Back Numbers : No.10~What else ?



今月はしつこく、山形国際ドキュメンタリー映画祭'97特集をお送りしたいと思います。


こんな映画を観ました !!

折角いろいろな映画を観てきたことですし、ひょっとすると東京その他の場所でも上映される機会があるかもしれませんので、何かの折りの御参考の為に、少しだけ感想を書かせておいて戴こうかと思います。

~コンペティション参加作品~

【アフリカ、痛みはいかがですか ? 】レイモン・ドゥパルドン監督・フランス……アフリカ各地を回り、監督の感じる“痛み”を映像に写している。でも何だか私には、これは監督さんにとっては所詮“自分の問題”という訳ではないのではなかろうかと、どうしても感じてしまったのですが……。

【アムステルダム・グローバル・ヴィレッジ】ヨハン・ファン・デル・コイケン監督・オランダ……アムステルダムに暮らす移民の人々を、そのルーツの世界にまで追いかける。世界は日に日に狭くなる。日本も同様。

【アルプス・バラード】エリッヒ・ラングヤール監督・スイス……アルプス高山地帯の農家の様子を淡々と写し取っている。大鍋でミルクを煮てチーズを作っているところなんて、「アルプスの少女ハイジ」を見て育った世代には感涙モノ ! (高畑さん宮崎さんってどこでそんな資料集めたんだか……)このような暮らしぶりを見ていると、東京みたいなところで無駄な情報に振り回されてごちゃごちゃ忙しくしている生活って一体何なのだろうと、しみじみ考えさせられてしまいました。

【エルサレム断章】ロン・ハヴィリオ監督・イスラエル……リサーチによるエルサレムの歴史についての映像と監督自身の家族史を語る映像が交錯して、“監督にとってのエルサレム”が描写されている。全部で6時間(!)くらいあるけれど、それぞれ1時間弱くらいの7パートによる構成になっているので、見ていてそ~んなにシンドクはないですよ。

【心のこもった台詞】クリスティーナ・ウールフソン監督・スウェーデン……スウェーデンの大女優3人が、先年亡くなった女性映画監督の家に集まって人生を語らう。こんなふうに豊かに歳を取りたいもんだ ! 【LET ME GO…】【母が…】と併せ、これは非常に「岩波ホール」向きの内容なんじゃなかろうか。

【コメディー・フランセーズ-演じられた愛】フレデリック・ワイズマン監督・フランス……コメディー・フランセーズの表裏。内容的にはちょっと冗長かしら ? なんて思ったが、このように古典の、しかも喜劇だけを上演する劇団が現存していること自体に、フランス文化の奥深さを感じてしまうことは必定。(って、これは日本で言えばひょっとして歌舞伎や能みたいなものなのかしら……。)

【3+1】大木裕之監督・日本……あるパフォーマンス公演のライブ・ドキュメンタリーなんだけど……う~ん、純然たる実験映画だとして見ていればこれはこれで面白いんだけど、私の固い脳みそでは「ドキュメンタリーとは外の世界に取材するもの」だと思い込んでいるので、(個人映画にいくら個人の感性をドキュメントしている性質があるとしても)こういうのはいわゆるドキュメンタリーの範疇には入らないんですが……。監督の実績や日本国内の知名度でなければどうしてこの映画をコンペに残したのかは、是非選考委員の人に聞いてみたいところ。

【杣人(そまうど)物語】河瀬直美監督・日本……小川紳介監督が共同体としての農村の記憶を描いたのだとすれば、この作品は小川監督が敢えて描かなかった農村に於ける個人の記憶を描いたもののように見えたので、「こりゃ裏小川紳介じゃん ! 」などと勝手に思ってしまった。【心の…】もそうだが、人生の年輪を経た人の言葉は示唆に富んでいて奥深く、味わい深い。
お星様の【杣人物語】へ飛ぶ

【テンダー・フィクションズ】バーバラ・ハマー監督・アメリカ……同性愛者である監督の個人史を実験映像的な手法も交えて軽やかに描いたものだが、図らずも、60年代以降のアメリカのある一側面を切り取った内容になっている、ように思う。

