Back Numbers : No.18~What else ?



ゴジラに寄せるごく個人的かつささやかな感慨について

1999年に空からやってくる恐怖の大王は宇宙人などではなくて核爆弾に違いないと、私はずーっと昔からそう思っていた。最近それが、何だか現実になりそうな勢いで恐い。
自ら強くなったつもりになりたい、周りの国を威嚇したい、また外交上の発言権を増したいと画策している国は、インドやパキスタンだけに止まらず、世界中にゴマンとある。私の頭でも、印パの核実験のニュースを聞いてイラクのフセインさんは大喜びをしただろうな、ということくらいは容易に想像がつく(イラクはもう持っているのでは ? という説はあるが、それを国際的に表明するのとしないのとでは大違いである)。フセインさんが持つのなら、周りの国だって保証のために皆持ちたがるに決まっている。日本だって他人事ではない。以前から北朝鮮に核開発疑惑があったのは周知の通りだが、最近になって、パキスタンと北朝鮮は水面下で手を結んでいるのではないか、という話が流れているのだそうだ。(御存知のように、北朝鮮の建国以来の一番の仮想敵国は常に日本である。)
ウフ・ しかしまぁ土台、ある国々は核兵器を持っていてもOKで他は駄目、なんてロジック自体に、元々無理があったことを忘れてはならない。日本政府は、今更、現状の“核保有国の言い分"を追認するだけの経済制裁を、「唯一の被爆国」なんて全然説得力の無いお題目を口にしてやってるくらいなら(しかし先年のフランスの核実験の時にそういう話があったかぁ !? )、50年前から年間10億でも100億でも投入して、核兵器を持とうとする論理の誤りとか戦争をしようとすることの無益さとかを研究するような政府機関でも作っておけばよかったのだ。50年も活動を続けていれば、今頃は国際的にも説得力のある見解を少しは打ち出し得る存在になっていたかもしれないし、日本という国も少しは、何をどうするべきかということを自分の頭で考える(もしくは研究する)ことの出来る国になっていたかもしれない。
力づくで覇権を狙った戦争なんて負けてよかったのだが、日本がその後理念の無い国になり果てたのは、戦争が終わってから今までの時代の間に国として考える努力を放棄し続けたことの結果に他ならない。(どっかの裁判の在り方が間違っていたせいとかにするなんて、それこそ責任逃れだってば ! )

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