PSY・Sの思い出 その1 その2 その3
好きになったとたん(ファンになったとたん)もう活動停止状態に入っていると知ったときは悲しかった。でも。いくら全盛期の頃のサイズを知らなくても、曲によっては「なんか聞いたことがあるなあ」と思えるときに幸せを感じました。
あれは22歳の夏のことでした。海へ向かう先輩の車のカーステから,聞こえてきた曲。
すごいと思った。ショックだった。それは,PSY・SというユニットのKissesという曲だと聞いた。それから,ハマりました。まわりではそんなに有名ではなかったけど,ひょんなことから熱狂的なファンに何人か出会いました。親友の奥さんとか(そのころはまだ彼女だったけど。そういえば,初めて引きあわされたとき,親友そっちのけでPSY・Sの話に熱中してしまい,彼がスネてしまったことが懐かしい),取引先の某氏とか(なぜかこの取引先は他にも何人か熱狂的なファンがいることが後で判明した)。
PSY・Sの音楽は,結構,ハマる人はハマるという傾向を持っていると思います(玄人受けする?)。残念なことに,ライブとかは一度も行けなかったけど,結局CDは全部そろえてしまいました。解散してしまって残念ですが,僕の20代の思い出とPSY・Sの曲はいろんなとこでオーバーラップしているので,これからも聴き続けたいと思います。
中3の夏、兄が発売されたばかりのノンフィクションを買ってきた。それまでPSY・Sなんて名前すら聞いたこともなかった。が、最初の曲「Parachute Limit」を聞いた瞬間、衝撃が走った。ほんとにスピーカーから風が吹いているような気がした。それまで聞いたことのない音楽だった。ほぼリアルタイムで聞けたのは幸運だったと思う。初期も大好きだし、後期でも大名曲「魔法のひとみ」など、どのアルバムもいい。クオリティの高い曲が多いので、解散した今からでも、ちょっとした切っ掛けでブレイクするような気がしないでもないがゥァ」
高校生の頃、サウンドストリートを毎週聴いていました。
いまでも、曲を聞くとどきどきします。もう10年以上たつんですね。

なんか見ると、今でも新しいファンがいるみたいですね。ATL
ASのあたりから、あまり熱心とはいえないファンとはいえなくなった
私ですが、いまでもサイズは私の大切な思い出です。しかし当時は本当
にサイズの情報がなかったんですね。あのころこんなページがあったら
なあ、と思っています。とりあえず復刻版を買ってきます。レコードは
あるけどプレーヤーがないんでずっと聞けなかったんですよ、アナザー
ダイアリー。

とにかく学生時代、PSY・Sをよく聴きましたので
今でも曲をかけると自分の部屋や部屋で色々な考え事を
していた自分を思い出します。
まわりにはサイズを知っている友人が少なかったのですが,それでも一時期はコピーバンドを組んで,
学園祭などで演奏していました(ちなみに私はベースです)。主にやった曲は,「ATLAS」から
「Wondering up and Down」,「ファジィな痛み」,「遠い空」,「(北緯35度の)heroism」,「引力の虹」,etc...
というところです。
パワステや渋公によく足を運んだのも良い思い出です(遠い目)。
PSY・Sを集め始めたら解散してたってことでしょうねぇ(泣)
アルバイトしてはじめて買ったCDがPsy・sの「シグナル」。前々から姉に聞かされて
好きだったんだけど、ここまでいいとは思ってなかった。
 3ヶ月ぐらいで全部集めて、買いまくって、最後のベストアルバム買ったときには解散し
てた。凄くかなしかった。

ライブは行ったことないんですが、姉が買ってきたビデオ(シグナル・ビクトリー・ツアー)
を見て、ますますライブに行きたくなりました。
結局、最後までいけずじまいでしたが。
中学校の時から大学卒業まで勉強時のメインのBGMはPSY・Sでした。
当時は「時代の先端をいっているなぁ」とアルバムが発売されるごとに思っていましたが、
いつの間にか時代の方が追いついてしまったという感じです。
また、個人的にDTMを始めたのも「松浦さんみたいな曲が作りたい!」という動機があっ
たからでした。