【母がクリスマスに帰るとき…】ニリタ・ヴァチャニ監督・インド=ギリシャ=ドイツ……第三世界の一部では、貧しさから逃れるためにメイドとして海外に働きに出る女性達が大変大きな外貨の稼ぎ手になっているという。そして残された家族は……。家庭の問題、物質主義文明の問題、そして世界の経済格差や労働負担の問題と、この作品は様々な問いを投げ掛けている。ところで、インドには力のある女性監督さんがまだまだ沢山いそうだなと、私ゃそっちの方でも驚いてしまった。

【プライベート・ウォーズ】ニック・ディオカンポ監督・フィリピン……監督自身の父の思い出との格闘が、日本によるフィリピン占領以下の歴史の痛みの記憶に繋がってくる。ゲイとしての自らの在り方の宣言にもなっているように思う。バランスの取れた手法が見事。

【ペーパーヘッズ】ドゥシャン・ハナック監督・スロヴァキア……共産党時代のチェコスロヴァキアで、政府が少しでもその方針に賛成しない人々をどのように蹂躙していったかに関する貴重な証言集。民主主義ってナニ !? って問い掛けは、実は世の東西を問わないんじゃないかと私は思う。21世紀に残さねばならない超力作。

【LET ME GO あなたは叫んだ】アンヌ=クレール・ポワリエ監督・カナダ……どうして娘は死んだのか ? 麻薬問題絡みで子供を亡くした監督は幾度も幾度も問い掛ける。麻薬問題の解決法を記している訳ではないにしろ、麻薬に走る若者の心情の洞察は実に鋭く、若年層の麻薬使用が浸透し始めているどこかの国でも絶対ひと事ではない筈だ。“I let you go, mon amor”のラストの科白がいつまでも耳を離れない。自らの喪失の痛みをこのような作品に転化した監督の勇気には驚嘆せずにはいられない。

【望郷】(徐小明(シュー・シャオミン)監督・台湾)は時間の関係で見ることが出来ませんでした。また【ロンドン・スケッチ】(ジョン・ジョスト監督・アメリカ)という作品は、フィルム化が間に合わずコンペからは外されたとのことです。

が特に気に入ったのは【アルプス…】【ペーパー…】【LET ME GO…】などで、他に【心の…】【杣人…】【母が…】なんかも良かったです。しかるにコンペの結果は、
大賞……【エルサレム断章】/最優秀賞……【アフリカ、痛みはいかがですか ? 】/優秀賞……【ペーパーヘッズ】【LET ME GO…】/特別賞……【コメディー・フランセーズ…】
となり、ちょっと意外な気がしました。何でも今回の審査基準は、「扱った材料を、知性と決意を以てどれだけとことん最後まで追いかけているか」なのだそうです。はぁ、まぁそう言えば確かにそうなりますか。

~その他の作品~

今回はコンペの作品を中心に観てしまい、他の特集の作品があまり見られなかったので少々残念でした。特に、アジア発のドキュメンタリーの特集である“アジア千波万波”の作品はもう少し観ておきたかったなぁ……。とは言え、期間中に全部で180本余りの作品が上映されたとのことですし、全部という訳にはとってもいかないんですけれどね。
“アジア千波万波”で観た作品の中では特に、キルギスの【魔のつり橋】やカザフスタンの【パラダイス】などが印象に残りました。これら中央アジアの国々からは今回山形に初参加だそうですが、旧ソ時代には撮影所が国で保護・育成されていた伝統があるとのことで、その作品のレベルの高さには目を見張るばかりでした。今では国の援助も無くなり苦しい状況なのだそうですが、今後も何とか気張って戴きたいものです。ちなみに“アジア千波万波”の部門では、この2作品の他に、中国の【鳳凰橋を離れて】、イランの【仕事・仕事】、日本の【虚港】などが賞を取っておりました。
その他、特別招待作品ではフランスのクリス・マルケル監督の【レベル5】、東京税関での検閲が問題になったオランダのヴィンセント・モニケンダム監督の【マザー・ダオ】などが好きでした。どちらも女声のナレーションが音楽みたいで気持ちよかったなぁ……。他には、“日本ドキュメンタリーの模索”という特集で【山谷-やられたらやりかえせ】【KYOTO, MY MOTHER'S PLACE】などが観れたのが嬉しかった。特に大島渚監督の【KYOTO, …】は、今から6年ほど前にイギリスBBCの依頼を受けて創ったもので、『戦後50年 映画100年』という本で脚本を見て以来ず~っと観たかったのよー !! これだけでも山形に来た甲斐があったってもんです。


