Keisuke Hara - [Diary]
2000/02版 その2

[前日へ続く]

2000/02/11 (Fri.)

ちょっと風邪気味。 三条に出かけ Cafe R***** でホット・オレンジを飲む。 オレンジジュースを温めてリキュールを加え、 シナモンで風味を加えたものである。 しばらく、 「曲面上の関数論(リーマン・ロッホの定理へのいざない)」 (樋口、田代、山崎、渡辺:森北出版)を読む。 最近ちょっと楕円関数の古典論に興味を持っているので、 気軽に読めそうでそれっぽい話のこれを手に取った。 やはり具体的対象があると理解しやすい。

夜は家でチェロを弾く。 ロングトーン、スケール、エチュードと進んで、 "Song of The Pearlfisher" など。 この曲の最後で高音に駆け上がった後、 ピチカートをぽろろんとギターのように弾いて終わるのだが、 そこが難しい。 最後の高音のEは押さえて弾けばサムポジションだが、 ハーモニクスで出せるから易しい… はずなのだが指がぴたっとその場所に行かない。 チェロの一番高い A 弦の駒から三分の一の点で、 指板から転げ落ちそうなほど高い(と僕には思える)。 さらに、その音を出した後、 ネックのポジションに移動して四弦全部をそれぞれに押さえ、 一度にピチカートする所が最難関である。 何度やっても出来ないと、 自分の指が全部ソーセージなんじゃないかと思えてくるなあ。


2000/02/12 (Sat.)

正午まで寝てしまった。 起きたとたん、どうも納得いかないと思って、 また "Song of the Pearlfisher" の最後のピチカードだけ練習するが、 うまくそこに指が行かない。 人差指で低弦二本を押さえて、 中指で三番目を押さえて小指で一番高い弦を押さえる。 ぴたっと決まると純正の和音で鳴るので、 とても綺麗なのだが…

午後は三条、四条とあちこち場所を変えながら、 ちょこちょこと計算したり。 本質的には超関数のフーリエ変換の計算だが、 どうも結果がまだおかしい。どこが変なのだろう… ひょっとしたら本当に不等号の向きが入れ替わるのだろうか。 簡単な練習問題のはずなのだが、 すっきりしないといつまでも気になって、 他の仕事に身が入らないぞ。
夢の中で数学科のA先生に会うと答を教えてくれるという噂。

夜、ヴィデオで「ダイヤルM」を観る。 アガサ・クリスティの作品の中でも特に地味な「ダイヤルMをまわせ」 の地味な映画化。 サスペンスなのに何のサプライズもない滑らかな展開が逆に新鮮。 世界一地味なセレブリティ、 グウィネス・ケイト・パルトロウのやっぱり地味な演技が光る地味な作品でした。 すごい美人なのに顔が憶えられないくらい地味、 って人がいるもんですよね。


2000/02/13 (Sun.)


2000/02/14 (Mon.)

わけあって、土日旅人な旅に出ていた。 車中で「曲面上の関数論」の層の定義などを読み、 また何度目かの分かった気持ちになったが、 やっぱり「どうしてそんなに層がエライのか」 がピンとこない (その結果、すぐに忘れる)。 層を使うとこんなに凄いことがわかっちゃうのだ、 という「ハートにグッとくる説明」((c): N大のC先生) に個人的にまだ手が届いていないからだろうと思う。 また、超関数のフーリエ変換の計算をする。 やはり適当な条件の下で不等号の向きが入れ替わるのではないか、 との予想がリバイバル。

そういうわけで、今日、月曜日に帰宅。 昨日は数学科の採点打ち上げ宴会だったのだなあ。 出席したかった。

旅先で、仏像か名所旧跡みたいな名前の若い女優さん(の卵)に会った。 受験生相手のラジオ番組に出演しているそうで、 R 大の衣笠キャンパスの取材にも行ったと聞き、 愛社精神を発揮して BKC の方も取材するよう熱烈に勧めておく。 次の夏公開の「ダウン・トゥー・ヘル」だったかな、 とかいうホラー映画に出演とのこと。 最近、若い女の子を見ると下心なく可愛いものだな、 と思うようになった自分に少し驚いてみたり。


2000/02/15 (Tues.)

