PSY・Sの思い出 その1 その2 その3
音楽についてはぜんぜん趣味の合わない弟と話していたら、松浦さんのことは知っていた。何でも弟のいた高校の軽音楽部では伝説的なひとだったそうだ。
シグナルビィクトリーツアー、ノンフィクションツアーなど最高だった。
免許をとって最初に車を運転していたころ、テープがのびるくらい車の中でいっぱい聞いた。
私が生まれて初めてレンタルCD屋へ行きぜ擇蠅燭里・丕咤戞Γ咾裡ホon-Fictionでした。
最初はAngel Nightが聞きたくて借りたのですがぅ▲襯丱爐鯤垢い徳管・い貌・蠅それから出ているCDを借りまくってすっかりファンになりました。コンサートに2回しかいけなかったのがとても残念です。
このサイトを見つけて驚いたこと。友達とサイズのことばっかり話したこと。
「シティハンター2」のOPで「Angel Night」を聴いた時、OPの絵と曲がとても
マッチしていた上、「シティハンター」というアニメそのもの雰囲気にもピッタリ合っていて、
びっくりした事を覚えています。挿入歌としても「EARTH」が使われていて、感動的なシー
ンや主人公とヒロインがいい雰囲気になった時などに流れ、番組を盛り上げてました。前奏のあの切ないピアノの音と相まって、涙がこぼれそうになるくらいでした。
ですから、私とPSY・Sとの思い出は、「シティハンター2」といつもセットになってます。
サイズを意中の女のこに勧めて、気に入ってもらった。
もちろん交際もOKでした。 今では別々ですが、いい思い出です。
NHKのクリスマス番組で、「水のマージナル」を聴いたとき、世の中にこんなに胸に沁みる歌と曲があるのかと衝撃を受けました。中学1年か2年生のときだったと思います。その後、友人から「Collection」のテープを借り、「サイレント・ソング」と「風の中で」に胸に迫る、というのでは生温い、胸を裂かれるような思いをしました。それから何年も経って、いろいろな音楽を聴いてきたはずなのに、好きなアーティストや歌もできたはずなのに、それでもサイズの歌はたまに思い返して聴くたびに、本当に切なくなります。だから覚悟しないと聴けません。
最近突然に母が亡くなり、今の今まで何だかぼーっとしてしまい、何も感じないようなふうで過ごしていたのに、ふと思い出して上記の二つの歌を聴き始めたら、もう突然胸が絞られるようになって、涙こそ抑えたのですがもう「何なんだこれは。どうしてこんなに苦しくなるんだ」状態でした。うまく言えませんが、麻痺してしまった感情が、サイズの歌や曲や歌詞によって引き戻されたような感じです。
こうして文章を打っていても泣きたい気分になります。悲しいからではなく、切ないか・u毆)らです。どうしてサイズの歌はこんなに切ないんだろう。中・高の頃は、私にとって一番多感な時期でしたが、その時期にサイズの歌に出会えたことを、心から感謝しています。
初めてライブを見たとき、感動のあまり泣いてしまいました・・・。
ライブで、松浦さんにリズムのとりかたを指導(?)されたことも印象的だったな〜。
初めてコンサートに行ったときは、感動して泣いてしまい、始めの1,2曲はよく観れなかった思い出があります(^_^;)
今ぐ貊錣吠襪蕕靴討い覬セ気鵑箸初めて迎えた朝にぐ貳屬吠垢い振覆・瀬屮襦Ε瀬屮襪任靴拭」
新しいCDが発表されるごとにぞ庄困気鵑梁榛佑気函「CHAKAさんのパワフルなボーカルに圧倒されっぱなしでした。今でもCDショップに行くと、PSY・Sのコーナーを探してしまいますね。
好きになってから、一生懸命レンタルCD屋さんを回って、1stアルバムから
5thアルバムまでダビングしました。(まだ中学生だったのでCDが買えなかった)
そして、とうとう出たベストアルバム「TWO HEARTS」を買ったこと。
