靖国参拝 2006.08.15
本日は61回目の終戦記念日である。
朝は雨が降ったようだが、私が起きだした頃には雨は上がった。今日小泉首相が靖国参拝するというがどうなのか? とパソコンを立ち上げたところ、テレビを観ていた家内が「小泉さんもう行っちゃったよ」と残念そうな声を上げた。
koizumi.gif 私が都会に来てから毎年8月15日に家内と靖国に行くのは恒例となっている。今年は数日前から小泉さんが靖国参拝すると報じられていたので、靖国神社でお顔を拝見できるのではないかと期待していたのである。
もう参拝してしまったのでは会えるはずがない。いささか残念である。
おお、ネットの掲示板を見ていると「小泉さんの姿を見た」とか「手を振った」という書き込みがチラホラ
まあ、小泉さんには会えないにしても、私の戦死した二人の叔父に会いに行かねばならない。
空模様を見るとどうも怪しいので折り畳み傘を持って出かけた。

地下鉄の九段下で降りるとホームも改札もその外もすごい人である。警備の警官が大声で「一番出口は混雑しているので、三番出口から出るように」と声をからしていた。
ものすごい人波に押しつ押されつエスカレーターで地上に出るとそこもまたものすごい人!
道路の端では、いろいろなチラシを配っている人々がいる。
昨年、エセ平和主義者とか護憲論者がいたことを思い出し、変な野郎だったらいちゃもんをつけてやろうと思いつつ手を出すと、「TBSを糾弾しよう」というビラで『STOP TBS』とある。おお!大賛成じゃ、「私も署名してますよ」と声をかけるとその方はにっこりされた。
また行くと、今度は外国人参政権反対運動であった。おお!大賛成じゃ。「私も賛成です」と声をかけた。
次は「靖国神社をいっしょに清掃しましょう」というビラであった。う〜ん、悪いけど遠慮しとくわ

信号を渡ると大鳥居であるが、そこから本殿までずっと行列である。
いろいろな人がいる。
戦闘服というのだろうか?それも団体ごとに形や色が違うのを着ている団体がある。
黒服に黒いタイをした怖いお兄さんたちがいる。日の丸のウチワなどをパタパタしている。
杖をたよりにあるいは近親者に支えられて歩いている老人、いや老兵がいる。
暑いのに正装して、襟に金バッチを付けた議員とおぼしき男女がいる。
Tシャツを着ているのは英霊にこたえる会のメンバー
かずやんさん、無名戦士様、挨拶しなくてごめんね・・・・・・
家内がかずやんを見てビビルと困るので通り過ぎました。
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NHKの腕章をつけたオネーチャンがいる。いやみを言ってやろうと思ったが家内がやめなさいという。
そして9割以上を占める私と家内のような一般市民、子供連れ、乳母車、若いカップル、若い友達同士といったふつうの人々なのです。

拝殿のあたりでちょうど正午となりました。
参拝者一同、暑い日差し下で、正午の黙祷をしました。

お参りしてお賽銭を上げてから裏に回りました。そこで、小泉さんはだめでしたが、高官が参拝に来ないかとずっと待っていたらなんと石原知事の姿が、
石原知事は入り口のずっと手前で車を降り、わざわざ我々の前を歩いていかれた。だれからともなく「石原万歳」と声が上がりワーット「万歳!万歳!」と声が続いた。
石原さんが見えなくなると、今度はTBSのカメラマンを見つけた人が、「TBS帰れ」という声を上げ、周りの者がドット笑った。

さて神社から出ようとすると正門からは出ようにも出られません。脇の南門から出ましてから、春に花見に来たとき千鳥が淵が大混雑で行けなかったので、そちらを通って帰ろうということになりました。
ゾロゾロと人が行くので何かと思いましたら、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」であります。
実はそこをお参りするのは初めてであります。人の出など靖国に比べることなどできません。お参りする人は本当にまばら、せいぜいいても数十人でしょう。
無宗教というのでしょうか? なんか不気味な施設の中に献花するところがあり、小泉首相、民主党、社民党福島瑞穂などという花が捧げてあります。共産党だけはありませんでしたね。何度も探したのですが間違いありません。
共産党は無宗教施設であっても花は捧げないのでしょうか?
しかし、不気味です。靖国神社は鎮守様というか和みを感じますが、この施設は人を和ませるものではありませんね。だから皆さん参拝しないのでしょう。

man7.gif しかし、朝日もサヨクもあの靖国参拝者のすごい人ごみの意味を理解できないのでしょうか?
彼らは靖国に参拝する人は、血相を変えたまなじりを決した街頭右翼だけと考えているのでしょうか?