午後から大学へ。卒論ゼミ。 来週の締切に向かって頑張って欲しい。

夜は、今、京都に来ている白井君と H 大の N 君と河原町で食事。 その後、白井君と久しぶりに先斗町の「我留慕」で飲む。 某K女子大学の教授兼附属校校長が来ていて、 からまれつつ大盛り上がり。

その我留慕の壁に、三角の白い布のようなものがかけられていて、 あれは何だと聞いたところ、 芸者や舞妓さんが引かれて正式に辞める時に、 死者の頭に巻く三角のあれを模した白い三角の布を お世話になった所に挨拶として渡すものだと教えられる。 なんでも先斗町で生まれ育った美人舞妓、サラブレッドのKさんが、 良い旦那さんを見つけて舞妓さんを辞めることになったとのこと。 その挨拶のしるしらしい。まったく残念なことである。 私も一度、我留慕で見かけたことがあったのだが、 綺麗な人であった。舞妓さんをやめても、どうかお幸せに。


2000/02/16 (Wed.)

午前中はチェロのレッスンに行く。 若干、昨日の酒が残っていたのだが、 ロングトーンを弾いている間に気分が良くなってきた。 先生は良い音を出すということを非常に重視するので、 ロングトーンの練習が長い。 同じ開放弦を繰り返し弾いていても飽きないのは、 チェロの良い所だなあ。苦労のしがいがあるといいますか。 次の課題曲はベートーヴェンのメヌエット G dur。

午後は自宅で計算などして、 夜は白井君、N 君と三人で伏見の師匠宅にお邪魔し、 奥様の手料理など御馳走になる。


2000/02/17 (Thurs.)

珍しく午前中から大学へ。 雑務少しの後、生協で昼食を食べて、卒論ゼミ。 もう明日の夕方4時が締切なので最終稿の添削である。 それぞれの学生に対して一人ずつ卒論を読み、添削を入れる。 そうこうしている内に、午後1時から学系会議。 会議は一時間半ほどで思いがけなく早く終了し、 三十分ほど隙間が出来たので、 院生の T 君をつかまえて修論発表会の稽古をつける。 ほとんど暇もなく、そのまま三時から教授会。 その後、えんえん、えんえんと教授会は続き、 さらにその後、研究科委員会(この二つの会議はセットである)で、 終了したのは夜の七時過ぎだった。 僕は出なくてもよいが、さらにこの後、 ほとんどの先生方は学位審議会があるのだ。 この三点セットは「殺人会議」の異名を取るだけのことはある。 しかも今日の会議はいつもにもまして、 心がすさみ切る会議であった。 会議の後、まだ最終稿を見ていなかった学生が学校に残っていたので、 その卒論に目を通す。 ふらふらになりつつ帰宅。

「…タクラマカン砂漠のように枯れ果てた私の心は、
チェロの優しい響きにも救われることはなく、
グールドの語るシェーンベルグに癒されることもなく、
ボッケリーニの天上の音楽を持ってしても、
一滴の潤いを与えることも出来なかったのであった…」

原啓介自伝「流れよ我が涙、と数学者は言った」、落涙修行篇より抜粋。 (魔都暗躍篇、絶賛好評配布中)

2000/02/18 (Fri.)

今日の夕方四時が卒論の提出締切り。 僕の学生達はなんとか昨日になって全員、 一応の形になってほっとした。 後の心配は、うっかり今日の締切までに提出するのを忘れる、 などという放心症くらいだろうか。 念のため、提出確認に学校に行くことにしよう…

週末は自宅に籠って仕事しますので、 日記更新は次の月曜日です。


2000/02/19 (Sat.)

午前中に起床し家事を片づけ、午後はあちこち場所を変えながら、 来週末のファイナンス・スクールの講演の準備をする。 準モンテカルロ法なんてまるで知らないので(おいおい)、 最近一から勉強した。 準モンテカルロ法でオプションの価格決定をするという最近の論文を読み、 それをメインディッシュ及びデザートとするようにノートを作った。

それでちょっと思い出したが、 工学部では同じ人が毎年、同じ講義をしているし、 人事の時にはこれこれこういう講義を出来る人を取りたい、 などと言う。 私が今の学科に就職した時、そういう議論にちょっと驚いたものである。 数学の感覚だと、よっぽど専門的な講義を除けば、 講義が始まるちょっと前に勉強すれば講義できるものであって、 実際、まったくその分野の素人であっても講義している場合がある。


2000/02/20 (Sun.)


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp, kshara@mars.dti.ne.jp

この日記は、GNSを使用して作成されています。