PSY・Sの思い出 その1 その2 その3
ライブハウス時代のチャカですかねぇ。
あと、チャカの野外活動的に出してたアルバムとか大好きです。
NHK−FMで、いろんな人たちと組んでやってた音楽とか、
ほんと素敵でした。
残念ながら大阪ではライブはこいういう、PSY・S以外の活動は
見れなかったのですが。
でも私の中学生時代から、ずっと一緒に育って来たって感じがある
人たちなので、今のチャカも、松浦さんも好きでいられます。
サイズが良く載ってたテッチーをいつも買ってたのでサイズ以外のミュージシャンをたくさん知ることになってしまいました。
それから私は高校に入ってからJAZZばかりきくようになってしまい、
サイズからは遠のいてしまいましたが...
あと、サウンドストリートの伏せ字の部分は、たしか「娘の車の中」
のようだった気が...(私も録音してたのですが、JAZZを録音して
つぶしてしまった・・)
「ミント.エレクトリック」のTシャツも持ってたりしたんですが、とっときゃよかった。

原宿NHKセンター内のプレハブスタジオでBS公開生放送を見たとき。
4夜連続で他にはZeldaやShi-shonen(YOU加入後)など。BSなんて見る手段がなかったので毎晩通いました。
コンサートホールよりずっと小さくて舞台も低かったので脇の方に体育座りしてたら、
「松浦くん登場ですっ」と客席側からの入場。しかし通り道を邪魔してしまってたらしく
どつかれたと思った瞬間見えたのはすでに舞台めざして走っていく松浦さんの背中でした。
びっくりするやら、嬉しいやら…。記憶違いあったら、ごめんなさい…
ファンになって、アルバムも全部集めてしばらくしないうちに解散になったので、
で、悲しかった。
サウンドストリート、サン火新聞は私の中で大切な思い出になっています。
あまり過去にとらわれるのはよくないことなんでしょうが、当時小学生だ
った私の音楽の趣味を決定付けた、あまりにも印象深い「出来事」だった
ので、どうにも忘れられません。
小学2年生の頃。
テレビでシティーハンター2を初めて見た時、『 Angel Night 』がいきなり
オープニングで流れ出して、「えええええっ!!!」っと驚き(曲の方を既に知っていた)、
あまりにぴったりなのでトリハダがゾクゾク立ってしまったこと。
あれは衝撃でした。
東京で行われた,事実上最後のツアーとなったEMOTIONAL ENGINEツアーを
見に行けたこと。
松浦先生の発言の全て。
失恋したときに、思いっきり沈んでやろうとして「ジェラシー”BLUE”」を聴いてたら
なぐさめられて、元気が出てきてしまった。
こんな素敵なぺーじをありがとうございます!
ライブは毎回楽しかったです!流石さんの踊りも、CHAKAのパワフルボイスも。
何かで言っていたのですが、松浦さんがデジタルで、CHAKAがアナログだと人は思いがちだけれど、
実際はデジタルのように正確に歌うCHAKAとアナログ的感性で打ち込みをやっている松浦さん、
という実に絶妙なバランスの上に乗ったすばらしいユニットだったと思います。
歌詞の切なさも絶品でした。何度かなかされましたし、今聞くとまた
新たな感慨が生まれますねー。思い出はこれからも作られるような気がします。



まだ「FRIENDS OR LOVERS」しかカラオケになかった頃。
誰も知らないだろうな。と思って入れたら、大好きなひとがpsy.sを
知っていて「デュエット」した事。
あと、チャカに手紙を書いたら返事を頂けたこと。(家宝だ。)
主人とはお互いにサイズファンだったことがきっかけで付き合うようになり、結婚までしてしまいました。披露宴でのキャンドルサービスには「風の鏡」を使いました。
中央大学でのLiveがなつかしい。CHAKAの歌声と鈴木氏のギターに感動した。
チャカのラジオ番組に松浦氏が出たときの二人のトークがパートナーという感じがした。
母校の高校に教育実習に行った時、自分のクラスのある生徒がPSY・Sのファンだと分かって、なんとなく嬉しくなってしまった。
ついでに他の生徒にも宣伝しまくってしまったのは言うまでもない(笑)
すでに解散してしまった後だったのに、新しいファンはこうやって増えていくのですねえ・・・
psy.sは、私が中学生の時に少し仲のよかった子から教えてもらいました。それから6年の月日が流れ、私は今大学の図書館でこれをやっています。psy.sは解散してしまったけれどわたしと,教えてくれた子との友情はずっと続いています。
私がPSY・Sを集め始めたら、もう解散してた。。。。
無理に復活してくれとはいいたいけど、いわないが、ときどき一時的にでいいから復活して、ライブやってくれないでしょうか。。。。

