ご意見を頂きました(その27) 2003.07.20
クレーン様よりお便りをいただきました。(2003.07.20)

気分を悪くなさらないでください
判例を持ち出すことはもってのほか!のように書かれてますが、あえて、その点について、一言言わせていただきます。すみません。
法というものは、飾っておくものではありません。法は活用されてなんぼのものです。法が活用される、生きた法というものが、判例です。
法は一度制定されれば、長く活用されます。そのため、法の文言はあえて抽象的に作られます(「検閲」の意味などは、抽象的とお思いでしょう?)。立法権が大枠を作り、司法(行政)が枠内で活用(適用)していくわけです。
なにを言いたいのか、といいますと、そういう解釈の範囲のあるものを、「正しい解釈はこうだ」といっても、それこそが無意味ということです。
解釈には幅がある。そして、最初からそれは予定されています。
問題は、それが、実際にはどのように活用されているのか、また、今後、どのように活用されていくのか、です。つまり、判例が中心であるわけです。判例を無視しての解釈などは、なんの意味ももちません。文言だけを追う、ということは、ある意味、生命のない法の追求です。判例こそが命の宿る法といえると思います。これでは、全否定のようになってしまいますが、いまや、判例を無視して憲法は語れません。
なお、判例であれ、学説であれ、文言のみでの解釈は、一切なされていません。価値判断が前提にあります。先の検閲でいえば、検閲主体は行政権か、国家権力か?文言ではどちらも可能なわけです。ここで、行政権にする見解は、その絶対的禁止を貫くべきだ、とする価値判断を下しているわけです。
話がごちゃごちゃしてしまいましたが、@判例を無視するのは、生きた法を無視することになる、A文言の追求は無意味(もともと許容範囲は広いのだから)、B価値判断こそが重要、ということです。あと、少しつけたすと、生きた法を知らずに、改憲・護憲を主張するのは(あなたがどうかはしりませんが)、法を学んだものから見ると、やや首を傾げたくなります。「ここがおかしい」というのが、そうでもなかったりするんです。実際には。改正しなくとも、可能な場合もあります。抽象的ですが。
また、押し付け憲法で、日本に馴染んでいないから改憲だ、という主張もありますが、改憲しても馴染まないでしょう。勉強しない人は、改憲しても勉強しないでしょうから。約60年存在して、「馴染まない」ほどひどい憲法ではないでしょう。
まあ細かい話は、いくらでもつづいてしまうので、このあたりにしておきます。憲法に興味があるのであらば、失礼ながら、言葉遊びではなく、実際にはどのように使われているのか、それが妥当か、不当か、という点に力を注がれる方が有益だとおもいますよ。
あと、もう少し、よい本をお読みになったほうが・・・
法律関係の本には、「遊び」の本と、一人の人間が人生を捧げて書き上げた「本気」の本があります。あなたのお読みになったという本のなかには、後者の本は一冊もありませんでした。もし気分を害されたら、すみません。憲法に限らず、法は相当に高度な知的営みです。それゆえ、一般の方にはわかりにくいものですが、本気で勉強すれば、それなりには理解できるものです。そういう段階になれば、世界は広がると思います。
言い方は悪いですが、「空想から現実へ」といった感じです。
なお、あなたの方法は感心しませんが(文言にのみこだわる)、意気込みは立派だと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。失礼がありましたら、お許しを。

ご指導ありがとうございまう。
おっしゃることは正しいと思います。
まあ、ひと言言わせてください。
私はなぜ憲法に関してグダグダ書いているのか?
oldman1.gif お断りしますが、私は思いつきで書いてはおりません。私は私の信念を憲法をタネに書いているだけです。
我が祖国 日本よこうあれ!と願って憲法をだしに書いているわけです。
「平和憲法をまもれ」とか「護憲」と唱えている人をみると反吐がでます。
そういった人をご批判させていただくために憲法の条文を基にいいたいことを書いております。

純粋に憲法を論じたい方はどうぞ論じてください。
なお、あなたが考えているような本や司法試験の参考書も読んでおります。でもあまりそれらに感動しておりません。

それから私も気を悪くしませんが、あなたも私の文章を読んでも気を悪くなさらないでね、
あなたが憲法についてどう考えるかではなく、あなたが日本の社会をどう考えているか?をお聞きしたいです。


おっと、ところで、
私が多々取り上げている誤訳や意味不明箇所について、あなたはいかがお考えなのでしょうか?

とりあえず、裁判官の定年を憲法で定めることの妥当性とか必然性についてご教示いただけたらうれしいですが 





クラークY様よりご意見を頂きました。(2003.07.22)

クレーン氏の認識について

佐為様 ご無沙汰しています。クラークYです。
いつも楽しんで貴ページを拝見させていただいております。
早速ながら 7.20付け クレーンさんの投稿を見ていくつか引っかかる点があり、しかも氏が法律を学んだ、と言っていることから、つい一言言いたくなって、投稿させていただきました。

