生態系 2006.06.04
「おいおい、生態系なんてすごいテーマを掲げているけど大丈夫かよ」・・・という声が聞こえてきそうだ。
先日も私が持続可能性をわかっておらんというご教示をたまわっている。 
しかしご心配召されるな・・・私は知らないことは語らない。
では、はじまり、はじまり

私は引揚者用に作られた長屋で育った。生まれたのはその近くのあばら家だが、そこにいたのは生まれてからほんの数ヶ月間なので、私の人生は引揚者住宅で始まったといっていいだろう。
長屋は雑木林を切り開いて作られ、長屋の周りは林であちこちに農家が点在していた。といっても平坦なところでもなく、また水の便も良くなかったので田はほとんどなかった。田んぼが増えたのは私が小学の頃、だいぶはなれた山中にダムが作られて用水が引かれてからのことである。
最近ではダムは悪者と決め付けられているようだが、ダムのおかげで田んぼができ、米が作れるようになり貧乏人も銀シャリが食えるようになったのである。日本人はダムの恩恵を忘れてはいけない。

さて長屋の生活用水はどうなっていたかというと・・
私が物心ついたとき、何棟もあるところの二箇所に水道があり、そこまで各家庭は水を汲みに行った。
井戸じゃなくて水道とは進んでいたとおっしゃるかもしれない。実はそこは井戸を掘っても水の出ないところだったのです。
長屋には50世帯くらい住んでいたのだから、その水道は夕食を作るときにはかなりの賑わいだったことを覚えている。朝食は汲んでおいた水で炊事をしたのかそのへんの記憶は定かではない。
食器は汲んできた水で家庭で洗ったが、洗濯はそうはいかない。奥さんたちは水道まで洗濯物とたらいと洗濯板を持ってきて、にぎやかに話をしながらしたわけだ。
さて、排水であるが、家庭で使った水はもう庭にまけばオシマイ。特段排水溝があった記憶はない。雨が降ると、雨水は地面にしみ込む以外は道路をじゃあじゃあと低い方に流れて、砂利道は雨が降るたびに泥水の川になった。まさにテレビで見る東南アジアのスラムのような感じである。
水道の流し場からの排水はどうであったか。長屋は雑木林に囲まれていた。そのへんはなだらかな凹凸のある丘陵であった。水道のある場所からなかば自然にできた堀というか溝が低い方へ低い方へと続いて、ニ三百メートル離れたところのかなり大きな池・・1ヘクタールくらいはあったと思う・・に流れ込んでいた。実際には流れる水のほとんどが途中で土の中にしみ込んでしまい、池まではたどり着かなかった。
この池はより低いところにある田んぼのために作られたため池のようであったが、こまかいことは知らない。
池の周辺には葦(あし)がたくさん生えていた。葦はヨシともいい、当然そこにはヨシキリがいた。
アシはヨシ、ヨシにはヨシキリなんていうとダジャレか言葉遊びのようだが、これは本当である。
bird.gif ヨシキリなんていっても今では知らない人も多いかもしれない。ヨシキリとは鳥の名前で、いろいろ種類があるのだが私は詳しくない。今では日常生活においてヨシキリを見る人は少ないと思う。私ももう30年見たことがない。
ヨシキリといえばカッコウである。時期によってカッコウの鳴き声が変わる。いい声になると学校が夏休みになると決まっていた。
いったいヨシキリとカッコウがどうつながるのか? ますますおかしいぞ! なんて疑問を持った方は自分で調べなさい。 
ヨシがあり、ヨシキリがいて、カッコウがいるということは、きれいな池がありそれを取り巻く林があったということだ。 池の水はきれいで私たちは魚釣りをした・・といっても鮒程度しかいなかった。池がきれいだったから鯉もなまずもいなかったのかもしれない。あるいは逆で、鯉やなまずがいないから池がきれいだったのかもしれない。
学校の先生も親たちもその池では泳いではいけないよと禁じていた。確かに土手のところからすぐに深くなるので、泳ぎがうまい人でないと水遊びには不向きであった。

