なぜ?戦争をするのか 2006.07.22

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中国最新鋭戦車
匿名というか名前もハンドルネームも書き込まれなかった方から、非常に短いメールをいただきました。
「なぜ?戦争をするのか」
たったこれだけです。もしかしたら、書き込み途中で送信ボタンを押してしまったのかもしれません。

多くのホームページの管理人なら、このようなメールを無視してしまうでしょう。
しかし、この「日本人よ誇りをもて」は非常にマイナーなホームページでありまして、お便りを頂くことは非常に少ない。せっかく頂いたお便りならば掲載するだけでなく、身は食べて、骨は出汁にして、最後には肥料として畑にまいて役立てさせていただきます。

さて、お題を頂いて何も見ずに書くのもなんだと、「なぜ?戦争をするのか」とインターネットでググッテみました。 いやあるわ、あるわ、たくさんあります。
書籍だけでも
「ヒトはなぜ戦争をするのか?―アインシュタインとフロイトの往復書簡」アルバート アインシュタイン,ジグムント フロイト
「世界軍事史―人間はなぜ戦争をするのか」小沢 郁郎
「ヒトはなぜ戦うのか」といった多少言い回しの違うものまで含めればたくさんあります。
ウェブサイトになると星の数
平和主義者のホームページとか反戦先生の指導による子供たちの意見もある。玉石混交、右から左、ハイレベルからロウレベルまで・・

きっと、お便りをされた方はそういった本やホームページを十分に検討し、それでも釈然としなかったので、私のところに藁にもすがるような気持ちで書かれたに違いない。 
エッ、きっと管理人はアホだから「なぜ?戦争をするのか」と聞かれたら固まってしまうだろうと思ってからかったのだろうだって?
なるほど、そういう可能性も否定できない。 

「なぜ、戦争をするのか?」
「なぜ戦争が起きるのか?」ではありません。このお方は、人間のウィル(意思)として戦争を始めるとご認識されているようです。
実は、私は戦争をしようとしなくても戦争になってしまうのではないかと考えているのです。
お断りしておく、これはすごい発想だからこのアイディアの盗用を禁じる 

人間は有史以前からいろいろなものを作ってきた。「もの」には形あるもの、例えば「道具」とか、「畑」とか、「建物」などもあるし、形のないもの、例えば「物語」とか「歌」とか「制度」とか「団体」とか「宗教」といったものもある。
hatena.gif 形あるものも形のないものも、はじめは簡単なものだったろう。だから有能な人が己の頭の中で全体構想を考えることができたに違いない。そして、作られたものをみて、一人の人がすべてを理解することができただろう。
例えば丸木舟というものを考えたとき、設計、材料の採集、加工する道具の手配、製作、使用に至るまで、一人の人が考えて実行できたと思う。もちろん、それを作るのに一人の力では無理な場合は仲間の協力を得ただろうが、そのプロジェクトの構想や進捗管理に大勢の参加が必要だったとは思わない。
江戸時代の五大力船なんて作るのにはどのくらいの人知を結集したのだろうか? 私はそんなに多くはないと思う。凡人ではない一人または数人の船大工が構想をまとめて作り上げたに違いない。
エジソンだってほとんど自分ひとりで作り上げた。もちろん製造は職人がしたのだろうが・・
小規模なものであれば、形あるものでも形ないものでも不具合があればすぐに見つかった。
船の部品の寸法が合わないとか、詩の韻が不適切だなんてことは、大勢でとりかからなくても不具合を見つけることができ、修理や改善をすることができた。

