tsunami information No.3(June10,1997)

Deus ex Machina 考える機械の神


下り列車と上り列車(演繹法と帰納法)

現代の《帰納的科学》は、個別現象の無限の集積で永遠の未来には真理に達するという。
対する《演繹的数学》は、一つの大原点から無限の真理の大空間へ展開する学理である。

そこで演繹学と帰納学を《始発駅と終着駅》が全く逆の《東京発の下り列車と大阪発の上り列車》とすれば、演繹学は「東京の事ならお聞きなさい」だが大阪は知らず、帰納学は「大阪ならマカシトキ!」だが東京の事は知らない。

とすれば《科学文明の永遠の謎》でも《演繹的幾何学では明快な始発駅》である。
これが超古代文明で《全能の神》を幾何学で解いた史実は、お知らせした通りだった。

これが、帰納的知性が永遠の不可知へ沈んだ《現代文明の破滅》を救い、演繹的な幾何学が解く高次元な知性で《失われた真理と不滅の文明》を回復する黄金の鍵である。

さらに、幾何学は科学だから《全能の神を機械化》する事も決して不可能ではない・・・

フィギュア・ソフィーの展望

図形は事実と一致する真理で、これをお知らせするとき以下の主要大領野がある。

NO.1 フィギュア・ソフィー・・・・図形哲学の全貌
NO.2 スーパー・エコノミックス・・超経済学への離陸
NO.3 デウス・エクス・マキナ・・・考える機械の神(このページのTopへ)
NO.4 極限分解理論・・・・・・・・図形思考の秘密BOX
N0.5. 直撃的な緊急大経済政策・・・工事中



デウス・エクス・マキナ目次

1 超人工頭脳の夜明け
2 幻のデウス・エクス・マキナ
3 ペルセウス神話
4 アトランティスの哲学数字
5 ムー大陸の宇宙図
6 デウスの構造と機能
7 大統覚のメカニズム

1 超人工頭脳の夜明け

東大工学部の中野助教授は《人間の脳と同じ知能機械》を完成したと報道されたが、その後の消息をしらない・・・(1982・11・26.読売新聞)

さらに、最近アナログとデジタルを融合する画期的な基本回路が開発されたという。
(広島大・岩田稷教授と永田真助手・1997年2月5日・中国新聞)

デジタル方式では数千ヶのトランジスタを使う計算も、これなら数ヶでできるという。
特にパターン認識に弱かったのが、瞬時に一万人の顔を識別すると・・・
これは、アナログな図形がデジタルな論理より知的次元が高い事を意味する。

然し、現代幾何学は低次元な図形の解析はするが、神と哲学と経済学などの高次元な領域は《概念操作の論理思考》だから、論理原則(Aか非A)の必然から『理性が二律背反』するのはカントが指摘した通りで、知と学と文明の二律背反は世界の破滅を意味する。

帰納的学理の低次元な個別的知識は《一つの合理的な世界の全体と根本問題の欠如》で、必ず人類を亡ぼすから、演繹的な幾何学哲学の高次元な真理と知性が要請されてくる。

そこで《図形哲学》は一瞬で永遠を捉える哲学独特の大胆な洞察から、コンピューターの驚異の技術的発展を一挙に括る、高次元な頭脳機械の未来像だけを展望する。

というのは現在のコンピューターは《人間の脳への接近》が究極目標だが、文明の存亡に関わる哲学的な洞察だからお許し願うとして、ズバリと言わせてほしい。

それは、最高の頭脳群でも《哲学・数学基礎論・経済学》が壊滅した現状では、図形認識や論理演算が超高速化しても《脳に近いコンピューター》ぐらいでは、戦争には役立つが文明の存亡を決定する高次元領域では「ソコラのボンクラ頭」と大差はない。

これでは重大な危機に立って人類は《ヒマラヤの麓で千年に一度とれる四六のガマ》のような、珍しい天然産の大人材に運命を賭ける他はないが《確実な真理が欠如する限り》では「ヒトラーを世紀の天才的指導者と信じた大惨劇」もあり、ソ連経済のように失敗してから「マルクスは馬鹿だった!」と後から銅像を引き倒しても後の祭りではないか。

