Keisuke Hara - [Diary]
2001/08版 その3

[前日へ続く]

2001/08/21 (Tues.)

近畿地方を台風直撃。と、楽しみにしていたのだが、 京都よりは東に逸れてそれほどの影響はなかったようだ。 いずれにせよ、自宅で原稿書き。 どうも調子が乗らないので、 素因数分解の話とか面白そうな所を書いて、 バランス悪く一部を無駄に充実させてみたり(でも使えないだろう)、 引用文献に「秘文字」(泡坂妻夫・中井英夫・日影丈吉、解説:長田順行) などを挙げて楽しい気持ちになってみたりするが、 それは逃避ですね…

菲(Faye)、可憐だなあ…TVの中で見ると。 「アタシ、カツドンタイスキ。カツトンウマイっ」 などと聞いてめろめろになってみる。


2001/08/22 (Wed.)

所用にて久しぶりに大学に行く。 最近、大学からメイルが一通もフォワードされてこなくて、 流石夏休みだと思っていたのだが、 研究室のネットワークがクラッカー対策のためにズタズタになっていて、 あれこれ設定が変更されていたせいであった。 私の所の不出来な院生二人、 N島、M本(兄)コンビがメンテナンスをしているようだが、 クラッカーに叩かれ放題の満身創痍でなんだか大変そうだった。 特にN島はM2で人生行き当たってばったり状態だが、 インフラ屋として食べていく道が開けないとも限らないから頑張るように。

上階数学フロアのA堀先生の所に頼み事に行く。 A堀先生は学生二名とゼミ中で、確率変数の法則収束の所をやっていた。 A堀先生によれば、 某K先生は法則収束と弱収束の区別にうるさかったそうだ。 実際、確率変数の法則収束は対応する測度の弱収束で定義されるので、 この二つをあえて混同、または同一視することが多いのだが、 全く違うものじゃないか、と言われればまあその通りである。 そこでA堀先生と雑談したのだが、 どうも凄く偉い数学者は「ヘンな所にこだわる」 という共通点があるのではなかろうか。

やはりものすごく偉い確率論の某数学者は、 確率空間のアプリオリな設定にこだわった、 と聞いたことがある。 今の多くの確率論の論文などでは、 その問題で必要な根元事象全体を確率空間として出発することが多いが、 そうではなくてまず確率空間ありきで、 そこで確率変数を考えることで具体的な問題が設定される、 という風にきちんと分けて考えるべきだ、と。 どう考えても、最初からその問題で必要な事象全体を 確率空間とした方が便利だし、すっきりする。しかし、 そこには確率論を完全に数学にすることに成功した、 コルモゴロフによる革命的な発想と哲学と、 そこで捨象されてしまったものへの思いがあるのであって、 便利だとか、すっきりするとか言う程度の理由で、 そこをおろそかにしてはいかん、ということだろうか (天才の心の内は分からないが…)。 少なくとも、その問題に必要な事象全体を確率空間とする、 という考え方では、すべてのランダムネスの源泉として確率空間、 というイメージは薄い。

思うに、数学の偉大な業績を達成するには最後の最後で、 もう一歩という所を乗り越えなくてはいけないのであって、 そのためにはある種の脅迫観念と言うか、 オブセッションめいたものが必要なのではないだろうか。 そういうオブセッションが、 普段の生活や研究、教育のレベルで、 比較的おだやかな形で現れるのが「ヘンなこだわり」 なのではないかなと思うのですが、いかがか。 ちなみに私は、上の二つの話のどちらも、 「そりゃ、そうだけど、まあいいんじゃないの?」としか思えない所を見ると、 ぱっとした業績を残すことはないと見ました ;-)


2001/08/23 (Thurs.)

今日は処暑ですね。でも、京都はまだまだ残暑が厳しそうです。

今日も自宅で、原稿書き。 大学からのメイルのフォワードが昨日の対応ではまだ復活していないらしく、 まったくメイルが届かないのだが、 よく考えれば自宅でも24時間、 仕事メイルが読める方が変なのだ。 「研究室に行ってなくてメイル読んでませんでした」 ということでいいではないか、と思ってきた。 不便な方が正しいということもある。 昔の紳士はあえて不便な土地に住んで、 新聞が一日遅れて来ることを自慢したと言うではないか。 数学的な話題で言えば、ハーディとリトルウッドは、 のんびりと郵便で議論しながら、 暇が出来たら開封し、その気になったら返信すると言う悠長さで、 あんなに膨大な共同研究をなし遂げたのである (それは能力の違いだってば)。

というわけで、 急ぎの用のある方は私信(kshara@mars.dti.ne.jp)で ;-)。 自宅住所を御存知の方は速達郵便も可。

そういえば、江戸の昔でも、例えば江戸と京の間で、 「速達」(早飛脚)を使えば数日で郵便が届いたらしい。 それより時代は新しいがシャーロック・ホームズの物語では、 ホームズによって郵便や電信が縦横無尽に使われている。 しかし、次の日に郵便が届くどころか、 その間に返事まで届いたりして、 あまりに早過ぎるのではないかと現代人は思ってしまう所だが、 実際は当時のイギリスの郵便事情は世界史の中に冠たるもので、 今よりも滑らかなくらい効率的に機能していたんだそうだ。

何を言いたいかと言うと、郵便ってのもいいものじゃないか、と。 手紙や葉書をもらうと楽しいし。


2001/08/24 (Fri.)