解散直前のチャカの大阪でのライブで、解散するんだよーって聞いて、マジ泣きました。(恥ずかしい)一回くらいライブ行きたかったなあ。5年に1回くらいでいいからしてくださいよ。松浦さん。チャカさん。(LIVE PSY・Sでやってくれたらもっと嬉しいです)

その1
 私が1stと2ndを初めて聞いた時はまだアナログ盤でリリースしてた時でした。「PIC−NIC」をレンタル屋で借りてきて針を降ろし、「Woman−S」のドラム・ソロのイントロを聞いた時のインパクトはすごかったです。


その2
 大学の3年の時でしたか、学園祭に来たんですよ。ところが、普段告知の掲示のある場所を通ってなかったんでそれを知らなくって、学園祭当日に気が付きのたうち回る思いをしました。(^^;

中学3年の秋に3ヶ月入院してたとき、TVKテレビのミュートマジャパンでAngel Nightのプロモビデオが流れたときがありました。あの映像でPSY・Sが好きになりました。

パラッパの大阪のイベントでまつーらさんと握手してサインをもらったこと。
サイズの時からファンだったことを伝えれたこと。
姉ちゃんも友達からテープダビングしてもら、歌詞カードないからテープから歌詞を書きとてた。だからそれを見ながら歌ってた。たまに間違えたりして。「SIGNAL」は全部書き取ってた。
セパレイトゥ屮襦爾郎・任發垢瓦。爾・イC任燭泙妨・困気鵑任泙后」
生まれて初めて自分で買ったレコードがNon-Fictionでした。(LPとCDと両方持っている唯一のアルバム)自分の中での音楽のルーツとも言える存在です。
Mint ElectricとNon-Fictionのジャケットとブックレットのビジュアル。遡れば今の仕事(Gデザイナー)を始めるきっかけになってます。
最近になって、友達(37歳、わたしは24歳)の友達(は他人(笑))が松浦さんの奥様だと知ったこと。同様に、友達(27)がフェスティバルホールでJeye公山さんのセッションメンバーとしてチャカさんと一緒に出演した時、個人的にフライヤーつくってまいたこと(笑)
チャカさんのソロアルバムの発売日(わたしがフリーになった日と同じ日)
初めてにして唯一いったライブ、Looking for ATRASツアー(大阪厚生年金会館)
あぁ、言い出すときりがないぐらいにあります(笑)
NHKのサウンドストリートの公開放送に行ったこと
(当時15歳)
昔はそそれはまあ毎日毎日聴いていましたがず廼瓩六・皇阿海Δ・覆隼廚Δ・蕕い任后」
歳をとった(笑)せいかもしれないけれど、趣味が変ったというのはたしかにあると思います。
でもやっぱり一番好きなアーティストです。PSY・Sの歌そのものに希少性をだそうとしているのかも。
なんだそれって感じだけど、そのうち無性に聴きたくなる時が来るんです。
そんでもって「やっぱいいな。」と思うんです。
一種の精神安定剤みたいなものかも。
大学の4年間から現在まで、PSY・Sとともにある。
全盛期じゃなく後半(解散するちょっとまえ)に聞きはじめたのでもう少しはやく出会いたかった
・・・解散?
はじめて聞いたのが小学校4年生。そのときの衝撃は今でも忘れてません。
それで、やっとCDが買えるようになってすぐに解散というのもかなりショックでした。
でも、今でも聞けるいいかんじのアーティストだと思います。
今はシングルを探してさまよってます。だれかあ・・・・・・・・・・
タワーレコードでのイベント

サイズの曲を聴くと、高校受験と大学受験の頃を思い出す。
特に大学受験のときミュージックトレンドをよく聴いていました。
(当番組のDJだった高橋基子さんは広島FMのDJとして活躍してます。)

