20条3項 2002.04.15
「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」

前項と同じくこの条項で問題となるのは、『宗教上の行為』の範囲です。
「宗教上の行為」とはなんでしょうか?「宗教」とは何でしょうか?
とくだらないことを書き連ねてきましたが、人間から宗教を取り除いたら「動物」が残るだけじゃありませんか?

この条文がいう「宗教」とは日本に染み付いている慣習を意味したのでなく、西洋的な意味の宗教を意図したものです。(断言)
かつ、元々の意味は「国教を定めない」ことや「進化論を教えてはいけないと決めてはいけない」というようなことだと理解します。

逆説的に言えば、

本当に無宗教の人が道徳や公徳心を教えたり、理解したりできるでしょうか?

首相になった方は、日本と日本人に対して、誠心誠意最善を尽くすことを誓わなければなりませんが、そのとき「誓う神は何でもいいよ」ということがこの条項の本来の趣旨でしょう。
無宗教の人は、この時誓うべきなにものもなく、信頼できないことは明らかです。

健やかなときも、病めるときも互いに愛し助け合うことを誓います 「私は無宗教だ!」という方すべてが無節操で倫理観がない方とは申しません。しかし、無宗教というのは事実と異なるはずです。
きっと、自分なりの価値観を持っているはずです。
要するに自分独自の宗教を持っているということに過ぎません。

反論するなら、お聞きしましょう。

裁判所で宣誓するとき、あなたは何に誓うのでしょうか?
結婚するとき、あなたは結婚する相手を幸せにすると誰に誓うのでしょうか?
最近は人前結婚式といって、参加者に約束するものもあります。
これって、神様に誓うより、破っても罪の意識は持たないでしょうね。


誤解を生まないようにするために本項の改正を提案します

国およびその機関は国教を定めてはならず、特定の宗教に利便を図ってはならない。




Yosh様から(2002.04.14)from U.S.A
無宗教も宗教のうち?
雑感。当地の病院に入院致した時の事ですが。宗教を尋ねられました。
その病院はキャソリツクの病院です。尋ねる理由を聞きますと患者の宗教を知る事で病院に居る間その患者の宗教に適応した補助を差し伸べるのに必要であると言う様な返事でした。
南米の或る国に入国する際に官憲から宗教は何かと尋ねられると言う事です。宗教は無いと答えると其の人の人格を疑われるそうです,
これらの例では足りないかも知れませんが。何処そこの宗教を信じなければならないのでは無く。各人何かの信仰心をもたなければならないと言う事が必要だと思います。
どの宗教が一番だとかあそこの宗教は駄目とかを議論することが全ての間違いを引き起こしそれを政治問題にしたりするのではないでしょうか。宗教の相違を人格の相違に結びつけてはならないのです。
良心の自由、信仰心の自由は自分をrespectする事、他の人をrespectする事を基本にした上で考慮すれば少しは違つた世の中が生じるのではないかと思います。ごめんなさいこの場合のrespectの日本語の適当なものが判りませんので。

いつもお便りありがとうございます。
respectとは大事にするとか尊重するとかということでしょうか?
おっしゃるとおりですね、人はそれぞれ信じるところがあります。誰もがお互いの宗教を尊重し、思いやることは現在社会では当然のことです。
ただ、この条文の字面だけ読んで宗教的な行為はイカンと言っているのでは困ります。
現在の日本では極端にいっておりまして、物議をかもしています。
日本的な慣習はもはや宗教ではなく、公的にも尊重すべきだと考えますが・・・




尊敬するSe=Nsei様から(2002.04.17)
神道が国教で良いような気が
天皇制がある以上、名目上は神道を国教とするのが自然な気がします。英国国教会という例もあることですし。
信教の自由が保障されていれば、それで良いのでは?

Se=Nsei様、
ご無沙汰しております。
お便りありがとうございます。
神道を国教にですか?ギョエ〜、大胆なご意見ですね!
私なら口が裂けてもいえない意見です。(本当です)
まずはじめに、神道が宗教か否かという検証が必要でしょうね。
単純な自然崇拝なのか、人生の道を示し他を排斥する強烈さを持つ宗教なのか?
弱気ですが、ご賛同いたしかねると申し上げておきます。





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