「お願いNuke It vol. 3:レストラン」

*私の父は神戸出身のいわゆるハイカラな人で、昭和10年生まれにしては、色んな
舶来もの(当時はブランドものなんて言わなかった)をよく知っていて、自分も結
構お洒落してたし、文房具や時計やライターなども仲々素敵なのを愛用してました。
さすが今は使い捨てのだけど、長い間デュポン社のかっこいいの使ってました。今
でもオードトワレとか私がプレゼントしたのつけて「あぁええ匂いや」ってつけて
ますね。
 日曜日になると、大阪のミナミと呼ばれる繁華街へ連れてってくれました。ほと
んど毎週です。私も大人の世界が大好きだったので、喜んでよそいきの服に着替え
て出かけたものです。母親がまた「ええかっこしい」なものですから、私のファッ
ションには力を入れてましたねぇ。子供の頃の私はどこへ行っても注目の的だった
のです。
 心斎橋というアーケードをぶらぶら歩いて、輸入ものの店を中心に見て回るの。
そして、不二家のレストランに入るというのがお決まり。母はいつもタンシチュー、
父はその時による、私はお子様ランチとぺこちゃんサンデー、で小学校の中学年に
なった頃からはハンバーグステーキとぺこちゃんサンデー。今度違うものを注文し
ようと思うのですが、必ず行くとそれを注文してしまう魔法のメニューです。そし
てぺこちゃんサンデーにささっているぺこちゃんのチョコレートをほおばりながら
店を出て、またウィンドーショッピングを続けるの。午後3時頃から出かけて、9時
頃に帰ってくるのですから、一日仕事なんです。
 私がお子様ランチじゃないものを(要するに大人の一人前分を)食べられる様に
なってからは、「はりじゅう」や「スエヒロ」と言った老舗の洋食屋でも食べまし
た。そういう店の大人っぽさが大好きで、席につく時に椅子を引いてくれるウェイ
ターに「ありがとう」なんて、すま〜した顔して言ってました。ふふ。親父にテー
ブルマナーを仕込まれたので、フィンガーボールの水を飲んだり、魚用のナイフで
肉を切って「切れない!」などとガチャガチャやったりしない小学生でしたよ。生
意気だね。
 ボルシチ、ビーフストロガノフ、フィレミニョン、シャリアピンステーキ、ポト
フ、ラザニア、コールドコンソメ、カルパッチョ、ビシソワーズ、今考えると確か
に色んな物を食べさせてもらいました。でも、洋食は洋食だけど、国籍はむちゃく
ちゃだね。それに高級料理とされてるものも家庭料理の様なものも、洋食は全部ご
馳走だったあの頃。で、父はごま油が嫌いなので、中華はどういう訳か一度も行っ
た記憶ないですね。母は和食党なんだけど、今思うとそれも記憶にないから、母は
父に相当合わせてたってことか、う〜む日本の妻だ。そう言えばうちの食卓にはい
つも、父のおかず(洋食)と母のおかず(和食中心)が並んでました。私はその両
方を食べてたので、ラッキーだったなぁ。
 最近はたまに仕事で実家へ帰った時に両親を連れてミナミ等へ出かけては、私が
ご馳走したりしてます。時の流れを感じるってなもんですが、たくさんの素敵な想
い出を作ってくれた両親への恩返しですから、家庭サービス(←この言葉嫌い)と
か両親サービスだなんて微塵も思ってません。楽しんでお金を使わせてもらってい
ます。そんな私が子供や孫にご馳走してもらう日はいつ来るのでしょうか?ちょっ
とした夢です。

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