昨日と変わって、天気の良い少し暖かい日。
三条に出て、本屋を周ったり、十字屋で CD を買ったり。 本は「フロマージュ」(P.アンドルウエ、磯川まどか)など、 料理関係の本。 CD はバッハ。P.アンタイ、G.レオンハルトのチェンバロ。 Cafe R***** で「失なわれた時を求めて」を読みながら、 予定通り、カフェオレを飲む。 カザルス演奏のバッハ無伴奏チェロ組曲がかかっていた。
帰りに食材を買うために山科大丸によると、 ちょうどパンが焼きあがった所だと宣伝していたので、 バゲットを一つ買う。 今日の夕食。豚肉と玉葱を焼いて、パンと酒。
さて、二日間良く遊んだからまた明日から仕事しよう。
午前中は膳所でチェロのレッスン。 スケールの後、エチュード、バッハ「G線上のアリア」。 「G線上のアリア」は初めてレッスンを受けたが、 フィンガリングのつけ方など色々と興味深かった。
チェロなどの弦楽器は同じ音程の音を他の弦でも出せるし、 どの指で押さえても同じ音なわけだから、 どの弦で、左手をどの位置に置いて、どの指で押さえて、 その音を出すかということにかなりの任意性がある。 その曲の流れの中で、 楽譜からの音楽的解釈と物理的な制約からそれを決めるわけだが、 素人としては、なるほどと思う時や、 何故そんな指使いを、と思う時など、色々あって面白い。
一旦、家に帰って昼食。 しめじと豚肉の炒めものとパンと昼間から酒。 午後から学校へ。 昨夜にドメイン管理者のS先生から、 僕の個研のコンピュータがスパムの踏み台にされている、 と連絡があったのだが、 個研に入るなり、ハードディスクはからから鳴ってるは、 ハブはちかちか点滅してるはで、 私の愛機がせっせと謎のファイルを大量に作りながら、 スパムメールを世界中に発信中なのであった。 世界中にごめんなさいと心の中で謝罪しつつ、対処。 教訓。手を抜いているマシンは、 ネットワークに繋がっている以上、 遅かれ早かれいずれ叩かれる。
今日のプルースト。「ゲルマントのほう II」 の第一章で主人公の祖母が死去。 第二章に入る。 かつてバルベックで知りあったアルベルチーヌと関係を結び、 一方、ステルマリア夫人にふられる。 今、主人公はその直後に訪れた友人の貴族サン・ルーと レストランで食事をしている。
贅沢とは何か。 リムジンを連れて、乗らずに「連れて」、散歩することであろうか。 明日の昼食のための待ち合わせ場所を仕立て専門の靴屋にすることであろうか、 執事がアイロンをかけてくれた新聞を朝食のテーブルで読みながら、 当たり年のクルッグを飲み、 今日はちょっと食欲がないみたいだよ、 などと執事とあたりさわりのない会話を顔も見ずに交わすことであろうか、 それとも、寝室に密かに盗品のモネを飾り、 深夜一人で寝台に腰かけて蝋燭のほの暗い明かりで眺めることだろうか。 それとも、 ハンバーガーやビールを食べ物だと思ってもいない、 バスやタクシーなるものが何処かに存在はするらしいとくらいにしか思っていない、 しかし、 シルクとカシミヤとシャンパンと薔薇とさんざしの花に目がない程度に下品な、 常に丁寧語で話し、しかし尊敬語は一度たりとも口にしたことがない、 そんな愛人の口遊む歌を扉越しに聴くことだろうか。
久しぶりに一日、暇だったので、 想像しうる限りの贅沢を考えてみましたが、 基本的に欲望が小さいらしく、 これと言ったイメージが得られませんでした。 贅沢とはいったい何でしょう。
午後から大学へ。 平常点、レポート評価の採点を片付ける。 その他、雑務少々。 あとは定期試験の400枚採点が残っている。 これも早い内に片付けないと入試採点シーズンに入ってしまう。