だんだんと作るものが複雑、巨大となると一人ではできなくなってきた。
戦艦大和を作ったとき、そろばんの名手を何百人も集めて計算をするのに何年もかかったと聞く。もちろん、コンピューターそのものが弾道計算など軍事目的で作られそして進歩してきた。
今私たちが活用させていただいているインターネットもしかり。
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なぜ戦争が起きるのか?と全然関係ないじゃないか、などといわないでください。これからだんだんと関係がでてくるのです。
時代が下がるにつれて人間が作るものはますます大きく、複雑なものになってきた。 アポロ計画になるとどう考えても人間一人で把握できるサイズのプロジェクトではない。実際に計画を管理するための手法を開発しなければならなかった。
そしてなにか不具合が起きたとき、一人の専門家、あるいは天才が原因とか対策を見つけることはもはや不可能となった。不具合検討のプロジェクトを立ち上げないと手に負えなくなったのである。
形あるものだけではない。形のないものもおなじである。1980年頃、私は会社でも家庭でも8ビットのパソコンをBASICで動かして仕事をしたり遊んだりしていたが、そのプログラムは32キロバイト程度であり、当然自分がいちから作った。とはいえ、フローチャートなど作って書いたわけではないので作ったときは理解していても数週間も過ぎるともうなにがなんだかわからなくなった。
現在の市販のソフトウェアはひとりの人間が扱える規模ではない。ということは全体を理解している人はいないということかもしれない。

形のあるものでも、形のないものでも、複雑になると不具合を見つけるのが困難になっただけでなく、不具合が起きる要因もものすごく増えていく。
スペースシャトル「チャレンジャー」が事故を起こしたのはOリング(ゴムパッキン)が悪かったとか表面の材料の接着が悪かったとか聞く。それなら、たったひとつの部品の不具合で事故が起きたのだろうか? 実はそうではないらしい。 複雑になると、複雑がゆえに故障が起きるのが必然らしいのだ。
ソフトウェアにしても、バグがあっても使用状態のほとんどの場合は問題が起きなくて、特定の条件下であるいは偶発的、確率的に問題が発生するのだと思う。
ノーマルアクシデントとは複雑なシステム(機械であろうとソフトであろうと概念であろうと)では、その複雑さゆえに多くの要因で確率的に不具合が発生し、その不具合の原因を特定のもの(特定の人物や特定の器機の故障)に帰することができないことをいうらしい。
ペローのノーマルアクシデント論は1999年頃だったが、そのアイデアは別に目新しいものではない。1976年小説「プロメテウスクライシス」では、巨大システムにおいては人知では管理しきれず、確率的に偶発的不具合が起きるのだということが物語の骨なのである。

じゃあ、システムが簡単な時代は戦争はなかったのか? 有史以前から、それどころか、最初の人間の息子たちであるカインとアベルが争ったのはどうか? という突込みが来るのは目に見えている。
言い逃れではないが、その頃は「人間が戦争をはじめた」のだと思う。人間が起こす戦争は人間がとめることができる。
時代が下がり人間が多くなり、社会の仕組みが複雑になり、あらゆるメカニズムがブラックボックス化している現在では、人間が戦争をはじめなくても「ひとりでに始まってしまう」のではないだろうか? そしてその戦争を体系的に予防することは困難である。
品質マネジメントシステムでも環境マネジメントシステムでも、是正処置・予防処置はシステムに欠陥がある不具合にしか有効ではない。偶発的な不適合はシステムの欠陥ではないのだからシステム改善では対応できない。

bom2.jpg アメリカとソ連が対峙していた冷戦時代、もっとも恐れられていたのが偶発的なミサイル発射だった。それを防止するために、核ミサイルの発射ボタンは二重三重に管理され、また誤射による全面戦争を防ぐためにホットラインというのが設けられた。
これはシステムの欠陥ではなくてもシステムに冗長度を持たせ、また安全装置を追加して防止したということだろう。


