Keisuke Hara - [Diary]
2001/01版 その1

[前日へ続く]

2001/01/01 (Mon.)

実家で元旦を迎える。 妹は風邪で完全にダウンして寝込んでおり、 今年は神社参りもなし。 家でおせち、雑煮、昼寝、読書など。

「『歴史の終わり』を超えて」(浅田彰)読了。


2001/01/02 (Tues.)

和歌山城の近くのホテルで中高学校の同窓会。 前回の同窓会からおよそ十年ぶりくらいである。 田舎の進学校にありがちだが、医者だらけ。 とにかく、先生達も含め、 懐しい人たちに会えて楽しかった。 結局、三次会まで顔を出して深夜に帰宅。

今日の「失なわれた時を求めて」。 まだ第二篇、「花咲く乙女たちのかげに」第一部。 案外、時間がなくてなかなか進まない。


2001/01/03 (Wed.)

午後に実家を出て、夕方に山科着。

今日で三が日も終わったので、 今年の目標。
(1)学会の予稿を書く。(締切一月中旬)。
(2)HTMLを書く。(締切三月末日)
(3)論文を書く。(締切四月末日)
(4)本を書く。(締切八月末日。今度こそ書きます、多分)

って、目標じゃなくてただの締切リスト…


2001/01/04 (Thurs.)

昨日、今年初めてチェロを弾いてみたら、 少し弾くだけで右手が痛くなってきた。 大掃除で右手の親指を突き指して、 右手をかばいながら生活していたのが良くなかったか。 今日になってみたら、ずいぶんましになっていた。

町田康が出ているTVのCMで、 画面の下の方に「ドゥゴマ文学賞受賞」と書かれているのは、 「ドゥ・マゴ文学賞」の間違いなのか、それともそんな賞があるのか。

今日の「失なわれた時を求めて」。 第二篇第一部「スワン夫人をめぐって」読了。 第二部「土地の名、土地」に進む。

プルースト以外の今日の読書。 コレット「シェリ」(工藤庸子訳、岩波文庫)。 プルーストの「失なわれた…」でも話者によって引用されているが、 そのせいではなくて、 そのフランス文学の王道ともいえるテーマのせいでもなくって、 31日の日記の内容からコレットにつなげてみました(どういう意味で?)。

ま、それはともかく、「シェリ」は涙なくしては読めない傑作ですね。 ジイドが激賞したのもむべなるかな。


2001/01/05 (Fri.)

三条で映画 「宮廷料理人ヴァテール」を観る。 ユマ・サーマン があいかわらず美しくてよかった。 どうも変てこな映画に出る傾向があったが、 今回はまともな映画のまともな役でちょっと残念。

「失なわれた時を求めて」の中で、 「うちのヴァテール(料理長)が…」とかいうセリフが出てくる。 きっとこの実在の料理人からとっているのだろう。 映画を観るまで宮廷料理人という意味の普通名詞かと思っていた。


2001/01/06 (Sat.)

冬休みもあと二日か…

今日の「失なわれた時を求めて」。 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」II、 第二部「土地の名、土地」のつづき。ちくま文庫版で第三巻。 それ以外の読書。 ドゥールズ「ニーチェ」、クライン「19世紀の数学」から拾い読み。


2001/01/07 (Sun.)

午後から今年はじめてのチェロのレッスン。 年末年始もほとんど練習する時間がなかったので、 またしてもうまく課題がこなせず。 スケール、エチュード、バッハ「アリオーソ」など。 「アリオーソ」は結局、うまく弾けずじまいで、 次からの課題曲は同じくバッハで「G線上のアリア」。

夜は三条「楽一」で今年初の新年会。 その後、先斗町と木屋町通りの間の某ラブホテルの一階、 "Le Pied Noir"で少し飲んで帰宅。


2001/01/08 (Mon.)

成人の日で休日。 とうとう今日で冬休みも終わり。 TVを見てたら、 今年の成人式は各地であれこれヒドイことになっていたようで、 世紀があらたまってますます世も末、って気分をアピールしているのか。

とは言え、二十歳くらいの子供を何百人も集めて、 偉い人のつまんない話を聞かせようとしても、 おとなしくしているはずもない。 不思議なのは、別に強制しているわけでもないのに、 何故彼等はわざわざそんな成人式に出席するのか、 ということだが。

三条の十字屋でチェロの弦を買う。 ラーセンのドルチェ、A弦とD弦。

今日の「失なわれた時を求めて」。 いまだに第二篇第二部「土地の名、土地」。 それ以外の読書。 ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」(氷上英廣訳、岩波文庫)、 序説「おしまいの人間たち」について。


2001/01/09 (Tues.)

