tsunami information No.4(April1,1998)

極限分解理論(空間回転原理)

脳の秘密BOX


釈迦やキリストはその死後に書かれた「経典や聖書など一度も見た事も聞いた事もない」のに「仏教の本尊・キリスト教の元祖」である。

これは過去の知識の丸暗記ではなく《宇宙と言う名の大聖典》からダイレクトな真理を捉えたのであり、私はその創造的な頭脳の煌めきに憧れて《頭脳の秘密BOX》へ突入した。

もちろん私の西瓜頭では一寸無理だと思ったが、釈迦・キリストが救世主なら二千年も経って第二次大戦の接近が解せなかったのである。

とすれば戦争の無い世の中を実現する本物の真理発見のためなら、どおせこの西瓜頭の一つや二つぐらい、棒に振ろうがドブへ棄てよがお安い御用で『オトチャンのためならエーンヤコーラ』だった。

万一当たれば世のため人のためだから、ドオセヤルナラ「トコトンヤッタルデェー!」と《極限》への突進を決意した。

なぜならば「太郎と花子の唇も無限小を超えた《極限の間隔ゼロ》でキスもできる」のだし『無限などは極限への過程に過ぎない』と数学者ガウスが難しく言っても同じ事だ。

しかも《宇宙の奥義に挑む極限の頭脳戦》なら常識を超えた「怪奇博士の世界」であれ、どんな思考実験でもやるべきだし、最近の物理学も『キチガイ染みてなければ新理論として検討するだけの資格がない』と言い切る・・・

こうして Tsunami は始めから異常な世界へ挑む頭脳戦に「悪魔でもサタンの使いでも上等だ」と開き直っており『この世の貧困も解決出来ず』圧倒的な多数の弱者へ矛盾を転化し、結局は戦争へ転落する現代の学問的知識こそ「本物のサタン」だったのである。

特に《極限の真理》を《マクロとミクロへ探査》すると、とても《有限主義》などで引き下がる事はできず、先ずは《無限の闇》を突破する頭脳戦へスタートした。

これは《現代の有限主義》に目を光らせた《基本単位への懐疑の目》だった。

ここに現代では《異端の高次元レーダー戦》が火蓋を切ったが、この作業は最後に予想もしなかった宇宙像と遭遇した・・・

フィギュア・ソフィーの展望

図形は事実と一致する真理で、これをお知らせするとき以下の主要大領野がある。

NO.1 フィギュア・ソフィー・・・・図形哲学の全貌
NO.2 スーパー・エコノミックス・・超経済学への離陸
NO.3 デウス・エクス・マキナ・・・考える機械の神
NO.4 極限分解理論・・・・・・・・図形思考の秘密BOX(このページのTopへ)
N0.5. 直撃的な緊急大経済政策・・・工事中
極限分解理論  目次


1.マッチ棒の連続体を分解して
2.相対界・中間地帯・絶対界
3.天の東西南北と空間回転原理
4.孫悟空物語の秘密
5.完全な真理の旗の下で
6.キテレツな新宇宙像
7.地底からの襲撃

1 マッチ棒の連続体

昭和の初期だが、広島は広陵中学の幾何学のお時間で『点は大きさが無いが、それが無限に連続して線になる」と教える先生に、私は「ハイ!」と手を上げた。
「大きさゼロの点ならくっつけば長さにならず、離れれば連続した線にならない」と。

先生も困ったらしいが、これは世界的発見だと思って後へ引かない・・・
やがて職員室へ呼ばれて『君が大学へ行ってから教えて貰えるから』と諌められた。

そこで戦後も《連続問題》に引っ掛かっていたが『大きさゼロの点が切れ目なく連続した線になるのはスコラ哲学以来の難問だ』と本当の事を知らされた。(森毅・数学・京大)

《スコラ哲学以来の難問》なら古代ギリシアでも解けなかった人類史上の難問だったし、私は学問の権威より子供や素人の素直な疑問を重視すべきだと考えた。

具体的に考えると《無限小の一線でも完全に切れたマッチ棒》なら、そこから簡単に離れるはずで、引っ張っても離れないのは《無限小を超える完全連続の証明》である。

また《無限が苦手の数学界》が《有限主義に立つ》のは臭い物に目を瞑るお役人根性で、経済問題でも消費税増額と大不況の爆発は薄情な弱者無視の天罰というものだ。

おまけに《有限を単位として測った有限》の理論的根拠は薄弱で、これを当然とするような数学ではエセ宗教の同類だから「俺は数学が苦手で頭が悪い」とガッカリスルナ!