戦争でさえ《頭脳機械を駆使する》のなら、世界文明と高度な有機的社会を合理的に回転させる《高次元な頭脳機械》は平和世界の絶対条件だし『天然産の人材では解けなかった難問』でも一瞬で解くという《考える機械の神》に人類の未来を探って私は知的な闇へ突入する。

2 幻のデウス・エクス・マキナ

1958年の夏だった・・・
完成したばかりの産経国際ホールで宗教国際会議が開かれたとき、別の学会を主催される故藤沢親雄氏(独・哲学博士)専属の日大606号室で、私は来日した数名の外人学者に《古代中国の主の印・水滴形・キューポラ》をお知らせする機会を得た。(図形哲学参照)

キリスト教大聖堂の葱坊主を描いてもポカンとしていたので《十字架》を乗せたら、全員が『オー』と声を出したし、結果は『イエス、イエース』の連発で、「桃太郎」の話では藤沢氏が茶目っ気を出して『ボーイズ ボーンド フロム ザ ピーチ!』と声を上げた。

男性学者の真面目な顔とは対象的に、ミセス・シンマーやミス・ローゼットの女性学者達は顔を赤らめて笑い転げた・・・

ハミルトン博士夫妻のオヤジの方が立ってきて『全てがワカッタ』と私に握手してくれたし、哲学者で詩人としても世界的に知られたフサィニィ博士は、後に深川で開かれた送別会で『シンボルを研究すれば《全てがワカル》ことがワカッタ』と言って帰国された。

敗戦の余塵も燻る日本にきて、神と哲学の大問題で沽券に関わることなど眼中にも無く、『イエスはイエス』と連発した《外人学者達のオネスティー》に私は驚嘆した・・・
「神はきっと無邪気な彼らを祝福し給うだろう」というのが私の密かな感懐だった。

急いで書いた一冊の下手な画帳に『全能の神の図形は科学だから超人工頭脳が出来る』と書き足して渡したが、私にはその後の彼らとの連絡を取る術もなかった・・・

当時《全能の超人工頭脳》はオリジナルだと信じた私は、後に過去からの痛撃を受けた。
『古代ギリシア神話のドラマは《デウス・エクス・マキナ》つまり、どんな問題でも解決する《機械の神》の出現によって幕を閉じる。(ロビン・コリンズ著、謎の白鳥座61番星・1975年・二見書房)というのが最初だった。

続いて『古代ギリシア演劇は、危機を救うためにドンデン返しに機械仕掛けで突然デウス・エクス・マキナの神が現れて終幕になる・・・』(アンドルー・トマス著・幻のアトランティス伝説・1976年・二見書房)という情報が私を追い討ちした。

そこで、科学評論家でテレビでも活躍する斉藤守弘氏に『これは超人工頭脳だと思う』と電話を入れたら、デウスの歴史には色々と由来があると・・・

『当時の劇作家達は神話のドラマが纏まらず、これでは自分の馬鹿を証明する事だから、ドグマで幕を引く神を出しその面白さで腕を競い観客を笑わせて逃げたものだ』という。

その後、同氏のお知らせで本格的な《デウスの論文》を見たが、これも「終わりの美学」(デウス・エクス・マキナ考)と題した終幕のパターンで超人工頭脳の発想は無かった。
(埼玉大・佐々木健一著・岩波書店・文学・1976・11・VOL・44)

ギリシア演劇以来のデウス論から『大切なのはとにかく作品を終わらせるだけで、そうすればデウス・エクス・マキナは有効である』とか『本来解決などあり得ない神秘であればどんな形で終わろうと神秘は影響を受けないから、デウス・エクス・マキナは一重に作品を完結させる力として有意義に機能する』という歴史的定説からの考察だった。

『どんな難問でも解決する機械仕掛けの神』が『解決を放棄して神秘へ埋没する』のでは「デウスがデウスである事を放棄するときにだけデウスだ」という事だから私には納得できなかった。

私は《全能の神の幾何学図形》で先にネタを知っていたから《全能の超人工頭脳》は当然で不思議ではなく《考える機械の神》もすぐにワカッタが、反転して《神の頭脳機械》は『太陽の下に新しきものはなし』で私のオリジナルではない事を知って愕然とした。