さて流れてきた水によって池は汚れたか?
排水に含まれるものといえば米のとぎ汁とせっけんくらいしかない。そして排水される水の量も少なく、私が小学校に入る前に池が汚くなったという記憶はない。
トイレはどうしたっていう疑問があるかもしれない。
当時は汲み取り便所であり、近隣の農家の人が汲み取り来た。だからトイレを流す水も不要であったし、流れ出る水もなかった。

私たちが入学前に遊ぶ場所といえば雑木林である。言い換えるとほかになにもない。レジャー施設があるわけでもない。商店も本屋もない。チャンバラするにも鬼ごっこするにもカクレンボするにも雑木林しかない。
この点は亀有交番の両津勘吉とは大きく違う。彼は都会っ子でありわたしは田舎者であった。
雑木林には蛇もいたし、野ねずみもいた。歩くと蜘蛛の巣が顔につくのがイヤだった。
もちろん雑木林で遊んだだけでなく、畑からジャガイモを掘って焼き芋をしたり、トマトやキュウリを盗んで食べたり、悪さもした。
大人たちはいったいどこで働いていたのか?という疑問を持たれるかもしれない。多くの人はサラリーマン当時は月給取りといったが歩いて40分以上かかる町とか、あるいはそこから更に汽車に乗って20キロも離れた隣の市まで行ったのである。
私が小学生になると文明開化で各家庭に水道が引かれた。人間はなんでも便利であれば使うという性癖がある。各家庭で消費する水の量は共同水道だったときの何十倍にもなったことだろう。
当然各家庭からの排水溝を掘り、両側を崩れないように木の板で支えた。当時はU字溝なんてものはない。それはそのまま排水となり下流に流れ池に流れ込んだ。もっとも排水溝の底は土のままだからかなりの割合が地面にしみ込んだ。それを見込んで堀を作っていたと思う。
そして更に豊かになると各家庭でお風呂を作り、後には洗濯機を買い水道水を湯水のごとく使うようになった。
「湯水のごとく」という表現が日本語にあるが、「湯水のごとく」水をジャンジャン使えるようになったのは私が小学生以降である。それとも本来の「湯水のごとく」という意味は大事に使うということだったのだろうか?
例の池はだんだんと富栄養化して、水は透明でなくなりやがて嫌なにおいがするようになり、いつのまにか鮒はいなくなった。そして池の周辺のアシの生えているところが土で埋まってきた。そこにはオオバコ(カエルッパ)などの雑草が進出し、アシはあえなく滅んでいくのであった。そしていつのまにか初夏になってもヨシキリの姿を見かけなくなり、カッコウの鳴き声も聞かなくなった。
60年頃になると家庭から出るゴミが増えてきた。そして池にゴミを捨てる人が出てきた。池は人工的に埋め立てが始まったのである。 夢の島の田舎版だね 
それまで家庭から出るゴミは生ゴミなら庭に埋める。紙くず木屑なら燃やすと家庭で処理していた。少し大きなものを燃やすときはオヤジが消防署まで行って「木屑を燃やすので煙が出ても気にしないでください」と断りに行った。消防署では「火事にならないように気をつけてください」なんて具合である。今なら庭に埋めれば不法投棄、ゴミを燃やせば不法処理でお叱りがくる。
缶詰の空缶とか壊れた自転車などの金属屑なら釜屋に売った。着るものや靴は「お下がり」といって、下の子、親戚の子、近所の子と使われたのである。
もう完璧なリサイクルではないか?
そんなわけで廃棄物そのものが少なかったので、自治体が廃棄物収集をするなんてことはなかった。
私が中学生になった頃、1960年を過ぎるともう子供は池に近寄らなくなった。
ゴミが漂いイヤに臭いがする池では遊びようがない。そしてまた子供が遊ぶための広場もでき商店もできてきて遊び場に困らなくなったこともある。
長屋を取り巻く雑木林も変わってきた。それでも中学生くらいまでは林の中を歩けば、いろいろなものを見つけることができた。雪のときはうさぎやいたちの足跡やフンを見つけた。
1960年代半ばになると雑木林はバッサバッサと伐採され、近くの町で働く人のための住宅が作られた。それに伴い排水が増加し更に池は汚くなった。
chou.jpg 林がなくなると昆虫をはじめとするさまざまな生き物が減った。
tentomusi.gif 私が子供の頃遊んだ虫といえば、カミキリムシ、カブトムシ、鈴虫、いろいろな蝶やトンボ・・・日常見かける生き物としてはサワガニ、ザリガニ、トカゲ、蛇、セキレイ、ツバメ、りす、うさぎ・・・たくさんいたがそんなものはあっという間に姿を消した。
今の子供が遊ぶ虫にはどんなものがあるのだろうか?
ダンゴ虫だけだったりして?
野鳥を見るのが好きという方がいる。いいことです。でも野鳥を見るに三番瀬や谷津干潟あるいは皇居に行かなくても自宅から見えたほうが良いと思いませんか?