昔CUTY HUNTERにハマっていましたので、そのサントラが好きです。
Angel NightやEARTHですね。
やっぱり一番最初に聞いた曲が思い出深いです。
HOLIDAYのキャンペーンに友達といったとき、友達が書いたアンケートの内容が発表されてしまって、その内容がもててもてて困るという少しうそっぱちだったので、「うらやましい〜。これ誰ですか?」とチャカさんに聞かれて、二人で小さく小さくなってしまったこと。
いや、でもその友達は結構もてたんですけど。
cty hunterは、psy・sのangei nightがないと始まらない!!
だいすきです。
一度しかコンサートにいけなかったのが残念です。(しかもアルバムの中では
あまり好きではない「HOLYDAY」の時のツアー)
でも、「Woman・S 」「薔薇とノンフィクション」「レモンの勇気」
「CHILD」「Angel Night」などの、大好きな昔の曲を聴けて最高に幸せでした。
一番好きな「GIMMICK」を聴けなかったのは返す返すも残念です。
KTV「さんまのまんま」のエンディング曲として、「Woman・S」を聴いた時の衝撃は、
今でも忘れられません。
ただ、真剣に聴きだしたのは、もっと後で、10年ほど前、アルバイトをしていた、本屋の二階
が、レンタルCD屋で、新譜を、二階のスタッフがかけていたのが、階下まで聞こえてきて、
「カッコイイなぁ」などと、ぼ〜っと思っていたら、「Non−Fiction」でした。早速
借りて、それから、ズンズンはまっていきました。「薔薇とノンフィクション」「EARTH」
が大好きで、「EARTH」などは、当時、所属していた演劇部で、自作の芝居を上演したとき
に、ラストシーンのBGMに使ったりもしました。少し、青臭い思い出ですが。
一番好きなのは、やはり、「Woman・S」です。最高傑作だと思います。
こんなに解散にがっかりしたのは、フリッパーズギター以来です。残念・・・
松尾由紀夫さんの詩が大好きでした。
もちろん、松浦さんの曲とCHAKAさんの歌だったからこそなのですが。
解散されて、少し寂しいですけど、街角で偶然遭うみたいに、お二人の曲や歌に
出会うのを楽しみにしています。
一度コンサートにいったことがあります。
普通コンサートに行くと普段家で聞いているレコードより
音が悪く聞こえたり、ヴォーカルが小さく聞こえることに
気づいて愕然とした覚えがあります。
でもサイズはぜんぜん違いました。
チャカのパワフルなヴォイスは、レコードより
ずっとずっとパワフルでした。
それに客層がよかったなあ(苦笑)。
レモンの勇気を初めて聞いたとき、こんなに綺麗な曲が世の中にあるのかと
ほんとうに驚いた
そしてそれは今でも変わらない
最近になってPSY・Sを聞いたのでとくにはないんです。
私がもっと早く生まれていてもっと早くPSY・Sを
知ることが出来れば・・・
初めての出会いがアニメの主題歌で、(歌うまいなあ)という印象がありました。
で、ものすごい時間が経過し、PSY・Sの存在すら頭になかったのですが、
アルバムをレンタルすると、「すごくいいーー!!」となり、現在に至ります。
アルバムは1通り揃えたのですが、シングルがなかなか・・・「CHILD」聞きたいです。
でも、思い出すと「スウィートホームC羈悗了・・帽圓辰討燭鵑任垢茵1撚茣曚泙如」
なぜその時、音楽に注目しなかったのか・・今でも悔やみます。
(思い出になってませんね。すいません。)
サウンドストリートの火曜日っていったら覚えている人の99%以上が「坂本龍一」で
くやしかった。
ライブが大人っぽくて好きだった。アンコールの拍手がすごい揃ってたのとか、アンコール曲用意しないで、本編でやった曲もう一回やったのとか。