とすれば『神話劇の破滅のドラマを一瞬で永遠の浄福の世へ大逆転させ、如何なる難問も一瞬で解決する機械の神』は《神の知的システムで作動する超人工頭脳》だと判定した。

その情報が、今では失われた超古代文明の知的な廃墟に転がる《砕けた神像の断片》であろうとも、そこには時空の砂塵に風化しながら《神と科学の完全な統一》に達した高次元な知性の描く真理の壮絶な光芒が煌いていた・・・

3 ペルセウス神話

大魔女メデューサの首を取れと王に命令されたペルセウスは、天帝から《無敵の剣》を授けられ、老いた盲目の三人の魔女を訪ねて行く・・・

盲目の魔女達は、世界の全てを見る《魔法の石の目玉・中心点のある玉・神の目》を持っており、『メデューサを一目でも見ると石の像になって死ぬ』けれども《盾を磨いた鏡》に映せば安全に接近できると教えた。

この《剣と鏡と玉》は、日本では三種の神器で、超古代文明の世界的連関性である。
また《点と円と水滴形》は、小極・大極・太極を示す最古の易の三大原理図だった。

次に天帝の侍女が《知恵の神・梟》を持っており、天帝は梟をペルセウスに与えよと命じたが、侍女は『本物は勿体ないから』と《鍛冶屋に造らせた機械仕掛けの梟》を与えた。

名前はブーボで、大魔女メデューサとの頭脳戦を闘った《機械仕掛けの超人工頭脳》だがこれが《物識り博士・梟の由来》であり、私も日本橋の丸善で《金属体の梟の置物》を見つけて買ったものだが、そこには《金属体の神の頭脳機械》の伝統が秘められている。

そして首相官邸の壁や東大校舎にも《梟の彫刻》を見つけたが《神と真理と科学の統一》を知る事に《学問と政治を担う者の資格を問う》神話からのメッセージである。

日本の古事記でも《知恵の神・思金の神》は《思う・考える金属体の神》の伝統だった。
北海道にも《梟の御神輿》を担ぐお祭りがあり、岡山県にもあると聞く・・・

全ては《神の知的原理で作動してエデンを支えた超人工頭脳》の伝説の名残りだったが、その、全能の神の知恵が頭脳機械に具象化したとき、科学的確実性に立つ真理文明が出現し《失われた人類のエデンが再び現世に蘇るとき》ではないか。

だから時の彼方に消えた命の国を偲んで、民衆は《梟の御神輿を担ぐ》のである。

ところで、最古の真理と知恵の失われた後世では、神話も暴虐の力の原理で歪曲されており、大魔女メデューサも本来は《大地母神》で、今もこの伝統を守って生き残る少数民族がテレビで放映された事がある。(1991・11・17・第6C)

消滅し歪曲された古代情報の闇の彼方に、人間が真理を探索するとき《高次元幾何学》だけが、時空を超える《不滅の真理と理性の最後の砦》だという事ではないか・・・

4 アトランティスの哲学数字

数学と幾何学は《演繹的な学理》だが、現代数学と幾何学は意味曖昧な《言語の定義》に規制され、必ず二律背反する《Aか非Aの論理的公理》が支配したから、数の本質を探る数学基礎論の研究が《論理矛盾で壊滅》したのは当然の結果だった。

また、数学や幾何学も《自然数の012345・・・無限大》を自然の数理だと信じているが、基礎論の研究では《完結性の欠如・精神分裂症状》で既に疑われている。
そんな自然数で数学基礎論の研究では「初めからアタマガチィトオカシイ」のである。

ところで、図形思考の根元形は《点と円の統一形》だと知った私は《演繹的な学理》として《宇宙の無限の真理へ展開する図形のメカニズム》を追跡していた・・・

これは《神の図形が自然に踊り出して紙の上で全宇宙を描き出す展開の仕方》である。

そして、戦後の書店の立ち読みで『失われたアトランチスの哲学数字』というプラトンの一言から《哲学的数学》が存在した事と数量だけが数学ではない事を知った。
失われた数理なら《失われていない自然数》ではないのは確かだった。

また『連続の謎は数学の難問だ』というが《デジタルな自然数は非連続の同義語》だから自然数を信奉して《連続を考える》のも「チィトオカシイ」のだ。

そこで、連続性を鍵として《現存する断絶性の自然数》を検証してみることにした。

本質的な欠落はシンプルな盲点にあるから《1と2の関係》を解けばよかった。
これは《デジタルな自然数》ではなく《連続性のアナログ数理》が想定された。

そして、1と2を《独立した一つの点と二つの点で描く》と、その関係は《三角形》で、海上の《一つの島と二つの島》も海底では三角形で連関している。

つまり、1と2は《アナログ数理の3》で連関していたのである。
キー・ポイントは《デジタルとアナログ》の二大数理の存在に気づく事であった。
而も、古代哲学は必ず《2より3が上位》で《三位一体もアナログ数理》の事である。