念願の「CD」を手にできた時の喜びは忘れられません。
今も大事に聴いています。
やはり、一番最初に聞いた「Lemonの勇気」。
天へ空へココロが還っていくようなゥド垰弋弔弊鴫擦汎・栖兇・箸討眇形・脳弖發任靴拭」
以来、PSY・Sは昔も今も一番のアーティストです。
バービーのあの曲と、PSY・Sのあの曲。編曲は大事と思いましたね。
チャカさんを始めて見て
「女性の歌手でもこういう人がいるんだなあ」と
おもった。
3年前に友達にすすめられた。中三のとき。それまで知らないと思ってたけど、どこかで聞いたことのあるものがけっこうあった。
もっとはやくpsy・sとであえてたらなあ。自分の年令をちょっと恨む。
だって、なかなかCD手に入んないし・・・くう・・。
歌詞やリズムがとても良く青春時代の思い出のアーチストです。
'91にミュージックステーションに出ていたのを覚えています。6年前に「シティハンター」の再放送をやっていて、主題歌の「Angel Night~天使のいる場所」、挿入歌の「Earth~木の上の方舟」を聴いて何となく(笑)いい曲だなあ〜と思いました。思えば、それがPSY・Sを好きになるきっかけだったと思います。ちょうどその頃、高校の同じクラスの女の子がPSY・Sをたぶん好きで、学校に「NON-FICTION」を持ってきてたのを見ました。
唯一、持っていなかったATLASのカセットテープを留学の贈り物にもらった、
高校三年生の一学期最後の夏の日。好きだった人と最後になるべく多く話しておこうと、
たしか、放課後 廊下で非常に緊張しながら機会をうかがっていた。テープを聞きながら。
音楽も詩も、WAVEのようにニューロンのサイナップシスから頬のあたりをさらって行ったけれど、音楽に、感情だけが言葉よりも先行して引っ張られて行って、取り残された私の頭は
リリックをまったく理解できなかった。
1度だけ東京厚生年金会館へライブに行きました。
holidayのツアーでしたが、南組が旬だったころで、ちょうど子役(名前忘れ)の子が
TVにもでたりして、流石さんなども生で見られたのがちょっと得した気分でした。

アルバムではなんといってもholiday。あの肩の力の抜け加減が素晴らしいです。
とにかく僕の音楽人生はPSY・Sによって変わりました!世の中につまらない音楽のみが氾濫していた頃(今もそんな状態ですが、)PSY・Sによって音楽観が一変しました!今は亡きパワステやMZA有明でのライブや渋公、厚生年金、NHKホールでのツアーライブ、更に高校の放送室から当時新譜だった「NON−FICTION」や「ATLAS」を全校に流した事など、今となっては本当に思い出です!!今ではCDでのみしか体験できない彼らの音楽ですが、HPを偶然見つけた僕としては、またおじゃましてPSY・S話、させて下さい!21世紀を記念して復活しないとも限らないし・・・
親元を離れ、はじめて一人暮らしをスタートさせたときに「Lemonの勇気」を聞きました。
とても感動したのことを今でも覚えています。(感動で鳥肌が立つような感じで。)
それ以来ずっと聞き続けていました。
PSY・Sの活動が終わり、持っていたCDも友人にあげてしまいました。
でも、最近ホームページを見つけたのを機に、またアルバムを集めようと思っています。
友人にCDを貸してその友人をPSY・Sのファンにした事
とにかくよくライブを見に行ったなあ。あの頃はいろんなバンドのライブを見たけど、サイズのライブが一番多かったと思う。ジャンルは違うけど、自分もいろんな音楽活動をしていて、サイズは本当に勉強になった。
昭和天皇がなくなって、世の中が喪が明けて一発目のライブ。出来るのかな?出来ないのかな?ハラハラした記憶が懐かしい。
久しぶりにしまっておいたCDを出して来て聞くことにしよう。あいつにすすめてみようかな?
