省エネのはなし 2007.08.04

えー、世の中には正論ともいえないけれどちょっと反論できないっていう、脅し文句、殺し文句、決まり文句、葵の御紋てのがあります。
戦後永らく「平和」とか「反戦」とか「民主主義」ってのが殺し文句として迫力がありました。もっとも最近は少しその威力にかげりが出てきたようです。
そして今、最強の殺し文句は「環境」です。
「環境保護に反対なのか?」「おまえは環境を大事にしないのか!」といわれることは「人殺し」と同レベルの強烈さです。
昔なら「親不孝」というのも強力でしたが今では死語でしょう。
6.gif そんな風潮ですから、省エネをしろ、京都議定書を実現せにゃならん、チームマイナス6%に参加と、もうそりゃうるさいこと・・うるさいこと・・
私も環境なんてもんに関わっておりますので、そういったことにちょっとでも批判的なことを言いますと、そりゃもう大変、中世の魔女狩りのごとくつるし上げ、血祭りにされてしまいます。
急進的左翼と狂信的環境保護主義者のどちらが怖いかといわれますと、甲乙つけがたいとしか申し上げられません。
もっともサヨクが環境主義者になりますと、これはもう閻魔様でさえ手におえないことは間違いありません。
極端な環境保護論者の中には原子力発電をやめようと語る人たちも大勢います。原子力発電は環境に悪い・・・そういわれるとそう思えてきます。このたびの新潟地震で原発が停止したのですが、もう原発を動かさなくてよいと語っている人もいます。
私は良く知らないのですが、こういった人たちは電気を使わない暮らしをしたいと思っているのでしょうか? あるいは一定レベルまでの電気の使用は良いと考えているのでしょうか?
はたして人間の暮らしとしてどのようなスタイルが理想だと考えているのでしょうか?
そんなことをぜひ、知りたいと思います。

以前、私は今の私たちの暮らしと40年前の暮らしとの差は、40年前の暮らしと江戸時代の暮らしの差より大きいと書いたことがあります。
うそと思われるかもしれませんが、見方によっては真実です。そのひとつの尺度はエネルギー使用量です。今と40年前と40年前と江戸時代のエネルギー使用量の差は前者の方が大きいからです。
文明の根本というか、暮らしていくために必要なものは水を含めた食料とエネルギーです。これ以外はすべて無用のかざり、耳のピアスや携帯につけたお人形あるいはウィンドウビスタのAeroのようなものです。
しかし食料とエネルギーといっても、我々の住んでいる環境下において食料はエネルギーの従属関数です。ということは我々はエネルギーによって生きていて、エネルギーによって文化を維持していると言い切ってもよさそうです。

じゃあ、私たちはどのくらいエネルギーを使っているのか?
待ってました!
私が子供であった1953年頃(昭和28年)に日本人一人当たり10,000kcal使っていたそうです。それが私が成人した1970年頃(昭和45年)は一人当たり毎日50,000kcalになり、2005年には一人あたり毎日100,000万キロカロリー使っているそうです。
shouhidenryoku.jpg
一人の人が子供から老齢になるより短い期間に、エネルギー消費量は10倍に増加したのです。
この10倍というエネルギーの用途としては、もちろん車や電車などの交通機関もあります、家庭の電化つまり照明、洗濯機、冷蔵庫、食器洗い機、掃除機、エアコン、扇風機、電気蚊取り機、お風呂、シャワー、そして水道などなどがあります。そしてまたいつも新鮮な野菜や魚や肉が食えること、真夏に氷が食えることなどがあります。海外旅行に行けること国内旅行に行けること、階段の代わりにエレベーターを使うことなどなど・・・
そして気が付かないかもしれませんが、農産物を生産するのも魚を養殖するのもエネルギーです。私たちが食べているのはエネルギーを食べていると同義です。石油蛋白を食べるというのとはちょっと意味が違いますけど
だいぶ前「となりのトトロの時代に戻れば持続的な社会が実現できる」なんて語っている方がいましたが、そりゃ大きくはずしています。
となりのトトロの時代は自然エネルギーによってまかなえていたわけではありません。化石燃料、石油が大量ないとあの生活は維持できません。そんなことを知らずに環境を語ってはいけません。