現代の学問や知識人の方が《根本的に本物の精薄》だから、哲学も経済学も数学基礎論も壊滅しており、こんなペテンが「本当にワカッタら頭がドウカシテイル」からだ。

そこで《極限への突入》は《基本的な単位からの変革》で火蓋を切った。

つまり、5センチのマッチ棒も《無限小で測れは無限大》で《ゼロ点なら超無限大》だから《無限や超無限》はどこにでもある現実だったのである。

1×5=5
1/∞×∞=∞/∞=1
0×1/0=0/0=1(1/0は超無限大)

ビッグ・バンも逆算すれば最初の出発は《ゼロ点》だし、宇宙の創造はイキナリ(出し抜け・唐突)に有限が出るワケがないのは当然であろう。

つまり、人間は《有限を基本的単位とする》が、自然と宇宙は《ミクロとマクロの極限を基本的単位》として宇宙へ展開しており、《計算単位も設計原理も人間と自然は逆だった》のである。

これを無視する有限主義が《キスも説明できず無限の前で脳死した》のが現実だった。
こんな数学を威張らせておくとペテンの哲学や経済学とニセモノ文明が人類が滅ぼしてしまう。

弱者無視と人間への愛情の無い学問を軽蔑する私は、、既成の学問の難解な論議以前に《それ自体が既に自明の事》だけを捉え、それだけを集積する新しい学理を追跡した。

言語や概念などは『知性の下僕(プラトン)』としてコキ使ってやればよいのである。
ところが現代の学問的知性には《別の知的システム・図形思考》が無くて『言語や論理に脳を占領された知的ゾンビ』だからエセ宗教の狂信者としてフンゾリ返るのが許せなかった。

とにかく《マッチ棒の極限分解》を一寸纏めて置こう。

【マッチ棒の5センチを1とする】

2 相対界・中間地帯・絶対界

ところで、無限を超えて《ゼロと超無限大》に達しても《無と有の相対界》から出てはいないが、東洋の《絶対無》や反対の《絶対有》は、相対と絶対の中間地帯で言語を超えるから《非言語的な図形の点と円》で示すのが良かろうと判断した。

つまり「点が絶対無なら、円は絶対有になる」関係のメカニズムがあるからだ。

モチロンその先にある《絶対》は相対を超えた世界だが、これをシンプルな図形(水滴形)で捉え、《幾何学で構造的に解明した事実》は図形哲学を参照されたい。

幸いにも私は《極限分解理論》を解き、その真偽を確かめる理論闘争を存分に展開してから《絶対の形・水滴形》と出会ったから、図形哲学の裏の裏まで読み取った・・・(図形思考の秘密BOX)

そこで遂に《絶対界まで突入した極限分解理論》の全容を纏めると次のようになる。

この大円圜図は「一本のタイヤ(円圜)を切り開くように」横一列の図に開くと下の通り
《有限中心と絶対中心》の二つの形になる。


全てを超絶する絶対が《極大より大きく極微より小さい》のは当然」だが《コレガ曲者》で《絶対界を中間として大小関係が逆転する》キテレツな事になる。

これは『マクロ(極大)側から絶対界へ突入して反対側のミクロ(極微)側へ飛び出す』
と《マクロより大きなミクロ》へ出てくる事になる。
逆進すると《ミクロより小さいマクロ》へ飛び出すキテレツな事になる。

この大小逆転の秘密は時空を超えたシステムの世界では《設計図が大小自在に描ける》ように時空の中を変幻自在に移行しても不思議ではない。

例えば《1+1=2》は月と太陽から電子と原子まで同じスケールの真理だし、大空母の設計図をマィクロ・フィルムに写しても《数学的・幾何学的》な完全性の世界だからだ。

3 天の東西南北と空間回転原理

釈迦が《悟りの奥義》を一字不説とサジを投げたから私は「ジャー俺がヤッタロー」と決意したが、時空を超える最高の真理を求めてあてど無くもがいた初期の私は修行・座禅・瞑想・断食・霊感・無我・奉仕など色々模索したが決め手はなかった。

「無我だ無我だと力めば有我になる」という逆説が全てに顔を出したし、夜更けの瞑想では『先祖も人殺しをやって私も生き残った』のだから、心の奥に潜む凶悪な性質が吹き出るのか、生首がゴロゴロ転がって牙を剥いたり、恐怖の絶頂を超えた瞬間に全宇宙が《光の国に変わった》のも、地獄の後に天国が現れるのだろうか・・・