原稿書き。

夕方から膳所にチェロのレッスンに行く。 エルガーの「愛の挨拶」は、まあこの辺りにしておきましょう、 と言うことになって、 次回からの課題曲はサン・サーンス「白鳥」。 「白鳥」もチェロを始めた時から、 いつかは弾けるようになりたかった曲の一つである。 先生が言うには「白鳥」はいつまでたってもうまく弾けない、 逆に言えば、弾くと常に成長の度合がわかるような曲だそうだ。 ちゃんとした曲はどれもそうなんでしょうが、 なんとなくなるほどなと思ってみたり。 「白鳥」と言えば、誰かチェリストが、 大勢のハープを従えて悠々と演奏する優雅な映像があったと思うが、 あれって誰だったかなあ…

私的に忙しいこともあって、 以降、土日は日記を休むことにして、 平日のみの更新と言うことで御勘弁を。


2001/08/25 (Sat.)


2001/08/26 (Sun.)


2001/08/27 (Mon.)

久しぶりに週末を休日らしく過す。 夏休みがなかったようなものだから、たまには良かろう。

休日らしい休日のメモ。夏休みの絵日記風。
遅い昼食を祇園の「いづう」で食しました。 いづうと言えば鯖寿司かと思っていましたが、 厨房のまかない料理だったと言う素朴な御台所寿司が美味でした。 錦糸玉子、しらす、きくらげ、沢庵の刻みが、 散らし寿司風に桶に入っているあっさりしたもので、 寿司らしい種は何も入ってませんが、 色鮮かでいくらでも食べられそうな感じです。 翌日、朝食に南禅寺畔の「瓢亭」に行く。 予約はしたものの何処から入るのやら、 と茶店風の構えの前でしばしためらっていると、 着物姿の綺麗な女将がどこからともなくやってきて、 店の中の庭にある離れの茶室みたいな部屋に連れて行ってくれました。 桔梗だろうか青い草花が一本描かれた麻の帯が着物の背中に涼しげでした。 朝粥は確かに絶品でした。 お客を通してから米を炊くそうで、 本番のお粥を待っている間に色々なものが出てくるので、 朝食と言うにはかなり量が多いです。 でも、鱸の塩蒸しのむしりとか、微妙な茹で具合の玉子とか、 加茂茄子とか、とっても美味しかったです。 食後、腹ごなしのために、 ごく近所にある昔の有名人のお屋敷とお庭を拝観してみました。 なんでも日露開戦間際の会議がここで行なわれたとか。 さすがに、こんな辺鄙な場所を変な時間に訪れる客も誰もおらず、 広い庭を貸し切りのように独占して、 散歩をしたりお抹茶をいただいたりしました。 庭の中の川や池には亀がいました。 拝観の後、ふたたび料亭の前を通りかかったら、 表で女将がお坊さんと立ち話をしておられて、 挨拶をしていただいてちょっと幸せな気持ちになりました。 でも、二日ばかりの短かい夏休みは終わったも同然で、 さびしい気持ちにもなったことでした。


2001/08/28 (Tues.)

大学に行って、事務的なお仕事など。

今日の読了。「ディフェンス」(ナボコフ、訳:若島正、河出書房)。
映画化されて日本でも九月から上映されるらしいので再読しました。 監督マルレーン・ゴリス(知らない)、 主人公のチェスプレーヤー、ルージン役にジョン・タトゥーロ、 ルージンと結婚するロシア貴族の娘ナターリア役に 「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」で迫真の怪演を見せたエミリー・ワトソン。 邦題は「愛のエチュード」だそうで、ちょっとなあ。 確かにエチュードと言う言葉は、 芸術性を目指して人工的に作った終盤のことを指すチェス用語だが、 なんだか甘ったるい感じでどうも気に入らない。

