ハワイ時間3月10日


ハワイの日本人:
 


大人の頭ほどもあるぜんまい
ヒロには日本人が多く住んでいます。人口65000人のうち日本人は35%を占めています。1900年頃から入植がはじまったので、すでに5世の日本人もいます。住宅地を走っていると、日本人が住んでいる家はなんとなくわかるといってガイドは説明してくれました。「ほら、ここは庭が日本式でしょう」と指す家は、石灯籠や池を配して日本風の庭を作っています。また、屋根の軒に四つ菱の家紋をつけている家もあります。竹林や日本から持ってきた花などもあちこちに見られて、ヒロでは朝市でさまざまな日本食も売られているということです。

米もよく食べるのですが、主にカリフォルニア米で20ポンドで6〜7ドルで日本の10分の1の値段です。また日本人たちは、ぜんまいをとって食べているといいます。ヒロ周辺の緑の多い地帯では、熱帯性の羊歯がたくさん茂っているのですが、彼らがぜんまいとして食べているのは頭の丸まった部分の大きさが人間の頭ほどで、茎の部分は私の腕ほどもあろうかというものでした。日本のぜんまいと同じようには食べられないのですが、薄く切って煮て食べているということです。

ハワイ人:

ハワイがアメリカ第50番目の州となってまだ50年ほどです。ここにはもともと住んでいた人たちがいたはずですが、その人たちについてガイドさんにたずねてみました。彼は日本人でハワイに住むようになってからまだ3年半ということなので、あまり正確ではないかもしれませんが、先住民の中にはアメリカの州となったことを喜ばない人たちも多くいるということです。ナバホインディアンの居留区もそうですが、何か特権はあるだろうと再度たずねてみました。ハワイ人の血が4分の1混じっている人には必要に応じて1から100エーカーまでの土地を100年の間1エーカー1年1ドルで貸すことになっているということです。今では純粋なハワイ人は2000人ほどしかいないということも聞きました。

ハワイの若者:

ハワイ島内の学校の建物は緑色の屋根とベージュ色の壁と色が決まっていて、ひと目で学校とわかるようになっています。島ではバスは1日1便程度しか走っていないので、15歳で免許を取り高校生はみな自分の車で学校へ通います。免許はなんと15ドルで取れるのだそうです。島内には大きな産業がないので、子供たちはみな高校を卒業するとアメリカ本土にいってしまって島には若い人が少なくなってきていると聞いて、どこの国でも同じ悩みを抱えているものだと思いました。

お買い物:

ホテルを出て30分近く南下したところで、コナ・コーヒー・ミュージアムで一休みしました。このあたりはコナコーヒーの産地で、売店でコーヒー豆を売っているので、自宅用に一袋買いました。次に休んだのはベーカリーで、ここではタロイモのパンを買いました。ミックスパウダーも売っていたのでひとつ買いました。次はチョコレート工場です。ここでは夫にマカダミアナッツの入った大きなブロックチョコを買いました。もともとお買い物はしないつもりの旅なので、1日かけて買ったのはこんな程度です。あ、それからホテルに帰ってからビーチサンダルを買いました。部屋の中で靴を履いているのもつらいので、足を休ませてあげようと思ったのです。

チョコレート工場
売店

お食事:

朝食は7時に階下のレストランに行く予定でしたが、父も母も食べたくないというので抜きにしました。途中車の中でのどが渇いても困ると思い売店にジュースを買いにいったのですが、入り口に「すぐに戻ってきます」という札がかかってドアが閉まっていました。ちょっと待っていたのですが、迎えの時間に遅れてはいけないのであきらめました。まあ、すぐにコーヒー・ミュージアムでサービスのコーヒーを飲むことができたので心配したような事態にはならないですみました。