《時空を超えた真理の追跡》で「ここにも、あそこにもあり、而も世界に一つしかない」というキテレツな世界への突進は《脳の限界を破った》のだろうか。

突然《脳の中で光が爆発》し、宇宙の果てまで広がって瞬時にまた脳の中へ収斂した。
《脳》の深層で実在に触れると強烈な光の中に全宇宙が消滅するのは合理的だった。

戦後トラックに跳ねられて都電のレールに頭をぶつけたときも《同じ光の爆発に銀座の街が一瞬で消滅した》が、脳が破壊されるときも《深層の実在に触れる》のだろうか・・・

最初の《光の爆発》で今なら秘密が解けると見た私は、強烈なインスピレーションが覚めやらぬ内に、日常生活に戻っても何時でもこれを思い出せる《キー・ワード》を探した。

つまり「ここにも有り、あそこにも在り、而も世界に一つしかない《大X》」を狙ったとき、それは《東西南北の方角》で、世界に一つで無限にあり、これなら観念論的な幻想や唯物論の物質でもなく、而も《全方角で360度の精密な科学的存在》ではないか!

その後の追跡で《東西南北とはシステムの世界》で《設計図も一つだが大小無数に複製》でき《図形の三角形も数理の1+1=2》も時空を超えた異次元の真理の世界だった。

また《真理に具体的な大小は無い》から「ゴミの中にもあるゼロの一点の中に宇宙の全真理が内在しても不思議では無く」これが《時空を超える宇宙極限の超DNAの存在》ではないか!

『数理が万物を支配する(理論物理学からの報告)』限り、真理に従って宇宙が出現するから、遺伝子DNAも合理的な設計図だし、図形哲学が宇宙の秘密を解くワケでもある。

これが《超世の法と無上の知恵》を菩提樹の下に求めた釈迦が、最後に《真理を探る最高の頭脳戦》に入って『難行苦業など虚しいと放棄した理由』だった!

時空を超える真理が《超世の法》で、真理を知る純粋理性を《無上の知恵》と呼ぶのだ。

また『物質が数理に従う限り』数百億光年の宇宙像は現代の幼稚な実験装置の結果に過ぎず、私は数理と理性の視界で《ゼロ点の中の超無限大宇宙》を捉えたから合理的に納得したのだ。

さらに《マクロとミクロの逆転構造》を解いたとき、空間が3次元で時間が4次元だから《時空を超える5次元宇宙》と遭遇した。(肉眼を超えた高度な理性の眼で見る世界だ)

そこで《絶対と相対の逆転構造に宇宙の整合性》を見るキテレツな視界も開けた・・・
つまり《絶対界と相対界を逆に組み合わせた宇宙》は真理の合理的な必然性だった。

こうして、直線的でしかも回転する《真理の超空間》が理性の視界に飛び込んだとき、私は《真理のオールマィティ・融通無碍の世界》までも合理的な数理の眼で捉えた。

つまり《超論理的な世界は時空を超えた五次元の真理・超世の法》として実在したのである。

4 孫悟空物語の秘密

ミクロとマクロの逆転や、完全直進で回転する話は、多くの人が目を白黒させて一寸理解できなかったので、私は昔の物語を持ち出したものだ・・・

御存じ《孫悟空物語》だが『法師の掌から外へ飛び出して見せる』と大啖呵を切った悟空と三蔵法師の《術比べ》が始まった・・・

そこで伸縮自在の《如意棒》を手に、超光速度で飛ぶ《金斗雲》に乗った悟空は法師の掌から飛び立って《無限大宇宙の果てなる極限》へ突進した。

そして《絶対界へマクロ側から飛び込んで、神通力で反対側へ飛び出した》のである。

当然に悟空は《絶対界より巨大なミクロ側へ飛び出した》し、さらに拡大ラインを直進して《極微側からゼロ点・無限小・有限界》へ到達した。

つまり有限界からマクロ世界へ発進した悟空は《無限・超無限・極大・絶対界》へ突入し《神通力で絶対界を横断した》から《極大より大きい極微》へ飛び出したのである。(空間回転図参照)

それを更に直進して《絶対無・ゼロ点・無限小》の合計で《七天の果てを超えた》から、遂に悟空は《有限界のミクロ側へ現れてきた》のである。

法師の目から見ると時空の彼方へ消えて七天の果てを超えた悟空は、全宇宙を一回りして《豆粒より小さな姿》で法師の掌の中に現れてきた・・・(最初の空間回転図参照)