映画はわかりませんが、 小説は孤独なチェスプレーヤーの心理と人生をテーマにしていて、 本の帯にも「ナボコフはチェスと音楽と数学の秘かな類似性を伝える…」 と言うような評論からの引用がされています(おお、我が人生の三大テーマ)。 特に圧巻は若きライヴァル、トゥラチとの対決シーンの描写でしょうか。 翻訳者にも恵まれ散文としても絶品と思いました (訳者のもう一つの顔は詰将棋とプロブレムの研究者です)。 奔放で幻想的な棋風の輝くような若き俊英トゥラチと、 かつては彼に良く似ていたし今でも世界タイトルの有力候補ではあるが、 慎重で負け難い凡庸な選手と思われつつある中年のルージン、 研究中にはますます奔放なアイデアが浮かび、 もう少しでめくるめくような新ディフェンスを思い付きそうになるのに、 試合では慎重になる一方のルージン… あと、ちょっと笑わされたのが、 チェスをまったく知らない人と雑談するシーン。 数学を勉強している人なら、まったく数学を知らない人と雑談することになって、 「数学って答があるんですか」とか、とんちんかんな質問をされて、 それでも何とか答えようとしている内に、 どんどん専門的な話をしてしまって相手がシラケきってる、 という経験がありますよね…あれです。

よく知られていることですが、 ナボコフはチェス・プロブレムの作家でもありました。 詩とプロブレムを並べて載せた詩集を作ったこともあるほどのマニアだったとか。 説明し難いのですがチェスプロブレムは詰将棋とはかなり趣向が違うもので、 確かにナボコフの小説作法に強い影響を感じます。 「ディフェンス」もまるでチェスプロブレムのような精密な出来で、 最後まで読んで感心しました。 そういえば、「ロリータ」にもチェスのシーンが出てきますね。 さらに、そういえば、最近好調で執事に五連勝中。現在のハンデは白KN落ち。 今、継続中の公式戦は一勝、一敗中。後一勝は出来そうだが、 その他はレイティングから言って難しいな…


2001/08/29 (Wed.)

自宅で原稿描き。 昼食は近所の店で魚のあら煮と牛もつのお吸いもの。 夕食は自宅で出来あいの餃子と冷奴と豆の煮物。珈琲。

同僚のT山先生がFultonのヤング図形の本を後期セメスタの講義 でやってくれるらしい。 最近、自分が考えていることに出てきて、 絶対読まねばと思っていながらも挫折していたので、 まさに渡りに船である。その講義の時間に身体が空いていれば聴講しよう。 確か情報学科の再履修科目だったと思うので、 丁寧に説明してくれるに違いない。 去年の夏あたり、どうもこの話はグラスマン多様体で整理されるらしい、 という所まで来たところで、 丁度ロンドンの本屋をTK大のS君とぶらぶらしていて、 たまたま本棚のFultonを手に取り、 「おおお、これかっ。ヤング図形だったのか、そうかシューベルトなのか、 旗なのかっ!」 と激しく興奮したのであった。しかし、 その本で仮定されている代数学の知識が自分に足りなかったので、 Fultonの代数の教科書に戻っていたら退屈してしまい、 結局、不発に終わったのである。 そして、論文ではヤング図形がちらっと出てくるものの、 非常に表面的な話しか書けなかったのであった。 そういうわけで、聴講のモチベーションは高いです(笑)。 講義時間が重なってなければいいけど。

その他にも後期は、 複素解析や古典的な曲面論など聴講したい科目が多いので、 学生に戻ったつもりになってお勉強モードで行ってみようかな。


2001/08/30 (Thurs.)

事務用のため、お弁当(自前です)を持って大学に行く。 ちなみにお弁当の中身は梅干し、おかか、豆の五目煮。 登校ついでに放ったらかしてあった論文のレビューを書く。 最近、オンライン入力が出来ることに気付いたのでかなり楽になった。 さらに集中講義の段取りを確認したりして夕方帰宅。 帰宅して、原稿書き。京都は夜から雨になる。

五連勝していい気になっていたら、 無惨な負け方で二連敗して降格に追い込まれた (ちなみに我が家のルールは三連敗で降格)。 信じられないようなブランダーが炸裂してしまう。 どうも見当違いの所に妙な焦点をおいてしまい、 とんでもない見逃しをするようだ。 前回は相手の弱い地点にナイトを運ぶ手順を夢中で考えていたら、 相手のナイトに両取りされる手を見逃した。


2001/08/31 (Fri.)

八月も終わってしまった…まずい。

今日も自作のお弁当を持って大学に行く。 中身はおかか、豆の五目煮、茹で卵。 瓢亭玉子を目指してみたが、出来たのはただの半熟卵だった。 いったいどうすればああいう風に、白身はしっかり固く、 黄身の周りはほっこりと固まりつつも、 中心部分はとろりと半熟と言うようになるのだろうか。 もしかしたら、ただの茹で卵に見えて、 根本的に作り方が違うのかも知れない。 午後は久しぶりの学系会議など。

夜帰宅して食事。餃子を買い過ぎて今日も餃子。 毎日焼き餃子もどうかと思ったので、酒蒸しにしてぽん酢で食べてみたが、 やはり餃子は焼餃子が一番美味しいのではないかな…


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp
kshara@mars.dti.ne.jp (for private)

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