第59条4項 (2005.01.09)
「議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。」


ちなみに日本語の「みなす」とは「・・・であると認識すること」あるいは「・・・と仮に定める」ことであるが、この文章では「できる」が付いているのだから一意的に決まらない。
うーん、「みなすことができる」ということは「みなさなくてはならない」わけではなく「みなさなくてもよい」ことになる。

そこのところを具体的に法律で決めているのかどうか? とみてみると
国会法(昭和22年4月30日法律第79号)
第八十三条の三第1項  衆議院は、日本国憲法第五十九条第四項 の規定により、参議院が法律案を否決したものとみなしたときは、その旨を参議院に通知する。


なんや、堂々巡りみたいです。
司法試験の参考書に、「第4項の定める場合には、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなす議決をして第2項の手続きをとることができる」とありました。
この「議決云々」についての根拠・出典はどこなのでしょうか?
ご存じの方教えてください。
quest.gif 法令データ提供システムからはその文言のある法令にたどり着きませんでした。
基本的な事項は法令(法律・施行令・省令あるいは府令)で決めなければ、<裁量行政>といいまして芳しくありません。中国の人治主義を連想してしまいます。 
法令以外の手続きなどを決めたものとしては、告示、通知、要綱などがありますが、最近はこれらによって行政を行うことがとみに批判の対象となっています。
そうだ英文はどうなのだろう??
該当箇所の原文(日本国憲法の原文は英語なのですよ)は下記のとおりです。
Failure by the House of Councillors to take final action within sixty (60) days after receipt of a bill passed by the House of Representatives, time in recess excepted, may be determined by the House of Representatives to constitute a rejection of the said bill by the House of Councillors.
英文の場合も「may be」がありますので断定ではありません。
いったい「看做す」べきなのか「看做さないべきなのか」どうして決めるのでしょうか?
ハムレットの悩みは尽きそうもありません。

マッカーサー草案ではどうだったのか?
なんて考えることはありません。
マッカーサー草案では一院制ですからね 

アメリカ憲法では? なんてこれまた考える必要はありません。
アメリカ憲法では両院が同権ですからそんな規定はありません。


本日のまとめ

日本国憲法は文学的表現、風流であいまいな言い回しのテキストとしては大変参考になります。
ビジネス文書あるいは会社規則、特にISO対応の文書のテキストとしては決して使ってはいけません。


本日の条項の下位規定をご存じの方はぜひご教示願います。




JKL様からお便りを頂きました(05.05.14)
間違い
ちなみに日本語の「みなす」とは「・・・であると認識すること」あるいは「・・・と仮に定める」ことであるが、この文章では「できる」が付いているのだから一意的に決まらない。
「みなす」の意味が間違っています。「みなす」は「事実に関係なく・・・と決定する」という強い意味であって、「・・・と仮に定める」という曖昧な意味はありません。(それは「推定」になる)

これは基礎的な間違いです。基礎知識の間違いは全ての間違いに繋がります。

他の文書を読んでも、どうも、「法律の読み方」とか「解釈の仕方」がよくお解りでないように感じました。

法哲学を勉強しろという理由が知りたいものです。
ということですが、言葉の意味すら間違って理解しているのでは、話になりません。

憲法を論ずるのも、司法試験の参考書を読むのも結構ですが、それ以前に「勉強する理由がわからない」法(哲)学の基礎でも勉強された方がよろしいでしょう。「みなす」と「推定」の違いは法学部の1年生で習う基礎です。

これはちょっと恥ずかしい間違いですよ。

JKL様、ご指導ありがとうございます。
まず「みなす」という意味ですが、私は一応広辞苑から引用しています。
それと、この憲法はもともと英文で、原文は may be determine です。
determined は to decide something officially → 「公式に何かを決める」であって大騒ぎするような語義の違いもないでしょう。

私が疑義を提示している論点は「ことができる」についてです。
「みなす」の語義でも、法学部で習うも習わないも関係なさそうです。


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