靖国問題なんてありません。
靖国は日本人の心であって、国際問題ではありません。
国際問題にしたのは、勢力を伸ばそうとしたサヨクメディアではありませんか?
まして、つい最近中国首脳が日本から金をせびるために歴史問題を言い続けるというのが明らかにされたじゃありませんか?
もう、ウソは通用しませんよ。
靖国首相参拝に反対を表明している中国も韓国も、わが国固有の領土、ガス田を不法に占領している。盗人猛々しいというほかない。
マスコミには客観的公平な報道をしていただきたい。

来年は、首相が特定アジアからもサヨクからも文句を言われずに堂々と靖国を参拝できるようになりますように
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まき様からお便りを頂きました(06.08.18)
いやぁ〜面白かったです!
はじめまして。【ねずみ講】について定義が知りたくネットサーフィンをしていたら、たどり着きました。
貴方様の<独り言>面白かったです!私は会社でこそこそウィンドを開けながら、一人でニヤニヤ・・・
『どんな人が書いているんだろう((((ブツブツ)))』
『この人の奥さんどんな人なんだろう(((ワクワク)))』
大きなお世話ですよね(苦笑)でも靖国神社参拝の独り言を読んでいて、奥様との掛け合い(TBSへの文句一言)を勝手に想像&妄想してました。
まき様 ご訪問いただきありがとうございます。
ねずみ講で検索してこのホームページが出てくるとは驚きです。確かねずみ講をネタに書いたのが二回ありました。 幼稚園の砂場で学ばなかった人たちおおかみ少年
でもねずみ講で検索してひっかかるとは???
私の家内について興味津々のようですが、実は私は本名とか住所は書いておりませんが、ウソはまったくかいてません。私はまもなく還暦で家内は50代半ば、いつも漫才のようなバカ話をしており、休日にはおしどりのように二人で東京近辺を漫遊しております。歌舞伎・寄席・相撲などまだ見ていないものがたくさんあります。都会に住んでいるうちにできるかぎり名所旧跡を制覇しようと思っております。
またのお便りをお待ちしております。
仕事中、私のホームページを見ていて上司に叱られないようにしてくださいね


タイガージョー様からお便りを頂きました(06.09.08)
拝啓佐為様
いつも楽しい記事をありがとうございます。
私は先月の27日に靖国の参拝してまいりました。あの神社には祖父の兄弟たちが眠っています。少し遅れましたが、英霊に祈りをささげてきました。境内には子供連の家族も多く、みなそれぞれの休日を楽しんでいました。英霊の皆様がこの景色を見たらさぞお喜びになるでしょう。私は英霊の子孫の中では頼りない部類に入る者でしょうが、日本人の心を忘れないようにしたいと思いました。
ところで日本人の心を守るためには何をすればよいのでしょうか?日本人らしい行動をしているとしっかりと心が根付いていくものなのでしょうか?首相の靖国参拝→心の問題では済まされない、日の丸掲揚→内心の自由に強制は許さないという図式を振りかざすことでないことは確かなのですが・・・・。
  タイガージョー拝
タイガージョー様 毎度ありがとうございます。
日本人の心を守るためにどうすればよいのか?ですか?
2ちゃんねるでは「朝日新聞のいうことと反対をすればうまくいく」というのが定説になっています。それを踏まえれば、「朝日新聞を読まなければ日本人の心が守れる」とか「朝日新聞の反対を信じ行動すれば良い日本人になれる」と考えたらどうでしょうか?
朝日は反面教師として私たちを導いてくれます。アリガタイコトデス



とりあえず様からお便りを頂きました(06.09.10)
そういえば、ある政治のことよく話す芸人さん(誰かは覚えてないけど)が靖国問題について
「小泉総理が靖国神社を参拝してもいいと思うけど、そこまで靖国参拝にこだわる理由を中国と韓国に話さないとだめだろう。」
と言っていたそうです。
なんか納得してしまったんですが、管理人さんはどう思いますか。

それとHPとは関係ないけど囲碁に勝つコツを教えてください。負け続きなので・・・・。
とりあえず様 毎度ありがとうございます。
一休さん的に「そこまで靖国参拝にこだわる理由を中国と韓国に聞かないとだめだろう」ってのはどうですか?
真面目モードであるなら「靖国参拝にこだわる理由を中国と韓国に話さないとだめな理由を話して欲しい」ですね