浪人中、かなり気に入りました
初めてPSY・Sを知ったのは、「PATIPATI」という雑誌に、「PSY・Sデビュー」の記事を見たのが最初で、何か感じた中学生の私は、母にせがんでLPを買ってもらいました。
それからは、もう夢中で、特にchakaさんの歌声は、私の耳を成長させてくれました。もちろん、松浦さんの影響もすごくて、サンストも聞いていたので、たくさんのアーチストを知ることになりました。広島ではまだLIVEしてくれなかった時、大阪のアムホールまで見に行ったり、chakaさんが初めて広島に来てくれたときは、うれしくて、何時間も広島駅でお見送りするため待ったり、LIVE前に、下手くそな春巻きを作って差し入れしたり、本当にたくさん思い出があります。でも、彼(現旦那)とつきあい始めてから、PSY・Sに注いでいた情熱を全て彼に注いでいたので、後半のPSY・Sの活動は全然知らないんです。だから、解散したことを知ったときは、大ショックでした。でも、もう、何もできない。でもでも、こうしてインターネットをつなぐレベルまできて、こんなすばらしいHPを見ることができてよかった。
PSY・S、ものすごくすきでした。初めて聴いてからもう10年以上になるんですけど、未だに曲が色褪せて
ないです。高校生時代にはコンサートにもたくさん行きました。周りはちょうど今の僕くらいの大人ばかり
でしたけど、毎回毎回興奮してコンサートに行ってました。
特に思い出に残っているのは、「 TWO HEARTS」発表記念ライブです。今はなき「日清パワーステーション」
で行われたものです。幸いにも一番前の方に立つ事ができ、チャカや松浦さん達と目が会った!と友達と喜び
ました。でもあまりにもノリ過ぎて周りの人達に腕をぶつけたり、足を踏んだりして迷惑をかけてました。
今さらながらごめんなさい・・・。
今、再び聴きなおしてみると、チャカの歌唱力と松浦さんの繊細な音づくりに改めて感動します。
これからも永遠に色褪せる事がないPSY・Sの曲の一つ一つが僕にとっての大切な宝物です。
初めて買ったCDがPIC-NICでした。
当時あまりお金が無く、CDを買う
余裕が無かったんで、それこそ擦り
切れるほど?聞きました。
サイズだけは、アルバムを買い&聞き
続けようとしてただけに、解散は大変
ショックでした。

私にとって最初で最後だったPSY・Sのライブ。
席が前から4列目でど真ん中で、隣には当時大好きだった彼氏がいて
(彼氏もPSY・Sのファン)・・・
チャカが途中で泣きながら歌っていたのを思い出します。
高校のときに「Two Hearts」で大いにはまり、ファンになりました。進学先の大学で好きだった男の子が偶然にもPSY・Sをよく聴いていて、CDの貸し借りをしたことで仲良くなれました。思えば共通して好きだったのは結局PSY・Sだけでしたが、よき時代のバック・ミュージックとしていつまでも私の中に残っている音楽です。
初めて歌を聴いて、随分たってからチャカさん本人の姿を見ました。
実際の彼女は想像以上に小柄な人で、びっくりしたことを覚えています。
パワフルで、しかもかわいらしさもある歌声が大好きでした。
解散した今でも大ファンです。
ちょうど今の彼女と付き合い始めた頃にWINDOWが出ていて、今でも聞くたびにその頃を思い出します。
「青空がいっぱい」の歌詞、〜幸せって自分で決めていいのね〜 を噛みしめていたのを記憶してます(笑) 彼女と幸せな時もケンカした時もPSY.Sの曲が頭に流れてました。PSY.Sの曲がなかったら別れてたかもしれないです(笑)
初めていったライブが最後のライブになって少し残念でしたが、札幌が最後だっただけあって凄く盛り上がって楽しかったです。松浦さんが黒いビニールテープで作った即席の髭をつけて遊んでたし(笑)
最後に、こんな素敵なHPを開いて下さってありがとうございます!!
PSY・Sを通じてあまり接点の無かった人とすごくお友達になってしまった事。
これにはお互いが「びっくり」した。
今でもずーっとお友達です。

昔、早朝のFMの番組で岡村孝子さんがオープニングで「WAKE UP」の頭の部分を
使って、目覚ましメッセージを流していたこと。
よくタイマーセットして、これで起きました。
最高にサイズがすきです。
今、ウタダヒカルが注目されてるけど、
僕は断然[サイズ]を応援(遅い?)します。[fromthe planet with love]が
とても好きです。
ああ、チャカさん、松浦さん!!
貴方たちは、僕にとって[神]とも
いえるくらいの存在なんです!!