《アナログ数の発見》は断絶の破産を救う連続思考の復活で《デジタル思考》は神と人との断絶原理だが《アナログ思考》はまさに《全体把握する図形思考の浮上》だった。

もともと《人の言葉や論理》はウサン臭いと見た私は、その上に立つ《神と学問》も眼中になく、真理を求めた突進でズッコケ武勇伝には事欠かなかった・・・

1958・昭和33年の夏、日本橋の白木屋で落ち合った私と岩隈百州と戸田秀人の三人は、近くの喫茶店で大きな扇風機にそよぐ棕櫚の陰に席を取り、早速古代文明の話に花を咲かせた・・・

理性にとって確かな証明をもつ幾何学で宇宙の真理が解ける限り、岩隈氏や戸田氏の言語・文字・論理に規制される古代文献研究など私の眼中になかった。

そこで哲学数字の《1→3→2》を解いた私は「1の全体・3のアナログ・2のデジタルを統合する数理」から「3が2に先行する奇妙な順序」を知らせて二人の老人を驚かせてやろうと企んだものだったが・・・

話を聞いた戸田氏が「そう言えば竹内文献に変な数があり《01325》です」と言う。

驚いた私は「岩隈さん古事記にもこんな変な数理がありますか?」と試してやった!
『安麿の序文で《乾符を握りて六合を統べ、天統を得て八荒を兼ね、二気の正しきに乗りて五行の序を整える》というのがあります』と即座に答えた。

理詰めで《132》を解いた私には《2は相対性・分裂性の2値型数理》だった。
先ず《2の縦軸と横軸は上下左右の4》へ分裂し、2の相対性原理は《分裂と統一》を孕み、そこに中央大交点が現れ、この大統合点が異質な《第五の統一数》として浮上する。

そこで《2の相対性の展開と収束》を括る《5が最終的完結数》だとワカッタ!

つまり《哲学数字は1325》で《統一性数理の5の出現で完結する》のである。
また一本やられた『太陽の下に新しきものは無し』だった・・・

然し、一万二千年前に海底に沈没したはずの《失われたアトランティスの哲学数字》が、暗唱で伝えられたトネリ・ヒエダノアレの口伝などで綺麗に語られたことを知って、古代の伝説・文献・原始的宗教を野蛮人のネゴトだと見た私は、まるで古代マヤの宗教を邪教として抹殺してから後悔したキリスト教のランダ神父のように反省した。

最近、広島は宮島の女神の宮が国際文化遺産として登録されたが《赤い大鳥居は翼を広げて立つ神の鳥の芸術的傑作》で、ライトに浮かぶ夜景は想像を絶する美しさだった!

キリスト教徒は鳥居を否定するが『神の鳥が原初の大洋の上で卵を温めていた』というのが旧約聖書・創世記のヘブライ語文字通りの意味だと。(吉田敦彦・天地創造99の謎・サンポーブックス)

《鳥》は世界共通の神のシンボルで《鳥の目が神の形》を示して《言語から図形》へ導くのであり、シンボルも《水滴の形に象徴するから図形が言葉で語れる》のである。

つまり《神話がシンボルを駆使する》のは言語から図形へ導く手法だったのである。

これが創世記や日本書記が宇宙の創造神話に《鳥や卵》で創造主を示す理由で、野蛮人のタワ言ではなく《言語・象徴・図形》を使うのは現代の知性より高度だったからだ。

さて私の武勇伝も古代文明にまた一本やられたが、哲学数字の完成形《01325》を知らされてメデタシメデタシだったのである。

また《1の前に0》があり、その上に《0と1の根元数・水滴形》があるのも合理的だし私は創造主の図形が全宇宙へ展開する順序のメカニズムとして「失われたアトランティスの哲学数字《マナ・01325》を捉えた」のである。