ライブ、も一回行きたかったな。
とにかくサイズは今まで自分が聞いてきた音楽を星一徹がちゃぶ台をひっくり返す
ように根底から覆されました。それほどのカルチャーショック(笑)を受けた
ユニットでした。
Emotiomal Engineの最後のコンサートでCHAKAさんが、妙に冷たく見えたこと。あんまり、身が入ってなかったというか、いつもはPSY・Snoコンサートは感動するのに、音程も怪しくて、アンコールも早くって、どうしたのかなって思ったのがとても記憶に残っている。あの後、まさか解散するなんてことになるなんて思ってもいなかったから、あれが最後のコンサートになるなんてすごくショックだった。以前コンサートでどちらかが動けなくなるまで活動は続けるなんて言っていたのに、たとえ解散してもいつかまた、今度は枝化として再結成だなんて言っていたのに(*_*;) 個人活動でも頑張ってほしかったけど、解散は望んでいなかったと思う、ファンはみんな。
終りの見えない徹夜の仕事が続いているとき、聴いていたPSY・Sの曲が心の救いでした。

何時も聴いていたから、思い出はPSY・Sの曲と共にあります。
いやな思い出(彼女と別れたとか(笑))も良い思い出もその時聴いていた曲にリンクして
思い出します。
初めてリアルタイムで買ったアルバムが、EmotionalEngineで、高校生でした。大学に合格したら、ファンクラブに入って、生のPSY・sに会いに行こうと思っていたので突然の解散は、ただただ悲しいだけでした。だからこのページで書かれている皆さんが、とても羨ましいです。でも受験の時の気分転換に聞いていたPSY・Sの曲はどれも大好きです。せめてビデオだけでも手に入れたいのでいい方法がありましたら教えて下さい。
8年かかってようやくこのアーティストの良さがわかりました。
87年12月9日の広島県民文化センターでのPSY'S地方初ライブでアンプが火を吹いた。
89年に"ATLAS"のPRでCHAKAが広島でファンの集いに来たときクイズ大会で3人にオルゴールがもらえるのに最後の4人まで残って負けた。

高校の時にPSY・Sを聴いてた友達がいたので、「Another Diary」の曲名がわかりました。
あのときはうれしかったです。
高校時代の事を思い出します
私が、すごくハマった時には解散してたので1回もライブに
行けなかったのがすごくくやしい。
CHAKAさんのライブには行ったけど。
1度しか、コンサートに行けなくてざんねんでした。
LIVEでChildを聞いたとき、感動のあまり動くことが出来なかったこと。
サイズ病とでも言いましょうか、サイズの歌詞・曲・歌声・雰囲気、すべてが好きです。
友人に聴かされた曲(木の上の方舟)に熱病のようにうかされ、現在まで聴きつづけているのです。私は「アトラス」が最高峰だと思っています。首尾一貫したテーマと言う点では「ウィンドウ」も捨て難いのですが、私を完全に虜にしたのは「アトラス」でした。
とにかく、歌詞の普遍性、幻想性、曲の魅力、チャカさんの声、どれをとっても素晴らしいものばかり。私の歌謡曲に対する意識は全てサイズに拠っているのです。


