Keisuke Hara - [Diary]
2002/08版 その3

[前日へ続く]

2002/08/21 (Wed.)

また正午近く起床。 昼食はアーリオオーリオ。 午後は校正作業。 夕方から RIMS に出かけ、T 師匠と校正の打ち合はせなど。 夜は T 師匠と荒神口の和食屋で食事。 蛸の子、川海老などが盛られた八寸など、美味でした。


2002/08/22 (Thurs.)

朝から大学に出勤して、あれこれ会議など。 夕方、帰路につく。 駅で経済の O 川先生と一緒になつて、 途中まで雑談などしつつ帰る。

スーパーで糠漬用の胡瓜とか小茄子など食材を調達し、帰宅。 夕食は鯛飯。冷奴つき。 カレーもいいけど、やはり日本人は鯛飯…


2002/08/23 (Fri.)

Otsukemono 二日ほど涼しい日が続いたが、 処暑の今日は少し蒸し暑く不快な一日。 そろそろ次の入試の概要が発表されてゐるが、 国公立は5教科7科目を課す大学が増える一方、 他方では試験をほとんど課さずに、肌理細かい面接や討論で(笑)、 やる気や個性をみる(笑)、AO 入試を加へる学校も増え、 二極化して行くのだらうな、などと思ふ夏休み。 本当の本当に本音を言ふと、 AO 入試つて要は勉強の全然出来ない層で学生数を確保する、 またはどこかから押しつけられる、つてことなんでせう? と一度 AO 入試推進派に聞いてみたいのだが、どうですか? それとも、私が斜めに見てゐるだけだらうか。 でも大学生にもなつて、やる気と個性つてあんた… つて誰でも思つてるんでせう?本当の本当は。

昼食は昨日の鯛飯の残りと、鯛の頭を使つて潮汁。 午後は校正作業に費やす、はずだつたが、 最近、執事が某 MS 社のソフトウェア "Money2002" (デラックス版) を絶賛してゐたので、 休憩時に一ヶ月お試し版をダウンロードしてあれこれ試してゐたら、 あつと言ふ間に時間が過ぎてしまひ失敗。 夕食は鯛の尾のあたりのあら煮(*1)、冷奴、小茄子と胡瓜の糠漬。 今日の糠漬は快心の出来であつた。 夕食後も校正作業。

*1: 鯛のあら煮、レシピ: 鯛のあらに熱湯をかけて、冷水にとり、 鱗や汚れを取る。あら煮は何でもさうだが、これが大事。 徹底的に鱗を取る。 皮を適当に削りとつた牛蒡を、 適当な長さに切り、それぞれ半分に割る。 鯛のあら煮には、絶対に牛蒡。 この牛蒡を軽く茹でて水にさらす。 鍋にこの牛蒡を並べ敷き、下処理した鯛のあらを並べて、 ひたひたの酒で一度煮たてた後、味醂、砂糖、醤油を加えて、 匙などで煮汁を鯛にかけつつ煮つめる。 木の茅なり葱なりを適当にあしらふ。


2002/08/24 (Sat.)

午後は膳所にチェロのレッスンに行く。 年始に怪我をした左手の薬指が、 正しく弦の上に置くとまだ少し痛むため、 ついそれをかばつて少しずらせてしまふのが問題であるらしい。 フィラールで少しメカニックな運動をした後、 ヴェルナー、シュレーダとエチュードを練習し、 マルチェロのチェロソナタ1番のラルゴ。

夜は久しぶりに、歩いて近所のバーに行く。 一周年記念ださうなので様子を見に。 コッポラの "Sophia" に、オードブルあれこれと鷄の赤ワイン煮。


2002/08/25 (Sun.)

正午近く起床。 素麺、だし巻き、胡瓜と小茄子の糠漬。 午後は散歩(壬生寺往復)と昼寝。 夕食は小茄子と山科唐辛子の素揚げの煮もの、 冷奴、胡瓜の糠漬、若布と豆腐の味噌汁。 今日は一行も仕事をしなかつた。 明日からは、また頑張ろう。

執事は今日、四ヶ月ぶりに出社しなかつたそうだ。 と言ふことは四ヶ月間、無休。南無…


2002/08/26 (Mon.)

昼食に、近所の「瓢樹」(*1)まで歩いて行く。 私が良く行く「近所のバー」はこの店の真裏。 お重のお弁当。こちらでも瓢亭卵は健在。 夕食は自宅で山科唐辛子のスパゲティ、ジェラートと珈琲。

夕方、京都駅まで出たついでに本屋で買つた、 斉須政雄の「調理場という戦場」を帰りの電車の中で読みはじめると、 その面白さに電車を乗り過し、 今まで降りたことのない駅のベンチで読みふける。 修行時代から段々と一人前になつていく主人公と、 その周りのシェフ達の真摯な姿に、 自らの仕事と人生に対する不真面目さ、 あまりの怠惰さを強く、激しく、反省し、 ゐてもたつてもおられぬ気持ちになり、 その第一歩として自宅に帰つてキッチンの掃除をした。(?)

