Keisuke Hara - [Diary]
2000/02版 その3

[前日へ続く]

2000/02/21 (Mon.)

昨夜はゲームプログラマ km 氏に仕事を発注して、 「電気食堂」で一緒に食事。 ゲーム道の真髄を聞く。

朝から大学へ。今日は修論発表会。 朝十時から夜六時頃まで続く。 内職をしながら聞いていたのだが、 今年はヴァリエーションにとんでいてなかなか楽しめた。 僕が修論の指導をしていた院生に関しては全く心配はしていなかったが、 やっぱり発表が終わってほっとする。 とは言え、さらに週末には卒論発表会があり、気の休まる暇もない。 登校時と同じく帰りも同僚の T 先生と一緒になり、 外留の話などしつつ帰宅。
土日かなり仕事したので、疲れ気味だが、 今週はこの一年で最も忙しい一週間になりそうである。

先週、うちの学科でも修士の後期入試と面接があった。 私もむかし、院試というものを受けたので、その時の想い出話。
私は教養学部基礎科学科から大学院相関理化学研究科に進学した。 どちらも何をしているのか謎な学科だが、 その中に基礎数学教室という所があって、 そこに所属していたのである。 当時、本郷にあった正しい数学科とは別組織で、 なんとなくアウトローな雰囲気ただよう怪しい教室である。 内部進学であるから、 院試と言ってもそうシリアスなものではなかったはずだが、 きちんと外国語と専門の記述試験と口頭試問があった。 語学試験はその前の年まで第二外国語も課せられていたが、 運良く僕の年にはなくなった。 専門は数学、物理、化学、生物から各三題ずつ(二題だったかも) 出されてその中から問題を選択するという恐るべき 一般教養「院試」であった。 私は物理一題とそれ以外は数学を選択したと思う。 その年の数学の問題は特別に易しかったという話なので、 これまた運が良かった。

その次に口頭試問がある。 数学教室の先生方に囲まれて、 黒板の前に座り質問に答えるというものである。 まず、 「どんな本を読んだか」と聞かれたので、 「ディラックの "Quantum Mechanics" を読んだ」と答えると、 一同に失笑を買った。 多分、若気のいたりというか、丁度イキがってみたいお年頃だったので、 素直に数学の本を答えなかったのだろう。 先生方の中にはシュレディンガー方程式の大家 Y 先生もいたので、 今思うと冷汗三斗である。 鮮明に覚えているのは、そこで T 師匠が、 ディラックの本はどうのこうのなどと蘊蓄を述べていたことである。 蘊蓄話が一段落して、さらに「数学の本では?」と聞かれたので、 「コルモゴロフ=フォミーンを読んだ」と答えた。 当時、私の周辺でその本が流行っていたのだ。 するとまた、 コルモゴロフ=フォミーンの蘊蓄話で先生方が盛り上がってしまい、 またしても受験生の私はほったらかしである。 さらに「その本の中で、どの定理が面白いと思ったか」と聞かれた。 私は「特にどの定理ということはないが、 関数空間と言う考え方そのものが面白いと思った」 というようなことを答え、L2近似とか連続関数の稠密性の話などをした。 それでその関係の数学的事実の証明を聞かれたので、 身ぶり手ぶりで説明した。 「まんなかあたりは最大値とイプシロンの積で評価してですね、 遠くの方ではこうなってて…」 その時の手ぶりを思い出すと、 リーマン=ルベーグの定理だったような気がする。 普通は黒板を使って説明するのだが、 何せ、あがっていたので自分のすぐ後の黒板のことは忘れてしまっていたのである。 多分、先生方はずいぶん可笑しかったであろうと思う。 退室してからそのことに気付いたが、 そのおかげで随分ほのぼのとした口頭試問であった。


2000/02/22 (Tues.)

三条に渡英のためのエアチケットを買いに行く。 一緒に連れて行く妻の分を含めて二枚買おうとしたのだが、 担当嬢が言うには、
「奥様は人間ではいらっしゃらないので、 少々お高くなるのですが…」
とのこと。そこで、
「いや、木と羊の腸で出来てはいても人間です」
と答えて、店中の人を壁際まで引かせてもよかったのだが、 タイミングを逸したので、
「でも、帰りには人間になってるかも」
と抑制が効きつつも深みのあるブリティッシュジョークで答えたのだが、 担当嬢の顔は引きつっていた。
そういうわけで、 往復のオープンチケットを予約してきました。 チェロの分は行きも帰りもちょっと高かったです。

今日は学生委員会があるので、 そのために BKC に登校する。 卒論発表を準備中の学生達の様子をちょっと覗きに行って、 年度末独特の書類を色々と作成する雑務をこなし、 図書館に行ったり、生協に行ったりと平凡な一日を送り帰宅。

今日のアルジャーノン・ゴードン効果。
そのために大学に行ったのに、学生委員会に出るのを忘れる。


2000/02/23 (Wed.)