平成元年8月だったと思うが、デーモン小暮閣下とCHAKAさんがオールナイトニッポンの特番(4時間ぶっとうし!)をやった時のことですか。番組中にCHAKAさんが披露した中国語の発音の綺麗さに驚き、感動しました。
 オールナイトネタをもう一つ。昭和63年9月某日(だったと思う)のデーモン小暮閣下のオールナイトニッポンにCHAKAさんがゲスト出演された時は大変でした。なんせ「昭和天皇重体」のニュースが番組中に入り、しょっちゅうそのニュースが入るため話の腰が折れること折れること。結局、何が何だかわからない内容となってしまったのでした。あ、ちなみにこのときかかった曲は、”Parachute Limit”で、この曲がシングルカットされたことの告知をするための出演だったように記憶がかすかに残っている(ちなみにこの時が私とPSY・Sとのファーストコンタクトでした)。
19歳のときに当時付き合っていた人と一緒に「SIGNAL]を聴いていたときのこと。・垢離凜・献腑鵤の・・呂△瞭セ離泪鵐皀后・チBreak Up The WALL 夢を尖らせ 氷のJail In THE
Wall 打ち砕くの ・・・溶け出す壁はやさしい水」 という言葉の意味にイキナリ気がついておお泣きした。隣で寝ていた彼はびっくりしていた。そリャそうか。5年ぐらい聴きつづけていたのにいきなり意味に気がついた・・・勝手に自分を追いつめてからからに渇ききっていた私に目覚めるチャンスをくれた曲でした。なんていうとクサイけど。
今でもCollecctionは、ぼくの中の名アルバムです。
10年以上も前、周りの人でPSY・Sを知っている人は皆無に等しく、つらい思いをしました。シティハンターのオープニングに曲が起用されてからは、ちょっとはましになりましたが。中学生だった私も随分年をとり、PSY・Sの話もあんまりしなくなっていました。ところが去年クラスメートのある二人と話していると、同じラジオを聞いていて、PSY・Sが好きだとわっかってびっくりしました。
高校時代、いつもウォークマンを聞きながら学校に通ってましたが、
その時、いつもサイズを聞いていました。
Woman.Sのイントロのピアノフレーズを聴いて鳥肌がたった。かっこよくて。
高校生のころ友達にすっごく松浦さんが好きな人がいて、いっつもその話を聞かされているうちに自分も好きになってました。チャカさんのパワフルなボーカルと生活感の無い歌詞、そしてエレクトリックなサウンド。どれも魅力的でした。ライブに行ったり、自分のバンドでコピーしたりしてかなり、影響も受けました。
好きな曲は気分によってものすごく変わるので、選べませんでした。
バンドブームまっただ中の80年代後半、そんなことはおかまいなくじわじわと学年中に
PSY・Sを広めるべく奮闘した中学時代が一番の青春ですね。周りでは「NON−FICTION」が一番人気だったため、「MINT」や「PIC−NIC」の良さをなかなか理解してもらえず苦労しました。
全てのCDを探すのに苦労した。高校生なので。
初めてTVでPSY・Sを見たとき、「また分けのわかんないグループが出たな」と軽く受け流して聞いていました(ほんとにその時代は分けのわかんないのがいっぱい出てすたれていったころだったのです)。ところが、TVを見終わってからでした。PSY・Sの曲が全身に残って離れなくなり、もう中毒状態!その時の曲は、「電気とミント」。10年以上も前のことですね。今でも大好きです!(投票の中には入ってませんが・・・)
思い出というより、出会いですね;
いつも僕が出ている、京都のRAGというライブハウスに、この前チャカがきて、一緒に打ち上げをした。
音楽の話を熱く語ってました。
解散してしまったこと。1回しかライブに行けなかったので残念です。
ビジュアルを見たのはノンフィクションツアーのビデオをレンタルしてですが
ダンサーを率いてのステージとハイテンション名ボーカルにK.O.されました.
僕の音楽人生の中で一番の衝撃でした.その後はライブに行くまでにはまって
しまいました.
未だに心残りなのは1月30・31日のライブに親に反対されて行けなかったことです。原田が金メダルをとれなくて苦しい4年間を過ごした日々と同じくらいくやしいです。その日のチケットはむかついて破りました。まあタワーレコードのイベントで松浦さんを目の前で見れたし顔めちゃ小さかッた。11月11日のライブ最高。うふふ。席は11列目で松浦さんの正面でFriends or Lovers で間奏の部分で音の大きさにおもわずギャーと変な顔をしたら松浦さんが苦笑いしてて超かわいーと思いました。BSではカットされてて残念。
1993年6月某日雨の中、タワーレコード心斎橋店のイベントに友達と行ってはじめて生でサイズを見てちょうど松浦さんの目の前だったので顔の小さいこと。その時買ったアルバムにサインがついていた。そして5ヶ月後11月11日厚年大ホールの弉勿は11列目でまた松浦さんの目の前の席だった。めちゃ盛り上がった。一番最高だったのは「friends orlovers」の間奏の最後で鍵盤をなでる音がでかいので思わず耳をふさぐリアクションをしたら松浦さんごっつ苦笑いしてた。その後目あってちょっときまずかった。ビデオではカットされてた。あとキリギリスみたいなきっつい衣装もよかった。薔薇と怖岬玄・の時、手拍子をだらだらやってたらまた苦笑いしてはった。この年は本当に最高だった。いまはそのとばっちりをうけている。ああ、はやく仕事やめたい。
高校1年の頃からのファンですが、
当時は地方に住んで居たので、
なかなかライブ等あっても観に行くことができませんでした。
高校卒業して、さぁ、これからはライブ観に行きまくるぞーっと
思った矢先に解散(T_T)。
結局最後の「エモーショナル・ツアー」を
一度観に行っただけでした。。。
高校の美術部の先輩の影響で好きになりました。
高校の頃は毎日ウォークマンで聞きながら通学したものです。
今でもよく聞く方ですし、サイズに出会えてよかったと思っています。