そこで《宇宙の果てに巨大な五本の柱が立っていた》ので、後の証拠としてその柱に印を付けてから、反転して縮小ラインを逆進して行った・・・

法師の目には掌の五本の指に印を付けてから、再びミクロの中へ消え去って暫くすると、宇宙の果てから帰ってきた悟空が法師の前にヒラリと降り立ったのはよいが、時空の果ての巨大な柱に付けた《印》が、ナント法師の掌の指に付いていたと言うお話し・・・

この話は日本人なら納得したし《宇宙を直進してマクロとミクロが逆転する空間回転構造》を合理的に説明した理論だけは、私のオリジナルだったはずである。

ところが、西遊記は合理的根拠を説明していないが、この物語の背後には《無限・超無限・中間地帯・絶対界までも横断する》という超古代の情報的伝統がなければならない。

さらに『3万5千年前のムー大陸の最古の宇宙図』が既に狂っている限り、考古学の実物証拠が無くても、それ以前の過去に開花した《神々のエデン・真理文明の黄金の御世》からの情報だと推定される。(宇宙図の狂いはデウス・エクス・マキナ参照)

そうなると《神の図形・哲学数字・宇宙図・超頭脳機械》が超古代文明の創造的発見だと納得した私だが《極限分解理論・空間回転原理》までが『太陽の下に新しきものは無し』だったとは、私の西瓜頭はここでまた一発食らった・・・

それは『俺のオリジナルだと威張った悟空がまた一本取られたパターン』だった。

ただ、3万5千年以降に《空間回転原理》を合理的に解明した頭脳と文献資料は無い。
また《図形思考の数学的完全性》なら、人類のエデンを創造した全理論が精密機械のように緊密に連関する《大構造的完全性・万学の女王・本物の哲学》が無ければならない。

当然に《全てが二律背反・自己矛盾する論理思考》は論外の沙汰だし、キスも説明出来ない現代数学の《無限大理論》を持ち出すような《空間回転原理図》では「金鉱脈も知らずに金塊を売りにきた者」に「お前それどこから持ってきた?」という事になる。

5 完全な真理の旗の下で・・・

東大の関係者に《真理》などを言ってセセラ笑われた事があるが《論理はあっても真理が無い現代の学問》に《万学の基礎・文明の土台・根本問題》が解けるワケがない。

これが世界中の大学で『われわれは《根本問題を断念した》のです』と仰る理由である。
然し「大酒呑みなら話はワカルが酒も呑めない奴が禁酒の誓い」とは大嘘ではないか。

そこで《完全な真理・全体把握の図形思考》を死守する私は、個別的な《粒子説》に対して全体連関へ続く性質を秘めた《波動性物理学》の大橋正雄氏が《近似値説》に立つのは惜しいと思ってマゼッカエシタものだ。

「酔ッパラッタお父様は『隣の奥様の方が近似的だったから』とか言って家には帰って来ないだろう」と・・・

《近似値説》に立つ純情で真面目な学者ならショックだと私が睨んだとおり、腹を抱えて笑い転げた先生は、駅へ入ってきた新幹線もお忘れのようだったから、慌てて乗車なさるようお勧めしたが、十数年も前の名古屋駅でお別れの思い出の一駒だった・・・

近似値説の数学者も「昨日の教室は今日も完全に同じだ」と知って講義を始めるのだし、人間には《完全認識》があるから恋人も相手を間違えず、警察も犯人逮捕ができるのだ。

こうして理性の本質から《完全値と近似値を峻別する私》に、S大の数学基礎論を首席で卒業したと聞く某氏が『近似値は完全値になる』と反論してきた。(講演会での出来事)
  9.999・・・∞   10の近似値
−)0.999・・・∞   近似値の1/10を引く

  9.000・・・∞   完全値の9.になる。

権威ある数学界のご説だが、無限を突破できない西欧数学だから無限の先へは進めない。
これを私は《無限小への過程で果てたから近似値が完全値に変わった》と見破った。

特に《10の完全値と近似値の差》は《無限小の彼方の誤差》にある。
それを《無限小への過程で消去する》のは《近似値の誤差の消去と抹殺》ではないか。

私は先述の《極限分解理論》で無限を突破していたから《無限の彼方の誤差》を捉えた。
  9.999・・・∞・・・990.   ・・990. 10の近似値は《無限の彼方でケタ止まり》する。
−)0.999・・・∞・・・999.    1/10. を引く(ケタ下りしている)。

= 8.999・・・∞・・・991.       9. の完全値にならない。

こうして《10.と近似値 9.999・・・∞》には、無限の彼方に《0.000・・・∞・・・001.の誤差》があるから《近似値》であり《進行中で誤差を消去する数学》は《インチキ手品》だと知った私は「数学もインチキ宗教と同じだった」というペテンを無限の彼方で見破った・・・

