環境審査 レッスン3 2005.10.07
審査員講座の3回目の本日は審査の話である。
ISO9000や14000の審査を受審するには、受審する組織(会社や工場)は品質マニュアルあるいは環境マニュアルを作成しなければならない。このとき、マニュアルには規格項番に対応させて社内の手順書名や運用の概要を記述することが求められている。
ISO9001では4.2.2で品質マニュアル作成が要求されている。
ISO14001では規格では明記されていないが、審査登録機関が定める審査基準やガイドブックで要求しているのがふつうである。
しかしよく見てみると、規格の用語を用いてマニュアルを記述しなければならないという要求はない。
もしあったら教えてください

つまり、マニュアルには規格項番に対応して、組織の文書や組織が行っていることを、記載し説明する必要があるが、それを表現するのに規格の用語を使う義務はない。

kane.jpg 当社では不良品を「不適合品」と言いません、「オシャカ」といいます。「オシャカ」を置く場所は「不適合品置き場」ではなく、「極楽浄土」といいます。という会社があってもおかしくない。
「オシャカが生産工程に混じる怖れですか?ふつう、極楽に行った人は現世に還ってきませんよ。」と答えれば喝采を受けるかもしれない。


ところが、現実の審査においては審査員は規格適合を審査するのではなく、規格文言が記載されているかをチェックすることが多いのである。
実際の例だが、ある企業で「水平展開」をマニュアルの予防処置の項に記載していた。これが審査員のお気にいらなかったようだ。
審査員は「水平展開は予防処置ではなく、是正処置(再発防止)である」という。ISO規格の定義では確かにそうだ。しかし、その会社では水平展開以外にも傾向管理をし、また報道された他社の事例などを見て社内の点検や手順の見直しなどに展開していた。そういったことは十分に予防処置といえるだろう。
要するにこの場合の不適合か否かの論点は、「組織が規格要求を満たしているかいないか」ではなく、「組織の言葉の意味が規格と合っていないこと」なのである。
本来であるならば、審査員はそのようなことを斜めに見て、心の中で「この会社はレベルが低いな」と思ったとしても、「この会社の予防処置と是正処置の理解は規格に合っていないが、現実には是正処置も予防処置もしているから規格を満たしていると判断する」と結論しても良いのではないか。
そのとき「社内用語を規格に合わせるべし」というコメントをすることは、小さな親切大きなお世話かもしれない。
「社内で使われている言葉が規格の語義と異なる」から不適合という判断をするのでは、「審査員が不適合」ではなかろうか?

審査員はシステムが規格に適合しているかを調査し判断するのが職務であって、マニュアルに規格の用語を使っているかを調査し判断するのではない。
しかし、現実には審査を受けるほとんどの組織(つまり会社や自治体)は、ご親切に規格の用語に合わせてマニュアルを書き、規格の用語にない社内用語は、あるいは定義が異なる用語については、マニュアルの冒頭に定義の一覧表を設けて懇切丁寧に説明している。
一体、この定義表は誰のためなのか?

社内では当然のことながら社内用語が通用していてるのだから必要ない。これは年に1度お出ましになる審査員のためなのである。
審査員から余計なことを言われるのを避けるための予防処置だともいえる。
現実には更に平身低頭して社内規則の用語まで規格の用語に合わせているところも多い。方言をなくして標準語を使おうとけなげな努力をしているのである。
ころが標準語が変わることもある。
ISO14001が2004年に改定されて「環境マネジメントプログラム」が「環境実施計画」と翻訳が変れば、会社規則を改定し社内の記録の呼称をそれに合わせることまでしているのである。
現実には組織のこのような審査員のためを思ったいじらしいほどの献身的犠牲によって、審査員は楽な審査ができているのである。ところが中にはそのような状況を当然と勘違いをして、傲慢にも「マニュアルの記述がわかりにくい」などとほざいている方もいるのだ。
いったいなんということだ!

以前も書いたが、環境マニュアルに「配布」という単語がなかったので、「外部文書の <配布> を定めていません」と不適合を出した審査員が実在する。
審査とは <配布> という文言があるかないかをみるのではない。
外部文書の管理を定めた社内手順を探して(しかも、その手順は文書化されていなくても良いのだ)、配布のルールを定めているか否かを判定しなければならないのである。
「配布」という単語がマニュアルや社内規則にあるかないかをみるだけであれば、審査員はいらない。事務的にマイクロソフトワードで検索するだけで十分である。
審査の省力を図るなら、マニュアルにあるすべての単語の有無をチェックするソフトをつくり、受審企業のマニュアルの電子データをチェックすれば数秒にして文書審査は終わってしまう。
審査とはそんなものではない。

「そのようなマニュアルでは短時間では審査はできない」とおっしゃるかもしれない。
そのとおりである。
考えてもみたまえ!
すべての企業は生い立ちが異なり、それぞれの歴史があり、固有の文化を持っている。人間以上に個性のある生きて動いている企業が、ISO規格を満たしているかいないかを、第三者がマニュアルを見たり一日か二日の現場審査を行って判断できると思いますか?