解散を知ったのは、新聞ででした。ファンクラブには入ってたけれど、どちらかといえば初期の歌の方が好きだったので、最近の歌は少し苦手になっていました。けれどやっぱりショックでしたね。初めてPSY・Sの歌を聴いたのは私が高校3年生の冬。テレビの前で釘付けでした。そして初めてコンサートへ行ったときのあの衝撃は今でも覚えています。
好きな人ができた時、はまりました。
夏期休暇で実家へ向かうバスで何度も繰り返し聴きました。
PSY・Sはとにかく好きで、私はわざわざバンドを作ってしまったぐらいです。コンサートも何度も行きました。授業をさぼって行ったこともありました。とにかく私の青春です。今でも、カーステでPSY・Sを聞いています。
PSY・Sは、達郎が人というものを、チャゲアスが少年の憧憬を、misatoが恋を、
矢野顕子が母性を、ユーミンが恋の終わりを、東京少年が出会うことを教えてく
れたように「おとこのこ、と、おんなのこ」を、世界の事象の対極性を教えてく
れた。初恋の思い出とともに、彼女の面影とともに、PSY・Sの語は、僕の胸から
消えることはない。
 すばらしいHPをありがとうございます。
CDプレーヤーを買ってはじめて聴いたのが「Non-Fiction」だった(それ以前のアルバムはアナログ盤)。音のクリアさとシームレスで繋がっていく構成に「いやぁ、やっぱCDってちがうな」と感動したのを覚えてる。
「ホーム・メイド」あたりからひょっとして解散なんてことになっちゃうんじゃ…と思った。
解散から一年以上経つけど、今でもちょくちょくCDを引っ張り出して聴く。やはり唯一無比
の強力ユニットだったんだなとつくづく思う。
最後のライブ、、、インフルエンザで行けず泣いたこと、、、。
うう、、。いまでもくやしいです。40度熱が出て「またいつか行けばいい」と思ったのがまち
がいだった!そのあと解散するなんて!
中学のとき、祖父にCDプレイヤーを買ってもらい、音楽を聴くようになりました。
そんな時、CDでーたという雑誌を初めて買ったのですが、その中にSPY・Sが出ていました。たしかHOLIDAYの特集でした。その時は、記事をさっとよんで、チャカってへんな
名前だなと思っただけで、聴いてみたいとも思いませんでした。
それから約7年後の今、PSY・Sは私にとってかけがえのない存在です。
ライブに一度も行けなかったのが残念です。
生のPSY・Sが見てみたかった。くう。
 僕の20才台の、青春を方向付けてくれた存在でしたね。
志向・思考・指向・・・などなど、もう、たくさんありますよ。
FC会報、「サン火新聞」やサンストのテープは永久保存してます。
・Paradise Tour 広島公演での安部氏と田中氏のスキップ。
・小林克也のFMでの電話口での自分の息の荒さと質問のバカさ。
・その上FAXまで読まれ、何度も小林氏と松浦氏から名前を連呼されたこと。
Parachute Limitを初めて聴いたときの
CHAKAの頭の上にのっかってたとんがりがエライ印象的でした。
高校3年の8月、初めて買ったCDが「Mint-Electric」だった。プレーヤも持ってないのに(^^;
大学2年の3月、サイズのCDが縁でつきあい始めた彼女と最初に見に行った恵比寿ファクトリーのライブで、手の届くような距離で歌い演奏する2人に大感激し、川崎、新宿と追っかけ回した。ライブ/イベント10回くらい行ったかな。
サイズに出会って10年。今は彼女と所帯を持ち、時々2人でカーステレオで歌ったりしてます。
Jinsei ga kawatta.(Sorry,I can't write in japanese chalacter in netscape.)
PSY・Sを聞いて人生が変わりました。
コンサートでは、Signal Victory Tourが一番印象に残っています。
The Seven Colorsがほしいです。
気分がなんでかわからないけど滅入っていた時、初めてPSY・Sの
アルバムをかりて聞いた。それは「ATLAS」でした。
なぜかいきなり涙がでました。あれはいったいなんだったのか?
それ以来、はまりましたね。
当時タイムリーに新宿のタワーレコでのサイン会に行けたのも感激でした。
「電子音楽」然とした先進的な格好良さよりはむしろアコースティック楽器などの音のサンプリングを基調とした、胸をうつ確かなメロディラインが渾然一体となった、「電子音楽」のはずなのにとても有機的で人間味あふれるポップス。
PSY-Sの音楽は、同時期活動していたTM Networkにはない温かさと無垢さがありました。
その後の音楽の嗜好は、PSY-Sによって決められたといっても過言ではありません。
AngelNightの凡筑妓惆餅で初めて見た時、宋C醗貊岷任訃庄困気鵑鮓e┐靴泙擦鵑任靴ソ。
めちゃめちゃ私好み?と。でもあれ一瞬しか映らないから、もう一回確認させてくれ〜と、食い入るように最後まで見てしまったのがきっかけでした。後半の作品(WINDOW以降)は、ちょっと離れてしまいましたが、最近HPを色々見てから、また聴いています。
中古CD屋に売ってしまったものがあるので、今めちゃめちゃ後悔しています。
今聴いても、全く色褪せていないどころか、かえって新鮮に感じます。松浦さん、やっぱ天才ですねー。
松浦さんが結婚していた事実をつい最近知りました。お相手はどんな方なんでしょうか?
高校生のころ、デビュー前の松浦さんの曲とチャカの歌声を聴く機会があり、その才能に驚き、この人たちは絶対世界に通用すると思っていました。
あのころの貴重なテープをなくしてしまったのが、一生の不覚です。 それにしても解散なんてやっぱりもったいないですね。
ラジオで2人に電話で質問をした時、何より凄かったのは
ラジオから聞こえてくる自分の鼻息の荒さだった。
だってめちゃくちゃ緊張したのだよ。その割に質問は
『お笑いするとしたらボケとツッコミどちらですか?』
という、なんの興奮のない内容だった。