私が結婚を機にその長屋を去ってもう30年以上になる。数年前、子供の頃遊んだ池のそばを通ったとき、車を止めて池を見に行った。池は埋め立てられることなくまだあったのだが、面積は私の子供の頃の半分くらいになっていた。池のまわりは土ではなく模造石というのだろうか、そういったものできれいに整備され、水もきれいでした。周辺の家庭からの排水は下水道に行くようになり、池には雨水しかこないからでしょう。
そしてまたアシも生えておらず、人工的に維持されているのがミエミエであった。
これって生態系というより単なる人工的な水の塊ですよね。池を取り囲む周囲との相互関係はないのではないか?
生態系とは多層構造であり小さな世界がより大きな世界の一部をなすというフラクタルの積み重さなりであると思うが、その池は周りから隔絶しているように思った。
家庭からの排水は何十キロも運ばれ広域下水道で処理される。アシは生えたらすぐに刈り取るからヨシキリも住みつかず、林がないからカッコウもいないし水を飲みに来る四足生物もいない。池には人間が放流した鯉がいるだけ。子供は池では遊ばない。池に関わる生物といえば散歩に来る近所の年寄りだけなのではないだろうか?
これは独立した生態系というべきなのか? バチカンの水槽ならずバチカンの池か
といってすぐにそれを否定するのである。 
この池は実はスタンドアロンの生態系ではない。極端に言えば大きな金魚蜂なのである。池の清掃、水の管理、水草の刈り取り、藻の掃除、そういった外部からのコントロール、言い換えればエントロピを外に捨てることによって一定の状態を維持しているのだ。
私たちが子供の頃遊んだ池は、状態を維持するために全然人間が介在しなかったわけではないだろうが今池を管理するより手間はるかに少なかったに違いない。

自然のままとは人間の目から見れば荒れることであり、それは人にとってあまり心地よくないのである。
SS?
富栄養化?
BOD?
食物連鎖?
私は公害の被害を受けたこともなし、公害を発生させたこともない。しかし私は環境に関わってBOD、富栄養化、食物連鎖なんてことを学ぶ前から、生態系とはなんたるかを身をもって学んだ。
熱帯雨林の生物種が少なくなると大変だというご意見を聞く。それは地球環境問題のひとつにあげられている。
でも熱帯雨林より身近なところで生物種の減少、生物数の減少は進行している。開発とは生態系を単純化することをいうのだろうか?
しかし、私たちが失ったものの代わりに得たものはたくさんある。水道、水洗便所、家庭風呂、大量消費の生活、それは健康で快適な生活である。
真剣に環境保護したいと思うなら、今の生活を捨てなさい。
快適さを捨てることができないなら、はっきりと環境破壊と妥協すると認めなさい。

正直言って私はええカッコウして今の生活を捨て、カッコウの声を聞きたいなんては思っていない。


本日の懸念

生態系と銘打った割には、話がちゃちいぞ!
 という声が飛んできそうだ 





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