複雑なシステムだと人が管理しきれないということは、何も難しい概念ではない。町内会でもPTAでも会社でも、おかしいなあと思いつつも、おかしなことが決定されるという経験がありませんか?
後でどうしてそんなことになってしまったのだろうか? なぜ反対しなかったのだろうか? と自問自答しても「雰囲気に押されて」とか「空気がそうだったんだ」というようなことしか浮かばない。
しょっちゅう、会社の不祥事が報道される。
どの会社の役員も報道機関にインタビューされたり、記者会見で同じようなニュアンスのことを話している。
☆☆「全員の意思がそうだったので私一人ではなにもできなかった。」
☆☆☆全員ってあなたも入ってるんですか?
☆☆「私のところに来たときは、既に決まっていた。」
☆☆☆じゃあ、どこで決定されたのかはっきりさせましょうよ。
☆☆「そのようなことは知らされなかった。」
☆☆「私の担当ではなかった。」
☆☆☆じゃあ、いったい担当役員は誰なんだ?
☆☆「犯人捜しまではしておらず、分からない」
☆☆☆官憲による犯人捜しの前に、自らも原因探しをすべきだと思う。
という突っ込みはさておき、組織が大規模、複雑になると情報は途切れ、変質し、正否が反転することも珍しくない。
それは朝新聞でも、大日本帝国陸軍でも、犬HKでも、アメリカ国防総省でも同じである。
今、多くの企業がIT技術を利用して、組織のフラット化、階層の圧縮、複数回路の設置などに努めているが、それが複雑による悪影響を完全に取り除くことはできないと思う。いやむしろ回路が複雑になればなるほど、ノイズの影響は大きくなり、無視できなくなり、最終的に誤動作を起こしてしまうのである。
自分一人で考えたらそんなおかしいことはおかしいぞ!という結論に落ち着くはずなのだが、大勢の人間がいると、その複雑さによってどこかでエラーが生じるとどんどん大きくなり、フィードバックをかけ是正することができなくなるのだろうか?
ここまで述べてきたことは、実はたいそうなアイデアではありません。
似たような理屈や事例はたくさんあります。
本当を言えば、そういう事例を見聞きしているのでこの拙文を書いたのですよ。
☆☆・不確定性理論
☆☆☆測定に際しては誤差は避けられない。
☆☆・人の体重は30g〜40g程度の精度でしか測定できない。
☆☆☆なぜか分かりますか?
☆☆・電子回路、特に高周波回路は回路設計よりも基板設計が難しい。
☆☆☆専門技術者は高給で引き抜かれると聞きます。
☆☆☆羨ましくてなりません。
☆☆・高密度ICでは含まれる放射性同位元素によるエラーが生じるそうです。
☆☆・人間の体内では常にガンが発生しているそうです。
☆☆☆しかし体は生きているので常に修復している。
☆☆☆修復する力を超えた場合にガンになるそうです。
修復能力のない大規模ハードウェア、ソフトウェア、システムにおいては必然的にトラブルが生じ、システムダウンが発生するのではないか?


本日の結論・・・らしきもの

複雑だから事故がおき,複雑だから戦争がおきる。
だから,隣人とは仲良くできるように隣国とも仲良くできるはず・・・という論理は間違いである。
だから、隣いかがなもんでしょうか?