ライヴでいかに目立つか友人と研究した結果、全身『白』
でまとめる事になった。でも、ライブビデオにはちらり
とも写っていなかった。ちっ。←目的違い

MAC を買ってしまった。

某ドーナツ屋のパラッパのマグカップ集めの為、毎昼
ド-ナツずくしで、見るのも嫌になった。
中学生のとき、夜中の音楽番組で偶然聴いたのがAngel Nightです。
それ以来チャカさんの声に夢中になってしまいました。
私は昔松浦君とスレ違いました。二回スレ違って、3回目には松浦のお嫁さんになれるはずだと信じて、
かれこれ、9年がたとうとしております。
聴き始めたキッカケがキッカケだけに・・・
高校時代以降はPSY・Sは精神状態のバロメータですね。
悲しいことがあると聴く曲が違ってきたり・・・
芝浦インクスティックで当日並んで待っていた時に、出会った人たち! みなさん元気ですか? 上野原に住んでいたあなた! サエキケンゾウさんのストローを持って帰ったあなた! 懐かしい思い出です。 

パラダイスツアーのビデオはとても良いと思います。

もう思い出だらけで書ききれません(^^;。....という訳には行きませんね。
では....Long Distanceの思い出を。

今から10年以上前、遠距離恋愛中でした。私は埼玉....その人は北海道。バイトでお金を貯めてやっとの思いで彼女に会いに行った20の秋のこと。
その日の朝....前日夕方から降っていた雨は上がり薄日が差していました。当時北海道に住んでいた兄から借りたブルーバードで約束の場所へ。
彼女の住む街へ向かう途中、雨上がりの空に七色の虹が....。そして彼女に渡そうとうすむらさきのリボンをかけたカーネーションの花束が後ろの座席に....。
待ち合わせた公園の丘の上から見下ろすと雨上がりできらきら光る小さな町。そして坂の下の小さな橋を渡る彼女の車。
そう、あの歌詞とシチュエーションがほとんど同じ体験をしてしまいました。

結局彼女とちゃんと会えたのはこれが最初で最後でした(お互い何度かチャンスがあったのにすれ違っていた)。そして彼女が結婚するという話を
聞いたのはす・u「阿里海箸任靴拭・・橇樌桙ゥつてバスに関係する仕事をしていた彼女に出会い、そして何年か後、バスに関係する仕事に私も就いています。

  Emotional Engine を聞いたとき、何となく「解散かな?」と思ってライブ
(茶屋町飛天)に行こうと思ったけど、大震災、修論と次々にはまってしまい
行けなかったのが一番の心残りです。
  高校時代に「岡村孝子のRadio high school(FM大阪)」という番組の
オープニングに「Wake up」が大音量で流れてたたき起こされてたのが今
では本当に懐かしい思い出です。

最近になって知ったので特になし。

突然の解散でしょうか。

高校1年生のときに、クラスの劇の挿入歌で「薔薇とノンフィクション」が使われたのが、PSY・Sを知ったきっかけです。
アルバム「NON-FICTION」を借りたときは嬉しくて、歌詞カードを抱いて寝ちゃいました。(ちょっと気持ち悪いですね。)
高校生の時、地元(金沢)から、名古屋にある愛知県勤労会館までライブを見に行ったのですが、
自分が大学の合唱団で、PSY・Sと同じ舞台に乗ることができたのが、非常に感慨深く、何か因縁めいたものを感じます。

日清パワーステーションでのライブ、知り合いにチケット取ってもらったら2F席で
3人がけのテーブルでした。男独りで行った私は、後から来た見知らぬカップルと共に
食事なぞしながらライブを観たのですが、なんだかお邪魔してるみたいで申し訳なくて・・
なに食べてなに聴いてたか殆ど記憶がありません(笑)。

あの時のお二人さん・・・ゴメンナサイねぇ(^_^;)
#当日もペコペコ謝っていた私・・(爆)

