Keisuke Hara - [Diary]
2000/10版 その1

[前日へ続く]

2000/10/01 (Sun.)

(以下で「木製の王子」の内容に言及しますので、 未読の方はお気をつけ下さい。)

午前中は半年ぶりにチェロのレッスンに行く。 半年間かなりさぼっていたので、 特に音色が悪くなっていたようだ。 やはり毎日弾きこんでいるチェロと そうでないものとはすぐに音色でわかるらしい。 実際にはチェロそのもの音色が落ちるというより、 弾く本人の弓使いの手が落ちるのだろう。 スケールとエチュードを中心にチェックを受ける。

夕方から三条に出て本を買う。 「テロリズムとは何か」(佐渡龍己)、 「不平等社会日本」(佐藤俊樹)、 「にごりえ・たけくらべ」(樋口一葉)。 Cafe R***** で珈琲を飲みながら読書。 「木製の王子」(麻耶雄嵩)読了。

「木製の王子」は期待が大きかったせいだろうか、 残念ながらあまり出来が良いとは思えなかった。 講談社ノベルズらしく、 また神だの悪魔だの言ってるところに辟易するし、 結局「そういう宗教だったのです」 というだけでは「J本格」な人達しか感心しないと思う。 狂気には狂気の合理性があって、 その合理性を解き明かすことでミステリを成立させるという路線は、 チェスタトンの「詩人と狂人たち」 で初めて明確に認識されたのではないかと思うが、 そこにはそれプラス何か、 ミステリの核となる何かが含まれていないと成功しない。 相当のエネルギーが費やされているアリバイの問題も、 本格へのパロディの意味を持たせながら、 「何故か分刻みの正確さで行動する一家」 に煙幕を張るところなど巧いと言えば巧いのかも知れないが、 結局あまりに無理筋であると思う。
まあ、 事前に期待し過ぎたのと、 私自身のミステリへの興味が薄れてきていることが、 最大の原因かもしれません。 多分、昨今流行りの薄っぺらい虚構感覚を、 逆説的に評価できる人なら楽しめると思います。


2000/10/02 (Mon.)

BKC に行こうかと思っていたのだが、 通勤時間が無駄なので、 自宅で色々と雑務をこなし、 午後から京大数理研へ。 久しぶりに T 師匠のゼミに顔を出す。 修士の Y 君が論文をフォローしていた。 あいかわらず T 研のキャラクターらしからぬ、 きちんとした発表であった。 (哀しいかな、「T研らしくない」が誉め言葉な昨今)。 T 師匠は最近あちこち飛び周ってお疲れのようだし、 また明日からもスケジュールがつまっているらしかったので、 ゼミが終わって少し雑談した後、すぐに帰ることにした。

三条大橋の SBUX で珈琲豆を買って帰宅。

今日の一曲。 バッハ、カンタータ140番と147番。 アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス。 疲れ切った心が洗われますね…


2000/10/03 (Tues.)

午後から大学に行く。 情報学科での卒研案内を五分ほどする。 午後、数学科四年生の自称天才 Y 君がやってきて、 大学院で僕の指導を受けたいと言う。 来る者を拒むのもなんなので、 教科書を決めてゼミを始めてみることにした。 しばらくして、またその Y 君を連れて予定されていた指導教授の K 先生がやってきて、 「じゃあ、そういうことでよろしく!」 と言うことだったので、もうこれで決定ということらしい。

ちなみに指定した教科書は Rudin の簡単な解析の教科書で、 そこから各章の終わりの問題を演習形式でやって行くことにした。 後で A 堀先生と話した所では、 もうちょっと真面目に戦略を考えるべきかなあとも思ったが、 先生の側でいくら巧妙に戦略をたててみても、 うまくいくか全くわからないし、 僕にはそんな戦略を練る力もない。 自分のことで精一杯であることだし。 彼はどうなって行くのかわからないが、 自分の道は自分で切り開くしかないことを覚悟して、 頑張っていって欲しい。

夜は、 経済学部の方たちが無事帰国のお祝い会を開いてくれ、 ありがたくも瀬田で御馳走になる。 幹事の O 先生と話した所では、私と O 先生の 読書傾向の相当の部分が重なっているようなので、 実はほとんど同じ心理構造を持っているのかもしれない。 そうだとしても O 先生の守備範囲は果てしなく広そうだったので、 私の方が真部分集合として O 先生に含まれているだろう… とにかく、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの 「イシドロ・パロディの事件簿」の新訳は買わねばなるまい。 それから、今日は来ていなかったが、 経済学部の H 先生の教授会での雄姿を聞いて、 尊敬の念を新たにする。さすが H 先生である。
11時頃帰宅。


2000/10/04 (Wed.)


2000/10/05 (Thurs.)

朝は「確率現象論」の講義。 講義開始の時点で聴講者が二人しかいなかったので、 かなり驚いたが始めてすぐに十人くらいに増えて、 ちょっとほっとする。 しかし今日は分布の計算をばりばりやるだけの内容だったので、 また聴講者を減らしてしまうかも知れない。 本当に二人になったらゼミに切り変えよう…

午後一は数学科のための卒研案内。 一人あたり二、三分ほど卒研で勉強するテキストなどを説明。

夕方は「数理計画法」。 講義時間全部を使って、ミニマックス定理を証明する。 今日こそ完璧な証明だったと思ったが、 講義が終わって歩いている内に、 一つ説明不足な所があったことに気付いた。 凸解析の議論に慣れていないせいか、 ぽつぽつとロジックの見落としが出てしまうようだ。 なかなかうまくいかないものである。

ドイツ留学中の T 先生のドイツ便りを発見。 数学三昧の日々を暮らしているようである。


2000/10/06 (Fri.)