照山様からお便りを頂きました(06.07.25)
戦争と平和
“なぜ戦争をするのか?”
長年心の隅に育ててきた私のテーマを見つけ、うれしくなり、早速、初めてのお便りをいたします。
数年前から私なりにこんな答えを育んでいます。
それは、“平和を求めるから”です。
平和のために戦争をするのです。
平和のために立ち上がれ、武器を持て、 ・・とどれだけ戦争を繰り返してきたか、私たちの先輩は。
平和を求めてはなりません。“恒久の平和を希求”してはなりません。
平和が無ければ戦争もありません。
いまの、この混沌が一番いいのです。
照山様、ありがとうございます。
平和を求めるから戦争になる・・・逆説的ですが確かにそうとも言えますね。
では戦争を求めると平和になるのか?
次回はそのへんについてご意見を賜りたく
ご指導をお願いいたします。
照山様からお便りを頂きました(06.07.29)
平和を求めるから戦争をするとの小生の屁理屈(本当は真理だと思っています)を聞いて頂き有難うございます。
では、戦争を求めると平和になるかとのご質問ですが、No だと考えます。
(究極的にはYes;絶対平和とは全ての生物の居なくなってしまうことと定義すると戦争の究極は絶対平和になります。)
逆も真なりとの理論からのご質問かと想定しますが、逆は逆で、真とはなりません。
私たちは平和(卑近には幸せ)を求め、私の平和、我が家の平和、お国の平和、世界の平和・・・を求めて、けんかが高じて戦争となっている現状ヒズボラ、イスラエル、イラク、アメリカ、北朝鮮もそうでしょうか・・・。
太古の昔から何度こんなことを繰り返して来たことでしょうか。
ささいな(いさかい、喧嘩の)レベルで問題解決することが戦争回避の方法かと思いますが、一神教の理論では無理かと思います。
色即是空の理論に期待するのみです。
日本の仏教界の皆様頑張ってください。
照山様、ありがとうございます。
まあ論理学でいう対偶とか逆などを論じるには、はじめの命題が正しいかどうかの検証が必要です。
はじめの命題「戦争を求めると平和になる」が真であるとしても、すべての戦争がその論理で片付くとはちょっと信じられないですね。
また、戦争というのは「けんかが高じて」はじまることもないことはないでしょう。それ以外のことがトリガとなったほうが多いことは歴史が証明しています。
具体的には資源争奪競争とか、軍事的あるいは経済的侵略のため、更にはそれを防ぐためとか・・・
クラウゼビッツは戦争とは政治の延長といいました。私の論はそればかりではないだろうという意味であって、けんかがこうじて戦争になるとしたら、双方の政治家はオソマツすぎます。戦争とはそんなものではないでしょう。
松村 劭さんとか、兵頭二十八さんの本をお読みになることをお勧めします。

タイガージョー様からお便りを頂きました(06.07.23)
養蚕
拝啓佐為様
いつも楽しく読ませてもらっています。「何故戦争をするのか」「誰が戦争をするのか」興味深い命題です。
ところで佐為様は古代中国の呉楚の戦争のきっかけをご存じでしょうか?
呉楚の国境に桑が生えている所があった
 ↓
近所の養蚕農家の子供が取りに来る(女性という説もある)
 ↓
境界にある桑の葉を巡って子供同士の喧嘩になる
 ↓
親同士の喧嘩になる
 ↓
村人が出てきて喧嘩になる
 ↓
呉が負ける
 ↓
村人が調子に乗って呉の家に火を付けて焼いてしまう
 ↓
呉の役人が来て楚の村人を逮捕してしまう
 ↓
楚の民が捕らえられたと聞いて楚の国境警備隊が逮捕された村人を無理矢理取り戻す
 ↓
国境警備隊同志の喧嘩
 ↓
軍隊同志の喧嘩
 ↓
戦争となったそうです。
このことから中国にはどのような小さいことからでも戦争になる可能性があると言う意味で“ひりょうの禁”と言うことわざがあるそうです。(漢字忘れた)。為政者にとって大切なのは危機管理、この段階にはこうするというはっきりした認識であります。選択肢の中にはひたすら自認する〜自衛戦争までありますが、まず有事には戦争も含まれるという認識こそ肝要かと。
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えっ?社民党によると大切なのは有事対策の内容ではなく有事立法そのものを無かったことにすることである?
戦争そのものをひたすら遠ざけることで平和になる?
ああ・・中国で2500年前に検証されたことがなぜ検証できないのでしょうか?
       タイガージョー拝
タイガージョー様、非常に含蓄のある面白いお話ありがとうございました。
似たようなものに、やくざのけんかとオッパ○は吸ったもんだで大きくなるというのがありましたが・・全然関係なかったですか?
そのようなエスカレートを防ぐためには、有事はないと信じるより、有事の防ぎ方、対応方法を決めておいた方が良いような気がいたします。
まあ、議会で気に食わないことがあると欠席して駄々をこねる程度の団体ですから・・・税金を返してもらわないと