・ビデオで聞いて、名前も何も知らなかったんだけど、
 彼の友達がアルバムを持っていて、テープに入れさせてもらい、
 そのテープをへろへろになるくらい、何度も何度も聞いたこと。

・新宿の焼き鳥屋で、チャカさんが前に座ったこと。
 高校の修学旅行の頃に、セパレート・ブルーをよく聞いてた。
クラスに好きな男の子がいて、でも、ほんとに私達はこの歌みたいに違ってるなあと思って
いたら、それからまもなく、付き合うようになった。。
 なんか、それからずっと、この曲が大好き。
ぼくの買ったCDで、初めての女性ヴォーカルでした。
be with YOUのプロモーションビデオをみて鳥肌たったこと☆
(それから好きになったから)
1989年に福岡でコンサートがあったんですが 客の入りが50%くらいで幕があがった時ステージのメンバーの顔が 一瞬凍りついた事。
ちなみに 僕の生年月日は チャカといっしょの1960 7 16 だーい。
シティーハンターのエンディングで、初めてPSY・Sの曲を聴きました。
その時は「いい曲だな〜!」と思いましたが、PSY・Sの曲だということ、
また、PSY・Sの存在も知りませんでした。
数年後、PSY・Sを知って、これからCDを集め様かな?と思った矢先に
解散してしまい、非常に残念な思いをしました。
もっと早くPSY・Sに出会えていれば・・・。と後悔しています。
中学の時には1,2曲ぐらいしか知らなかった自分が大学に入って知った「Lemonの勇気・呂修慮綣・・稜困澆箒譴靴澆鬟璽蹐砲靴討・譴覿覆砲覆蠅泙靴ソ.  音楽に救われる事なんて無いと思っていたのに。 この曲と出会えて良かったと思っています。
シティーハンター2の感動場面でかかるEARTHがすっごく良かった!
文化祭のバンドでANGEL NIGHTを演奏した。
特に思いではないけど、なぜか季節の変わり目によく曲が思い出されます。
サウンドストリートをよく聴いていました。
MAYSONGの歌詞が違うバージョンがありましたよね。
中学のとき好きな女の子にサイズを教えてあげて二人であーだこーだ話した。そのこには結局ふられちゃいました。今でも思い出すと切なくなります。
とにかく、第1印象からして引きつけられ、とにかく好き。
特にATLAS前後はすばらしい。
松浦雅也:松尾由紀夫or森雪之丞の組み合わせは完璧だった。
解散はきわめて残念。今、これだけのものすごい歌を作る人はいない。
サイズのファンになったときはすでに解散していて、今現在必死になってサイズの情報を探してます。 今自分は20歳で、回りにはサイズのファンがいなくとてもさみしです。 サイズの曲をきいてるとなんだか元気つけられたりして解散してほしくなかったなー
高校時代付き合ってた子のことを「最初のキスを許しながら、急加速でさよならが始まる」って歌詞を聞くと思い出す。彼女が好きな曲だったから。
解散して5年経つけどPSY・Sは心の中で流れてづけてます。CHAKAの声は心に染み渡ります。解散までに1回ライブに行きたかった!93’年末のNHK−BSでのライブ映像は今でも覚えてます。
カラオケで中学生のとき歌おうと思っても、
ぜんぜん入ってなかったのを覚えてます。

歌詞をちょこっと、ノートによく授業中書いてたなー
本格的に聞き始めたのは高校3年生で受験勉強の時によく聞いてました。田舎から上京する電車でも聞いていて、今でもそのテープに入っていた曲を聞くと、新しい生活への不安と期待が思いが蘇ってくる。
初めてPSY・Sを耳にしたのは、ちょうど音楽に興味を持ち始めて
偶然聴いていたNHK-FMから流れてきた"Moonshine"。それまで聴いたことのない
音楽で、とても感動したのを覚えている。その時はアーティスト名も曲タイトルも
聞きそびれたのでそのままにしてしまったが、3年ほど後同じ番組でかかった