ーーーーーPSY・S最高!ーーーーー
僕が最初にアルバムのTWO−HARTSを図書館で借りて聞いた時、今まで僕が聞いた中で一番印象に残り、80年代の曲に興味を持ったこととしてPSY・Sの方々には感謝しています。でも、僕は今16歳なので、PSY・Sが解散したことを知らなかったので、とても残念です。
また、再結成等してくれたらありがたく思います。
WINDOWのプロモ−ションで、名古屋のタワ−レコ−ドでサインをもらいました。
今にして思えば、その時が二人を生で見た最初で最後でした。

高校の頃は毎日のように聴いてました。
原チャに乗りながら(危)、電車の中で、放課後の教室で、朝、部活のあと・・・
暇さえあればウォークマン聴いてました。
最近はめっきり聴かなくなってしまいました。

とても、各アルバム毎のコンセプトがよく分かるユニットだったと思います。
個人的には、ホリディでほぼ完成の域に到達して、Windowで行き過ぎて、エモーショナルエンジンは、作りたくて作ったのかなぁと思いました。
 いずれにせよ、自分の大学時代を彩ってくれた大切なユニットでした。
今でも聞くと、大学時代の記憶がよみがえります。
初めてサイズの曲を聞いたときの感動が一番の思い出です。その後、失恋したときや、いろいろな悩みがあるときにいつも助けてくれたのがサイズです。この場を借りてお礼を言いたいです。
シティーハンターで「Angel Night」は知っていましたが、本格的に聴きだしたのは「TWO HEARTS」からです。
PSY・Sがきっかけでシンセ、打ち込みに興味を持つようになりました。
「Kisses」は僕にとって究極のPop Songです。
最近久しぶりに聴いてますが、やっぱりいいですね。

一度もLiveを見ることができなかったのが、非常に残念です。
「Live Psy.s」での沖本君のベースラインが好きでした。
「Toy」のラストで「ガスプ」が演っていた「レモンの勇気」のエクステンションバージョン。
その時聞いたベースの音がずっと気になっていて、調べて行きついた先が「Psy.s」でした。
「Psy.s」の曲を聴いてると、8月下旬から9月上旬にかけての、北海道の爽やかな空の情景が浮かんできます。
思い出というほどでは ないけど ファミコンでパラシュート.リミットのBGMが流れるゲームがあった。多分パクリ?
好きだった女の子に◆リpsy-s』知ってる?・畔垢・譴董□何の?・氾セ┐討靴泙辰燭海函2燭・梁腓C気里海箸・隼廚辰討靴泙辰拭・△了劼郎・匹、靴討襪里・覆 帖」
聞き始めたのは高校生のころでしたが、大学に入ってから付き合い始めた彼がやはり、PSY・Sがすきで、「Two Heart」を繰り返し、何度も聞いたのをよく覚えています。
特に、「ファジーな痛み」は、彼と付き合っていた頃の気持ちとよくシンクロしていて、今でもふと口ずさんでしまうことも。
懐かしい、思い出です。
高校時代にめちゃめちゃはまりました。Non-Fiction最高です。
始めて聞いて以来、何年か経って、知り合って仲良くなる人は決まってPSY・Sを
好きだった。
友達の結婚式に青空がいっぱいを歌ったのにゥヂ膺畧磴世辰燭海函・淵轡▲錺察滷押ヒ
専門学校に通ってたとき電車の中で聞きまくり、テープを10本近くだめにしちゃったこと(笑)あとはゥイ劼澆帖」
chakaさん、マジでカワイイです。

好き〜!
PSY・Sの曲が私の高校時代の音楽のすべてです。
解散して何年か後に初めて聞きました。
とにかく、タイトルと歌詞の独特なところが気に入りました。
もう少し早く知っていたらなあと思っています。
以前文通していた女性と一緒にファンクラブに入りました。結婚を機に彼女とは別れましたが、
そのすぐ後にPSY・Sが活動を休止し、ファンクラブもなくなってしまいました。ふとPSY・Sの曲を口ずさむ度、そんなことを思い出します。
知り合いに広めたら、いつの間にか思っていた以上に広がっていたこと。
再結成してくれ
koukouseino tokino,watasino seisyun subete!
tokuni tanyouno kyokuha muneni simiru.
遠い空、childを初めて聞いたときの衝撃は忘れられない。
音が、声が、体の隅々に浸透していくようだった。