あらま様からお便りを頂きました(08.08.04)
またまた、ちやちゃをいれますょ。
「なぜ戦争をするのか」。佐為さまの理屈は、戦争は戦争でも「交通戦争」のことではないでしようか。
実際の戦争は、そんなに偶発的ではなく、もっと計画的だと思いますよ。
小生は、やはり戦争は子供の喧嘩の延長だと思います。つまり、自己主張の表れです。
子供の場合、お姉ちゃんのケーキは、常に大きいのです。弟は、それを指摘し、交換を迫ります。
その争いを回避させるためには、お母さんは、お姉ちゃんにケーキを半分に切らせて、弟にどちらか選ばせます。
そうすれば、たいがいの喧嘩は回避します。それでも争うのなら、お母さんは子供から、ケーキを取り上げればよいのです。
このように、子供の喧嘩の原因は、単に利害と感情の相違によるものです。
大人になりますと、子供のようにそんなに単純ではありません。互いの正義の相違が戦争の原因になります。
その正義が、主権だったり国益だったり。
でも、本質的には、子供も大人もそう大差ないと思います。
問題は、「人間の本性」ではないでしょうか。動物の延長である人間が、本能や欲がある限り、人類社会から争いは消えないでしょう。それから考えれば、争いは人間の“宿命”ではないでしょうか。
食欲、性欲、睡眠欲を妨害されれは、誰だって怒ります。加えて、人間には知識欲、闘争欲があります。
本来、人間は、他人を干渉したい欲があるようです。
そうした、互いの欲が交差したところに、争いの原因が生じると思います。
そのさい、堪忍袋の緒が切れると、戦争になるのですね。
小生が、こうして佐為さまに“ちゃちゃ”を入れることは“挑発”行為です。
寛容な佐為さまは、笑いのテクニックで、戦争を回避してくれます。
ですから、小生は、安心して“ちゃちゃ”を入れることが出来ます。(よいしょ
私の照山様へのご返事とタイガージョー様へのご返事が正反対ですね。 
私の性格が複雑だとか、書いたことを忘れてしまったとか、・・・そういうわけでもありません。
いい加減なことしか書かないとか・・・その可能性は大です。 
クラウゼビッツを引き合いに出すまでもなく戦争というのは政治の延長であるはずです・・・が、あのアメリカでさえ戦争というものが、ちゃんとした計画によってではなく行き当たりばったりに始まるということを知りました。
参考:「司令官たち」ボブ・ウッドワード著(ISBN4-16-345390-3)
要するに、戦争というものは国家の意思として遂行するものなのだが、現実の発端は子供のけんかが大きくなるのではなく、偶発性というかシステムの揺らぎによってはじまるのではないかと思うのです。
ラジオを作ったことがあるでしょう?
電線の引き回しが悪いとすぐに発振します。発振するトリガは何か? といえば、具体的には何もありません。いたるところにあるノイズの正のフィードバックによるのです。
戦争もそのようなものだと思っただけです。
照山様のご意見はダジャレでもないし、真面目に論ずるには十分な条件が提示されていません。

私のいいたかったことは最後の一文、
「隣人とは仲良くできるように隣国とも仲良くできるはず・・・という論理は間違いである」だけです。 
国家と個人を比較して戦争論を語るのは完全な間違いです。
財界人個人とか政治家個人の友情で国家を運営されたらたまりません。日中友好をとなえる財界人、政治家、文化人、学者ほどうさんくさい、怪しげなものはありません。
私は言葉で国家の利益になるか否かを明示してくれる人の話なら信用します。


