午後から学校へ。
通勤の電車内の吊り広告で、 「中○○紀レズ疑惑!」が看板記事の芸能雑誌があったが、 それは疑惑なのだろうか。 本人も承知で「H」の企画を出したりしてるようなのになあ。 ○谷美○は最近のビアンな方々の欲望を一身に 集めていることは事実らしいが、 いいじゃないか、 ガールハント目的でパリのその類の映画館通いしてようが、 本人の趣味嗜好なんだから。 本当にゴダールの「女は女である」が観たいだけか、 単にアンナ・カリィナのファンなのかも知れないしね。 とか、考えている内に南草津についた。 あ、そういえば、 南草津のことをミナクサと言うらしいですね、 最近、山科マフィアを脱退しミナクサ在住になったA堀先生。
学校に到着して、学生との面談を一つ。あれこれ雑務。
今日の夕食。 じゃがいもを茹でてポテトサラダを作り、 アスパラガスと玉葱とベーコンを炒める。
今日のプルースト。 「ソドムとゴモラ」二の第一章読了。 続いて、間奏「心情の間歇」も読了。 第二章に入る。
寒い。大学にも行かずに自宅でお勉強など。
夕方自宅でチェロの練習をしてから、 夜は石山で経営の院生T君の修論無事提出のお祝い。
南草津をミナクサと言うと昨日書いたが、 若者はナンクサと言うのだとT君に教わる。 なんだか博多弁みたいだが。
今日のプルースト。 第四篇「ソドムとゴモラ」二の第二章。 主人公はアルベルチーヌがアンドレとレズビアンの関係に あるのではないかとの疑惑に苦しんでいる。
節分。起きたら既に正午。 半分寝ぼけながら、 大根、 玉葱、舞茸、葱で雑炊を作る。 雑炊を食べながら、 大林宣彦監督、脇役に緑魔子、宝田明、嶋田久作、死神博士等、 無駄に豪華な配役の二時間ドラマ 「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」(再放送)を観たり、 白井貴子のロシア訪問記でサンクトペテルブルグへの旅情を かきたてられたり、と無駄な午後を過す。
夕方近くになって、よっこらしょ、という感じで出かけることにする。 節分であるからして、 太巻と呼ばれている海苔巻寿司を買い求めねばならない。 錦市場に行くと、 ちょっと特別な海苔巻があるかも知れないぞ、 と思い、珈琲の後、散歩がてらにぶらぶらと市場に行く。 通りを往復してみるに、確かに何箇所かで海苔巻を売っていたが、 あまりに普通の海苔巻であるので、 これなら近所で買った方がよかろうと思い、 珈琲を飲んで帰る。
夜、今年の恵方がどちらかは知らないが、 太巻を丸かじりしながら一年の無病息災を祈る。
正午起床。 ベーコンエッグ、大根と若布と舞茸の味噌汁で昼食。 午後はベッドでお勉強。 夜は膳所でチェロのレッスン。 雑談の時に、 やはりヴァイオリンに比べてチェロは音が大きい、という話を聞く。 別の部屋でヴァイオリンのレッスンをしていてもそれほど聞こえないそうだが、 チェロはよく聞こえるみたいだ。 音量が大きいと言うより、 低音なので壁越しにも良く伝わるのではないだろうか。
二週間ほど秘密業務に入りますので、 っていうか、この時期、入試採点に決まってるし、 数学系の教員は全員、数学の採点をするに決まっているので、 なにも秘密ではありませんが、 一応、明日からしばらくの間、 その日の出来事を書くことを控えます。 ではここで何を毎日書くかというと、すなわち雑談です。
私は今まで合計で4回引越しをしているが、 その度にかなりの量の本を処分した。 つまりその度にフィルターがかかっているので、 現在所有している本にはそんなに下らない本はない、と思う。 とは言え、 変てこな本であるが故に、 愛着のあるものがあって、 そういうものは「持っている」と大声で言うのは恥ずかしいが、 ある意味、私の精神構造に辺境からとは言え、 少なからぬ影響を与えているに違いない。 しばらく、そんな変な本を何冊か紹介してみたい。
「遊字典」
(現代言語セミナー編、冬樹社、1984年初版第一刷発行)
これは一言でいってしまうと、国語辞典、用語用法辞典などに