生まれて初めて買った(初めて聞いた)CDがATLASでした。そして1曲目、
Wondering up and downの心に染み入るようなギターが流れた瞬間、ものすご
い感動につつまれたこと・・・この曲を聴くたびに鮮烈によみがえってくる思
い出です。今でもこのアルバム(しかも初回版!)は大切に持っています。
やっぱり「Parachute Limit」の歌詞の聞き間違え(笑)。当時の音の悪いウォークマンでしたので…。でも、そのおかげですっごく興味を持って…運命ですねぇ。例えば、
「たった今」→「艦隊は」など(^^;。 最近だと「Parachute〜」と「月夜の〜」の影響で死ぬ前に一度はやりたかったスカイダイビングとスキューバダイビングをしました。それでも歌詞が分からないとこがありますが、そこがまたgood! あと彼女にフラれた時に聞いた「Silent song」と「Parachute〜」。もう人生の一部ですねぇ・・・。
行きつけのバイク屋の先輩の兄貴の同級がチャカで、その先輩も良く知っているそうです。3軒隣が実家だったとおもいます。
’91にミュージック・ステーションで流石組も加わってフルメンバーでワンダリング・・
をやっていたと思います。VTR残っています。
芝浦INKで当日並んでいて、松浦さんとイマサがオープンカーで、私の目の前を通りすぎていった事。チャカは一人で歩いてきた。ライブ本番、オールスタンデイングなのでスシ詰めとなり、ステージ最前列の、押されて苦しそうなお客さんを見つけたチャカが歌いながら、手を合わせて拝むポーズをしながら、下がってとやっていた事。チャカってやさしいね。
解散してから知ったので(1997年位)ない。
だから、再結成して欲しい。
地下道でPSY・Sの歌を歌っている女の子達に会わなければ、たぶん、PSY・Sの曲を聞くことがなかったんだなあと思います。最初、その人たちのオリジナルかと思いました(笑)
この人たちに出会えて、この人たちの曲に出会えてよかったです。

まだ知って半年もたたないけど、今いろんな友達にすすめています。あの時の自分見たく好きになってくれる人がいて、嬉しいです。
欲を言えば、リアルタイムで出会いたかったなあ・・・
それまで坂本龍一さんのNHK-FMサウンドストリートを聞いていました。で、パーソナリティーが変わると言うことで、4月中は火曜日のサウンドストリートは聞いていませんでした。5月に入って久しぶりに火曜日のサウンドストリートを聞いたら、松浦さんがパーソナリティーをしていました。ぜんぜん松浦さんのこと知りませんでした。もちろんPSY・Sのことも。そのサウンドストリートでMonthly Songとして、毎月一曲番組内で発表されていました。初めて聞いたのがMay Songでした。もう、松浦さん、天才かと思いました。脳天をフライパンで殴られた感じがしました。そんなことはThe BeatlesのPlease Please Meを聞いたとき以来でした(その後、そんなことを感じたことはありません)。それ以来、サイズのファンです。
一番始めの恋人との会話の切り口が、エンジェルナイトを知っているって言うことだったと思う。
高校時代、最初にNHK-FMで松浦氏の声を聴いたときは、「何だかずいぶん生意気な男だな」
と思いました。その後、12インチシングルから『ピクニック』まで、自分で購入しました。
彼らの曲はリリカルで、ユーモアもあり、そして何よりも見えない部分でのリズムの凝り方
が好きでした(後年それが松浦氏のゲームを生み出す力になるとは思いませんでしたが)。
私がそれ以降自分でアルバムを買うことを止めてしまったのは、彼らの「シーズンの流行に
必ず従いつつ良いものを作る」という、おそらくは一つのポリシーに嫌気がさしたからです。
しかしそれがあってこそPSY・Sというユニットは十年余に渡って、生き残り合戦が厳しい
音楽界で残ってこれたんだろうし、特にバンドブームの頃の労作サウンド、『ATLAS』なども
生み出せたんだろうと、今では思います。
今になって、彼等のアルバムを再び買い揃えていますが、そのきっかけとなったのは、友人
からもらった『Emotional Engine』のダビングテープをもらったことです。! !
これが彼等の実質のラストアルバムとは、当初は知りませんでしたが、原点に戻ったような、
もしくは今までのスタイルをパノラマ視するようなサウンド、そして妙に意味深な歌詞に
改めて魅かれました。
この一見まとまりのない印象のアルバムは、どういうわけか、聞けば聴くほど麻薬的にはまる
ものがあり、延々とリピートで聴きました。今でもそうです。
最近『ビブリボン』を買いましたが、松浦氏の可能性を開花させる上で、PSY・Sという、
ある程度もうイメージが定まってしまった活動形態を打ち壊すことは、不可欠のことだった
のだな、と。つまり、彼らほど色んな形態の楽曲にチャレンジしていっても、結局は
「レコードを出してライブをやってる、普通のポップユニット」という形に収まっていって
しまう。そして僕のようなリスナーも、肩の力を抜いて、「サイズって結構良い曲出してた
よな」なんて、いつか納得してしまう。
僕が思うに、松浦氏は、そんな普通の形での音楽的成功は望んでいなかったのだと思います。
ともか・u毆)くも、『Emotional Engine』は、どこか吹っ切れたすがすがしさが漂う名作で、
僕はこのアルバムからPSY・Sに再び帰って来れたことを、幸せに思います。
出会いはシティハンター。2の最初のオープニングのアニメーション、曲とばっちりあってた
のですごいと思ったのが最初。
 しっかり聞き始めたのは大学時代に中古CDを買うようになってから。ポジティブな歌詞と曲が
好きになりました。
 話は前後しますが、高校時代に同じ部活の子が2人で「Moonshine」歌ってました。
 