僕の高校時代はPSY・S一色でした。
入学してから2年間、一人の女の子のことを想っていたのですが、
この曲を聴くと、今でもそのときのことが思い出されます。
あと、チャカがやっていたラジオで、
「行動を起こすときは、primitiveでなければならない。」
とチャカが言った言葉が、未だに心に残っている。

いろいろありました・・・・(^_^)ありすぎて言えません。

ラジオで聞いたエンジェルナイト

あんまり音楽を能動的に聞く方ではなかったんですけど(今も?)
Just POP UPの頃始まった頃(?)に「NHKだとは信じられない番組やってるよ」と
言われて、見たときのエンディングが薔薇とノンフィクションだったと思います。
(間違ってたらゴメンナサイ。)おsれで、『さがそう』と思うまもなく、
先輩にススメられたのが NON-FICTIONだったと思います。
それから、それと意識するわけでもないのに、「おくればせながら」とビデオで
TO−Yを見たらそうだったり、種ともこさんのアルバムを聞いたら、
「この、ランランボーカルって」と立て続けに重なって、アルバムを揃え始めました。
新譜情報などをチェックする方でもなく、ぶらっとCD屋さんによって、見つけたときに
買う(すみません)という、自分にはめずらしく、とりあえず、上にあるアルバム +
ベストアルバム(ですよね)TWO-HEARTS、Spirits、Bridgesも持ってます。
不思議といえば不思議だし、運がいいといえば運がよく、めぐり合って、おぁw)弔C△い任C・・橇樌大好きな音楽って感じです。

文字化けしてしまったものです。

愛する人の影響で聞きはじめたPSYSですが、その人と二人でPSYS解散後のCHAKAのコンサートに行ったこと。その時演奏したPSYSの「最後の楽園」がすごく印象的でした。それ以来その人と二人っきりでは会っていません。せつない片思いでした。

と、こんなことを入力したと思います。大分前のことなので、はっきりと覚えていませんが....
※わざわざありがとうございました。切ない思い出だったんですね...。

picnicの突き抜けてしまった音は当時としては非常に新鮮に感じました。
sound streetでの松浦さんの真面目な語り口が印象的でした。

Emotional-Engine のライブにいきました

今、キーボードマガジンの古本を買い集めてます。
松浦氏のアルバムリリース時のインタビューがのってるやつ。

チャカさんがライブで言ってた話。レコードデビューの時、ユニットの名前の参考として絶滅動物の名前を集めた資料を見たそう。結局どれも気に入らなくて「PSY・S」になったらしいけど、その逸話がPSY・Sらしくていい。

僕も1995/1/30の大阪シアタードラマシティーのライヴ見に行きましたとにかく神戸からの交通手段が完全に麻痺していたので本当にお客さんが半分くらいしかいなくて・・・でもそれでもすごい盛り上がったのを覚えています。”景色”の”ビルがこわれていく、屋根がはがれていく、地面が割れていく”と言う所は変えたんじゃなくて歌わなかったんですよね。僕も印象に残ってます。当日会場には義援金箱が置かれてステージからチャカさん松浦さんが”お金に余裕のある方はお願いします”と言ってたのも懐かしい。当日は神戸方面から5,6時間歩いて会場にきてた人もいたらしくどれだけ深くファンの心をつかんでいたかが伺えました。沖山さんが復帰したり、コーラスが三人になったりと益々精力的に活動するのかと思った矢先の解散だったのでホントに残念でしょうがないよ〜

仕事があって行けないと思っていたライブ(恵比寿ファクトリー)に、急に行ける状態になって、速攻で高速バスの手配をし、新潟から東京へ行きました。
サイズは新潟ではちゃんとしたライブをしてくれなかったので、(アマチュアコンテストのゲストでは有り)私がコンサートをみれたのは、それっきりとなってしまいました。
新潟にもきてくれると待っていたのに・・・。
恵比寿ファクトリーでのライブは、東京という街に緊張していて、あんまり覚えていないのです。

愛する人の影響で聞きはじめたPSYSですが、その人と二人でPSYS解散後のCHAKAのコンサートに行ったこと。その時演奏した∈埜紊粒擶燹廚・・辰海茲・辰拭」
※またまた後半の部分が文字化けしてしまいました。これを書いた方、見ていましたら連絡下さい。(いつもいいところで読めなくなるんだな(^_^;)

進学のため、上京して一ヶ月めぐらいのこと。
渋谷公会堂でのLIVEチケットを、当日券でとるために、独りで初めて
渋谷にいきました。散々迷って、結局開演十分前に到着しました。
息を切らして席に就いたんですが、
迷っている途中は、道が分からないのと、遅れてしまう不安でいっぱいで泣きそうでした。
でも、そのぶんコンサートはとっても感動したのをおぼえています。
(今から4,5年前のことです・・・