囲碁に勝つ方法ですか、実を言いまして私が手取り教えた弟が高段者となり追い越されてから10年、石を握っておりません。
勝つ秘訣は簡単です。置石を増やすことです。囲碁が誰とでも遊べるのはハンディキャップをつけられるからです。



【北京=藤野彰】中国の江沢民・前国家主席(前共産党総書記)が在任中の1998年8月、在外大使ら外交当局者を一堂に集めた会議の席上、「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示し、事実上、歴史問題を対日外交圧力の重要カードと位置付けていたことが、中国で10日発売された「江沢民文選」の記述で明らかになった。
中国は胡錦濤政権に移行した後も一貫して歴史問題を武器に対日圧力をかけ続けており、江氏の指針が現在も継承されているとすれば、歴史問題をめぐる中国の対日姿勢には今後も大きな変化が期待できないことになりそうだ。
同文選(全3巻)は江氏の論文、演説などを集大成したもので、これまで未公開だった重要文献を多数収録。江氏は同年8月28日に招集した在外使節会議で国際情勢について演説、この中で対日関係に言及し、歴史問題の扱いをめぐる指針を示した。
それによると、江氏は「日本の軍国主義者は極めて残忍で、(戦時中の)中国の死傷者は3500万人にも上った。戦後も日本の軍国主義はまだ徹底的に清算されていない。軍国主義思想で頭が一杯の連中はなお存在している。我々はずっと警戒しなければならない」と述べ、日本の軍国主義はなお健在との認識を表明した。
さらに、台湾問題との関連で「日本は台湾を自らの『不沈空母』と見なしている」と批判、「日本に対しては、台湾問題をとことん言い続けるとともに、歴史問題を終始強調し、しかも永遠に言い続けなければならない」と指示した。
江氏は同会議の3か月後の同年11月に日本を訪問。滞在期間中は歴史問題を再三とりあげ、強硬姿勢を印象付けた。
(2006年8月10日 読売新聞)








社説考 2006.08.15
本日は61年目の終戦記念日である。どの新聞の社説も太平洋戦争について論じ、それぞれの思いを主張している。まあ、それはよい。しかし朝日新聞の社説を読むと、ちょっと論理がおかしい。
わが師KABU先生が明日にでも袈裟切りにするのは見えているが、私なりに添削指導してみた。
以下修正案である。原文と比較していただくとその相違をご理解いただけると思う。

添削後
静寂を取り戻すために ナショナリズムを考える
8月15日がこんなにかまびすしい日になったのは、いつからだろうか。
あの戦争について考え、戦没者に思いをいたす。平和をかみしめ、二度と戦争を起こしてはならないと誓う。もともとは、そんな静かな日のはずだった。
朝日新聞をはじめとするマスコミが問題と叫んだことがきっかけになっているのは間違いない。この5年来、15日が迫るにつれて参拝の是非論がメディアで取り上げられ、追悼のあり方や歴史解釈をめぐって論争が繰り広げられる。
ここで朝日をはじめとするマスコミの靖国狂騒を受けて、あるべき姿を考えてみたい。日本の将来にナショナリズムの論議が重要な意味を持つと考えるからだ。