あらま様からお便りを頂きました(06.08.06)
佐為さま あらまです
仰る通り、国家間の戦争と、巷の夫婦喧嘩などとを同列に考える事は、明らかな間違いですね。
ところで、陸上自衛隊のイラク支援活動が、一発の発砲もなく、ひとりの犠牲者も出さず、無事任務が遂行できました。
これは、隊員のご家族、国民の祈りもさることながら、陸上自衛隊の質の高さの賜物だと思います。
先日、ある高校で、サマワに派遣された隊員の講演がありました。それを聞かせていただいて、自衛隊のその高い質は、日ごろの訓練と、隊員ひとりひとりの自覚、意識が高いからだと感心しました。
サマワでの活動で、一番の課題は、偶発的な衝突だったそうです。それを回避するために、非常な努力がなされたようです。
争いをしないということが、どんなに大変な事か、小生の想像を遥かに超えるものでした。
偶発的な衝突回避という点では、1962年のキューバ危機が一番印象的でした。これは、後日その裏側が明らかになるほど、背筋が寒くなる思いでしたが、互いの理性と、核戦争突入への恐怖心が最悪の事態を防いだものと思います。
そうした意味でも、本日の「ヒロシマの日」のように、核廃絶を訴える事は、必要だと思います。
同時に、世界が兵器の均衡で保たれていることも事実ですから、防衛のための物質的、精神的準備は怠ってはいけないと思います。
戦争勃発の理由に、偶発的要素が増している事実がある以上、たんなる理想平和論を唱えるのではなく、現実に合った対応をすべきですね。
まさしく、御意
無事に国に帰れるということは至上のことです。・・・朝日は残念のようですが
そして現在は、偶発的な戦争を防ぐための努力だけでなく、テロという新しい敵から守ることも必要条件となってきました。
もう絶対平和主義も国連至上主義も通用しません。
逆説的ですが、治安悪化による日常生活での注意力向上、危険なところには近づかないということと同じく、わが身の安全は己が守るという当たり前の考えに立ち戻ったということなのでしょう。


反戦運動隊第17隊隊長秘書様からお便りを頂きました(06.08.09)
戦争はだめだー
なぜ!皆は戦争を起こす!!!なぜだ!結局戦争でなにも解決するわけではない!ただ金もうけのために、そんなことをしてよいのか???罪のない子供たちを殺してよいのか?いや、だめだ!戦争ハンターイ!
12歳の少年より
反戦運動隊第17隊隊長秘書様 お便りありがとうございます。
お年は12歳なのですか? 実年齢なのでしょうか? 精神年齢なのでしょうか? もしかしたらマッカーサーのお教え通りの12歳なのでしょうか?
今でもマッカーサーの遺言をお守りとは、それはまたご苦労なことです。
    せっかくですから貴ご意見を検討しましょう。
  • なぜ!皆は戦争を起こす!!!
    一般論として考えても解は見つかりそうありません。イスラエル、イラク、イラン、台湾、インド、インドネシア、スリランカ、南アイルランド、バスク・・・題材はたくさんありますので個々の問題を調べると「なぜ戦争が起きるか」が分かるのではないでしょうか?
  • なぜだ!結局戦争でなにも解決するわけではない!
    本気でそう思ってます? そりゃ勘違いですよ。過去、世の中のもめごと、いさかい、悩み、すべてを戦争が決定してきました。解決という言葉の意味が隊長秘書がどう考えているのか知りませんが、決定してきたことは間違いありません。
    今現在、チベットの騒動を中国の軍隊は決定し、既定の事実としているのですから
  • ただ金もうけのために、そんなことをしてよいのか???
    金儲けのために戦争をしているのでしょうか? パレスチナのテロが金儲け目的とは思いません。
    隊長秘書はもっといろいろなケースについてご検討が必要でしょうね。
  • 罪のない子供たちを殺してよいのか?
    そりゃ形而上の問題提起でしょうか? であれば回答不能です。
    テラノサウルスが滅んだとき、天変地異を恨んだのでしょうか? テラノサウルスに食べられたトリケラトプスはテラノサウルスを恨んだのでしょうか?
    罪のない子供を殺すのは悪いけれど、大人なら殺して良いのか?、軍人なら殺してよいのか?
    悪政を行っている金正日なら殺してよいのか? 朝鮮人は伊藤博文を殺してよいのか? 
    興味深い課題です。十分ご検討ください。
  • いや、だめだ!戦争ハンターイ!
    戦争ハンタイと叫んで戦争が起きないならすてきですね。
    戦争を終えるために戦場に赴く人をばかにしてはいけません。


