日本国憲法はスバラシイ・・ものか 2007.04.21

私が子供の頃、1950年代なかばから60年頃の話である。
いつの時代でも子供は乗り物が大好きです。でも、当時の国産乗用車は、もうカッコウが悪くて子供たちのあこがれにはなりませんでした。だから外車・・・アメリカ製・・・があこがれでした。
当時は現在より走っている車の多くは外車(アメ車)であり、田舎でも金持ちや医者はアメ車に乗ってました。もちろん当時は金持ち以外は車がもてない時代です。ともかく自分のものではなくても外車は今より身近な存在でした。
ちなみに当時のヨーロッパ車といえば、ルノーとかオースチンとかヒルマンとかワーゲンもありました。タクシーもそういった車種でした。ベンツやベーエムベーはありませんでした。
我々子供は、アメリカの車はかっこいいと思っていた。車体が低くスマートだから。今の感覚からすればFRでプロペラシャフトが斜体の真ん中を通っているし、独立懸架でもなく、OHVで、まあ原始的な構造であったのであったのですが。
car.jpg 私はオヤジにせがんで「世界の自動車」という本を買ってもらった。その本にはそれこそ世界中の乗用車の写真が載っている本で、実物の車に縁のない子供のわたしにとってはまさにバイブルであった。
スペック表が後ろについていた。その本を何度も何度も読み返した。そして、はたと気づいたことがあった。
アメリカの車は実は車体が低くなかったのである。ほとんどのアメ車は車高が150センチ以上はあったのだ。じゃあ、どうしてスマートに見えるのか?
簡単である。車が大きいからである。
当時の国産車は車幅が1.5mとかせいぜいが1.6mである。長さも4mくらいだった。それに比べて幅が2m長さが5mを越えるアメ車の車高が同じなら、比率からいってアメ車がかっこよく見えるのは当然だ。
私はかっこいいということは相対的であるということがわかった。
車に限らない。シュラポアがスマートだと思っている方がいらっしゃるだろうか? 彼女を良く見ればけっこう胴が太いのだ。でも全体的にはスタイルがよい。これって結局縦横比の問題だよね。

ここで、話はパット変る。
この世に絶対なんて絶対にない。すべてのものは相対化される。憲法もしかり。
日本の憲法を論じる時、日本国憲法だけをとらえて理想だ、叡智だと叫んでも意味がないのではないか?
いや、正確に言えば意味がないのです。日本国憲法だけを読んでも、日本国憲法を評価できない。
日本国憲法がすばらしいというのなら、どこがどのようにすばらしいかを比較憲法論とまではいわないが、いろいろな角度から見てからでないと語ってはいけないということになる。
「アメ車はカッコイイナア」と語るのは良いが、「アメ車は車高が低い」と思うのは間違いであるように、「日本国憲法は国民主権だ」と語るのは良いが、「日本国憲法はスバラシイ」と語るには語るに足る根拠がいる。
根拠なく断ずるのは監査の世界ではご法度、いえどんな分野においても禁じ手です。

言い換えると、ある人が日本国憲法をどのように評価したかによって、その方の見識が測られるのではないか? と思う。 日本国憲法を読んで、得られた情報から発言しているなら、その人の頭の中は正常だと思うし、憲法に書かれていないことを語ったり、更には書かれていないことを称える人の頭の中は正常ではないのではないだろうか?

では、どんな人がどんなことを語っているのか? ということを考えた。
憲法を評して語った言葉
発言者
おばQジジイのコメント
名文である
井上ひさし
小田実
私は憲法に文学性を求めるつもりはない。 
人類の理想への道しるべ
きたがわてつ
人類の理想とは大きく出た。日本人の理想でなく人類の理想であるならば、最大人口を抱える中国において早急に実現する必要があります。
社会民主党の存在を賭けて守りぬく
土井たか子
右左、立場は異なっても玉砕精神は変わらず 
社会民主党崩壊の時には日本国憲法も崩壊するということでしょうか?
日本国憲法前文ほど、信念にあふれ、力強く美しい日本語はない
美的感覚が相当違いますね!
「日本国憲法は、詩のように区切って読むと読みやすいし分かりやすい」
どう区切っても読みにくく分かりにくいことに100クレジット賭けましょう。
ところで読みやすい憲法に価値があるとでも?
日本国憲法前文・第九条は、世界連邦を想定することによって、はじめて現実的に可能なものとなります。言い換えるなら、前文・第九条に謳われた理想に現実を近づけることが世界連邦の実現に向かうことにもなるわけです。
世界連邦運動情報
世界連邦が出来たら日本国憲法は不要ですよね?
つまり日本国憲法も仮の姿でしょうか?どうも論理が・・・
日本国憲法前文を正しく理解するかぎり、日本が間違った方向に進むことはない
今は亡きサトシのウェブサイト
もう十分間違った方向に進んできたんですけど・・・事実と異なることを語ることは恥ずかしいことです。
憲法が規定するのは、「国のかたち」であり、「国家目標」にほかならないのです
山崎拓
エ○拓さん、言葉でなくあなたの行動はボケまくってんじゃないの?