●特定アジアの危うさ
書店を訪ねてみよう。
戦争責任や靖国神社問題を論じる本が多数並ぶ。「中国人を黙らせる50の方法」「マンガ嫌韓流」といった刺激的な題の本も少なくない。たしかに表題は過激なものもあるが、手にとって見るとその内容、記述はいわゆる自虐史観と違い、日本古来の文化伝統に基づいた穏健妥当なものが多い。
他方、中国では、危険なナショナリズムが花盛りである。めざましい経済発展で人々が自信を深めていることもあるだろう。しかし、その原動力は共産党の内政の失敗、高度成長に伴う社会のひずみを反政府圧力とならないように、反日運動に指導・誘導していることにある。昨年、激しい反日デモが吹き荒れたのは記憶に新しい。
韓国では、竹島をめぐって反日感情が噴き上げた。
確かに、ナショナリズムそれ自体は国民国家と共に発生したものであり悪ではない。自分の国への愛着や誇り、国をよくしたいという熱意、同胞への友愛……。ナショナリズムとはそういうものである。
だが、同時に、国家や一部マスコミが誘導するナショナリズムは危険であることを忘れてはならない。中国や韓国のように自ら信じる価値がすべてだと思い込み、他国の人々が持つ価値を認めない。そんな内向きの論理に閉じこもってしまえば、対話は難しいし、排外的な感情に転化しかねない。
中国や韓国とのつながりは、かつては予想もできなかったほど太く、幅広いものになっている。ただ、マスコミには己の勢力、発言力を拡大しようとして、マッチポンプ的にわざと国際的摩擦を生じさせようとする勢力がある。そのような国際関係を悪化させようとする一部勢力が目につくどころが目に余るのが現状である。
なぜ日本ばかりを悪者にしようという空気が特定アジアに漂っているのか。理由は簡単だ。それは日本の一部マスコミが、日本を悪者にしようとさまざまな捏造を含めた偏向した悪意ある報道を繰り返しているからに過ぎない。それは歴史問題という形もあり、外国人の氏名表記や、外国人犯罪の際に国名を表示するかという細かなところまで及んでいる。
靖国参拝にしても、教科書問題にしても、それを問題にしよう、中国韓国で外交問題にしてもらおうという下心によるご注進により中韓が日本を批判し、いわれのない批判に日本が反発し、双方が非難を増幅しあう連鎖に陥ってしまったのである。

●マスコミが火をつけた
その意味では、靖国参拝に関するマスコミのメッセージは明白である。
A級戦犯というものがいかなるものか、マスコミ少なくとも論説委員は知らねばならないし、知って書いているなら確信犯としか言いようがない。またA級戦犯を靖国に祭ったのは当時の社会党も含めた国会が決めたことを忘れたのであろうか?
なのに、朝日をはじめとするマスコミは首相の靖国参拝は危険な思想だと言い張っている。
そのうえ参拝の是非を、中国や韓国の要求であると問題を単純化してしまった。
朝日をはじめとするマスコミの主張と、中国や韓国が求めるものとほとんど食い違いはないと言っていいだろう。なぜ、その求めるものが一致しているのかというのが非常に興味がある。
内政不干渉は外交の基本である。「他国が干渉すべきではない靖国参拝」を、国際問題とし、日本の国論を二つに分け混乱をもたらそうというマスコミの論は中国韓国の内政干渉を正当化するものだ。
こうしたマスコミの言動が、特定アジアの反日感情に火をつけ、また日本国民のプライドを傷つけていることは犯罪行為である。
マスコミの報道の特色は「分かりやすさ」にある。敵味方を峻別(しゅんべつ)し、二者択一を迫る。靖国参拝で悪意に満ちたキャンペーンは確かに国内国外共に成果を上げたけれど、社会をリードする立場にあるジャーナリズムとして思慮ある手法ではない。特定アジア、日本国民共に、敵愾心をあおり問題を大きくしようとするのは危険である。
グローバル化する世界にあって、東アジアは相互依存を急速に深めている。中国は日本の貿易相手国として米国を抜き1位に躍り出た。両国にとって、共存共栄の道を探るしかないのは、冷静に考えれば分かることだ。韓国にしてもしかりである。

●マスコミの重い責任
マスコミはマッチポンプ的報道を繰り返し、国際問題をあおる時ではないはずだ。己の社会的責任をしっかりと認識し、特定アジアの首脳と国民に正しいメッセージを伝えることが、日中韓3カ国のマスコミに共通する課題だろう。
日本のマスコミにとっては、靖国問題をどう正しく伝えるかが問われる。この論争の根底にあるのは、過去の戦争をどうとらえるかという歴史観であり、ナショナリズムの問題でもある。
真のジャーナリズムに求められるのは、それぞれの歴史観を明確に語り、それを戦没者の追悼や外交のあり方につなげる形で具体的に示すことだ。
それなくして、8・15の追悼にふさわしい静寂を取り戻すことはできない。


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添削前
朝日新聞社説 2006年08月15日(火曜日)付
静寂を取り戻すために ナショナリズムを考える
8月15日がこんなにかまびすしい日になったのは、いつからだろうか。
あの戦争について考え、戦没者に思いをいたす。平和をかみしめ、二度と戦争を起こしてはならないと誓う。もともとは、そんな静かな日のはずだった。
小泉首相の靖国神社参拝が一つのきっかけになっているのは間違いない。この5年来、15日が迫るにつれて参拝の是非論がメディアで取り上げられ、追悼のあり方や歴史解釈をめぐって論争が繰り広げられる。
私たちは13日朝刊の「親子で戦争を考える」という社説で、戦争責任について論じた。きょうはそれを受けて、いまの喧噪(けんそう)を考えてみたい。日本の将来に重要な意味を持つナショナリズムの問題がかかわっていると考えるからだ。