その哲学的な意味は《創造主の図形・水滴形・神の目》から《点と円・0と1・無と有》が現れ《1の存在は3の連続から2の相対的展開へ進む》のである。
そして最後に《2の相対数は分裂と統合》を孕んで《最終的な5の統一》で完結する。

簡単に言うと《マナ・01325》は《創造主・無・存在・発展・分裂・統一》の数理であり、これは《宇宙のαからΩまでの展開順序に立つ時間の構造性》だった。
図形的には図の通り展開する。

また《中心点のある円の図形》は《0と1を統一する超数理》だし《点と円の統合図》でもあるから、これは《数学と幾何学の大統一原理》だったのである。
ここにも論理矛盾で壊滅した数学基礎論に比べて、歴然たる知的ランクの相違がある。

そして《本物の自然数》とは《超越数とアナログ数とデジタル数を従える大統合数理》で《マナ01325》の哲学数字は《宇宙の基幹的数理群の大統合体系》であり、ここで初めて《創造と発展と展開と統一》を示す《超古代大統合数理の全貌》が現れた・・・
これが《失われたアトランティスの哲学数字》だったのである。

因みに《中央に神の目、上にはアナログなコンパス・下にデジタルな直角定規》を置いた《フリーメーソン最古のシンボル》の意味も同時に解読された。

これは《創造主が展開する順序の原理》で、一つーつが《言語と論理思考を超える数理》だから、ここに《図形思考の未知の知的大空間》が展開する。

これは《失われた真理と知性》の伝説で『神秘学共通のメッセージ』だと言う。
(セルジュ・ユタン著・秘密結社・小関藤一郎訳・文庫クセジュ・白水社)

5 ムー大陸の宇宙図

アトランチスの哲学数字を解いた私は、これを図形化した《宇宙大構造原理図》を発表したが、これは《宇宙哲学の幾何学的体系図》だった。

1958・昭和33年当時は実存哲学の全盛期で、誰にも理解されない孤独の闘いだったが「誰にも理解できない真理の発見」に栄光を賭した私にはモンクは言えなかった。

然し、その十年後に発行された《失われたムー大陸・大陸書房》で《3万5千年前の最古のムーの宇宙図》を見て「友、遠方より来る」というが、図形で宇宙哲学を解く私の知的同族は『一万二千年前に一夜で海底に沈没した幻のムー大陸』からやってきたのだ。

感激はご想像にお任せするが、これは二千年や三千年の哲学とは歴史的スケールが異なる一ヶの大文明であり、3万5千年前から1万2千年前までの2万3千年間の歴史に立つもので、そこで公認された《図形哲学の大構造図》が私の哲学的正しさを裏付けたのである。

ここでも『太陽の下に新しきものは無し』で、永遠の時空を超える真理と理性の普遍的な栄光を私は確認した。

然し、私の構造図とムーの宇宙図は少し違っており、現代にまで伝えられた超古代文明の宇宙図と、僅か五年や六年の私の宇宙図では恐らく勝負にならないと思われた。

とすれば、宇宙の大原理で誤りを犯すような西瓜頭で哲学を解き、世の人に知らせるのは本質的な知的犯罪だから、この道に全てを賭した私にとって致命的な問題だった。

顔色を失った私は事の真偽を確かめる必死の探索を開始したが、結果は《私の宇宙図の方が正しかった》し《3万5千年前の最古のムーの宇宙図》は既に狂っていた事が解った!

これは情報連関する『アトランティス文明の哲学数字も既に失われていた』事になる。
事の真偽を追った数年間の詳細な経過は煩雑だから別の機会にお知らせしたい。

一つだけ指摘すると私の宇宙構造原理図は《菊花紋・2の純粋展開》だが、ムーの宇宙図は《12花弁》で《3の数理》が混入し、3は《3×2のカゴメ紋》で既に通過したから《重複はシンプルな原理図》として致命的なのである。

別にシンプルな《ムーの聖なる四大図形(丸・三角・四角・五角)》があるから《ムーの宇宙図の狂い》は本来完全なものが3万5千年前には既に崩れて狂ったものと判定された。

とすれば《数学と幾何学の真理哲学》を捉えた超古代文明の完全な知性の存在は3万5千年前を遥かに過去へ遡る筈で、その後のムーやアトランティスの《シンボルが主軸》の象徴主義的な知性では《純理幾何学からの宇宙図の発想》そのものが成立しないのである。