結局《無限を箱詰めにできる極限分解理論》は現代数学の無敵の城塞を撃破した・・・
この《マジック・ボックス》を知らなければ《極限の頭脳戦》は決して戦えない。

三十年前『極限分解理論を知らないと図形哲学は解らない』とは神戸のS君の指摘だが、『無限の前で《脳死》する数学(現代の知性)』では、経済学でも同じく政策的無能は必然的である。

当然に、血と涙が流れても原因も理解できない《知的な盲者の惨劇》だけがある・・・

半端な知性と経済理論の《物造り主義》で弾けたバブルに『山一証券の倒産』をTVで大騒ぎしているが、結局《公的資金の発行(カネ造り)》が最後の駆け込み寺ではないか。

しかも《経済の全面的活性化が最後の頼み》なら《貨幣創造と国民月給》が決め手だし、政財官界のエゴで《弱者・国民を絞る消費税など自殺行為》だと少しは解るだろうか。(経済SF物語参照)

財界も経済危機で『暗い所へ入る』より《貨幣創造原理の戦略的研究》にだけ未来が開かれる事を予告しておく。(経済SF物語で全てを説明したが直撃的大政策や純粋理論も公開の予定)

6 キテレツな新宇宙像

まず、現代数学や幾何学は《数理と図形の学》を忘れて《言語の定義・論理的公理》に洗脳されて《数理や図形の研究(数学基礎論)》は壊滅し『その代案も無いのが現状だ』という・・・(現代数学小事典・寺坂英孝編・ブルーバックスP.119)

これが(1)カントール集合論の《要素と集合の言語矛盾》から(2)ヒルベルト形式主義も、論理形式にすぎないから《Aか非Aの二大論理形式の大矛盾》で壊滅したのは当然だった。
(3)ゲーデルの結果も《証明不能の証明自身が証明不能の無限循環》で《脳死》するから「ナァーニオヤッテンダ!」という事で、結果は《知的死体の山》になった。

先駆的にはカントの《純粋理性の二律背反》も《論理理性の破産》の取り違えだから、コマーシャルじゃないが『なにが、ピポパじゃ、バカモノメ!』ということだ。

幾何学の前線でも『個々の図形を解く小域的なものから《図形と空間の全体の形》を解明する大域的見地が注目されている』(矢野健太郎・平凡百科事典・幾何学末尾参照)というが、これも『分析的な左脳の論理思考』で探索する限り《全体把握の図形思考》は成立せず《図形と空間の全体の形》が発見できないのは見なくてもワカリキッタ事だ。

正解は《水滴形・中心点のある円の図形・ミクロとマクロの全体の形》だから、図形思考の《点と円・0と1の全体把握に図形と空間の全体の形》が発見されるのである。

コンピュータも《0と1の関係》は説明できず、理由も知らずに実用的に使うだけだ。
これは「結婚して子供ができた」のはワカルが学問的に解明したのではないのと同じだ。

また《創造主の形・中心点のある円》だが《点と円の比較・比率》に全てが現れる。
1.点を有限の点とすれば、円も有限の円になる。
2.点が無限小なら、円はそのまま無限大の円になる。
3.点がゼロ点なら、円は《0対1》で超無限大の円になる。
4.点が絶対無なら、円は絶対有の円になる。(中間地帯・極微と極大)
5.最後に《点と円の全体》は《点と円を超えた絶対界・目の形》だったのである。

そこで、有限主義界を超えて《全ての単位を横断する超単位の発見》のすべてが《目の形・水滴形》に含まれている事になる。

キテレツな話のようだが、紙の上にエンピツで点を打つと実物は有限の大きさの点になるが「幾何学では本当のゼロの点」だから《有限小から超無限小までの単位の変動》は既に無意識では公認されたもので《極限分解理論》はその深層の秘密を明らかにしただけの事である。

そこでこれから断片的な《赤ゲット談話》だが、新宇宙像の初の御案内をしよう・・・

1.現実の不完全主義では、百本の柱を立てるにも一本一本の間隔を測って進むと僅かな誤差の集積で反対側では柱の二本や三本は吹き飛んでしまうが、図面の上で全体を捉えて位置を決めれば、間違いなく百本の柱が立つ。

この場合《全体の設計図の完全性》が主体だから、具体的には一本一本は誤差だらけでも《完全性が支配する》ので《誤差は大構造性の完全性に吸収される》のである。

この《誤差を含む完全性の支配》は図形思考でも高次元な領域で、逆に部分的には完全だが全体として狂ったものは《ゲシュタルトの崩壊》といって狂気の別名とされている。
まるで科学の超兵器は進歩したが、世界全体は絶滅戦争へ突入するのと同じである。

2.ミクロ分析は精密だが『全体把握は大ザッパだ』と言う常識にも文句が言いたい。
つまり大空母の全体の設計図が大ザッパでは、浸水して沈没するではないか!