フォーラムを救え~シネコンの進出による福島フォーラムの危機について

さて私は映画祭の会期中に、上映会場になっているフォーラムの系列の映画館で、『セイブ・フォーラム』という小冊子と出会いました。
これは、山形フォーラムと運営母体を同じくする福島のフォーラムが、ワーナー・マイカルというシネマ・コンプレックスの進出話により経営が危機に立たされており、これを何とか阻止または縮小できないかということで集まった有志が作った冊子です。
セイブ・フォーラム この冊子と映画館の人の話によると以下のようになります。前述の通り、フォーラムという映画館では、スクリーンを幾つか持って一方で少しメジャーな作品を掛けて経営を安定させながら、一方で単館・アート系の作品を掛けるという方法を採っているのですが、これは、東京規模の都市での公開でさえ必ずしもペイするかどうかは分からない単館系の映画を、人口2~30万人の小規模な都市に於いて継続的に掛けていこうとすると赤字ベースになるのは避けられない面もある中で、それでもどうしてもいい映画を映画館で見たいという意思の元に続けられてきた方法論でありました。しかし、このような小規模な都市にスクリーンの数を一挙に倍にしてしまうほどの規模のシネマ・コンプレックスが出来てしまったら、ヒットを確実に見込めるメジャー作品はフォーラムのような映画館には回ってこなくなるので、赤字の穴埋めが出来なくなって潰れるのを待つしかない状態になってしまう、ということになるのだそうです。
確かに、設備更新等の企業努力も行わないような既存の映画館を保護してやる必要はない・旧態依然の日本の興行地図が塗り替えられるのは結構なことだ、という意見には一理あるかもしれませんし、きれいな新しい形の映画館が全国的に増えること自体は悪いことではないのかもしれません。ただ、そのような動きの中で、小粒ながら本当にいいものを送り続ける努力をしてきた映画館が立ち行かなくなってしまうことが、“資本の論理”という言葉のみで簡単に片づけられてしまっていいものかどうかは、大いに疑問なところです。
あの一昔前のバブルの頃の東京で、昔からあった下町のコミュニティが地上げにより幾つも破壊されてしまった時にも、そこで聞かれたのは“資本の論理”という言葉でした。バブルが去っても、一旦破壊されたコミュニティは決して元には戻らなかったように、地方の映画上映運動も、もう元には戻らなくなってしまう可能性はあります。ある人々が必死に守り育てている文化の根を金儲けのために絶やしていいという理屈が簡単にまかり通るようならば、日本という国の先行はやはり明るくないことでしょう。それは決して福島の映画館だけに限った問題ではないように思います。
シネコンというと何だかいい側面の話しか聞こえてこない今日この頃、やはり“資本の論理”だけを押し通して正解な話ばかりではない、と認識を新たにした次第です。しかしそもそも、巨大ショッピング・センターとの抱き合わせによる地域活性化という謳い文句自体が、それこそバブルの時によく聞かれたような安直な都市開発論にそっくりな気がするし、大都市近郊圏で成功したからと言ってそれと全く同じ手法が地方都市でも成立するかどうかは必ずしも分からないような気もするのですが……。シネコンも安易に手を広げ過ぎて、それこそバブルな道筋を辿ったりしないんでしょうねぇ ?

よもやま話の“山形国際ドキュメンタリー映画祭”特集へ行く


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