載っていない「あて字」を集めた字典である。
例えば、感嘆詞の「ああ」。
この字典には
「悪(ああ) 日夏耿之介「黒衣聖母」 ― 悪(ああ)いかほど淫惨な柔肌か」、
「噫呼(ああ) 坂口安吾「風博士」 ― 御存知ない。噫呼、それは大変残念である」、
の他、マダム・エドワルダの「刑事舞踏」から、
樋口一様の「十三夜」まで、
「ああ」のあて字がその出典例とともに27種類掲載されている。
他にも映画用語、ペンネーム、音楽、ポルノ、
などのテーマで集めたあて字の囲み記事もたくさんあって、
なかなか楽しい本である。
於(ああ)、何と便利な字典であろう、などと思われるかも知れないが、 この本が恥ずかしい理由はサブタイトル 「スキゾ=パラノ・ハイテク・マニュアル」から想像できるように、 または1984年出版という年代から想像できるように、 「ニューアカ・ブーム」の徒花だからである。 例えばその前書き「Prefaceのようなメッセージ」は、 今読むと赤面もののアジテーションであふれていて、 ソシュールがどうしたのルロワ・グーランがどうしたのという、 こじゃれた現代思想気分が満載である。
今ではこの本をトイレにおいているのだが、 たまに手にとると時間を忘れるほど面白い本であることは確かである。 例えば「美似派(メソジストは) 内村鑑三「宗教と文学」 ― 彼は美似派の人を厭うて」、 「被作虐者(マゾヒスト) 小栗虫太郎「黒死館殺人事件」 ― いや被作虐者かも知れんよ」などなど、 「ほほう…」と感心してしまったりすること請けあいである。
今日の変な一冊。それほど変な本でもないが、 若き日の私を「カンチガイ」させた罪は重い。 何度も捨てようと思ったが、やはり愛着がある一冊である。
「超人の午餐」(ルイ・ポーウェル、工作舎、1986年発行)。
誰にも、憧れの人物イメージがあると思う。
子供の頃に「大人になったら何になりたい」と聞かれて、
「シャーロック・ホームズ」と答えるようなものである。
私の若き日における憧れは、
この「超人の午餐」に登場するジョゼフ・ブリュムロック氏だった。
今になってみると恥ずかしい告白である。
「超人の午餐」は作者の言葉を借りれば、
21世紀版「ラモーの甥」といったところの奇妙な小説で、
ルイこと「私」とその友人の天才ブリュムロック氏の、
ある日の昼食のテーブルにおける「超人」を巡る議論の記録
の形をとっている。
謎の男、ブリュムロック氏はシャンゼリゼのワシントン通りの角の
ビルにある某企業に勤めている。しかし特に仕事はしていない。
その企業が彼に無償の終身保護を与えているのだ。
彼はそのビルの「紙の洞窟」のような、
書類や本に囲まれた一室に籠って
(唯一の壁にはラヴクラフトの写真と
「うろたえるな」と書かれたポスターが貼ってある)、
アルミと模造皮革の肘掛椅子に座り、
一日中、5秒毎にページを繰り、
木製の定規で頭をぽんぽんと叩きながら何かを読み続けている。
住処は某有名キャバレー近辺のホテル、と言われているが、
訪ねたものはいない。口を開けば大暴言。
しかし、会社の電話交換手ジョワイエル夫人には、
「気のいい火星人のように」可愛いがられている。
丸禿の小男、まん丸眼鏡、金剛インコのような嘴鼻、
雌鳥の首、薄い唇。睡眠時間は一日12時間。
ちなみに作者のポーウェルはかの魔人グルジェフの門下生で、 彼を世に知らしめた著書「グルジェフ氏」や、 化学物理学者にしてオカルティストのジャック・ベルジェ との共著「魔術師たちの朝」で有名。
今日の一冊。今日はお気楽なのを。
「ハッカーズ料理読本」
(J.ジョンソン、アスキー出版局、1996年初版発行)
ずばり、料理レシピ集である。
その特徴は私が説明するより、帯の宣伝文句を引用した方が早いであろう。
帯の表紙側。「本書に掲載されたレシピの数々は、
世界中のハッカーのネットワークを
通して手から口へと伝わってきたものだ。あなたの最初の反応は、
こんなの食べられない!かもしれしれない。でも、この料理を食べれば