本日の結論

憲法を評価することはその人が評価されること





タイガージョー様からお便りを頂きました(07.04.21)
拝啓佐為様 いつも楽しいお話をありがとうございます。
今回は憲法の評価についてのお話でありますか・・・。
多くの憲法学者は憲法について様々な意見をお持ちです。しかし最近憲法そのものの文学的価値や宗教的価値を評価する方がおられます。写経や読経のように第九条を写したり唱えることを写九、読九と言い、平和到来を祈願するものであるそうです。
確かに佐為様の仰るとおり、その人が憲法をシステムととらえるか、文学ととらえるか、経文ととらえるかで評価法が変わるようです。
佐為様!文学者にとって書物を否定されることは苦しいことであり、信徒にとって宗教的迫害を受けることは事は死よりもつらいことでしょう。しかし憲法は文学でも経文でもないと言うことを伝えていかないといけませんなあ・・・。
(何故そこまで後退いたしますか?笑)

タイガージョー様 毎度ありがとうございます。
憲法は法律なのか? 宗教の経典なのか? 文学なのか? 文学といっても純文学なのか? SFなのか? サスペンスなのか? ファンタジーなのか? あいまいでつかみ所のない夢の中を漂うばかりであります。
ちょっと待ってください!
憲法とは国家の基本、背骨、姿かたちを示すものではなかったでしょうか?
文学ととらえたり、経文ととらえたりされては我々の暮らしは崩壊してしまいます。
漫才芸人が理想を追求することがすばらしいといってましたが、理想の人を求めて終生独身でも困りますし、理想の仕事を求めて親に寄生されても困りますし、理想のスタイルを求めて拒食症になっても困ります。
理想ではなく、現実を見つめて生きていかないと、社会不適応と呼ばれてしまいますね


コボ朗様からお便りを頂きました(07.04.28)
「日本国憲法はスバラシイ・・ものか」を読んで。

憲法を評価することはその人が評価されること

同感ですがすぐそばの表に「貴方自身が憲法を評して語った言葉」がありませんね。
貴方自身は彼らと別格の積もりかも知れませんが他人の揚げ足取りに終始してるのでは説得力ありません。

ちなみに俺自身は現行憲法が不可侵とは思いませんが自分の生まれ育った時代の憲法に誇りを持っています。
貴方が戦前生まれでないなら、貴方の憲法評価は自らの育った時代に対する自虐そのものです。

理想ではなく、現実を見つめて生きていかないと、社会不適応と呼ばれてしまいますね

同感ですが現行憲法下の60年より豊かな国家が古今東西存在するとお考えならご提示下さい。
現実を見ず机上論を並べているのは貴方です。

コボ朗様 お便りありがとうございます。
ちょっと ちょっと 
私の憲法の評価をご存じないとは・・・絶句
ひとさまのウェブサイトに書き込むなら、その人の考えをみてからするのは礼儀というものでしょう。
「私自身が憲法を評して語った言葉」なら膨大にあるではないですか!
もし再び訪問するときがあればよくお読みください。
ハレー彗星のように戻ってくるならね

現行憲法下の60年より豊かな国家が古今東西存在するとお考えならご提示下さい。

いやはや、面白い見解ですね
たとえ話ですが「となりのおじいちゃんが生きていたとき僕は幸運だった。となりのおじいちゃんは福の神だったんだ。」
そんな論理はありませんよね。
「マッカーサー憲法と呼ばれる日本国憲法があったから過去60年間は豊かだった」というあなたの論理はそれと同じです。
まず、過去60年間、日本が豊かだったというのは事実と異なります。あなたが私と同じ年代以上なら嘘つきでしょうし、私より若いならもの知らずです。
日本国民がみんな一生懸命働いて本当に貧しかった日本を豊かな国にしてきたのです。そんなことも知らずして語るのはおやめなさい。
次に、その豊かさと日本国憲法とは関係ありません。日本国憲法のおかげで軍備を少なく出来たと語るなら、アメリカ軍がその不足を補っていたという事実を知らなくてはなりません。そして日本の自衛隊も憲法と関わりなく、世界トップテンくらいの実力をもっていたから韓国や中国そしてもちろんソ連とのバランスを保っていられたのです。

と、本日はここまで
次回はもう少し勉強してから来るように


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