もっとさかのぼるとどうなのでしょうか?
江戸時代以前のエネルギー使用量はどのくらいだったのでしょうか?
人も家畜も食べ物からエネルギーをとりそれは食物連鎖の頂点にいるおかげで高濃度のエネルギーを得ていました。
とはいえ再生可能な範囲内でした。
飢饉といえばひどい時代だと思うでしょうが、人間を支える生態系の生産者からみれば消費者が多すぎると文句を言われておしまいです。 
江戸時代以前はほんのわずか石炭や石油が使われていたらしいですが、ほとんどすべて再生可能エネルギーと人畜によって営まれたと仮定してよいでしょう。そして再生可能エネルギーには水力、薪、風などがありますが、水力は非常に限定的、風は工業的には用いられていませんでしたから人力と薪が主と考えてよかったでしょう。
さてそのようなエネルギー量はどのくらいだったのか?
人類とエネルギーのかかわり
 energy.gif
いやあ文明とはエネルギーの浪費と同義であったのか!などと感心していても仕方ありません。
冒頭に書きました、環境保護論者はいったいどの暮らしまで戻れば良いと考えているのでしょうか?
原発を止めろといっている人たちは何年前までに時計を戻せばよいのでしょうか?
持続可能というなら単純に蒸気機関のない時代までもどる必要があることは自明です。
そのときの生活はかなり暗く厳しいことはまた自明
過去の歴史的事実のように、エネルギーの分配が偏っていたり、人間の自由もなければその生活はいっそうひどいものになるでしょう。
環境保護を標榜する方々は江戸時代以前に戻ろうというならかなり説得力はあります。しかし、良い暮らしをしながら環境保護をしようとか、エアコンを使いながら持続可能性を唱える人は嘘つきか物知らずかばかなんでしょう。

インターネットが発達すると人間の移動が減り、少ないエネルギーで情報化社会が実現する。希望はあると語る人もいます。ところがそうでもないようです。
通信事業者の大手NTTグループの2003年度の使用電力量は70億kWhだったそうです。2003年度の日本の年間発電電力量は、9,500億kWhですから、この企業グループだけで日本の電力量の0.73%になる。
参照:http://atomica.nucpal.gr.jp/atomica/01040116_1.html
参照:http://www.ntt.co.jp/kankyo/2004report/kankyoufuka.html
通信事業者はNTTばかりではありません。日本にはNTT以外にも通信事業者はありますし、官公庁や大手企業は独自に通信網を持っているところもあります。仮に日本の通信事業の消費エネルギーがNTTグループの2倍としますとその電力消費量は約140億kWhとなり、これは日本の電力量で見るとこれは戦後1950年頃の総発電量と同等となります。そして2003年度の地熱や太陽光発電量の1.5倍、水力発電量の6分の1になる。
参照:http://www.jbhi.or.jp/toukei.html
参照:http://www.fepc.or.jp/thumbnail/zumen/1-20.html
日本の電気エネルギーが水力と太陽光だけになったとき、その1割を通信に使うということは許されないだろう。照明、製造業、交通などより優先する用途があるに違いない。

これからどんどんと太陽光発電や風力発電が伸びるという意見もある。しかし楽観値で見積もるより悲観値で見積もる方が私の趣味にあっている。
それに上記の通信事業のエネルギーとは通信の運用エネルギーであって、基地局建設、通信機器製造、保守のための車のエネルギーなどは含んでいないのだ。
インターネットの発達した社会は人間が物理的に移動するよりは省エネかもしれませんが、江戸時代どころか明治時代よりも昭和期よりもはるかにエネルギー消費社会のようです。

いろいろ考えてみると、京都議定書を実現したところで意味がなく、2050年に日本の消費エネルギーを90年比半減しても意味がありません。
化石燃料を拒否し(拒否しなくてもやがて化石燃料の枯渇で先方から拒否されるでしょう)、増殖炉を含めた原子力を嫌悪するならば、太陽エネルギーだけの文化に戻らなければなりません。
そして増殖炉の実現も核融合の実現もエネルギーがなければ不可能だし、エネルギーがあっても不可能かもしれません。

本当の持続可能性ということを考えるならば、使える総量を人間全体でいかに分配するかを考えなくてはならないはずです。考えるまでもなく、エネルギー総量は限られますから、いい暮らしはできないことはわかりますし、そしてそれを理解して受け入れるしかありません。楽はできないのです。
かつ社会が危機にある場合、おうおうにしてエネルギーの分配は地域的に偏り、更に社会的に偏ります。

