ISO後 2007.09.08

今日もバカバカしいお話である。前にも語ったあほらしい話のたぐいである。
先日、横須賀の海上自衛隊のセレモニーに行ったときのこと、途中「いそご、いそご」と耳に入った。本を読んでいたのか、うとうとしていたのかは定かではない。 takanami.gif usddg.gif
「いそご」とは「磯子」つまり駅名なのだが、私の頭はそれを「ISO後」と受け取って、しばしの間いったいどういう意味だろうかと考えてしまったのである。 
分かってしまえばそれだけのこと、なんということもないのだが、本日はその磯子という音を誤って受け止めたその後を考える。

「ISO後」とはなんだろうか?
さんざんISO第三者認証制度の不備を語ってきた私であるから、ISO認証制度の崩壊後が思い浮かんだ。あるいはISO規格そのものの、その後を意味するのだろうか?
「ISO後」というなら「ISO前」も「ISO中」もあるのだろうか?
常識的というか、万民が思いつくのは企業(ISO的に言えば組織)におけるISO9001やISO14001の認証前、認証している間、認証を止めた後ということになろうか? 現実にはISO認証を渡世の義理、税金と考えている会社も多いのでここでは認証を継続していても「ISO後」に含めるとする。
とりあえず環境ISOに限る。
つまり
(1)ISO14001認証前の環境管理
(2)ISO14001認証を目指したときから認証後数年までの環境管理
(3)ISO14001認証後数年経過以降、及び認証を辞退した後の環境管理
について論じてみよう。
なんかきっかけがいい加減である。しかしおばQの頭はこの程度である。
ISO前ISO中ISO後
ではISO14001など考えたこともない時代の環境活動を考えてみる。
ISO14001が制定される前、企業が法を守っていなかったとか、環境活動をしていなかったということはまったくない。
もちろんここでは60年代のイタイイタイ病とか水俣病のことを論じるつもりはない。そういったものは大昔の話で、80年代後半から90年頃を想定している。
当時の最大の課題はオゾン層保護であった。
今でもオゾン層保護は重要課題だとおっしゃる方、お待ちください。そりゃそうですが、今は世界的に仕組みができ、かつ対策を粛々と行っているのです。当時はオゾン層が消えたら困るけど、いったいどうしたらいいんだ? という時代だったということです。
電機メーカーは空調機の冷媒に特定フロンを使っていた。プレスメーカーや洗濯屋だって洗浄に大量の特定フロンを使っていたのでこの代替化が喫緊の課題であった。
しかしフロンの使い道は、そんなまっとうな用途だけではなかった。当時のことを覚えている人は覚えているだろう。化粧品からエアゾールスプレーの塗料などはみなフロンであった。それくらいならまだいい。おもちゃ、エアガン、びっくりスプレーなんてとんでもない用途に使われていたのである。フロンは燃えず無毒だったからもういたるところに使われていた。

またISOがないときは会社は環境法規制を守らなかったのか? といえば、もちろんそんなことはない。当時から不法投棄はあり、そういったことへの住民運動は激しかった。
豊島問題が大騒ぎになったのは90年である。

行政は企業がしっかり廃棄物処理をするように指導していた。言い換えればそのような背景がなければISO14001などは広まらなかっただろう。
そしてISOが広まった現在でも、法違反が減っていないところを見ると、ISOの効果が計り知れるのである。
要するにしっかりした企業は・・いや当たり前の企業は・・ISO14001が出現する以前から法を遵守し、環境パフォーマンスを改善(それは費用削減と同義である)に努めてきたのである。
もちろん法律を知らず、知っても守らない企業もあっただろうが、しかしそれは今も同じであり、ISO認証した企業においても公害測定データの改ざんとか違反が見つかることで明らかである。
環境事故や環境法規制違反で報道される企業はみなISO14001認証しているように感じるのは私だけだろうか?
あるいは認証していない企業はニュースにならないと判断して報道しないのだろうか?

ISO14001が制定される以前からまともな会社はちゃんと環境管理をしていたとなると、これらの会社がISO認証することによって何が改善されたのだろうか?
文書管理や記録管理がしっかりしたのだろうか? 

しっかりした企業ならば、ISO認証前と、認証してからも、そしてISO認証辞退してもないも変わらないということなのだろうか?
そもそもISO規格の18項目はいったいどのような意味があったのだろうか?(既に過去形である)
序文にあるようにすべての項目を同時に進めることはなかったともいえる。
形だけはしっかりつくったものの、有効でない内部監査を繰り返すだけなら、内部監査などせずに客観性とか四の五の言わずに職制においてしっかり管理していれば十分だったのではないだろうか。
審査員のちゃちゃに応えるために、力量を持つことを確実にするとはいったいどうすればよいのか?と悩むことはなく、単に管理者が安心できることと理解すればよかったのではないか?
部下に仕事を命じても出来が心配であるならそれは既に力量がないということだ

「ISO中」とは会社の管理本来の当たり前のことを忘れて右往左往しただけのことなのだろうか?
まあ、品質でも環境でも情報保護でも、管理ということの再確認、仕事の棚卸としての価値はあったのだろう。それはそれで意味はあったに違いない。
でも大騒ぎするほどの意味はなかったに違いない。

そう考えると、我々は「ISO中」にとどまることはなく、「ISO後」を目指してISOの規格に囚われずに自らの組織に合った管理を自らが考えて行くべきであり、そうでなければならないということだ。
それこそがマネジメントシステムの継続的改善である。
でもそれはISO規格の意図そのものである。ならばやはり「ISO後」というのはありえず、永遠にISOの意味するところを目指すことなのだろうか?
もっとも審査登録機関がそういった意図を理解し時代に追いついてこれるのか? そのような企業を審査する力量があるのか? いかがであろうか?

いやあ、磯子という駅に電車が停車したおかげで、ISOについていろいろと考えることができました。
ありがたいことです。 


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