知って、すぐ解散した。

日清PowerStationでのライブ・・・PSY・Sのライブで一番気に入ってます

大学が東京にあったので、コンサートには結構行ってました。
ライブの方が間近に見れて好きだったな〜。
流石組のダンスも印象的でした。
アトラス〜ホリディツアーまで、行った時のコンサートがビデオ化されたのが思い出です。
未来の子供達に自慢してやります。

高校生の頃「ガラスの明日」をサウンドストリートで聞いて以来の大ファンです.
この曲とチャカさんの声にものすごい衝撃を覚えたのでこのとき松浦さんが別のコーナーでかけたこまどり姉妹の「涙のラーメン」という曲のことまで印象深く覚えています.
当時の僕はRCサクセションにかなりはまっていましたが,それ以来PSYSの曲を聴かない日はないぐらいいつもPSYSの曲を聴いてきました.
今,それぞれのアルバムを聞くと当時の自分を思い出してなつかしい気分になります.

Chakaさんのジャズライブツアー in 和歌山 にライブを聞きにいったときに
ご本人と握手し、さらにお話してもらって、持っていたハンカチにサインまでしてもらい、
さらにはプレイステーションのゲームソフトの「バイオハザード」の講義まで
してもらったこと。
はっきり言って、私、ふるえてました………。

中学生のころ、夏の寝苦しい夜に『ATLAS』を聴きつつ、ガンガンにクーラーを
つけて夢心地になったことを、これを聴く度に思い出します。ははは。


中学生のとき、「Angel night」を聴いて、とても衝撃を受けたことを覚えています。

知り合いの女の子にサイズが好きと言ったら、⊇Z匚眄犬澆燭い兵駝C諭廚噺世錣譴拭」

※後半の部分が文字化けしてしまいました。ごめんなさい。これを書いた方、見ていましたら連絡下さい。(続きが気になる(^_^;)

初めて聴いた曲は「Angel Night」。 聴いたときは、金縛りにあったような
ショックと、震えるような感動を覚えました。「こんな曲があるのか!」と。
それから「PSY・S」のアルバムを約8年後に初めて購入。貧乏だったので
中古屋さんで探しまくりました。見つけたときは「泣きそう」になりましたね。

JUST POP UPで水のマージナルを唄っているのが、幻想的で(何か違う)好きだった。

つき合った彼女みんなサイズが好きでした!

とにかく通いましたね。コンサート。パール兄弟とかと一緒に渋谷公会堂でやったときと、
NKホールがいちばん心に残っています。私の青春でした。

歴代の彼女は全員PSY・Sが好きだった(ように俺が仕向けた)。

あるきっかけでホリデイを聞きました。感動しました。ffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffff

松浦さんはかっこいいです。最高です。あこがれてますです。

まずは…PSY'Sのホームページを作って頂き、本当にありがとうございます。そしてご苦労様です。「サンスト」を聴いてからの年代モノのファンとしては感涙です。
PSY'Sの思い出といえば、まずは90年3月に恵比寿factoryで初めて見たlive。一発目は確か“Woman'S”だったように覚えていますが、「あぁ、これがナマのチャカなんだ…。動いてるよオイ。」と、しばらくポーっとなっていたことを未だ鮮烈に覚えています。これがベストインプレストですね。そして6月の新宿SPACE ZERO。一発目のRemixの“Silver Rain”が無茶苦茶良くて、思わず落涙。そういえばこのlive見て、キーボードを買う決心をしたんだよなぁ。買ったのはRolandのD-50でした。そして翌91年10月のNHKホール。何と言ってもEnglish-versionの“Desert”。Differrnt Viewからこの曲が好きで好きでしょうがなかったけれど、絶対ライブじゃかかんないだろうと諦めていた矢先、Best版発売に合わせてNewTakeが出来、そしてこのライブでやってくれて…。また泣きました。
もう6〜7年も前のことになってしまうんですね。あんまり懐かしいんでミニライブレポート調でまとめてみました。
またこのページ来ます。またPSY'Sの思い出を語らせてください。私は今、DTMで“VISION”を打ち込んでいます。完成はまだ遠いですが。

スコアが手に入らなくて・・

現在23歳の私がまだ中学生のころ、友達がPSY・Sが出演しているビデオを
見せてくれ、松浦氏に一目惚れしてしまいました。


阪神大震災から2週間しかたっていない1995/1/30大阪シアタードラマシティーのライヴを見に行ったとき、お客さんが半分くらいしかこれなかったにもかかわらず熱唱するチャカさんに感動! ”景色”の歌詞で”地面が割れてゆく”という部分の歌詞を変えて歌ったことがとても印象に残っている。
結局このEmotional EngineTourがPSY.S最後のツアーになるなんて当時思いもよらなかったのである意味ではすごく貴重なライヴをみたような気がする