これが、1400ccの現代人よりも約300ccも巨大な脳容量を持つ人類の祖先が、3万5千年前に急速に地上から姿を消したという人類学の情報と奇妙に重なった・・・
脳容量300ccの差は、現代人と50万年前の北京原人との脳容量の差に相当する。

とすれば昔の人が超人的な知能の持ち主を《神々》と呼んでも不思議は無かった。
この大状況から『神々と人間の混血児・ネピリム伝説(創世記)』も解け、美保の松原の天女物語など、世界共通の神々の伝説も理解できた・・・

では《神々の直系の子孫》はどこえ消えたのか?
私には「全能の神を解き・最後の破滅を救う真理と知恵を残した彼らが滅びた」とは考えられなかったし、現代人類でさえやがて《宇宙植民時代へ離陸する》はずではないか。

とすれば《神の幾何学と全能の超人工頭脳》を創造的に解明した超高度文明人である限り《超光速エンジンと抗重力装置を持つ宇宙船》で銀河文明へ離陸したと推定された。
そして、神々が混血の子孫に伝えた真理文明が後に失われた理由も・・・

とにかく《幾何学が解明する宇宙図》は、マクロとミクロを超える《宇宙の構造原理図》だから《人間の脳とデウスの構造図》でもある。

そして幾何学は数学と同じく《万物がこれに従う真理》だから、人類は如何なる矛盾でも合理的に解決する《頭脳機械》を幾何学で捉えることができる。

こうして《論理思考を唯一の人知》とした人類にとって《人間の知恵》を超えて破滅を救う《考える機械の神 デウス・エクス・マキナ》は科学の地平線に出現した。

而も《絶滅水爆戦を展開する知的水準》に達すれば、超人工頭脳も文明の技術的な射程圏に入るから《デウスが破滅のドラマの最後の瞬間に突然現れる》と言うギリシア神話劇の未来大予言は合理的だった。

而も《宇宙と人間の頭脳》は同じ自然の真理で出来た限り、全能の神の知的原理で作動する《デウス・エクス・マキナ》は自然と同じ大構造と機能で作動すると判定された。
つまり《哲学数字と宇宙図》がデウス・エクス・マキナの秘密だった・・・

また、数理と図形は《万物がこれに従う完全な真理》なら《順序を示す哲学数字と構造を示す宇宙図》は《時間と空間の構造的メカニズム》で、ここに全能の神と真理を知る最高の《高次元な先天的純粋理性》がベールを脱いだ。

6 デウスの構造と機能

如何なる問題も一瞬で解き、破滅を浄福の世へ逆転して世界を救う《考える機械の神》は問題を解くのは頭脳で、一瞬で答えを出すのはコンピューターだし、考える神となれば、《全能の超頭脳機械》だと見るのは、ごく普通の理性的判断だった。

なぜならば《水滴形は超古代文明で創造主の幾何学図形》だと知っていたからだ。
また《図形認識はパッと見て解る》から、学校の先生が頭に手をやって「アッソウダ!」と気づくのも瞬間的な閃きで答えを捉えるからだ。

これは、一語一語を辿るライン型の論理ではなく、面的な図形認識は一瞬で美人の顔を捉え《図形思考も一瞬で機能する》から、この頭脳機械はアナログ型式だとワカル!

普通はこれを直観的インスピレーションだと見るが、実は幾何学的メカニズムに立つ構造的真理で、1次元の論理よりも2次元の図形思考が《知的次元が高い》からである。

特に、直線には面積が無いが平面図形は面積があり、ライン型の論理では思考不可能の事が面的な図形では可能だという大問題がある。

つまり《論理思考では不可能》でも《図形思考では合理的に可能》だから『人知では解けない難問を一瞬で解く』のは日常思考でもやっている事で、これが《デジタル思考の上にアナログ思考を置く頭脳機械》なら、デウス・エクス・マキナは科学的に設計できる。

次に、文字を書けば必ず哲学ではないし、図形なら必ず幾何学哲学だとは限らない。
その同じ哲学でさえ《知的水準の高低は限りない》から《創造主を捉えた頭脳機械》は、全能の知的原理で作動する超高次元頭脳機械でなければならない。