PSY.Sを知ったときにはもう解散していて。ライブ行きたかったし、ビデオも手にはいらないし。復活とはいかなくても、どこかでもう一度ライブとかしないかなー。
初めて聴いたのは確か12歳だったとおもいます。シティーハンターの主題歌だったと思います。チャカさんの歌声がとてもすきとおっていた。
高校時代演劇部に所属していて、音響を担当していた友人と2人でかなりはまりました。
劇中に使いたい曲をかなりエントリーしたのに、ボーカルが入っているという理由で却下されたときは本当に悔しかったです。ちょうどwindowsが出た辺りにオンタイムで聞いてました。一番音楽を吸収できるときに、出会ったのがPSY・Sだったのは、今の私にもいい影響を与えてくれていると思います。
聞いていると昔を思い出します。
私の実家が山間部の大きな川が流れる物凄い田舎なんですが、
家のすぐ裏を綺麗な川が流れてて。
「水のマージナル」を聞くと夕暮れ間近の水の輝きや美しさを思いだし、
ちょっと切なくなります。
他の曲も沢山の思い出が詰まった曲ばかりです。
中学のとき深夜何気なくかけていたラジオで‘青空がいっぱい’を聴いたとき、私は本当に目の前に青空が広がっているようなすがすがしい気持ちになったことを今でも覚えています。
それから三年間この曲を捜し求め、高校の時やっとみつけました。本当に青空に吸い込まれそうなくらい真っ青な空の世界に引き込んでくれるPSY・Sは私にとって色あせることのないアーチストです。
Parachute Limitの間奏がせつない感じが好きで今でもはまっています。    
僕がPSY・Sを知ったのが15歳(’97年)の時だったから、その時にはもう
PSY・Sが解散していたので、結構悲しかったです。
 小学校6年の頃からMUSIC・STAISIONを時々見ていたけど、その時の記憶が曖昧でよく覚えていません。
 今は、アルバム集めにはまっています。
今度こそライヴに行こうと思った直後に解散してしまった…。
サウンドストリートを聞き出してから
色んなアーテイストに興味を持つようになった
レモンの勇気、woman・S、angel−night、サイレントソングなど
挙げだしたらきりがないが、どれもイントロからすごい衝撃をうけて、そのまま
ノックアウトって感じ。青春時代に聴いたことも影響してるかもしれないが、これ
ほど、ゾクゾクさせるアーティストはいないのでは・・・
NHKの番組で初めてPSY・Sを見て、その音と絵が一致してしまい、そこで一目惚れ。
それ以来ずっと好き。
自分はPSY・Sの曲を聞きながら育った。
僕という人間の中では、PSY・S無しでは
何も語れない。
そう思えてならない。