法律の読み方、憲法の読み方 2004.05.15
以前、憲法と法令の整合性という拙文を書きましたが、本日はその続きということで・・・
私が憲法についてメチャクチャ書いているので、いろいろな方からご指導と言いますか、オマエ間違ってるぞ!てなご意見をいただきます。
憲法を読むには法哲学という学問を学ぶ必要とか、思想史を知らんとならんとか・・・・小難しい作法があるそうです。
たかが日本国憲法を読むのにそのようなたいそれた勉学が必要なのでしょうか?(反語です)

私が法律なんてのに関わったのは・・・・映画ですとフェーズアウトするところです 
  • 自動車の運転免許
    私のオヤジは軍隊で自動車部隊でありました。芸は身を助けると言いますが、我が家はオヤジの運転免許のおかげで終戦直後を行き抜いたのであります。
    car.jpg 私が中学生のときオヤジはポンコツで動かないスバル360を買ってきまして、それを修理して乗っていました。我が家は貧乏でしたがモータリゼーションは日本最前線を行ってたわけです。 
    なにしろ普通の人なら動かせないしろもの(くろもの?)でした。スピードメーターが動かないので中学生の私がスピードメーターのワイヤーを交換し、メーターをばらして組み直し油をさしたら動くようになりました。
    今の車のスピードメーターはトランスミッションあたりの回転数を測ります。スバルは左前輪のハブからワイヤーで直接メーターまでひっぱってきていました。当然ですが前輪はハンドルで左右に向きを変えますから、このワイヤーが非常に切れやすかったのです。
    私が修理した結果なんと時速80キロまで示すようになりました。もちろんポンコツのスバルがそんなスピードが出るわけありません。単に狂っていただけです。
    私が車庫入れで雨戸の戸袋にぶつけてフェンダーをへこましたときは、ジャッキでフェンダーを広げて、前輪が回るようにしました。(オヤジは叱りませんでした)
    デストリビューターが壊れたときはオヤジが針金でしばって直しました。
    そんな車なら車検に通るはずがないとおっしゃいますか?
    車検という制度ができたのはそれから後のことです。当時の車はしょっちゅう壊れるので自動車修理屋というのはもうかったのです。ところが60年代後半になると車の性能・品質が向上し、壊れなくなり、修理屋が干上がりました。修理屋の救済策として車検制度ができたと聞きます。(真偽は知りません)
    オヤジは私を朝早く起こして人家のないところで運転を(強制的に)教えてくれました。当時の車はマニュアルトランスミッションなのはもちろんシンクロメッシュではありません。増速するにも減速するにもダブルクラッチをつかわないとギアがはじかれてしまいます。免許をとるために自動車学校に行ったら(当時、軽免許は16歳で取れたのです)「あなたは初めてではないでしょう」といわれました。
    もちろん交通法規も見よう見まねで覚えました。というわけで道交法を勉強したことはなし!
    お怒りにならないように!
    40年以上前の田舎では運転免許を持った人が同乗していれば仮免がなくとも練習中という理屈が通ったのです。
    もっとも16歳未満にその理屈が通ったのか?は謎です。
  • 危険物取扱者の試験
    消防署の講習会に行きました。
    入り口でテキストを売っておりまして、これを買います。講習会場では消防署員が「何ページ上から何行目に赤線を引きなさい、次にその3行下に赤線を引くこと」なんてことばかり、勉強なんて教えませんよ、
    そして数週間後の試験までにアンダーラインを引いたところを記憶しておけばおしまい、
    消防法とか消防法施行規則なんて勉強した記憶がありません。

  • アマチュア無線
    初めて電話級の試験を受けたとき、法律の教本を買って1ページから読んでいたら、友人が「おまえ、なにしてんの?これを読めや」といって譲ってくれたのが「完全丸暗記」(当時略してカンマルといった)というタイトルの文庫本サイズの本
    それを数回読んで試験を受けたらそこからだけ問題が出ました。
という人生でしたので、まあほとんど法律と関わりはなかったのです。
人生の変わり目が40歳の頃にきまして、品質保証というお仕事に就きました。品質保証といってもさまざまでしょうが、そのときは薬事法というものに関わりました。薬事法というのは薬を作ったり、売ったりすることの規制なのですが、医療用具の製造に関しても決めています。医療用具といっても大げさなもんじゃなく綿棒とか副木(骨折したときの当て木)などもこの法律の規制を受けるのです。そして下請けで袋詰めなどをするだけでも医療用具の製造の認可を得ないと仕事ができません。
その職場には薬事法の権化というべき人物がいましてね、この人がまた講釈を語るの、なんの・・・それが嫌でしたね 
実はこの方はあまり法律を読んでいないのです。経験の積み重ねによって法律の規制を覚えてきたのです。 私は人に頭を下げるのが嫌いでして・・・そのようなお方のご高説をありがたく聞くのが耐えられませんでした。かつその方の話が怪しいと感じていたのです。でもって、薬事法の本を買ってきました。薬剤師のための本なんていくらでもありますもんね、薬事法を第1条から付則まで読むと、法律だけでは足りなくて施行令を知る必要があることが分かりました。施行令を読んでいると更に省令を読む必要があることを知りました。

