません。これは主義主張に関わらず、いかなる社会でも当然のことです。
これを理解せず自分が少数派のときに反体制の立場をとるのは論理的に間違っています。いくつになってもこれが分からない人がいるんですよ!某政党の女性委員長は70歳になっても分かってません。嘆かわしいことです。(**;



夢見る大学生様からお便りをいただきました。(2002.07.16)
はじめまして!
今年から某大学に通うものです。私は法学部に在籍しているのですが、憲法の授業が苦手です。
実は今度試験があるのです、憲法の。
憲法13条についての論述で、判例を調べておけとのことでした。13条についてのあなたの文を見て、すごいと思いました。私のような無知なものではあんな分析はできません。できれば今回の試験勉強をするにあたってポイントがあれば教えてください。
それから、うわさで「天皇万歳」っぽいことを書けば、憲法の教授は喜んで判定が甘くなるそうです。どうなんでしょう?


夢見る大学生様、
未来の検事総長あるいは最高裁判事が私のようなシロウトを相手にしてはいけません。
もっと学問的で格調高いウェブサイトがたくさんあります。
ぜひいろいろ調べてください。

と言いながら(^^)
『一人でも反対なら橋をかけない』というフレーズがありますが、正しくはその後に『その代わりみんなで川を渡ろう』と続くのだそうです。
  あっ、もちろんご存知ですよね、

人間ですから個人、個人考えがあり求めるものが異なります。
いえ、現代の日本のことじゃありません。
旧約聖書の時代にだって、個性があり、我の突っ張りあいがあるのです。
家畜を捧げたアベルを神がよしとし、農作物を捧げたカインを退けたのは単に神の趣味かもしれないといったのは誰でしたっけ?
まあ、人間に限らず神様にだって好き嫌いがあるのは当然でしょう。
政治とは結局、この世を丸く治めるということが目的のはず。
一人でも多くの人を満足させるのか、ひとりでも不満な人を少なくするのか、満足の総和を最大化するのか、極端に不満な人を発生させないのか、あるいはもっともっと判断基準があるでしょう。
国家の仕組みとしてどれを選ぶのかということを憲法で宣言しているのではないでしょうか?
現在の憲法は『極端な犠牲者を出さない限り、より大勢の人を満足させよう』とする価値観でできているように感じます。
私はそれを是とします。
多数の横暴と発言する方は『被害者を最小にするためには社会全体の利益が少なくなっても良い』という価値観であろうと思います。
もちろんそういう考え、価値観もあるでしょう。
しかし、個人的には満足する人より満足しない人が多い選択は人間社会では正当な選択ではないと考えます。
  いかがでしょうか?

それから私は『天皇陛下万歳!』ではありません。
見た目に右翼かもしれませんが、そうじゃありません。
私は日本の国を愛し、日本人であることを誇りに思っておりますが、それは天皇制イコールとは違います。
私は現在の護憲運動はまったくレベルの低い、誤解あるいは政治的な目的を持ったものによる意図的な解釈であると考えています。
しかし、政治体制あるいは国家の仕組みをまじめに考える方なら誰であれ同じ志を持つ者と受け入れます。当然天皇制廃止でもいいですし、私有財産禁止でも、フェミニズムあるいは反フェミニズムでも結構です。
そういう方とならいくらでも議論ができ、結果に同意できなくとも議論の成果(アウトプット)があると考えています。

それからまた私は民主主義を支持します。
しかしそれは、民主主義が正しいと考えているからではありません。民主主義が正しいとはいまだ証明されていないのです。
なぜ、民主主義を選択するかと言いますと、結果が悪くても結果責任を自分が取れる、満足できる(諦めがつく)という理由からです。
清廉潔白で英知あふれる独裁者が清く正しい政治を行っても、私は結果責任を自分で取れないなら満足できません。
  とはいえ、現実を見ていると大衆が独裁者を求めるのもなるほどという気もします。
過去に民衆の意思に反して独裁者になったものはいません。
またなれないでしょう。

独裁者は自分からなるものではなくて、民衆があるいは周囲が祭り上げるものです。
シーザーもヒットラーも、
吉宗だってそうでしょう?
そういえば、『玉座は座るものではなく背負うもの』だと言った方がいます。
至言です。
誰の文章かって? 小野不由美さんです。ご存じないかな?



オレンジ様からお便りを頂きました。(2004.07.07)
職業選択の自由
おばQさん、こんにちは。今日は職業選択の自由についてのお便りです。
いつか、おばQさんを「へへ?」と言わせたいですね。
確かに憲法13条で「人が生きていく上で不可欠な権利」を保障しているので、14条以下のさまざまな権利を書く必要がないかもしれません。
しかし、??権と条文で書いておくことで、それを読む国民にとってもわかりやすいし、裁判に訴える場合も「??権に基づいて」とした方が明確に頼ることができる条文があって便利なのではないでしょうか?
職業選択の自由に基づいて訴えた有名な判例がいくつかあります。
薬事法事件(100メートル以内に薬局を開店してはだめという法律が違憲となった例)
憲法13条でなく、22条があったから勝ち取れた判決ではないでしょうか。

今日もおしが弱かったかな。
私の1番好きな条文は憲法22条です。
今大学3回生なのでもうすぐ就職活動です。この自由を精一杯行使したいと思います。

お便りありがとうございます。
おっしゃる意味も分かりますが・・・
と反論しないとオレンジ様も拍子抜けでしょうしねえ 

そんなグダグダ書いてなくても権利とか義務というのが理解できるのではないでしょうか?
ちなみにアメリカ憲法には国民の権利さえ明記されていません。逮捕の要件や選挙権について記述してあるだけです。
実際はどうかって?アメリカ人の引越しは日本人の数倍というデータを見たことがあります。
また自由競争はあっちのほうが日本より上手のようですね?
よって、憲法13条の存在意義はなさそうです?

それから、憲法22条ではなく22条第1項といいましょう。 
法律の条文の中では第1項には項番はついていませんが、引用されるときは必ず第○条第1項と記載されています。

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