朝から「数学解析」の講義。 午後は「確率・統計」の講義。その後すぐ 「プログラミング演習」。 「プログラミング演習」の時間の途中で、 隣りの教室から自習中の一回生が質問に来たので、 関係ないとは言え無碍に断るのも何だと思い、 ちょっと隣りの教室に行くことにした。 しかし、質問につきあっていたら夢中になってしまい、 ふと気がつくと演習の時間がとっくに終わっており、 あわてて教室に戻ったものの学生達は突如失踪した先生に あきれてとっくに帰ってしまっていた。

去年、H立に就職した T 君が BKC に遊びに来てくれたものの、 こちらは朝から晩まで講義していて会う時間がないと思っていたら、 「プログラミング演習」の時間に顔を見せに来てくれて、 一応少し話をすることができた。 のんびりした優雅な職場のようで、 幸せに暮らしているようだった。 身体に気をつけて頑張って下さい。

経済の O 先生よりJ.D.カーの同人誌が届いていたので、 帰りにバスの中で読む。ありがとうございました。 「魔女が笑う夜」を読み直してみたくなりました。 私も日本語で読めるカーはほとんど読んだし、 わりと好きな作家なのですが、 ほとんどの作品の内容は忘れてしまいました。 失礼かもしれませんが、 馬鹿馬鹿しくてすぐ内容を忘れるのがカーの特徴ではないでしょうか。 私が思うベスト長短編6作品はつきなみですが、 「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」「火刑法廷」「白い僧院の謎」 「帽子蒐集狂事件」「妖魔の森の家」「パリから来た紳士」ですか。 (少なくともこの六つは内容を覚えているし…)。 個人的な趣味に走れば、「死人を起す」かな。

地震の影響で大幅に遅れ、しかも満員の電車に乗って帰宅。 一週間の疲れを読書で癒す。 「深夜プラス1」(ギャビン・ライアル)、再読。

明日から三日間失踪しますので、 次の日記更新は連休明けです。


2000/10/07 (Sat.)


2000/10/08 (Sun.)


2000/10/09 (Mon.)


2000/10/10 (Tues.)

午後から久しぶりに大学に行く。 色々と書類を書いたり提出したり雑務。 卒研の所属先を決める時期だからか、 研究室の前の人通りが多い。 僕の所にも数学科の四回生が二、 三人質問に現れたり、 半年ほったらかしておいたM1の院生が ゼミの相談に来たり。 またゼミが三つくらい入って、 さらに忙しくなるんだろうなあ…

私が三年ほど情報学科に所属した感じでは、 工学系にとっては、 学生が何人くらい卒業研究に来るかが大変な問題らしかった。 と言うのも、学生が何人いるかで研究室の規模や資金が決まり、 学生や院生の人数がかなりの確度で研究室の生産性を 質と量ともに決定してしまうらしいのである。 工学系における研究と言うものはそういうものらしい。 したがって、卒研配属の時期の前には、 どのように学生を募集するかなどの議題で毎年、 熱い議論が蒸し返され、 卒研配属シーズンには否応なく各研究室が盛り上がっている。 その点、数理科学は 「今年は一人も来ないかもなあ」とこぼす人もいて、 一人も来ないのも寂しいが、 来ないなら来ないでしょうがない、 というくらいのスタンスのようである。

数学でも昨今では、 数名での共同研究や(多くの場合、二人かせいぜい三人までだが)、 アイデアを弟子達に分配していく工場方式も、 珍しくなくなってきたようだが、 やはりまだ数学は個人技というイメージだと思う。 つまり幾つになっても学生の時と同じように、 本を一行ずつ論理を埋めながら読んで、 論文を読んで、一から全部自分で計算して考え直して…、 というような「勉強」をやっているのだと思う。 しかし年を取ると段々とずるくなってきて、 勉強したい本を学生に与えてゼミで説明させたりと言う 節約テクニックを身につけてくる。 実際、そうでもしないと時間がないのである。 (私もこのテクニックを身につけるべく鋭意、努力中である)。 また、数学者になってしまうと、 その仕事をした本人に直接聞くことが容易になるので、 耳学問の割合が増えてくる。これは最も効率が良い。

とは言え、 自分できちんと論理を追いかけ、 自分だけで完全に論理を再構成する、 という非効率的な勉強が数学者のハートであろう。 そうしなくなったら、 もうそれは「若い頃の貯金の利子で食っている」か、 または「貯金を切り崩している」状態だと思う。

数学者も年を取るとだんだん忙しくなって、 自分で全部勉強することがどんどん難しくなっていく。 だから、 いずれはどこかで利子生活に移行することになるだろう。 これは不可避であると思う。 貯金でどこまでやっていけるかというのは、 もちろん元金と利率に依る。 したがって、まだ勉強が可能な内にすべきことは、 (a)元金を大きくする、(b)利率を高くする、 の二点であると思う。 つまりできる内に目一杯勉強しておき、 それをよく磨いておく、ということだと思う。 理屈としては良くわかっているのだが、 なかなか出来そうにないことではある。
今日は自戒の意味で、 小難しいことを書いてみました。


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp, kshara@mars.dti.ne.jp

この日記は、GNSを使用して作成されています。