そこで『アッツ』と気づいたのです。

法律というものはまさしく図面と同じ体系であるということです。
一つの製品を作るには完成状態を示す組立図があり、それをばらした部分組立図があり、その部品図があり、購入部品のためには購入仕様書があるという図面構成と文書体系というハイラルキーはまったく同じなのです。
f14.jpg それを知った瞬間、なんだ法律を勉強するということは簡単だと思いましたね、
そして各条項がどういった関係にあるか、下位文書とどういう関係にあるかを知る方法を身につけるとこれはもう図面を読むのとまったく同じことです。
「法律を理解するのは難しいね、施行令に飛んだり定義がほかの法律を引用していたり、いちいち追いかけるのが大変だ」なんておっしゃる方がいます。図面だって寸法や材質を知りたければ組立図、部品図、JIS規格と追いかけていかなくてはなりません。関係図面を追いかけていく習慣が身についていると関係文書を参照することは苦にならないのです。
で、話は戻ります。私は薬事法で医療用具に関する部分は法律・施行令・省令・告示・通達とあらましを頭に入れてしまいました。例のおじさんはいまだ過去の経験でしか語れず 

その後、ISO9001というものに出会いました。ISO規格というのは文章ですが、文系よりも図面を読んでいる人のほうが理解しやすいのは間違いありません。
図面もISO規格も「書かれたものがすべて」
行間を読めとか、作者は何を言いたいか?なんてことはありません。機械の図面に書かれた加工精度は誰にでも同じに理解されなくてはならないのと同じく、すべての条文は誰が読んでも同じ意味に理解されなくてはならないのです。
もし設計者の考えを図面に書き込めなかったならば、それは図面が悪いのであり読図者が悪いのではありません。(機械製図工で人生のスタートを切った私が言うのですから間違いはないでしょう)
ISO規格も一旦イッシューされてしまえば、ISO委員がどう言おうとそんなことは意味を持たず、規格文言のみが国際的に通用します。

さて、法律の話でした。
当時のISO9001(87年版)はあまり法規制とのかかわりはありませんでした。でもISO14001(1996)になりますと法規制との関わりは重要です。環境関連法律というものを片っ端から読む必要に迫られました。
何か困ることがあったか?

ありません。

環境法規制といっても公害、危険物、省エネ、廃棄物などなど多岐にわたるのですが、いずれも文章を読めば理解できるようにできています。
もちろん、法律だけでなく下位文書までたどるは必要ですが

憲法を理解するには○○を勉強しろとか、法律を読めとかいうお便りも頂きます。

ホウ?

あなたひょっとすると、法律を読んだことがないのでしょうか?
日本の法律を読み理解するにも憲法を読む必要もなく他の法律を参考にする必要もありません。その条文、第一条から付則までをひたすら繰り返し繰り返し読むことです。もちろん引用(参照ではありません)している他の法律を読むのは当然です。
まったく同じく、ISO規格を理解するには他になにも勉強する必要はありません(断言)
その代わり、ひたすら規格の文言を一字一句、辞書(英英辞典)を引き引き読み、コンマやピリオドの位置、修飾のかかる部分、定冠詞や不定冠詞の違いを読み取ることが必要です。



さて、いつものように駄文を重ねてきましたがまとめでございます。


法の理屈があって、法律があるんじゃありません。
エジプトの時代から人々が契約するなかで言い回し、あるいは文章構成などなど法律とはいかにあるべきか考えられてきて、それが集大成され理屈となったにすぎません。法律を理解するのに国語力、論理的な考え方以外必要ないと私は考える。
日本国憲法を読むのに、憲法ができた以後に制定された法令を読まないと理解できないとか、法哲学を勉強しろという理由が知りたいものです。
先日の読売新聞憲法改正案を読みましても、法哲学の必要性は・・・・なさそうです。





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