"魔法のひとみ"で完全にノックアウトされた。あのときは、まさかこれを
最後にユニットの終焉を迎えるとは思わず、ショックだった。
余談だが、"be with YOU"はシングル、"Emotional Engine"、"Two Bridges"と
すべてバージョン(ミックス)が異なっているが、「流麗さ」という観点から
断然シングルのバージョンを推させていただいた。
マンスリーライブ時代のとき、自動2輪習得とライブと家族旅行とを同時にやってしまったために会社から睨まれたことです。
20歳のときに好きだった人の車の中でよくかかっていたのがNon-Fictionのアルバムでした。それ以来PSY・Sの大ファンです。あれから12年経った今でも良く聴いてはいろんな思い出を思い出しています。そして最近また無性に聴きたくなって家の中を探したのだけどどういうわけか見当たらずあわててCDショップを回っています。なかなか見つからないけどがんばって探します。
一言で語れません...たまたまこのHP見つけて、鳥肌が立ちました...。
高校生の頃、小遣いが少なくてPSY・SのCDを一枚だけ買おうと思ったときGIMMICKがメッチャかっこよかったので、「SIGNAL」を買いました。今でももっています。
大学生のとき(10年くらい前)、JR大阪駅で二人(正確に言うと3人、貝のように開いたギタ−が印象的でした。)のライブを見に行きました。ホントに良かった〜〜思えば、あの頃が私の人生でも、楽しかったときだと思います。今は、忙しくて、コンサ−トとか行けないもんね 〜〜
本来はカラオケ嫌いなんだけど、学生時代の友人のストレス発散につきあって
仕方なく「知らないと思うけど・・・」とkissesを歌ったら
彼女もその曲を知っていたばかりでなく「SIGNAL」を持っていた。
それ以来、急速に仲良くなって今ではもう親友です。
真冬の夜、雪の降る某駅前で恋人とバスを待っていると、不意にどこかの店の有線かラジオから「どうして?」が流れてきた。ムッチャ感動して、「どうして?」を聞くと青春の冬を思い出す。あの時の彼女は今頃どこでどうしているのだろう。
特に松尾由紀夫さんの詩が好きで松浦さんのメロディとチャカの声がマッチして何年経っても色あせない。大好きな人とは心とかテレパシーみたいにつながっている気になる。恋愛だけじゃなくいろんなことが偶然じゃないと気づかせてくれる。今でもよく聴きます。
まわりにPSY・Sを知っている人が殆ど居なくて、知っていても読み方がわからなかったり発音を違えて呼ばれたりで孤独にFANをしてましたが・・・(LIVEも一人で行ってました)ある日、バイトから帰る時、仕事仲間の人に車で送ってもらいました。車のステレオから流れてきたのがPSY・S。(曲がなんだったか覚えていませんが)「あ、PSY・Sだ」とつぶやいた私とその正しい発音に彼も驚いて話が弾みました。その人は今の旦那です・・・
いつぞやのライブに行ったとき、松浦さんに
「PSY・Sファンはリズム音痴」と言われた
事が忘れられません。
だって、図星だったんですもの・・・。
 最後に行った、エモーショナルエンジンツアーではやっつけ仕事っていう感じがして、見るに耐えなかった。その直後に解散してしまったので、やっぱりな!と思った。寂しい、というか悲しい思い出です。
中学1年の夏休みに何気にテレビをつけたらトーイというアニメ映画をやっていた。
そこでLemonの勇気を聞き、お小遣い握り締めその日のうちにCD屋へ走った。
それまでは、クラシックしか興味がなかったのに、体中に衝撃が走った。
中学生の時に偶然レンタルで借りて、そのまま何もなく、その後11年経った現在(2001年)中古CD市でまたまた偶然に見つけ、突然はまりました。PSY.Sを知りたくてここにやってきたわけですが、もう解散してしまったんですねぇ・・・。悲しい。