正教育私立学校教師暦十三年様からお便りを頂きました(06.08.10)
平和とは何か・・・
平和とは、もとからあるものではなく、きずくものである。(まねです・・・。でもそう思います)なぜ金儲けのために戦争をするのでしょうか?教えてください。
つまり、このドリビアの花こういうことになります。
なぜ人はいるので小雨か・・・遠足行こうと思ったのに・・
正教育私立学校教師暦十三年様 お便りありがとうございます。
13年間も先生をされているのであれば、既に確固たる価値観をお持ちで迷うことなどないと思います。
まず、金儲けのために戦争ってするのでしょうか?
もちろん、そういうケースもあるでしょうが、そうでないケースも多々あると思います。
tank.gif 今日ただいま、中東では戦争していますが、彼らは金儲けのためにドンパチしているのでしょうか?
イスラエルは金儲けのために戦っているのか? ヒズボラは金儲けのために戦っているのでしょうか?
太平洋戦争は財閥が金儲けのためにはじめたなんて戦後民主主義者の教えを信じているのでしょうか?
戦争は遠足よりはきついと思いますね
ところで、反戦運動隊第17隊隊長秘書様とリモホが同じのが気になりますが・・・


青山様からお便りを頂きました(06.08.13)
なぜ、戦争をするのか
システムの複雑化が戦争の原因のひとつだとおっしゃられましたが、システムや文明を発達させるのもまた戦争であると感じます。
そして徐々に戦争の原因たるものが複雑化していき、世界はより悪いほうへと向かうしかないように思います。あさはかな考えだとは思いますが実際この考え方は間違っているでしょうか。
中学生より
真面目なご質問にはダジャレではお答えできまえん。
私ができるのはいろいろと本を読んでくださいとしかいいようありません。
『システムや文明を発達させるのもまた戦争』とおっしゃいましたが、それについては「戦争の科学」という本がお勧めです。
世界は悪いほうに進んでいるのか?そうではないのか?それはまたいろいろな本があります。
考えることは大事ですが、そのためにはやはりインプットが必要です。大いに勉強してください。もちろん盲目的に本を信じるのではなく、疑うこと、批判精神を忘れてはいけません。