3.カメラで宇宙を撮影すれば《フィルムに逆転した映像》が写るのは、レンズの中心の《ゼロ点の中を通っても宇宙映像は崩れない》からカメラ屋も商売になるのだ。

これは《ゼロ点が宇宙より大きい》から、小部屋の窓にも月が見え、小さな昆虫の瞳孔が大自然を見るのである。

4.一つの《点》へ宇宙の全方角から無数の線が引けるのは《ゼロ点の円周?》に無限の異なる接点があるからで、その《点の一回転》は無限の距離に達する巨大な車輪になる。

5.紙の上に《曲線が引ける》のも《点と点が異なる接点で連続する》からで、さもなくば《一本線しか引けない》はずで、絵描きは全員が失業してしまう。

6.実験的な秒速30万キロの速度限界説(アインシュタィン)も、日常で使う道具でも「鋏の交差角度が無限小」なら、手元から先端へ走る《接点速度》は《無限大速度》になり、無限大は10以下に0を太陽まで書き連ねてもゼロに等しい巨大な数理だが、その上で現実のハサミも作動しており、速度限界説ではハサミは作動しない・・・

7.海岸線と波の接触も左右どちらへでも走る限り《左右同時なら超無限大速度》だ。

8.チューインガムも無限に薄く噛めば《面積は実際に無限大に広がる》のは簡単な数理で『不思議にも万物は数理に従って動く』と現代理論物理学が告白している。
これは《物質が実在で数理は観念の産物だ》という数学思想の大錯誤を意味する。

9.また、図形は大きくても小さくても構造性は同じで《構造は空間的》だから、ここには具体的な空間の大小を超える《超空間的な5次元空間》が姿を見せている。

10.4次元の時間の世界でも《エンジンの吸圧爆廃は早くても遅くても完全な順序》であり《順序は時間の構造》だから、ここに《時間を超える5次元の時間》が現れる。

構造と順序は《空間と時間に直交する五次元世界》で、その《普遍的な5次元の時空間》を実在として時間と空間の世界が表出した。(特殊は普遍の影だと数学が証明した)

11.また現代の《次元の問題》だが《本元の問題》を忘れており《本元あっての次元》で全ての次元は本元の影だから、キテレツな世界になるが、宇宙の全てを根元から支配する《本元・超時空世界・5次元思考の視界》から捉えなければ宇宙の秘密は解明できない。

12.例えば、もしも全宇宙が《根源の尺度》から全てが縮小すれば、ゼロ点の中に大宇宙が存在し、今の一瞬の中に永遠の時が流れて、地球上では地中海の青い海と白い波・快適に走るヨットと語り合う恋人がいても少しも不思議ではない。(これが事実なのだ)

逆に拡大しても《基準の尺度からの変動》なら、宇宙存在の構造関係は同じだし、人間も見様によっては《巨人に見える》が、反論の根拠も否定すべき証拠も無い・・・

13.ミクロやマクロ世界の研究者にはエイズ病原体も地球も銀河宇宙も構造性の密度は同じで、理性にとって確かな事は《普遍的で構造的な関係のメカニズム》だけである。

ホワィト・ハウスのドームは、たんぽぽの花粉と酷似しており、宇宙探検隊のカメラマンが比較すべき基準を写さなかったので上司に叱られたアメリカSF映画もあった。

現代の構造主義は論理構造に過ぎないから、ポスト構造主義の言語否定も始まるのだが、そんな事なら論理原則の研究で事は済み『神話・野性の思考の研究』は無意味である。

14.この《融通無碍・変幻自在の真理と知性》から《ミクロからマクロまで自在に変動する知性が作動する》のである。

15.また、宇宙の全ての秘密と謎も《ミクロやマクロの壁に隠れている》から理解できないだけで、これを知性の視界へ引きずり出せば全ては「ナーンダ、そんな事か」と解るし解ればそのメカニズムを操作すれば「不可能は無い」から《全知全能》だったのである。