初めて飛行機の機内で聴いた"Parachute Rimit"
あれだけはまったシチュエーションはいまだかつてありませんでした。
当時高校生だった私にとって、全く未知だったユニット"Psy's"がその日から
生活のかなりの部分を占めるようになったのは言うまでもありませんでした。


 Two Heartsを先輩が持っていたのがきっかけで聞き始めました。
気づいたら誰よりも自分が一番ディープにはまってました。
アルバムは、最初、キャッチーな曲が多く入っている(と、私は思っている)
 NON-FICTIONが一番好きだったのですが、今は ATLUS と HOLIDAY
辺りが好きです。(この二つは聞き込んでいくと良さが分かるんだと思う。)

 PSY'Sのライヴを生で見る機会に恵まれなかったことが残念。

店頭で内容も知らずに買った「MINT-ELECTRIC」がとても気に入りました。ちょうどその当時、今の嫁さんとつきあい始めていた時期で、よく聞いていました。

海外に出てる時に解散されてしまった、、、
Two Bridgesを聴いて、なんか寂しくなりました。
僕の青春時代も、一緒に終ってしまったのかな?って気になります。

好きな曲、アルバムから各1曲ずつは絞れないので、すべてなしにしました。
CHAKAの声、すごくいいです。Angel Nightをバンドでコピーしたことあるけど、
ボーカルには申し訳なかったかな…。

1.結婚式の退場に”Wondering UP and DOWN"を使わせて頂きました。
本当は薔薇とノンフィクションを使いたかったんですがいい
2.初LIVEは凄く感動的でした。92年のNHKホールだったかな?なんかシンプル
で、澄んでて、すごいと思いました。
3.チャカが西成出身で、私は東成出身です。しかも霞ヶ丘に近い天下茶屋はなぜが小学
生時代の私のPLAYスポット。どこかで会ってたかもね。出身まではLIVEの
パンフを見る間で知らなかった。

サウンドストリートで初めて『ガラスの明日』を聞いたときと、折角
この番組を聞きはじめたのにその後すぐ終わってしまったこと。
 あと、NON-FICTION Tourの東京公演のとき?Spiral Loversを演奏中、
ベースのワイヤレスの調子が悪くて、やり直したこと。それと、たしかこのとき
昭和天皇崩御の2日後だったため、もしかして中止か?と心配したこと。
 氷川丸での野外Liveの時、7月なのに猛烈に寒かったことなど。
 ちなみに上の質問は、3曲にしぼれませんので空白です。ごめんなさい。

群馬に行ってる友人が帰ってきたときうちでサイズの曲をギターとキーボードで弾きまくってたことかな?
なんの打ち合わせもなく
趣味が同じなのかな?

たった一度だけ行ったライブの席がすごく良かったこと、チャカさんの香水が当たったこと。
そして何より、PSY'Sによって変われた自分が少しずつ外に出て行くようになり、
PSY'Sファンの仲間まで作れたこと。楽しくなりましたね、日々が。

初めてサイズを聞いたときが一番印象的でした。結構年を食っていたのに
チャカのボーカルを聞いたとき久々のボーカリスト発見とうれしくなりました。
それ以来我々おじさんおばさんのジャズ好き(昔々のこと)グループの仲間を引き込み
アトラスツアー以来コンサート・ライブすべて見るようなことになりました。

むかーし、大好きだった人がPSY'Sのファンでした。
その人に、とあるアルバムのダビングテープをもらいました。
聞いていると、最後に『CHILD』が流れてきました。

…。泣けました…。

何のことだがはっきりとは覚えていないんですが、ミュージックトレンドで、
ファンからの怒りのメッセージに対して、涙を流して謝っているチャカの声を聞いたとき、
どきっとしました。それがきっかけでPSY・Sが好きになりました。

彼女(現、嫁さん)と付き合いはじめた頃、
お気に入りの曲を互いにテープで交換したりしていた。(青いなぁ……(^ ^;)
で、一番好きなPSY`Sだけは特別編で編集しよう!と、準備していたら
カーステでかけていたPSY`Sを密かに気に入っていた嫁さんは、
アルバムを買ってしまっていた。
今、ウチにはPSY`Sのアルバムが、(全部じゃないけど)2枚ずつあります。

やはり「Paradise Tour」のステージングでしょうか。
名古屋でもちゃんとセットが組まれ、
流石組のダンスが衝撃的だったなぁ。
ただ、アルバム発売前だったので、
アルバム収録曲についてのシンクロ度が低くなってしまったけど。

当時のPSYSは最高に"未来"を感じることができた。
最近の音楽シーンでは当たり前の感覚ではあるが…
ライブPSYSの衝撃は忘れません。

ライブに一度もいけなかったので、ライブトマトという番組でやったNKホールの映像が
大切です。
あとは、チャカさんの公開生放送を見に行ったこと。
PSY・Sに関する思い出は数少ないです。