注:筆者はZZ以降のTV版ガンダムは未見です。その点を割り引いてお読み下さい。

ターンエーのあれこれを    *用語解説はコッチ

えー、この番組いつもの富野ガンダムに見られる「人の革新がどうたら」
といった主張は一切ありません。その代わりのテーマは
理想的な封建制度のあり方
であったのではないかと思います。

なんたって私利私欲で動く人間はほとんどいません。
月の女王ディアナ暗殺を目論んだアグリッパにしてもその目的は
権力の奪取にはなく「平和に暮らしてきたムーンレィスの闘争本能が
目覚めるのを防ぐ」という一応は納得できる理由からです。
終盤暴れ回るギム・ギンガナムにしたところでプロの戦闘集団である
ギム家をないがしろにしたディアナは許せん、というだけで
単に気の赴くままに動いただけであるとも言えましょう。
もちろんいい大人ですから月、地球を軍事力で支配する事に思いを巡らせなかった
はずはないでしょうが、彼にとっては権力の奪取はオマケみたいな物です。

地球側ではグエン・ラインフォードが北アメリアの初代大統領への野心を見せますが、
それとて「地球の文明を月のレベルまで押し上げたい」という動機からであり
権力自体が目的ではありません。

そしてディアナは月の民を故郷である地球に返したいというこれまた
(月の)下々の幸せを願って行動を開始したのです。

ところがディアナ・カウンターの戦闘指揮官フィル少佐は独断でノックスを
襲撃してしまい、ムーンレィスの地球帰還は血塗られたものになってしまいました。
こういう人物に指揮官を任せたのはディアナですから戦乱の責任は間違いなく
ディアナに帰せられます。
もっともこのフィルの行動は帰還作戦に反対していたアグリッパの意を
汲んだものと考えられる点もありますが、それとてディアナがアグリッパへの
周到な根回しを怠ったがためです。

そして物語の決着は終盤になって現れたギム・ギンガナムに
全ての業を押しつけて終わりというなんだかしまらないものとなってしまいます。
そのギンガナムにしたところで戦乱というチャンスに乗じて暴れ回ったわけで
黒幕でさえありません。
帰還作戦が無ければ状況に不満を抱きつつもおとなしく生涯を終えていたかも。
彼もまたディアナの犠牲者、という見方も出来るでしょう。

しかしながら主人公のロラン君
「この状況を打破するためには女王を倒さねばならない!」
といった逆心を起こすことはありません。彼は最後の最後まで良き臣下で
あり続けました。また、彼以外の登場人物からもディアナが責任を
問われたことはありませんでした。
「本人は反省してるみたいだから、ツッコむなよ」
てな感じでしょうか。
こうした疑問点を内包しつつも各エピソードを圧倒的な演出力で見せつける
手腕はさすがです。やられた、と思います。


そもそも富野作品と封建思想は根が深く、最初の「ガンダム」にしても
地球の圧制に反発したスペースノイド達はあっさりと「ジオン公国」という
ザビ家の独裁を受け入れてしまいます。
次作の「イデオン」における敵異星人バッフクランは強固な身分制度に支えられた
種族。後に小説版を読んでバッフクランは議会制民主主義を経験した後で
また封建制に戻ったという設定を知り、そんな事があり得るのだろうかと
驚いたものです。

その後「逆襲のシャア」において
「愚民共に今すぐ叡知を授けてみよ!」
とシャアに叫ばせ
(アムロの反論に力が無かった事よ!)「F91」ではコスモ・バビロニアの
創始者マイッツァーに「社会の運営に関わる事が出来るのは自らの身を
戦場の危険に晒す事が 出来る者のみだ。」と言わしめ、そのような人々は
「尊うき者、貴族」
であると規定しています
(ハインラインの「宇宙の戦士」で描かれる社会形態となんだか似てます)。
要するに富野氏は民主主義を衆愚政治であると切って捨ててるわけですね。