これが古代の神話・伝説で《全能の真理と知恵》が最高の真理として語られた理由だ。

16.また《未来の予告》は後知恵には理解できないから否定するが「月ロケットが○月○日○時○分○秒に、突入角○度で地球大気圏内へ突入する」のは《数理の未来予言》だし、これが《時空を全体把握する図形思考》なら、過去から現在と未来が《割り出せる》のは《大域的な数理哲学の解明》にあり、経済学も政策的結果を知る《理性の勝利》がある。

現代経済学は政策結果を『認識不可能問題』だ(ワカラネエコトガワカッタ)とオゴソカニおっしゃる。

17.科学だけが科学じゃないし、哲学・数学・経済学も《構造的真理の新しい大宇宙像》の探索に《全能文明への大離陸》が開始できるのである。

そこで《真偽判定の標準と証明》に立つ図形思考には《全能の真理と知恵》が現れるから驚異の未来世界が雄姿を現すし、その世界の未来図の徹底的な解明に没頭すると、現在の経済大不況・貧困・戦争・核兵器・毒ガス工場・百万に一人の個人的なサクセス物語りなど、ケチな話は《全能文明と未来経済の威容》を解明するとヤッテラレナイのだ。
(これがとても信じられないから、経済SF物語としたが実は本当の話なのだ!)

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*参考資料*

1宇宙の果て

宇宙は半径百五十億光年と言われるが、天文観測は光りや電波を使う《速度有限説》だが、科学の進歩でより小さく高速度な物質を発見すれば光りや電波の限界を超えて、超無限大宇宙への知的射程が広がる。
ミクロでも無限小がゼロ点に達する限り、マクロでも超無限大に達してよいからだ。

そこで「地球の果てはミクロでは中心のゼロ点で、マクロはその逆の地球の表面になる」から、地表の全地点がマクロの果てになり、これはマッチ棒・原子・巨船・野球のバットも同じで、ミクロとマクロの果ては何処にでもあった事になる。
孫悟空には宇宙の果てに三蔵法師の掌があったのも同じ事であった。

2宇宙の目的

人生の目的とは?にしても《創造的原理》から解けば、最初は《無・ゼロ点・無目的》でも《ゼロ点の中の絶対者》が現れるから、創造的原理として《宇宙の目的・人間の目的》も全てが《高次元な大目的の創造へ進む》事になる。

ゴキブリにも目的があり、人間も愚かな自然破壊や戦争で滅びなければ、知能も進化発展して無限の大目的が創造的に現れ、とても現代人類の知能では予想できない高次元な未来像が待っている・・・

それが原初のゼロ点に内在するから《人間は不滅の命と無上の尊厳》を知っている。
おまけに《極限分解理論》に当て嵌めれば、低次元からこそ高次元へ離陸する事になる。
これは闇の中にこそ光りは鋭く輝くからだし、より深い絶望の闇からこそ大反転した光りへの大離陸がスタートする事を示している・・・

とすれば全ての命・生物・人類は《本来の絶対者への不滅のコースを進む》ことになる。
そこでは《闇と光がより高く交差して人知を絶する高次元宇宙》が待っている・・・

『飛び込んだ力で浮かぶ蛙かな』とか・・・
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7 大統覚の客観的メカニズム

知識人にはキテレツな世界だが、最古の神話・伝説は《オールマィティ》が文明の大原理であり「神が万物を創造した」とは、神が物質以前の非物質(真理)だという事だ。

而も Tsunami.NO.1. でお知らせした《神の造形・一つ目・水滴形・キューボラ》は宇宙根源の真理として《幾何学で解明できる事》はお知らせした通り、全能文明は射程圏内に現われてくる。

然し『右脳を鍛えるといった本が相次いだが、それで首尾よく右脳人間に変身したという人にはお目に掛からなかったような気がする。ブームは比較的短期間で過ぎ去った』と。
(田中三彦・読売書評・1993.3.29.ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか)

その《右脳は図形思考で作動する》から『左脳の言語で器用に語られる図形の右脳論』ぐらいではニセモノで、図形の大原点《水滴形》の欠如は《0と1の無い数学の消滅》と同じで、右脳が作動しないのは当然である。

これは観音・弁天・薬師・吉祥天が持つ《宝珠・水滴形》が神の言葉(真理)を知る奥義であり、これが《超古代からの右脳開眼の正統》として全世界に伝えられたのである。

然しこれが言語の左脳では理解出来ない不気味な世界で《左脳の意識が必死で妨害する》から、右脳開眼には死の恐怖を伴う魔の断絶が横たわると伝えられた・・・

これが『釈迦と魔王・キリストとサタン・魔物が来襲する赤道祭りの大通過儀礼』であり三蔵法師も旅立ちの前夜の夢で『魔の海の彼方に全山キラギラと輝くスメールの島があり決死の覚悟で身を投げた』と伝え『秘密結社の恐怖の入社式』もその模擬的な儀式だ。