クキ様からお便りを頂きました(07.12.02)
こんにちは。
1年前の記事にお便りを書き、失礼でしたでしょうか。
『なぜ?戦争をするのか』。私は、男性が政治をするからだと思います。
女性が政治をすれば、戦争は起こらないと思います。
女性は『戦う』という事が、あまり好きではないと思います。
それに、子供を産むので『殺す』という事に、違和感をもつと思います。
クキ様 お便りありがとうございます。
お説は、女性は戦争をしないということのようですが、それは残念ながらおおはずれでございます。 
rice.jpg現代の最強の女性戦士はライスさんです。
彼女に比べてパウエルさんは平和主義、厭戦主義でした。
おっと、鉄の宰相サッチャーさんを忘れてはいけません。
クリントンより奥さんのほうが危険なような気がするのは私だけでしょうか?
彼女たちは例外だとおっしゃいますか?
そうでもないようですよ、
NHKの大河ドラマでは、風林火山であろうと、山之内豊一であろうと、みーんな奥方や側室のそそのかし(はげましともいいます)で動いてるじゃないですか?
ッツ!?日本の戦国時代は例外ですか?
マクベスだって、リア王だって・・・おっと小説は別ですか?
シーザーを篭絡したのはクレオパトラ・・・彼女が戦争の元でした。
ギリシア神話になるとアマゾンてのがいましたよね?
それから女性は子供を生むから殺すことに違和感を感じるのは本当ですか?
女性の殺人犯はたくさんいます。そして子供を持つ母の殺人も多々あります。幼稚園児殺しを覚えてますか? 中国人母の殺人事件を覚えてますか? 私は歳をとるほど記憶力が良くなってきたような気がします。
殺すに違和感を感じない女性は多いようです。
まあ、反証を挙げるのはやめときましょう。
それからね、キク様 ご注意いたしますが、21世紀の現在、戦争を起こすのは男性が政治をするからだなんて言いますと、セクシャルハラスメントになります。
犯罪の影に女ありなんていわれますが、戦争の影どころか、戦争の表に女あり・・忘れないようにね
保守の一大生様からお便りを頂きました(07.12.02)
戦国時代来日したルイス・フロイスの著書に「実家より財産を持つ女城主が多い」との一説があるように、戦の当たり前だった時代女性の政治力は必ずしも弱くはありませんでした。戦場で戦った女性すら少なくなかったそうです。
女性=反戦的というのは偏見かと。
保守の一大生様 毎度ありがとうございます。
戦争なんて起きては困ります。
私たちが身近な問題、注意しなければならないのはセクシャルハラスメントのようですね。
現在はもう細心の注意を払わないと・・・訴えられてしまいます。
ある高校生様からお便りを頂きました(07.12.02)
女性が戦争をしない?⇒クキさまへ
まず議論を始める前に、戦争が好きか嫌いか、といった次元の話で戦争を阻止できると考えている時点であなたの議論は危険な議論であると思います。
病気が嫌いだったら病気を防げるのでしょうか?規則が嫌いだから規則に従わなくて良いのですか?いじめが嫌いだからいじめられなくて済むのでしょうか?wそんな話が通れば世界がはるかに平和になるのはわかりますが、通らないからみんなが議論するんでしょう。その土台をまず理解していただきたい。
百歩譲ってその議論に入るとして、女性が戦争をした例などいくらでもありますよ。東アジアだけで見たとしても、歴史を学べばいくらでも出てきます。
それに、結論はどうなるのでしょうね。女性が政治をする、とは、女性以外に参政権を認めない、と言うことでしょうか。なんという暴虐。そんなことをしたら人類の半数を占める被差別階級となった男性群が革命を目指して戦争を始めるかもしれませんね!
一万歩ゆずって女性に政治が任されたとしても、戦争がなくなるはずがない。以下は、貴殿が男性に対する女性の非戦闘性を例示しようとしたために行う論証であり、私自身の思想とは無関係であると前提しておきますが、どちらかと言えば、女性の方が戦争に肯定的なのでは、と考えられる節もあります。
何故なら、これはまあ、夫の家庭内での位置が不安定だ、と言う議論にも発展してゆく話ですが、女性は子を生みだすが故、自分の確固とした一つの正義が既に与えられているからであります。近年の戦争は、正義対正義、イデオロギー対イデオロギーの対立から起こります。それと同じで、自分の子供の生とその成長を正義とするであろう女性にとっては、自分以外の女性は全て敵に見えてしまうはずです。
このような愛着は、子を愛すれば愛するほど強くなると思われ、逆に言えば、愛さなければ愛さないほど争いは起こりにくいと言うわけです。さて、あなたはこの母性の本性思われるものと平和との、思考実験上浮かび上がる矛盾を如何に克服されますか?
戦争と言う行為もこれと本質的に同値です。つまり、自らの正義を護るのか、はたまたその正義を捨てるのか、と迫られたとき、護る選択をすれば戦争、捨てる選択をすれば従属と言う結果に最終的に行き着きます。自らと相いれない正義との付き合い方を、今世界は身もだえしながら模索していると言うのに、その人類普遍の対立は、女性には当てはまらないなどと言って、対立の存在を根底から否定しようとするあなたの議論は、都合の悪い問題を目に入らなかったことにすることと同値で、完全に的を外れております。
どうか、フランス人権宣言を見習い、また男女共同参画社会基本法などを見習って、早く男女同権の境地に達していただきたいと思う男性の一人でした。
うーん、ある高校生様 すごい!
ものすごく進歩したと思いますよ。
一字一句の反証ではなく話の進め方が相手の論を良くみて、瑕疵というか矛盾を突いています。
男女平等主義ですから男がという論自体が時代錯誤なのでしょうね。
次回更なる進歩を見せてください。

おって、男子三日会わずば括目してみるべしといいます。
変わることは恥ではなく、変わらざること恥じるべし




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