大学へ。今週末金曜日の卒研発表のための稽古をつける。 彼等にとってこれが初めての発表になるので、 やっぱり僕から見てもプレゼンテーションがまるでなってない。 あちこち注意を与えて、また明日手直しを見せてもらい、 明後日の本番に挑む予定。 しかし、ちゃんと今日、通しで発表の練習を出来た学生はまだいい。 今日の段階で出来ていなかった残りの学生はどうなっているのだ… 明後日にぶっつけ本番になったりするのだろうか。 寿命が縮むなあ。 まあ、親の心子知らずで、 学生の方は案外おおらかに構えているのかもしれないが。

忙しくて書くことがないので、また想い出話。
今日は博士課程進学の時の口頭試問について。 進学の時には数理科学に移籍ということになっていたので、 今まで居心地のいい駒場の基礎数学でこじんまりと暮らしてきたが、 いきなり数学科の先生方大勢の前で初めて発表することになった。 なんと大部屋に数学科の先生が満員である。 これは寿命が縮んだ。 口頭試問の内容は修論の発表である。 黒板に向かって緊張に震えながら内容を説明した。 私の修論の内容は確率解析とは言えその本質的部分は、一言で言って、 「根性でテンソル計算をしました。以上」みたいな感じだった。 発表が終わって、幾何の先生から質問があった。 「どうして今時、テンソル計算なの?」 ということである。さらに続けて言うには、 「幾何的な量は座標に依存しない形で書くべきだ。 そうすると幾何的な意味が綺麗にわかるはずだ」 とのことであった。 いわゆる「コーディネートフリーの美学」である。 今の私は昔よりずっとずうずうしくなったので、 そんな風に綺麗にわかる数学だけが数学ではない、 くらいのことを言ってみたい所だが、 その時の私はその発想にちょっとしたショックを受けた。 なるほど、座標などの具体的な設定に依存しない量こそ、 綺麗で本質的な対象なのか。 そういう考え方があることを、 修論を書いた後にようやく知ったのである。 もちろん今ではそういう考え方の方が数学として自然だと思う。 数学を学ぶ者としては随分うぶだったというか、 奥手のほうだったのだな、と今になって思う次第である。


2000/02/24 (Thurs.)

午前中は昨夜に引き続きファイナンス・テクノロジ・スクール用の プログラムをちょこちょこと手直しする。 ちなみに、確率微分方程式を差分近似して、 疑似乱数で解をうんとこさ発生して汎関数の平均を取ることで、 ディリバティブの価格計算をするという、 あまり知性の感じられない準モンテカルロ法のプログラムである。
午後から大学へ。 明日に迫った卒論発表会の稽古をつける。 まあこれでよかろうと思う学生もいる一方、 まさに今からスタートして今夜から朝までが勝負か… と思う学生もいて、明日の本番が冷汗三斗である。

夜は膳所にチェロのレッスンに行く。 スケール、エチュードをやって、 ベートーヴェンのメヌエットの冒頭部分を練習する。

夜、KO 大の N 氏から電話。 今、奈良先端に来ていて明日帰るのだそうだ。 八咫の二階のバーを絶賛して悔しがらせてみたり。 お互い多忙で一緒に飲めないのが残念である。
深夜はさらに講演の準備の予定。 明日は朝九時から夜までぶっ通しで卒論発表会。 翌日は始発で東京に移動、午後講演。 死なない程度に頑張りたい。


2000/02/25 (Fri.)

朝から雪降る中、BKC へ。 朝九時半から夜六時まで卒論発表会。 心配していた学生達も結構そつなく発表をこなし一安心。 親はなくとも子は育つ。 発表会の合間の休憩時間に明日の講義用のプログラムを手直しして、 東京の講演会場にメイルで送ったり、 二月末が締切の科研費を使い切るべく生協で無駄使いをしたり、 気の休まる時間のない一日であった。

帰宅して、食事をし、チェロを弾いて、二時間ほど仮眠を取る。

明日からファイナンス関係他でしばらく出張なので、 次回更新は多分次の水曜日。


2000/02/26 (Sat.)


2000/02/27 (Sun.)


2000/02/28 (Mon.)


2000/02/29 (Tues.)


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp, kshara@mars.dti.ne.jp

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