審査のオープニングにおいて審査員はだいがいがこう言う。
「私たちは企業が規格に適合しているか判断するのではなく、システムを良くするお手伝いをしたい」
オイオイ、あなたはなぜそのようなことを自信を持って言えるのか?
恥ずかしくないのか?

審査員の多くは企業の管理職経験者である。ならば己(おのれ)が現役のときを思い返してほしい。
自分たちもかっては毎日毎日必死に生産性向上、品質改善、不良対策、原価低減、納期必達、人事行政に苦労し、それらの改善に努めていたはずだ。そんな時に、外部から来た人が、一日二日で業務を改善し品質をよくするなどと語ったら、片腹痛いのではないか?
もちろん現時点においても、すべての企業は規模の大小、業種の違いに関わらず、社長以下全社員が歯を食いしばり必死にがんばって事業を推進し、組織の存続を図っているのが自由主義経済である。
そのような現実を思えば、いくら優秀なお方であろうとも、見知らぬ企業を数日間訪問して、「会社のシステム改善に寄与できる」と信じているとはおよそ現実離れしている。
そのようなことができるわけがない。

経営コンサルタントと称している方々は、はじめての企業を訪問したとき「会社を良くしてあげる」などとは言わないだろう。まずは「お話をお聞きする」とか、せいぜいが「助言する」という表現をするのではないか?
ISOコンサルにしても、依頼された企業の実情を見て、システム見直しの方向、どういった文書体系とするかを考えるのに一日二日ではできるはずがない。
どう考えても、ISO審査員が初めて訪問した企業に1日か2日関わって、その会社のシステム改善に寄与できるはずがない。

ちなみに、過去にご自身が作成した、あまたの審査報告書の指摘事項を読み返してごらんなさい。それが企業を良くすると信じられますか?
例えば、
 「著しい環境側面を決定するロジックを見直した方がよい」
 「現場の図面が汚れていました。」
 「教育訓練の実施状況が予定より遅れています。」
 「環境法規制一覧表に環境基本法がリストアップされていない。」
 「マニュアル4.1章の体制表に構内にある関連会社の記載が漏れています。」
そういった指摘事項が会社を良くするとか、システム改善に寄与すると信じておられるのでしょうか?  笑ってしまうというか、あきれてしまいます。

はっきり言う、ISO審査員が企業のシステム改善に寄与できるのは極めて稀有なことである。
ISO審査員ができることは、企業固有の文化を理解した上で、その仕組みが規格に適合しているかを判断することでしかない。
そしてそれ自体が決して簡単だとか価値がないと卑下するような仕事ではなく、実はハンパではない大変困難な仕事なのである。
企業にはそれぞれの企業文化があり、企業風土がある。ISO規格がそのようなものを一掃することを望んでいるわけはない。むしろ、企業固有の用語、方言を残して、いや日常の業務に密着した用語を使った規則を作り動かすことがISO規格の願いではないのだろうか?
この主旨はISO9001の序文にも、14001の序文にも明記されています。
要求事項は第4章のみなどといわないでください。規格の意図を実現する審査を標榜するなら、序文が最優先するはずだ。
ならば、社内規則もマニュアルもその会社固有の用語で書き表すべきであり、審査員はそのコテコテの企業独特の用語で書かれたマニュアルを見て、その企業がISO規格を満たしているかいないかを判断するのが努めだろう。
それぞれの組織固有の文化、方言、おきて、約束事を理解して、ISO規格という国際的な要求事項(それは最低基準であるのだ)を満たしているか否かを評価することは価値あると同時に大変に困難な仕事なのである。

このバカみたいな拙文を読んで、同意される方も、同意されない方もいるだろう。
いろいろな意見があるだろう。
 「規格用語を使っていなければ、規格に適合しているかいないか分からない」
 「今でさえ審査は大変なんだ。そのような文書なら時間が足りない」
 「審査は規格を実現しているかを見るのだから、使われている言葉とは無関係だ」
 「おまえは規格を誤解している」
 「そのようなむずかしいことを言われては私は審査できない」
 「私は適合性の判定より、企業を指導することが生きがいである」
まあいい。
いずれにしても、私は己の信じることを発言する権利を持つ。



本日の質問

ISO審査員諸君、
規格の用語が一切使われていないマニュアルを見て、適合性を判断する自信がありますか?