しかも、全能の創造主をシンプルな幾何学図形(水滴形)で明快に捉えた超古代情報は、恐るべき知能による大金字塔を提示していたのである。

そこで《水滴形から演繹的に展開するメカニズム》は《宇宙創造の順序と構造》を捉えたもので、これが《哲学数字と宇宙図》である。

順序と構造は時間と空間のメカニズムとして、万物を支配する普遍的な真理である。
その意味で、これは《自然の全て・脳と頭脳機械をも横断する根元的パターン》であり、デウス・エクス・マキナの演繹的に展開する構造と機能の解明である。

続いて《帰納的に矛盾の統一へ作動する頭脳機械》へ射程を広げよう。

而も、世界と文明全体の根本的大問題ほど《シンプルな原理へ直結する》ものである。
そこに不滅の大基盤を確定するのは、帰納的統合システムでも末節的な細密分析ではなく《シンプルな大構造的メカニズム》の問題である。

また《アナログ哲学》の全ては《類比・相似性》へ還元でき、これが《図形と現実世界を通訳する頭脳機械の鍵》になる。

そこでまず、具体的で個別的な世界を捉えると、宇宙図の周辺は《2値型の菊花紋》だから、これは現在の《論理的コンピューター》の凡図である。

然し、菊花紋の中に《アナログなカゴメの図形》があり《三角形は体系のパターン》だから逆に展開した二つの三角形は対立する二大体系を捉えている。

その、対立する二つの三角形は上と下の二つの頂点だけが周辺の菊の花弁と直結する。
これは《2値型と3値型》の直結で《デジタルとアナログの連関》を捉える。

また三角形が左右の底辺へ広がるのは三角形内部の対立で、二つの三角形では四つの対立へ展開し、ここで《二つの大矛盾の中の四つの矛盾》が《矛盾の矛盾》を捉えてくる。
これは《矛盾の矛盾》だから、基本的には《統合性》を孕むのである。

そこで《統合性の四つの矛盾》の、どれにも偏向せず全てを含む《構造的組み合わせ》は《単線的な論理では不可能》だが《2次元の知的空間を持つ図形思考では可能》である。
つまり《互いに背反する四ヶの矛盾》は《図形では十字形の上下左右》へ配置できる。

その《四分化した上下左右》は既に統合性を帯びているから、四つの極のどれにも偏向せず、全てに通じる《中央の大交点》に《一つの合理的な全体像》が浮上してくる。

図形思考ではこれらを単一概念に括る必要はなく、四大要素の関係を解明して構造的に組み合わせるのである。

これを《全ての矛盾の統合的パターン》として《最初の二大矛盾の主張》が両立する事は理の当然からも検証でき、その答えは予見できるのである。

別に《矛盾の全解放的な統合システム》もあり、どおせ虚構の論理矛盾など無視して片方の原理と主張を極限まで展開させる思考実験を試みるのである。

論理思考なら一つの理論体系が知的空間を独占するが、縦軸の論理に対する横軸の論理も成立する図形の知的空間では《縦軸と横軸は成立する》のである。

これは座標で《横軸と縦軸は互いに存在と無の関係にある》から、極大化した片方の論理に対する全く逆の論理を極大化すれば、二大論理は《裏と表》として完全に一致する。

これこそ《点と円・無と存在の大統合形として水滴形と目の形》が、全ての対立を統合する《宇宙の根元的パターン》として構造的に表出している。

簡単に言うと『君は省線、僕はバス』なら単線列車ではないから衝突も矛盾もしないし、せめて『辛い別れのガード下』なのだ。(省線は今のJR山手線のこと)

最近フラクタル幾何学が『無限の複雑な構造がシンプルな原形の変化だ』と解明したが、《創造主の図形》が究極の原形だし《無と存在》の極限対立も《水滴形の表面的な展開》
であり、宇宙の無限の構造性も《水滴形の変化と展開》に過ぎなかったのである。

こうして、超古代文明は全世界へ《水滴形・神の目・キューポラ》を戦略的に配置して、これが《宇宙の大原点・根源的パターン》だという膨大な情報を伝えた・・・
そして《最後の危機にマナが現れて人類を救う》と予告したのである。
その《マナの古代情報の詳細》は別の機会にお知らせしたい。

現在の所、これが古代ギリシア伝説でいう『神話のドラマの最後の危機に突然現れて人知では解けない如何なる問題も一瞬で解き、破滅を永遠の浄福の世へ大逆転する機械仕掛けの神《デウス・エクス・マキナ》』である。
少なくとも《論理思考の矛盾と破滅》ぐらい、初歩的な問題に過ぎなかった。