そういったことを踏まえると、昼休みは消灯しろとか、飛行機より新幹線の方がエネルギーを使わないとかいうのも結構なのですが・・
つまらない些事にとらわれず、じっと腕組みしてあるべき姿はなにか? これからどういう方向に進むべきかを良く考える必要があります。
そして、考えている間は照明をつけていてもよし、飛行機で出張しても良いと私は考えております。 
ハイブリッドカーに乗ってご満悦の大学教授などを見ますと・・・・本当にエネルギー危機という意味を分かっているのかなあとご心配いたします。

えー本日の出し物は以上でございます。
意味がわからん、その意図は何か?なんて問い詰める方はいらっしゃらないとは思いますが、万が一、いらっしゃるかもしれません。
そういう方に駄目押しで説明いたしましょう。
環境保護ってのはトータルで考えないといけません。インプットとアウトプット、損益計算書は財務でも環境でも同じです。右と左があわなければ、その原因が人件費にしろ、使い込みであろうと、特許料にしろ支出には変わりなく、儲かったか損したのかはわかります。
ちまちまとした節約とかハイブリッドカーに乗って「環境保護をしているぞお」と叫んでいる人たちは救いのない哀れな人たちです。
そうではなく、人間が使えるエネルギーをいかに時代的(時間的)に地域的に所得階層的に分配するかということを考えて、その解を実現しようとすることこそが環境活動であろうと思います。
そういった観点からは京都議定書なんて詐欺的文書、マスメディアが語る環境保護は幼稚園レベル、学者が語るのは? 本当の環境保護は語るのが恐ろしくて言えないのかもしれません。
断崖絶壁に向かってまっしぐらに走っている列車の乗客は、列車を止めることができないなら、10分後を考えるのではなく、今このときの楽しい食事を続けることを選ぶのでしょう。


ふっくん様からお便りを頂きました(07.08.04)
省エネを考える。
省エネ・・・これまた難しい問題ですね。昔ゴ○ゴ13でチャイナシンドロームという作品があったのですが、その最後の言葉・・・「我々はどの方向に向かえばいいのでしょう・・・」(もちろんエネルギー確保に向けてですね)という言葉が私の頭にずっと残っています。
私個人は、現時点で一番効率がよくクリーンなエネルギーは原子力発電と考えています。水力でもいいかもしれませんが、ダム建設のための環境アセスや、現在の電気消費量に耐えうるかを考えると疑問です。ただ、原発はひとたび事故がおきたときに、人類の知恵では対処できないことが多すぎる、また放射性廃棄物の処理ができないなど問題点はたくさんですね。以前佐為さんが出してくれたように、風力発電で日本の電気をまかなおうとしたらいたるところに巨大な風車ができるという笑い話に等しい話がありました。それを考えている人は、誰なんだろうかな??さぞや家でも屋根いっぱいの太陽電池を敷き並べておられるのかな、もちろん通勤はチャリンコかな、まさか火打石で火を起こしてはいまい・・・と考えてしまいます。
そういえば、省エネカーができたけど車の絶対数が増えすぎたのでトータルエネルギーは増えてしまったという話もありますね。本当、江戸時代に戻る覚悟こそが究極の省エネでしょうが、非常に難しい問題です。ここで中国をはじめとするアジア地域やインド、アフリカが欧米並みになったら・・・本当に地球はパンクするのでしょうか?そうなる現実を知っているから、みんな今を楽しく生きようと刹那的になるのかなぁ。ホーキング博士が言った、「進化しすぎた生命体は、その自らの文明によって滅ぶ」が現実のものとならないよう行動したいものです。
ふっくん様 毎度ありがとうございます。
最適解はないというのが答えではないかと思います。
次善の策は、人口を減らす、知的に高度であっても、物質的に我慢するということではないでしょうか?
私の知人・・省エネ意欲三倍満という人です・・は補助金で屋根に太陽光発電をつけて、毎日の売電を見るのが喜びです。でも税金からの補助金を差し引くと20年間赤字です。どうなんでしょうね、この人の頭の中身は?
ゴルゴ13は自分が不要となる世界を望み、ホーキング博士は巨大な実験装置でなく灰色の脳細胞の偉大さを証明しました。
blue moon 様からお便りを頂きました(07.08.04)
まず,身近な省エネ
ダイエットから始めたいと思います

アーミッシュみたいな生活を北半球の人全員がしたとしても 追いつく話ではないと思いますのでどうなるのでしょう?
毎度ありがとうございます
アーミッシュみたいな生活ができるかどうかでなく、できないものは死に絶えるだけというような気がします