私は多くのISO審査員がこの質問に「YES」と答えることを期待している。
しかし、自信を持って「YES」と答えることができないISO審査員がいれば、その方はすぐにJRCAやCEAR登録を返上すべきだと進言する。
それは我々審査を受ける組織のためではない。ISO審査員というなりわいのよりどころである第三者認証というスキームを守るために言うのである。





ななし様よりお便りをいただきました(05.10.12)
掲載を希望しないとのことですので、以下に要約を記述し、私の見解を申し上げます。
要点はふたつ
現場に油で汚れた図面があったとすると、
第一に、それは文書管理が悪いことであり、
第二に、それを指摘することによりシステム改善に寄与するということでした。
コメントありがとうございます。
まず、異議を賜った第一の点、現場に油で汚れた図面があれば文書管理が悪いのか?について考えます。
図面はたしか「文書」であり、油で汚れていることは「管理」が悪いのは事実ですが、それがどのような要求事項に反しているかが問題です。
「文書管理」の項番の「読みやすく」という要求事項に反しているという結論になるのでしょうか?
私の考えを申し上げますと、油で汚れた図面というのはひとつのエビデンス(証拠)ではありますが、そのエビデンスからどのような情報を得て、どのような結論を導きさすかということは一概に言えませんし、この1件の証拠からだけではまだ不十分であると思います。
この場合、私は「文書管理」の「読みやすく」に反していると断定できないと思います。
この油で汚れた図面というのはシステムの問題点というより不具合の状況であって、この状況を引き起こした原因はなにか?それが該当する項番はなにか?と追跡しない該当する項番は特定できず、指摘する根拠を特定できないでしょう。
たとえば、これをトリガに他の図面を調べたら他には一枚も汚れた図面がなかったとすると、システムは悪くなく単にケアレスミスであった、ゆえに処置はしても是正処置は不要という結論でもおかしくないでしょう。
第二に調べた結果、図面の取扱いを教えていないという別のエビデンスが見つかれば「教育訓練」の項番の不適合かもしれません。あるいは作業環境が悪くて他の図面も汚れたり劣化していることが分かれば「作業環境」の項番の不適合かもしれません。
さらには既に使用者が交換を求めていたのに上司あるいは文書管理部門が対応しなかったなら、「運用管理」あるいは「是正処置」の不適合かもしれません。
要するにこれだけの情報からは「文書管理」が悪いとはいえないのです。

現場に油で汚れた図面があったということは、文書管理に不適合と断定するにはまだ証拠不十分なのです。
文書管理として不適合とするには証拠不十分・・・起訴猶予・・・であるならば、システム改善に寄与するか否か以前の話ではないでしょうか?
監査においてこのような判断を行っていては、システム改善に寄与しないと考えます。

お便りされた方は、ご自身が行っている内部監査あるいはISO審査において、現実にこのようなケースにおいてこのような判断をされ不適合とされているのでしょうか?
しかしレッスンワンで述べましたように、そのような指摘をしていたのではシステム改善はできないというのが私の持論です。
よく監査で見かけるのですが、監査チェックリストに規格のキーワードを羅列して、監査で提示されたあるいは観察したエビデンスを逐一チェックリストと照合して○×を付けていくと、この事例のように「文書管理」に不適合で「読みやすく」に反するという結論になるのかもしれません。
でも、それではシステム監査とはいえないのではないでしょうか?
昔、外資系審査機関からISO審査に来た審査員が言いました。
「良いチェックリストを作ってパートの人にもできるような内部監査システムを構築しなさい」
この方はご自身がしているISO審査もアルバイトができる程度の監査だと認識していたのでしょうか?

監査とはそんなもんじゃありません。
システム監査をするなら、ご自身がシステム構築をしたことがあり、審査先の事務局に代わって業務を担当できる力量が必要ですし、マネジメントシステム改善に貢献するとおっしゃるなら、マネジメントシステムの改善できる力量が必要で、マネジメントに貢献すると発言するなら経営できる力量がいります。
誤解なきよう、審査員はアドバイスできる・できないという論点ではなく、その力量が必要ということです。





あらま様からお便りを頂きました(05.10.14)
佐為さま あらまです
板の鏡での、賭けの100ドル紙幣。今一度、北朝鮮製でないかお確かめを。
 要点はふたつ
 >現場に油で汚れた図面があったとすると、
 >第一に、それは文書管理が悪いことであり、
 >第二に、それを指摘することによりシステム改善に寄与するということでした。

佐為さまのご説明、全くその通りだと思います。
また、ほかの考え方もできると思います。
たとえばこの問題が、はたして「文書管理」を論ずるに値するものかどうか・・・です。
現場に油で汚れた図面があるのは当たり前とも考えられませんか。
現場に図面を渡すということは、油などで汚れることを前提として渡すのが普通ではないでしょうか。
わたしのところの現場では、汚れてもよいように、コピーを渡していました。
最近は、ラミネートしたり。
ただ、この図面が原本であったり、ちらかった状態なら、問題かもしれません。
逆に、図面が汚れていることを指摘するのは、現場のことを知らないから・・・とも言えるのではないでしょうか。
したがって、上記の例えは適切ではないと思います。

あらま様、毎度ありがとうございます。
あらま説に驚ろかされます。
それは図面が油で汚れていても不適合といえないという論理です。
不肖、おばQ、そのような論を思いつきませんでした。
確かに良く考えると図面に油がついて何が悪いんでしょうか?
まさにこれはちゃちゃではありません。
正論です。
私は油付着は不適合のエビデンスであって不適合ではないという論理でしたが、かような指摘には油付着は不適合でもなんでもないと反論すべき・・いや反論できるということでしょう。


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