にっかつロマンポルノの「悪徳の栄え」だったと思うのだが、 こんな贅沢料理の話が映像化されていた。 牛の丸焼きである。ところが、その牛の腹を裂くと、 中から豚が出てくる。 その豚の腹の中には鷄が入っている。 その鷄の中にも色々と美味しそうな詰めものがしてあって、 その中央に茹で卵が入っている。 ここで終わりかと思いきや、卵の中にオリーブの実が入っていて、 そのオリーブの実を食すのである。 観たのが学生時代なもので記憶があやふやだが、 多分、こんな感じだったと思う。 途中で羊とか七面鳥も入っていたかも知れない。 とにかく、この蕩尽、古代ローマ的な退廃を感じるし、 そこはかとなく(悪意を含んではいるが)ユーモアもあり、 確かに贅沢でないとは言えない。 しかし、どうも、こういうのではない。私が言いたいのは。
400枚答案採点完了。
「数学解析」のあまりの出来の悪さにショックを受けた。
結局、持ち込みをすべて許可した上でも、
高校の教科書の練習問題は大学生には難し過ぎる、
ということなのだろうか、
「確率・統計」では中学の教科書の問題を小問に出したので、
不合格者をそれほど出さずに済んだのだが…
世間では最近の大学生は分数の足し算もあやしいと言っているから、
無茶だったのかもしれない。
来年からはどちらの科目も消えるが来年の再履修者には、
分数の割り算とか時刻の引き算なども出してみよう。
それから、白紙答案なのに、 「留年がかかっているので、単位下さい」などと書いてくるのは、 きっと冗談のつもりだとは思うが、 もし単位をくれる先生がいたら、 それは不正であるからして、 あまり良い趣味のジョークではない。気をつけよう。
夕食。 じゃがいもを蒸して、半分をそのままマヨネーズで食べ、 半分をベーコンとバターで炒める。じゃがいもって美味しいなあ。
今日のプルースト。 主人公はゲルマント夫人の晩餐会に出席しているが、 パルム大公夫人の愛想の良さと その育ちの良さから来る高慢さの関係を考察したり、 ゲルマント家の性質をクールヴォワジエ家のそれと比較したり、 貴族階級の分析に夢中のようである。 あまりこの分析が長いので、忘れそうになるのだが、 多分、今は晩餐の最中だと思う。
採点した答案から成績報告書にマークの作業。 マークシート方式で、数百ともなると結構手間がかかる。
今日の夕食。アスパラガスを蒸してマヨネーズで食べる。
カレーライスと長葱の味噌汁。
またしても蒸してマヨネーズをつけただけの
料理が非常に美味しくて感動した。
アスパラガスが新鮮だったからだろうか。
それとも、
マヨネーズをかけるとなんでも美味いっていう、
育ちの悪さの証拠だろうか…
今日のTV。桃井かおりって可愛いなあ。
今日のプルースト。「ゲルマントのほう II」第二章。 ゲルマント夫人の才気についての分析が延々と続くので、 晩餐の最中であることを忘れそうなほど長い晩餐会の場面がようやく終わる。
休日だが色々と雑務。 起きたら妙に右腕が怠いのでチェロの弾き過ぎかなあ、 と思ったが、良く考えたら採点疲れだと思う、きっと。
以前から買おうと思っていた伊賀焼きの小さな土鍋を購入。 一人暮らしとは言え、鍋料理を器から食べるのは空しいので。 説明書きによると、最初にお粥を作らないと水漏れすると言うので、 今日の夕食はお粥。
今日のプルースト。 「ゲルマントのほう II」(ちくま文庫版第五巻)読了。 主人公はゲルマント家の晩餐会のあと、 約束通りシャルリュス氏宅を訪ねるが、 奇妙な対応を受ける(どうも主人公とのホモセクシュアル関係を狙っている シャルリュス氏の微妙な心理が背景らしい)。 その二ヶ月後、ゲルマント大公夫人からの招待を受けて驚いた主人公は、 ゲルマント侯爵夫妻に相談に行き、 そこで老いと病で様変わりしたスワンに会う。 第四篇「ソドムとゴモラ I」(ちくま文庫版第六巻)に入る。 題名通り、社交界に見え隠れする男女の同性愛者たちの モチーフが前面にあらわれてくる。