つまり、左脳の論理思考は『神の図形と真理を忌まわしい魔物として地底に葬った』から聖王オシリス・賢者ヒラム・観音・閻魔大王等の《知恵の神々の殺害伝説》が残った。

また、信仰上の改宗や主義者の転向も至難事だが《同じ言語思考の中での転向》に過ぎず、図形思考の開眼は《左脳と右脳が知的大主権を争奪する脳の大宇宙戦》へ誘爆する。

特に「パンや水の飢えは失われたものを知っている」が「知的な喪失は失われたものを知らない」から求めもせず与えられても拒絶するから『必ず死ぬだろう』と警告された。(創世記)

而も《善悪の木(論理)の下で、命の木(真理)》を逆に大サタンとして地底に葬ったが「人の言葉を神の言葉の上に置く」(論理だけで真理を否定した)のは《知恵の大原罪》だったのである。

この《高度な知性の喪失》が弾圧された秘密結社の伝える《人類共通の大テーマ》だとは恐るべき事ではないか。(セルジュ・ユタン著・秘密結社・クセジュ文庫・白水社)

さらに《Aか非A》で自己矛盾する学問が『根本問題を断念した限り』朝までTVのガヤガヤ会議も混乱するだけで『重要な問題で意見が一致しない事で意見が一致した』とか。
(ワシントン・ポスト・1979.5.20.読売新聞・同6.25.・迷える米知識人)

この知性の限界は、世界の元首・大統領・首相・政策官僚・学者・言論界の誰もが例外はないから、知的な崩壊・経済危機・文明の破滅を突破する有効な政策は完全欠如した・・・

経済学も『物質は非物質の数理に従う』という現代理論物理学の証言には耳を傾けないから《物質的大生産力》だけを重視して《非物質的大購買力》を軽蔑し、その結果が世界大不況の天罰テキメンなのだ。

然し《数理が主体》なら《貨幣も数理貨幣・国民の最終購買力》こそ経済発展の大原動力で「需要あっての供給」だから《全国民の大購買力主義が真理経済学の正統》である。
これが、唯物科学ではキテレツな世界だから大生産力を抱えて『バカは死ななきゃ治らない』のだ。

戦後間も無く、上野駅で女の子が泣くのでふと見ると、バップ・コーンが道に散らばって屈んで拾おうとすれば幼い手で抱いた袋が傾いてもっと溢れる。
それを見て幼女は狂うように泣き叫ぶが『また買って上げるから』ときつく叱れないのか赤ちゃんを背負った見すぼらしい母親のオロオロする姿が忘れられない・・・

物質が非物質の数理に従うのは、科学者も不思議だと言うが、非物質の《購買力》が実体的な経済を支配するキテレツな世界は、経済学者には理解出来ず『生産力の拡大が購買力になる』と説く精薄的経済学が、全国民の財布を絞り取る《増税・投資万能・税金乱費》で《過大生産力と過少購買力の矛盾》を拡大して破綻するのも同じ事だ。

最高級のロールス・ロイスもハンドルを誤れば鉄の柩に変身するように、真理に背く人類文明が自然の真理と正面衝突するとき『全能の神が裏返しの死神の姿で来襲する』事を意味する。

肉眼重視で電波探知機を軽蔑した日本海軍も米軍のレーダー砲撃戦に砕け散った・・・
こうして《キテレツな宇宙像》への盲者は《異次元の地底の襲撃者》が見えない・・・

そこで、接近する文明の死の大津波の下で《頭脳の高次元レーダーの喪失》を知るTsunami.は、肉眼には見えない《キテレツな地底からの襲撃者》を告げて、母なる太陽第三惑星へ最後まで情報戦の電鍵を叩き続ける・・・

おわり1998.1.13.

フィギュア・ソフィーの展望

図形は事実と一致する真理で、これをお知らせするとき以下の主要大領野がある。

NO.1 フィギュア・ソフィー・・・・図形哲学の全貌
NO.2 スーパー・エコノミックス・・超経済学への離陸
NO.3 デウス・エクス・マキナ・・・考える機械の神
NO.4 極限分解理論・・・・・・・・図形思考の秘密BOX(このページのTopへ)
N0.5. 直撃的な緊急大経済政策・・・工事中



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