クレーン氏の発言を読み、少しばかり発言したくなりましたので、お許しを願います。
文中で 『法を学んだものから見ると、・・・』 という発言が見られますので、それなりに勉強された方とお見受けいたしますが、全体の感想として、法というものの理解がかなり奇異な感じで、少々疑問を持ちました。
氏の第一の主張である、判例こそ生きた法、という考え方は、法の運用における技術論に囚われているように思います。判例というものは所詮条文の適用例集に過ぎないものであって、その法の枠内でしか意味を持たない、と考えます。
従って条文そのものの妥当性、必然性を考える上では参考程度でしょう。個々の司法の現場において、判例をベースに作業を進めることは、一般にも知られていることであり、特に異論はありませんが、判例こそが法というというのは現場マニュアルとしての表現であって、法の本質からはずれているように思います。
例えばある明治時代から生きている法があったとして、明治の判例をもって現代の判決を規定できるでしょうか。やはりその法の主旨と条文に戻ってしか、正当な司法判断は難しいのではないでしょうか。
また、氏が次に言われた、法の文言はあえて抽象的に作られる、という理解も抽象と一般を混同された誤解のように思われます。個々の法の種類によっては、文言が抽象的にならざるを得ないものもあるでしょう。
しかし大部分は日本語の読解力があればその意味が分かる程度のものと理解します。まして、日本国憲法は日本語としては悪文の範疇であり、意味不明や大上段の表現は見られるものの、全体として抽象的というのは当たらないと思われます。
さらに、条文の解釈には幅があることが最初から予定されている、と言う発言は、かなり奇異なものであり、もし本当にそう信じておられるとすれば、余程変わった先生に付かれたか、または怪しげな教科書を読まれたのではないでしょうか。法という成文規定が個々の事例を記述しないことは当然であり、一般化した表現規定を持って文書化され、その個々の事例への適用に当たっては、司法による常識に基づいて行われるものであることは、子供にも分かる理屈です。これは刑法の罰則規定とその適用を想像してみれば、よりはっきり理解できるでしょう。
条文の解釈に幅があるのではないのです。条文の適用において司法の常識的な裁量が必要なのです。
別の言葉で言えば、もし人によって解釈に幅が出るような法は、法の下の平等という法治思想そのものに照らしても欠陥法であって、それは悪法と考えるべきでしょう。
氏の言われる『文言の追求は無意味』、『価値判断こそが重要』という主張は、今度は学問世界からの切り口のようですが、何を言わんとしているのかよく分かりません。
例えば、司法の分野における法への態度から言えば、あくまでも条文に沿って(判例は参考としてもよいが)、その時点における最も常識とされる健全な判断こそが求められるのであって、その法または条文自体に対する個人の価値判断などは有害でしかありません。司法の基本の一つは悪法もまた法であるはずです。
また、この文言を単に国民が憲法などを読み解く際の心構えとして、法律を勉強された先達として言っておられるとすれば、なるほどそれも一つのご意見というところでしょうが、それならば少々独善の匂いがします。
氏が言われるような、『憲法に限らず、法は相当に高度で知的な営みです。それゆえ、一般の方には分かり難いもの・・・・・・・』、という物言いは、一般社会の本質を見る知的水準というものをご存知ないか、または余りに判例を勉強し過ぎてお疲れのご様子かと、受け取らせていただきました。
クラークY様、コメントありがとうございます。
何事もいろいろな考え方、いろいろな方向からの見方があって良いと思います。
私は「判例は意味がない!」と語ってはおりません。
判例にこだわらないと言っているだけです。そのへんが誤解のもとかもしれません。
某板で「法哲学を学びもせんで法律を語るな!」と言われたことがあります。
私もそれに懲りず学もないのに憲法を語っているのですから無知蒙昧と言われても反論しようもありません。

但し、国会で裁判所で新聞社同士が「憲法違反だ!」「合憲だ!」と論争しているのですから、私レベルが発言して悪いということはないと確信しております。
無知蒙昧であっても裸の王様にでてくる子供のように思ったことを発言する権利を有するはずです。
本当は王様はすばらしい衣服を着ているかもしれません。
無知な子供はそれを見ることができなかったのかもしれません。

あるいは王様が裸なのかもしれません。

いずれにしても発言する権利(というより自由)はあります。
ぜひクレーン様もクラークY様も自分の意見を発言してください。

お断りしておきますが、ここで書いていることはすべて私の頭で考えたことで権威者の引用とか師から聞いたことを書いているわけじゃありません。
またよろしくお願いします。





IQ88様のコメントです。(2003.07.22)
これは掲示板への書き込みから引用です。

佐為さん、お久しぶりです。IQ88です。
時々、貴殿のHPを読ませていただいておりますが、あいも変わらずお元気で何よりです。

「何っ!憲法には、最高裁判事の定年が定められてるのに、他の職業の定年には触れていない?」
初耳でビックリしました(半分しか見てないのがバレタ?)が、まさか憲法にそんな片手落ちがあるはずはない!との思いと同時にこれは何か深い意味が・・・と考えてしまいました。

長くなるので結論だけ。
日本国憲法は、三権分立を規定している。行政権及び立法権の権限者(?)は、選挙で当選しないといけないので、別に憲法で定年を定めるまでもなく、国民の眼を信じたが、司法権のトップである最高裁判事については、似たような制度は作ったが、それでは不十分と思ったので、あえて憲法にその規定を定めた。その他の職業に定年を定めなかったのは、憲法だし、面倒くさいから。

こんなんで如何でしょうか?なにせ思いつきなので、本当の答えについて私も興味あります。
Cさんのご回答お待ち申し上げます。
しかし、佐為さんはイタズラがお上手なんだから・・・定年も関係なさそうだし・・・・(笑)。
お互いの立場の違いだけなんですけど、どっちも正しいとは思いますが、Cさんはこれにめげず佐為さんと意見交換してもらいたいものです。そうすれば、このHPはもっと面白くなるでしょう。

横レス失礼致しました。何卒、ご容赦の程お願いいたします。
なるほど! そう言われるとまじめにそういう気がいたしました。
そうしますと、議員に定年を定めようという各党の動きはまさに 憲法違反の言語道断! となりましょうか?

憲法の条文をよく見ていけばまあ、誤訳とか恣意訳と言えるものが多々ありそうです。
それをほおっておいて憲法論もあるまいというのが実感です。
今後ともご指導願います。


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