ISO14001では環境方針を作れと要求している。
RequireとかRequirementsというのも傲慢というかふざけた表現である。官公庁でも顧客でもないのに要求とはなんだ? と感じるのは私だけでしょうか?
まあ、これも渡世の義理、文句を言ってもしょうがない。
環境方針を作れといっても好き勝手に・・・いえ、社長の熱い思いで・・・環境方針を書いてもだめなんだそうな・・・
実際に知り合いのところで社長が「なぜワシの書いた方針ではだめなんだあ〜」というのを必死に説得したと事務局から聞いたことがある。
正直言って、私は社長の方が正しいような気がする。それについては最後に語る。
ISO14001規格4.2項で環境方針の具備する要件を羅列している。
規格を読んでみると、規格で要求していることを方針に記述できるか否か? 実現可能か否か? と疑問に思うものもある。
規格に書いてある文言にあわせようとするために、どこの会社の環境方針も似たようなものとなっているのが事実である。ISO規格に合わせて標準化された
(皮肉です)マスプロ製品のような環境方針がその会社の環境行動の骨となるのか疑問である。
ISO審査が始まった頃には、環境方針が規格を満たしていないという不適合がたくさんあった。はたして方針の不適合というのがあるのか? と疑問に思う。
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最近は方針が要件を満たしていないという不適合はあまり聞かない。
想像であるが、これは審査というにはあまりにも簡単で楽で金がもらえないと審査員も考えたのだろう。だってせいぜいがA4で1ページの環境方針の単語と規格の文言を比較して過不足を見るだけなら子供にでもできる。いやソフトを組めば一瞬である。
それとシステムがまずいとか手順不足と言っても受査企業の顔をつぶさないが、社長の書いた方針にケチをつけたら「帰れ!」と怒鳴られる危険性があると思ったのかもしれない。
もちろん審査を受ける会社側が審査員の好みに合わせて環境方針を書くようになったこともある。
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- a) 組織の活動、製品及びサービスの、性質、規模及び環境影響に対して適切である。
身の丈にあったものであることという意図は分かるが、どのような言い回し、内容なら適切なのか?何を持って良いか悪いかを判断するのかは困難である。
規格制定時に言い回しがあいまいというか確認が困難であると議論があったと聞く。(cf.「ISO14001:2004要求事項の解説」寺田博・吉田敬史 共著)
いったいどこまで言及すれば、あるいは記述すれば規格を満たすのかは分からない。
非製造業においても「紙ゴミ電気」だけでは満たしていないとは思うが、たとえそうであったとしても満たしていないことを立証することは困難である。だって他の項番のように「文書化」とか「記録を残す」とあれば適合・不適合の判定はできるが、「適切である」というのは判断しようがない。
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「文書化してますか?」と聞かれたら【文書】を出さないと不適合だが、「適切ですか?」と聞かれたら【適切です】と答えるしかない。
適切であることを証明することはできない。せいぜいが「適切でなければ倒産してますよ」と切り返すくらいではないか?
更にその論理を進めれば、環境事故を起こさず、環境犯罪を犯さず、会社の業績が良いならばISO規格を満たしているかそれ以上であることに間違いなく、環境事故を起こしたり、環境犯罪を犯したり、会社の業績が悪いならばISO規格を満たしていようがいまいが問題児であることは間違いない。
ではISO規格の適合審査の意味とは・・・禁じ手であるので止めよう
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いずれにせよこの項番で「不適合」にするのは困難であろう。審査員が不適合を立証する証拠を提示できるとは思えない。
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裁判は原告(あるいは検察)を裁くのか、被告(あるいは被告人)を裁くのかといえば、原告の証拠と論理を裁いているのである。立証責任は訴える側にあるのだから。
民事訴訟においては双方が実質的には原告であって、一方が形式上原告になっているケース(ダジャレです)もある。
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- b) 継続的改善及び汚染の予防に関するコミットメントを含む
単に方針の中に環境負荷改善を進める程度の文言があればよいのか? テーマを盛込むことが必須か? 何も書かなくても良いのか? はいろいろな解釈がある。これに対応する文言がなくても良いとする解釈もある。
ホームページや環境報告書をながめると「継続的改善及び汚染の予防に努めます」とオウム返しに書いた方針が多いが、そうではなく「私たちは有機溶剤の廃止に向けて活動する」と書くのも適正である。
- c) 組織の環境側面に関係して適用可能な法的要求事項及び組織が同意するその他の要求事項を順守するコミットメントを含む。
法律は守るのが当たり前で、改めて法を守りますというのはおかしい。その他の要求事項にしても明白に適用を受けるものを守らないと決めることはできない。ただ一般的に「遵法」に務める旨の記述が欲しいとされている。
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聞くところによると、日本は性善説、欧州は性悪説で社会ができており、年少者の労働をさせないなんて日本では当たり前というかありえないことであっても表明するのが一般的というか必要なことらしい。
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- d) 環境目的及び目標の設定及びレビューのための枠組みを与える。
b)項はコミットするだけで、d)項は仕組みを言っているという解釈もあるが、現実に環境方針を書く場合にはb)項との違いは明確でない。というかこの二つを合わせた文章となるのではないだろうか?
- e) 文書化され、実行され、維持される。
- f) 組織で働く又は組織のために働くすべての人に周知される。
★★周知とはこちらを参照
- g) 一般の人々が入手可能である。
e) f) g)項についても、ほとんどの会社は方針にこれらに対応する文言を盛り込んでいるが、これらは環境方針の具備する要件ではなく、方針がそのように運用されることを求めている。だから方針の中に記述する必要はない。
しかし盛り込むことを要求する審査員はいる。人さまざまである
まあ、これが世の中一般の理解なのだが、こんなものが環境方針でいいのかと私は疑問を感じている。
すべての会社にはISO対応のバーチャル経営者ではないその会社の真の経営者
(社長・CEO)が自分の会社の事業に対する思いを込めた会社の理念、社是というのがあるはずだ。
それを当面の課題に展開したものが会社の方針であろうと思う。その方針には売り上げや利益拡大もある、社員の賃金や労働安全も、取引先との共存共栄もある、品質、個人情報も企業機密も、輸管・下請法・公取法・知的財産権などの倫理遵法も、そして環境配慮も網羅しているだろう。それを環境方針であるとするのがあるべき姿であろうとおもう。
もしそういった真の経営者の方針にいちゃもんをつける審査員がいたならば、そりゃ社長が教え諭さねばならない。
あるいは一言「君は会社経営をしたことがあるのか?」と言うべきだろう。
それとも「帰れ!」と言うのもある
いたちの最後っ屁であるが、
このような経営全般の中での第三者認証というものの位置づけを考えたとき、「経営に寄与する審査を行います」と語る度胸と自信のある審査機関と審査員はいるものだろうか?・・・・反語である
本日の確認
環境方針は経営者の熱い思いである。
規格通りじゃ悲しいじゃないか
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