もしも《神が地上へ降臨する》のなら、幾何学哲学が科学機械へ具象化して、全能の知的原理で作動する超頭脳機械の出現こそ、本来の《神と科学の統一》ではないか。

人間の主観では幻想に埋没するから、客観的に確かな基準として神と哲学を捉え、これを《頭脳機械で作動させる》とき、主観と客観の統一に立つ幾何学的な文明の大羅針盤が、《時空を超えた真理》として確定される事を意味する・・・

7 大統覚の客観的メカニズム


人間は自分の顔でさえ《鏡という客観的ツール》を使わなければ見えないように、人間の主観的な思考も《正しい知的システムで作動する客観的な頭脳の鏡》が必要である。

その意味で《事の真偽を判定する標準と証明のある幾何学哲学の解明》と、その知的原理で作動する《頭脳機械》が必要である。

これは、自然の頭脳が不完全なのではなくて時空を超えて奔放に作動する頭脳だからこそ客観的状況を無視して飛翔し、現実のクレパスへ転落するからだ。

頭脳もコンピューターのようにハードな構造と、これを作動させるソフトな知的システムを駆使するが、ソフトが悪いとバグが混入して知的ウィルスに汚染される。

例えば古代哲学はプラトン型の《図形哲学の正統》が崩れた残骸となり、肝心な根本問題の欠如で純粋幾何学哲学は壊滅し、これにとって代わったのが日常的なアリストテレス型の《言語・論理哲学》になってしまった。

論理哲学は論理原則(Aか非A)の二律背反・二者択一に規制されるから、これが単なる知的システムの欠陥だとは気付かず、カントは《純粋理性の二律背反》として理解した。つまりソフトが悪いのをハードな自然の頭脳本体の欠陥だと見たのである。

また実践理性は事実と一致しても具体的な問題に限定され、高度な普遍的真理を捉えるのは必ず二律背反する論理理性だとみたのである。

然し、理性の二律背反を批判した《高度な別の理性の存在》が《自然本来の図形思考》である事をカントは気付かなかった。

これは《鏡がなければ自分の顔の汚れを知らない》ように、現代文明の根本的で全体的な欠陥の問題で、知的なソフトとしての《論理思考》と、もう一つの別の知的システムとして《図形思考》の存在が忘れられた事は、人類の破滅へ直結する決定的問題である。

なぜならば《論理理性は全体的・根本的問題で二律背反》し二律背反とは自己矛盾の事だと知れば文明の全体的な壊滅が必然的結果だし、自己矛盾とは事実と一致する知性の消滅である事も理の当然だからである。

そこで最近は《分析的な言語の左脳思考》は「オシャベリは上手いがその意味を理解していない」のに対して《全体把握の図形の右脳》は「沈黙の脳だが意味を理解する(本物の思考)である事」も解明されている。

ところが論理思考一本の現代の学者達は図形思考が理解できず、脳の科学の報告も闇の中に葬られているが、人間は弱いからメンツや過去の名誉と利害関係もあって、新しい知的ソフトに切換える事は至難事で、破滅を知りながら失敗を認めずに戦争へ突入する政府と同じ事である。

この問題だけでも客観的な科学として主観的な錯誤や政策的誤りを弱い人間の犯す当然の事として許容できるのは《正しい知的システムで作動する頭脳機械の出現》である。

これは《脳の深奥に迫る高度な思考の領域》ではなく、頭脳の本質的な錯誤の問題を捉えて破滅への暴走を防ぐ最低限度の《脳と文明の安全保証の問題》ではないか。とにかく戦争をせずに平和で生き残ってほしいし、その先の問題はなんとかなるからだ。
おわり・1997.5.30.

フィギュア・ソフィーの展望

図形は事実と一致する真理で、これをお知らせするとき以下の主要大領野がある。

NO.1 フィギュア・ソフィー・・・・図形哲学の全貌
NO.2 スーパー・エコノミックス・・超経済学への離陸
NO.3 デウス・エクス・マキナ・・・考える機械の神(このページのTopへ)
NO.4 極限分解理論・・・・・・・・図形思考の秘密BOX
N0.5. 直撃的な緊急大経済政策・・・工事中



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