●内向き志向の危うさ
書店を訪ねてみよう。
戦争責任や靖国神社問題を論じる本が多数並ぶ。「中国人を黙らせる50の方法」「マンガ嫌韓流」といった刺激的な題の本も少なくない。「中国、韓国なにするものぞ」という空気が流れている。
その中国でも、ナショナリズムが花盛りである。めざましい経済発展で人々が自信を深めていることもあるだろう。共産党自身が「中華民族の偉大な復興」をうたい、愛国心を鼓舞してもいる。昨年、激しい反日デモが吹き荒れたのは記憶に新しい。
韓国では、竹島をめぐって反日感情が噴き上げた。
私たちは、ナショナリズムそれ自体が悪だとは思わない。自分の国への愛着や誇り、国をよくしたいという熱意、同胞への友愛……。そうした思いには社会的な連帯を支えるプラスの面がある。
だが、同時に、ナショナリズムには危険な側面もあることを忘れてはなるまい。自ら信じる価値がすべてだと思い込み、他国の人々が持つ価値を認めない。そんな内向きの論理に閉じこもってしまえば、対話は難しいし、排外的な感情に転化しかねない。
中国や韓国とのつながりは、かつては予想もできなかったほど太く、幅広いものになっている。ただ、交流が深まるほど、摩擦の種もまた増えざるを得ない。内向きの感情が目につき始めたいまの景色は要注意である。
なぜ東アジアにそんな空気が漂っているのか。理由はさまざまだろう。ただ、日本との関係で貫くものがあるとすれば、それは歴史認識をめぐる不一致であり、感情のすれ違いだ。
靖国参拝にしても、教科書問題にしても、それが根っこにあって中韓から批判を浴び、日本が反発し、双方が非難を増幅しあう連鎖に陥ってしまう。

●参拝が火をつけた
その意味では、小泉首相の発するメッセージは混乱したものだ。
ちょうど1年前のきょう、首相は戦後60年の節目に談話を発表した。「植民地支配と侵略によりアジアの人々に多大の損害と苦痛を与えた」「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明する」
東条英機元首相らA級戦犯について、首相は「戦争犯罪人である」と明言し、東京裁判を受諾したという政府の見解を変えるつもりもない。
ここに見える首相の歴史認識は、中国や韓国が求めるものとほとんど食い違いはないと言っていいだろう。
なのに、首相はそうした認識と靖国参拝は矛盾しないと言い張っている。そのうえ参拝の是非を、中国や韓国の要求に屈するかどうかの問題であると単純化してしまった。「他国が干渉すべきではない」と、内向きの姿勢もあらわにして参拝を正当化するのだ。
こうした首相の言動が、人々の間にある中韓への反発感情に火をつけ、さらには敗戦で傷ついた民族のプライドを回復させたいという復古的な感情にも格好のはけ口を与えた。
小泉政治の特色の一つは「分かりやすさ」にある。敵味方を峻別(しゅんべつ)し、二者択一を迫る。国内問題では確かに成果を上げたけれど、外国を相手にして思慮ある手法だとはいえない。外に敵を見つけ、国民の感情をあおるのは危険である。
グローバル化する世界にあって、東アジアは相互依存を急速に深めている。中国は日本の貿易相手国として米国を抜き1位に躍り出た。両国にとって、共存共栄の道を探るしかないのは、冷静に考えれば分かることだ。韓国にしてもしかりである。

●政治家の重い責任
互いに内向きの論理を振りかざして、反発心をあおる時ではないはずだ。非難の応酬で関係が冷え込む悪循環からどう脱却するかは、日中韓3カ国の政治指導者に共通する課題だろう。
日本にとっては、靖国問題をどう乗り越えるかが問われている。この論争の根底にあるのは、過去の戦争をどうとらえるかという歴史観であり、ナショナリズムの問題でもある。
ポスト小泉の政治家に求められるのは、それぞれの歴史観を明確に語り、それを戦没者の追悼や外交のあり方につなげる形で具体的に示すことだ。
それなくして、8・15の追悼にふさわしい静寂を取り戻すことはできない。