冬休みも終わり。 今日は特に用事もなかったのだが、 年末年始ぼけのリハビリのためにBKCに登校。

プログレッソでコーヒーを飲みながら、 「数理計画法」と「確率現象論」のレポート採点。 結構な量があったが、夕方には終了。 これくらいの軽い仕事をしただけで、くたくたになる。 リハビリの道は遠い。

帰宅。夕食をとって、チェロを弾く。 高い方の二弦をスチール(ラーセンのドルチェ)にしてみたが、 やっぱり最初は弾き難い。なんだか派手な音に聞こえるし、 ちょっと応答が遅いような気もする。 だんだんと楽器に馴染んでくると思うが。 練習メニューでロングトーンを多めにしてみよう。

今日の「失なわれた時を求めて」。車中及び、昨夜のベッドにて。 まだ第二篇、第二部「土地の名、土地」。 ちくま文庫版第三巻150ページあたり。 このペースでは今月中に全巻読了できるかも 怪しいような気がしてきた。 プルースト以外の読書。トイレにて。 カルヴィーノ「なぜ古典を読むのか」より 「クセノポン『アナバシス』」。


2001/01/10 (Wed.)

今日も特に用事はないが、 大学に行ってリハビリ目的であれこれ事務をしてみる。 今日はじめて、「科研費で辞書は買えない」ということを知った。 何故なんだろう? 論文を書くという研究者にとって最も重要な アクティビティに必須の本だと思うのだが。 色々と考えてみたが、僕にはこれと言う理由が思いつけなかった。 文部省の考えることはわからない。

それはさておき。 イギリスで個人研究室にコンピュータを用意してもらうまでは、 端末室で院生とかヴィジターに混じって端末を使っていた。 すると、一日中論文を書いている院生とかがいるのだが、 彼等の机の上には必ず、OED や Roget's ThesaurusやFouler's Usageや Styleマニュアルの類が積まれていた。 それを見て、ほぼネイティブの彼等でもこういう本を引きつつ 数学の論文の英語を書くのだなあ、と感心して、 そりゃ、我々日本人もちょっとは真面目に書いた方がいいよね、 と思ったものであった。数学とは言え、 読めりゃいいんでしょ、という態度はよくない。 早速本屋に行って、あれこれその類を買い求めたものだったが、 それを彼等ほど使いこなせるかと言うと、 まさに猫に小判に、豚に真珠であったりもして、 単なる机の上の飾りになり下がっていたりもするのである。

そういった高級な道具の話とは別に、 「英和辞典」は何がいいか、という話もあって。 僕は「斎藤熟語本位英和中辞典」と 「研究社リーダーズ英和辞典」、今日新たに買い替えた、 を使っていますが、 そう、これは柳瀬尚紀の影響です。「辞書はジョイスフル」参照。 この斎藤秀三郎は指揮者・チェリストの斎藤秀雄のお父さんなんだってね。 すごい親子もいるものです。 中学高校とある英和辞書を使っていたのだが、 後でずいぶんな叩かれ方をしたようで、 最近ではあの本を使っていると言う人の話をあまり聞かなくなった。 中学高校でもそれに代わって今は 「ジーニアス英和辞典」が幅をきかせているとか。

さてさて、 暇つぶしに生協の本屋に行ったら、店の人に呼びとめられて、 昨日採点したレポート全部と採点表が入った封筒を渡された。 昨日、生協に忘れていったらしい。 アルジャーノン・ゴードン効果は今年も健在。

今日の夕食。餃子、冷奴、大根のべっこう煮。 私はべっこう煮には豚肉を使うのだが、 冷蔵庫に鶏肉しかなかったので代用してみた。 しかし、やはり今一つ。

明日は久しぶりの午前からの講義。 起きられるだろうか…ちょっと心配。


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp, kshara@mars.dti.ne.jp

この日記は、GNSを使用して作成されています。