昼食はキラウエア火山の手前のゴルフ場のボルケーのゴルフアンドカントリークラブのクラブハウスで、マヒ(マグロ)のソテーを食べました。昨日の昼食も夕食も量が多くて私たちは食べきれなかったのですが、今日の昼食はちょうどいい量でした。元気な男の人は物足りないかもしれないほどの量でした。父は昨日の昼から「コナビール」がお気に入りで、ここでも一本飲んでいました。付け合せにはご飯がついています。7年前に陽子ときたときには炊いたご飯ではなくて茹でたようなご飯が出てきて閉口したこともあったのですが、今回は昨日も今日もちゃんと炊いたご飯が出てきました。父も母もこれには大喜びでした。
 

父のお気に入り KONA BEER
こえび詰テリヤキ風アヒ(まぐろ)
ココナッツジンジャーソース
パスタ、温野菜添え

帰りはホテルの手前でツアーバスを降りて、アリイ・ドライブのコナ・インによりました。昨夜ホテルで食べた夕食を半分しか食べられなかったので、今日は軽く済まそうと思ったのです。食事が終わったら通りでタクシーを拾ってホテルに帰るつもりでした。ショッピングセンターの中央にあるコナ・インに入り、ステーキ・サンドイッチ、チキン・サンドイッチ、ヴェジタブル・サンドイッチを注文して、父は相変わらずコナ・ビール、私はグアヴァジュースを頼んだらパイナップルジュースしかないといわれて、それで我慢しました。3人ともきれいに食べることができ、気持ちよくお勘定をすることができました。そうでないと「食べきれなくてごめんなさい」と謝らなくてはならないので、面倒くさいのです。

ホテルは遠い:

夕食が済んで、予定通りタクシーを拾ってホテルに帰ろうとしました。すると父が「いくらでもないから歩こう」と言いました。別にタクシー代をケチっているのでもなさなそうなので、急ぐたびではないのでちょっと父の言うことに耳を傾けました。「あそこ」と父は海岸に沿って左の先に見えるたてのものを指差し「くらいなら歩けるだろう。タクシーを止めるほどでもない」といいます。私が食後はタクシーを拾ってと考えていたのは、確かドライバーのリッキーが昨日このあたりを通るときに「ホテルまでは後5分」か「5マイル」といったことを覚えていたからです。5分でも5マイルでもタクシー代はそうかからないだろうと思って決めたことです。父が指差す建物は確かに私たちのホテルによく似てはいますが、そうだとすると私の記憶が定かではないということになります。やはりどう考えても似ているだけで別の建物だと思うのですが、確証はありません。父に5マイルと5分のことを話すのですが、聞き入れてくれません。

繰り返すようですが、急ぐ旅ではありません。ここで、無理強いして父の機嫌を損ねるより、時間をかけて納得させたほうがあとの旅がやりやすいと考えて、黙ってついていくことにしました。20分ほど歩いたでしょうか、海岸のほうへ道を折れ、ホテルに向かって歩いているうちに少ずつ父の言葉に力がなくなってきました。ほとんどホテルの正面にきたときには父もすっかり間違いだったと気が付きました。さあ、これでやっとタクシーを拾えると喜んだのですが、このままもう少し歩けば自分たちのホテルに着くと、さらに先へ進もうとします。私たちはメインストリートから海岸のほうに向かって歩いてきたのです、このまま進むよりさっきの通りに戻ってから先へ行くのが筋だと思います。ようやく父を説得して上の道に戻り、反対側からきたタクシーを止めました。「どこに行くのか」「コナ・サーフ」「ちょっと待ってすぐ戻ってくるから」。すぐ先でUターンしてきたタクシーに乗り込んで、私は「コナ・サーフは遠いのか」と聞きました。「ファイヴ・マイルズ」、そう、やはりこのあたりから5マイルあったのです。

時間も5分ほどかかったでしょうか、私たちは運賃とチップあわせて16ドルを払ってホテルの前でタクシーを降りました。父はすっかりしょげ返って、明日からは黙ってあとをついていくとしおらしいことを言っていました。


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