一方、氏がガンダムシリーズで何度も否定的に扱った
「下級兵士を問答無用で殴り倒す地球連邦士官」という描写はどちらかと言えば
旧日本軍のような非民主主義体勢下の封建国家に見られる特徴でしょう。
封建制度を受け入れると言うことはこういった嫌な慣習も受け入れると言うことです。
しかしながら、いやそれ故になのでしょうか、富野作品の主人公達が属するのは
たいてい非正規軍。訓練生と避難民の寄せ集めであるホワイト・ベース、
スペースノイドの自警軍的性格のエゥーゴ、そして今回のターンエーにおいては
地球側のミリシャも月側のディアナ・カウンターも市民軍です。

優柔不断の民主主義はダメだ、封建制度がよい。でも理不尽な命令にも
絶対服従を強いられる正規軍の封建的な性格は嫌だ・・・と大変ワガママです。
「立派な君主(出来れば女王)が程良く治めるヌルい封建制」

氏の目指す理想なのでしょうか。まさかターンエーのターンには
「世の中をひっくり返して封建君主を戴こう!」
という主張が込められているのでしょうか?
もっとも現実に存在する天皇制に対しては特に興味は無いようですが。

少し前の事ですが、「銀河英雄伝説」(田中芳樹著)というアニメ化もされた
SF小説がありました。この作品中では

「治世が良くなるも悪くなるも君主個人の資質に依ってしまう封建制より
 民衆の一人一人が指導者の選択に責任を持つ民主制の方が良い。」

という民主主義の封建制に対する優位性が実に明快に語られていました。

これは富野氏が描き続けた封建制度に対する漠然としたあこがれ
(民主政治に対する不信)への強烈な反論となっています。
まぁちょっと考えれば誰にでも分かりそうな事なんですけど。

そこで「銀河英雄伝説」を念頭に置いていたかどうかは分かりませんが、
今回富野氏が自身の考えを補強するためにひねり出したアイデアは

「出来たお人に永遠に統治させればよい」

というものでした。
それがディアナのコールドスリープによる長期間に渡っての統治です。
劇中ディアナにつき合わされてコールドスリープ状態に置かれた人々も
ちらりと登場しましたが昔の埴輪じゃあるまいしさぞ迷惑だったでしょう。
統治を任されたディアナだって大変です。

いくらなんでもこんな設定じゃおとぎ話みたいなものですが
氏はちゃんとその事を自覚しており、「ターンエーガンダム」は
竹取物語や乞食王子のエッセンスを取り入れた寓話的な体裁を取っています。
女王ディアナのネーミングからして月の女神「ダイアナ」から来ているのでしょう。
全くしたたかです。

批判めいた事を延々書いてしまいましたがそれでも「ターンエーガンダム」は
寓話としてみればたいへん良くできた作品であると思います。
そしてマンガチックなキャラクターデザイン、名作劇場の如き美術、
シド・ミードによるあの旧来のガンダム色を払拭したデザインを採用したところに
スタッフの自信が伺えます。
またファンが付けた「白ヒゲ」の蔑称を登場人物達に使わせたり、
「あのヒゲはブーメランだ」との揶揄があればさっそくターンエーの偽物に
ヒゲブーメラン
を装備させたり、グエンの策によりロランが女装させられた件で
やおい方面からのツッコミ
があれば最終回で当のグエンの口から
「愛するローラ」と告白させたりという視聴者の反応を劇中にどんどん
取り入れているかの様な作りは

「君らオタクが脊髄反射で思いついたような安易なおちょくりでは
 このドラマはビクともせん!」

というスタッフの自信の現れでしょう。
また明確な敵キャラクターは存在せず、みんなが状況に翻弄される中
ギンガナムに全ての敵役を引き受けさせるという構成は
「”巨大な敵”なんかいなくてもドラマは作れる」
という
メッセージなのかも知れません。

終局においてターンエーターンXは互いの噴出したナノマシンに封印されて
しまいます。これは富野氏の

「もう、ガンダムはやらないもんね。」

という宣言なのでしょうか。確かに非富野ブランドのガンダム作品が数多く
登場している現在、氏がガンダムにこだわる理由は無いかも知れませんが
個人的にはまた創ってほしいな、と切に思います。

(00.05.14)

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