子育て 雑感 2007.03.31

私は出張が多い。日本中とは言わないが、大都会ばかりではなくいろいろなところに行く。つい先週も初めての土地を訪ね、初めての駅で初めての路線に乗った。電車は都会でもなく田舎でもない、田園が開けつつある近郊住宅地という感じの、一戸建てと田畑の入り混じった中を走っていた。どこにでもある風景である。

線路のそばの一戸建ての庭で、母親と思われる若い女性が1歳半くらいの子を抱いて手を振っていた。昔よく絵本で見かけた構図である。
私は父親にも母親にも抱かれて汽車を見たという記憶がない。抱かれるような小さなときだけでなく、ある程度の歳になっても親と一緒に汽車をながめたという記憶がない。それどころか小さい子供の頃に走っている実物の汽車を見たこともない。そのわけは住んでいたところが汽車の線路から離れていたからである。遠くといっても3キロくらいだったが、小学校前の子供が歩いていける範囲ではなかった。
c57.gif
私が汽車を見たのは、小学に入る前、子供会で海水浴に行くのに乗ったときが初めてだったと思う。もちろん蒸気機関車でものすごく興奮したのを覚えている。
私が高校の通学のときも蒸気機関車だったのは前にも述べた。東北本線が電化されたのは1968年である。
私に子供が生まれて父親になったとき、住んでいたのはやはり線路から離れたところで、自宅の庭で子供を抱き上げて走っている電車を見せるなんてことはなかった。
家内の実家の近くにはJRの線路が通っていたが、近くといっても一キロはあり、庭から走る電車に手を振るどころかそもそも電車が見える距離ではない。
そんなことが頭に浮かび、母親に抱かれて電車を日常見ることのできるあの子は幸せだと思った。
いずれにしても、田舎では電車というものは身近なものではない。
都会なら自宅から電車が走るのが見えたり、踏み切りの音が聞こえる暮らしが珍しくはないだろうが・・・
だいぶ前のJRのテレビコマーシャルに小さな男の子が一人で「のぞみ」に乗るというものがあった。親が子供を電車に乗せて景色を眺めるというのも昔の絵本の定番であった。私の子供の頃、汽車に乗るということは非常に珍しかったことで、親と一緒とか一人でちょっとした冒険をすることなど思いもよらなかった。

都会に来て車社会から電車社会に変わったことでだいぶ戸惑いを感じた。田舎から出てきたとき駐車場代がべらぼうで車を持てなくなったことがはじめは非常に不安だった。
というのは、買い物はどうしよう、医者に行くのはどうしたらいいのだろう、床屋に行くのはどうしたらいいのだろう・・・もうそんなことが心配であった。
今なら笑い話なのだが、都会というところに住んだことのない私にとって、車がなければ買い物も床屋にもいけないと思いこんでいた。

私は子供の面倒をみず父親失格であることは語ったが、一切子供の相手をしなかったわけではない。子供たちが小さいときは私が子供達を風呂に入れる役割だった。
風呂から上がると娘と息子をひとつのバスタオルに乗せて、家内と私で両端を持ってハンモックのように揺らすのが日常だった。子供たちはそれを楽しみにしていた。何分も持ち上げて私と家内が疲れても、もっともっとユサユサしろとしつっこくせがんだ。
子供たちが小さいときはいいが、だんだんと大きくなるとこれは重労働である。そしてとうとう破局が来た。 
あるときビリ~ビリ~ビリ〜と音がして、バスタオルは子供たちの体重に耐えかねて裂けてしまった。
もしバスタオルが破けなかったら、家内と私はずっとそんなことをしていたのだろうか?
その後、娘は正常サイズで成長が止まったが、息子はジャイアントサイズになり今現在体重は三桁である。
まあ、けっこう子供達をかわいがっていたのだから、もし自宅の庭から電車が見えたなら、娘息子を抱き上げて手を振ったであろうと思うのだが・・
いや、囲碁にうつつを抜かしてやはり子供の相手をしなかったかもしれない。




ひとりごとの目次にもどる