夕方に切れていたミルクとオレンジジュースとぽん酢を買いに出た以外には、 家から一歩も出ず。
今日の夕食。土鍋を買った嬉しさに、水炊き。 餃子も入れてみたが美味しかった。 それからぽん酢はやっぱり紀州「じゃばらぽん酢」 (じゃばらは和歌山県北山村のみに産する柑橘類で、 「邪」を「払」うの意味から縁起が良いとされる)。 冬はやっぱり鍋ですね。
といっても、小さな独り用の土鍋なので、 鍋パーティは無理ですってば。
今日の「失われた時を求めて」。 第四篇「ソドムとゴモラ I」の一、読了。 主人公は、ヴィルパリジ夫人の病気を見舞いに来たシャルリュス氏が、 アパートの中庭でチョッキ仕立て職人のジュピアンと出会い、 ジュピアンの部屋でセックスに耽るのを盗み聞きする。 ここでようやく主人公はシャルリュス氏の今までの奇妙な ふるまいや奇矯な性格の理由を悟る。 その後、主人公は同性愛について長々と繊細な分析をする。 男性のホモセクシュアルには二通りあって、 その一つのタイプの方は、レズビアンの女性を好む傾向があり、 それははたして何故か、などなど。
今日は大学に行った方が良かったのだが、 午後まで寝てしまい結局さぼってしまった。 とは言え、家にいたら家にいたであれこれすることはある。
ちょっと体調不良のため特筆なし。
今日のプルースト。「ソドムとゴモラ I」の二、第一章。
特筆事項、追加。 邦題「プルーストの食卓」と言う、 「失われた時を求めて」に出てくる料理の 非常に綺麗なレシピ集があるらしいのだが、 残念ながら翻訳は絶版になっていることがわかった。 英語版も既に絶版のようなので、 やむを得ずフランス語の原書を www.amazon.fr で購入。
バゲットにチーズを狭んだだけのサンドウィッチと 瓶に詰めたオレンジジュースを持って、 午後から大学に行く。 雑務あれこれ。夕方から教授会。18時終了。
夕食。昨日の残りの新じゃがを蒸し直してバターで食べながら、 鍋の残りのだしと白菜で雑炊を作る。
ところで、教師をその授業を受けている学生達、子供達が評価する、 っていうシステムはなぜそんなに評価されているのか不思議に思う。 もちろんそう悪いアイデアではないとは思うが、 最近、教育改革というと最初にするべき素晴しい対策として、 この話が出るのが不気味だ。 学生自ら教育に参加し、みんなで作る、学びの喜び、 楽しくアクティブで双方向的な授業、喜ばしき知…などと言う文脈らしいが、 すごーく、うさんくさい。悪い意味で ユートピア的だとは思うが。 悪い意味でアカデミックでもあるかな。
今日もわりとあたたかい一日だったが、 明日の雨が過ぎたら、 週末に向けて寒波が戻ってくるらしいですね。
午後から河原町丸善に洋書を中心にした資料の買い出し。 水曜は行きつけの喫茶店が休みなので、 SBUX の表のテーブルでクリームが山盛りでいかにも脂肪過多そうな 温かい飲み物を飲みながら、戸田先生の非線型波動の本を読む。 今、この方面とちょっとだけ絡んだことをやっているので、 直接使わないとは言え基礎的なことくらいは知っておいた方が いいかな、と。
しかし、戸田先生と言えども、 物理の人が書いた数学の本は読み難い。 ただの式変形みたいなことを変に詳しく書いていたりする一方で、 物理的な直観をすぱっと使うので、おろおろしてしまう。 例えば、波の表面、 つまり水と空気の境界で「当然満たされるべき条件」として、 ほとんど説明なく境界条件の方程式が書き下されている所など、 納得するのに軽く珈琲一杯分かかってしまった。
この日記は、GNSを使用して作成されています。