あなたは食べて消化するということの本当の意味を
知ることになるだろう!」
このレシピ集は、大きく Dips, Dinner, Drinks, Desserts の四分野に分けて(Dipsが堂々一分野をなしている所に注目)、 読者の料理に対する先入観を粉々にしてくれるようなレシピ が満載されており、 さらにイントロではハッカー料理とは何かという哲学、 アペンディクスではハッカー料理の食べ方、後かたづけの仕方、 お役立ち情報などが書かれている。 私はいくつかのレシピを実際に試してみたが、 結構イケるものもあったことを記しておく。 例えば、 冷蔵庫で発見した食べ残しのケータリング中華料理で作るディップとか。
今日の一冊も御期待通り、かなりくだらないが、 ある意味、歴史的価値のある一冊で味わい深い、、、はず。
「血と薔薇」創刊号 (天声出版、1968年発行)
これは雑誌である。
なんでもエロティシズムと残酷の総合研究誌、だそうだ。
確か三号まで続いて、編集が代わって何とか四号が出て、
そこで廃刊になったんでしたか、よく知らないけど。
これはその創刊号。
その内容は
巻頭でたからかにうたわれる「血と薔薇」宣言なるものからの、
以下の抜粋で想像されたい。
「一、本誌「血と薔薇」は、文学にまれ美術にまれ科学にまれ、 人間活動としてのエロティシズムの領域に関する一切の事象を 偏見なしに正面から取り上げることを目的とした雑誌である。 したがって、ここではモラルの見地を一切考慮せず、 アモラルの立場をつらぬくことをもって、 この雑誌の基本的な性格とする。」
グラビアページでは三島由起夫先生、 澁澤龍彦、萩原朔美、土方巽、唐十郎などの笑える写真が満載。 エッセイでは、三島由起夫、稲垣足穂、種村季弘等、 いかにもな人々が勢ぞろい。 今日、久しぶりに開いてみると、 澁澤龍彦が「城の中で語るイギリス人」の翻訳を載せていたり、 塚本邦雄が「悦楽園園丁辞典」の第一回を書いていたりする一方、 植草甚一がペールフィットについて書いていたり、 長沢節がくだらない絵を書いていたり、 となかなか、時代を感じる無駄に贅沢な内容。 正直言って、ほのぼのした印象である。
今日の一冊。これはかなり恥ずかしい。
「恋愛」
(荒木経惟・桐島かれん、扶桑社、1991年出版)
大人になってみると、
アイドル写真集の類ほど本棚にあって恥ずかしいものはないと思うのだが、
この一冊は私の書架にある唯一のその類の本である。
私は芸能人としての桐島かれんのファンではないし、ファンであったこともない。
もちろん、一瞬復活したサディスティック・ミカ・バンドのファンでもない。
むしろ桐島かれんが新ヴォーカルでいいのかミカ、と思ったくらいである。
それでは何故、この写真集を持っているのか、
と言うことになるわけだが、そのことについては内緒。
恥ずかしいと言えば、ノウハウ本も恥ずかしい。
「知的トレーニングの技術(決定版)」
(別冊宝島17、企画執筆花村太郎、JICC出版、1982年初版第10刷)
この本は「独学のノウハウ」の本だが、
かなり変わったことを目標にしており、
しかもかなり真面目な本である。
前書きによれば、この本は自分自身の知を作るための技術を伝えるものであり、
学者になることより、知識人になることより、
その目標は遥かに高い。
有名な所で「知的生活の方法」(講談社新書)
と言う(本当に)くだらない軽蔑すべきベストセラーがあるが、
それは軽薄だからベストセラーになり得たのであって、
もし非常に真面目に真剣に取り組んでしまっていたら、
この本になっていたかも知れない。
多分、この現代において、
この本のノウハウを実践してしまうと、
「賢人」か「革命家」のどちらかにしかなれないので、
絶版になってしまったのだろう。
とにかく、この本は中学生の私に決定的な影響を与え、
独学による教養人への道を歩ませたが(笑)、
すぐに挫折してしまった私にとってのこの本は、
今となっては本棚の見え難い所にこっそりと収まっている。
この日記は、GNSを使用して作成されています。