それからダイエットなどしなくて大丈夫
サハラにもタイにも肥満体は存在しません
15年前タイにいたときかの地では太っていることは金持ちの証でした
キンタロス様からお便りを頂きました(07.08.04)
省エネの話を読ませていただきました。
先日、爆笑問題太田のある番組で消費税を1%引き上げてそれを環境保護に使ってはどうかという話をしておりました。
番組はいつも実現性のない話ばかりしているんですが、なんと番組でアンケートをした結果、答えの過半数が賛成でした。
そこまで環境保護は商売になるのだなと痛感しました。
その中で早稲田かなんかの教授が仮に環境保護のために1%消費税増税するならば、集めた金を何にも使わずに土に埋めるのが一番いいとか、環境保護の為になにかをするよりは昼間から酒飲んで寝ていた方が環境にはいいのだとか仰っていました。まさにその通りだなと思いました。

環境保護というのは佐為様の仰る通り、最強の殺し文句ですね。
PETボトル一つ取ってみても、それをPETボトルをリサイクルするのとそのまま燃やすのではどちらのほうが効率的かなどはあまり気にしない。
ただ目の前のPETボトルというゴミが繊維として衣料品に使われていれば、物を大事に使っていると考えてしまう。
PETボトルをリサイクルした方が得か損かは私には分かりませんが仮にリサイクルしない方がエネルギーの無駄遣いにならないのだとしたら、ゴミを分別しないで出している一般的には非常識とされてる方のほうが環境保護をしてるってことになりかねませんね。
キンタロス様 ありがとうございます。
ちょっと違いますが、産業廃棄物の不法投棄がなくならないのは排出者の意識です。廃棄物を出す人がとにかく目の前から廃棄物がなくなればよいという一念なので委託したら後は知らない、後は野となれ山となれ・・というために違法業者に委託する人が後を絶たないらしい。
法律では産業廃棄物の処理責任は排出者にあり、自分でできないから他人に委託するという根本を理解していないのです。
ペットボトルが目の前からなくなり、リサイクルされてますよといわれるともうこまかいことは詮索しないのは人間の性として当然なのかもしれません。
ところで環境保護といっても、日本国内の環境保護もあり、中国共産主義国家の環境保護もあり、お隣の不法投棄国家 韓国の環境保護もあります。太田光が消費税を1%あげて環境保護に使おうというなら、絶対に日本国内に限定して欲しいですね。
ワタシ ニホンジン ゼイキン ジブンノタメ チューゴクジン チョーゼンジン ノタメトチャウ

WIND様からお便りを頂きました(08.06.09)
職場の服装自由化
どうも、こんにちは。WINDです。
ISO専任担当に拝命された旨は以前、お伝え致しましたが、専任として1つ面白いアイデアを考えたのです。
省エネ対策として、クールビズは弊社では既に行っているのですが、さらに幅を広げた『女性社員の服装自由化』です。
WEB等でどの程度この政策は浸透しているか?を調べているのですが・・・
上長にこの旨を記入した週報を提出したところ、
『これってISOと関連あるん?お前のすべき仕事か?』と軽く一蹴・・・。
私は『会社のコスト削減政策として十分ISOに該当するのではと思ったんです・・・WEBでも結構色々と導入している会社もありますし・・・』
上長『WEBやHPに載ってるから、ISOってな事にはならんやろ?もっと納得できるような資料見せてよ、これはISOとは関係ないんじゃないか?』
私『う〜ん・・・はい・・・』

いつもこうなんですよね。何か新しい試み・アイデアを出すたびに反論してくる・・・(今の上長だけでないです)
(だから今回もある程度はこうくる、と予想してました)
さて、どうなんでしょう?
女性の制服自由化というのは、『ISOの活動また省エネ対策の一環』として成立してますのでしょうか?
ちょっと自分でもよくわからなくなったので、相談させていただきました。
また、上長を納得というか判らせるにはどうすべきなんでしょうか?
アドバイスをお願いします。
WIND様 いつもご指導ありがとうございます。
まず結論を言いますと、ISOのためという表現をやめませんか?
コスト削減ならコスト削減で会社が儲かる!と断定してほしいですね。あるいは生産性が上がるからとか、企業のブランドがあがるから、人気が上がるからとか、そういう理由なら大賛成ですが、ISOのためといわれると・・ちょっと賛同しがたいですね。
ところで現在は性差別は魔女狩りに会います。
女性の服装自由化なんていうと、男女どちら側からも「性差別だ!」と非難を浴びる可能性があり、危険です。
進めるなら「男女服装自由化」としないとアブナイですよ
お気を付けてください。
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