*1: 六角新町、日本画家今尾景年邸跡。 南禅寺の「瓢亭」の暖簾分け先。


2002/08/27 (Tues.)

久しぶりにキャンパスへ。 行きの車内では、校正作業。 昼は生協でカレーライスを食べてから、 ファイナンスシンポジウム関連のミーティング。 書類作成など少し事務手続きなど。 帰りの車内では、 Tal(*1) 自身が書いた "The Life and Games of Mikhail Tal" を読みつつ帰宅。

夕食は山科とうがらしと万願寺とうがらしと厚揚の煮もの、 ポテトサラダ、納豆。

*1: ミハイル・タリ (Mikhail Tal, 1936-1992): ラトヴィア、リガ出身のチェスプレイヤー。 1960年にボトヴィニクを破り、 第8代世界チャンピオン(1960-1961)。 健康にめぐまれず闘病生活で活躍は限られたが、 「リガから来た魔術師」と呼ばれた独特の棋風と、 チェスへの激しい情熱で愛された。 追悼記事ですが、 ここ にタリのチェスと人生についての素晴しい文章があります。 「当時のボトヴィニクには、実際全てのグランドマスター達と同様、 タリの勝利の秘密が理解できなかった。 タリとの戦いは容易だった…中略…しかしながら、 その容易さはモーツァルトの音楽のようであった。 盤上の即興音楽のような、不合理なコンビネーションに、 加えて彼の言動や、深く窪んだ瞳に、デーモニッシュな、 またはあなたがそう呼びたければ、パガニーニ的な、その瞳に、 敵たちは魅入られるように負け、 タリは催眠術を使っていると本気で言う者までいた…」


2002/08/28 (Wed.)

京都は雨。自宅で終日、校正作業など。 昼食は厚揚、万願寺、キャベツの焼き蕎麦。何故か激うま。 午後は校正の合間に、掃除、洗濯などの家事をこなす。 夕食は厚揚と万願寺の煮もの、ポテトサラダ、胡瓜の漬物、 じゃこと紫蘇のお結び一つずつ。 夜も校正。その合間にタリの棋譜を並べてみたり、

私は大体、自分の食事は自分で作つてゐるが、 その楽しい所の一つは、 ごくたまにとてつもなく美味しくできることがある、 と言ふことだらうか。 例へば、私は御飯は土鍋で炊いてゐるが、 何かの間違ひなのか、 時に自分で驚くほど美味しく炊けることがある。 おそらく色々な加減が偶然にぴたりとハマつた時なのである。 思ふに、一方、 プロの料理は「たまに」ではなく平均として、 ある程度の料理が常に出せる、と言ふことだらう。

プロは毎日沢山のお客に料理を出すので、 その水準のものを生産ラインに乗せなければならない。 つまり、レシピとして完成させ、 自分ではなくてもある程度の技量の者なら、 この手順でやれば間違いなく、どんな時でも、 最悪でもこの水準のものになる、と言ふ形まで、 料理と言ふはなはだあやふやなものを、 具体化かつ抽象化しなければならないのである。 この作業は想像するに大変に高度で、困難で、 特別の才能と努力を必要とするであらう。 また料理そのものへの深い理解がないと不可能なことでもある。 特にフレンチなどは、 ほとんど料理長のこの能力の水準を味わつてゐるやうなものだらう。 私がふと思ふのは、これは「工学」だな、と。 工学はとても難しい、志の高いものなのである(きつと、本来は)。 私はほとんど工学的な所にゐたことはないので、 あくまで遠目から少し憧れているだけなのだが。


2002/08/29 (Thurs.)

今日も京都は雨。しかし、とても蒸し暑い。 合間に家事をしながら、自宅で校正作業など。 昼食は焼き飯とポテトサラダ、 夕食は厚揚と野菜などを焼いたものをメインに、 納豆、ポテトサラダの残り。 ポテトサラダは最初はじゃが芋と玉葱のみから始まつて、 日を追うごとに手を加へて行くので、 段々と豪華になつてきた。 午後に校正が進んだので夜は、 少し冬学期の初講義「積分論II」の準備をしてみた。 「積分論I」でかなりの所まで進んでしまつたので、 II では L^p 理論を簡単にやつて、 応用として漸近解析とか確率解析の話題をやつてみやうかな、と。

ニュースを見ていたら、 昨年は私大の三割が定員割れしたさうな。 一方では来年度の国立大の定員は100名ほど増加し、 驚いたことには国立の大学院の定員は1000人以上も増員される。 大変だなあ…身近な所からも、あちこちからも、 悲鳴が聞こえてくるやうだ。


2002/08/30 (Fri.)

大学へ。面接とか教室会議とか。夕方帰宅。 バスで T 山先生と一緒になり、途中まで雑談しつつ帰る。

九月末までにするべきことが文字通り山のやうにあるのだが、 何とかなるのだらうか… まつたく休みなら何とか、と言ふくらいなのに、 シンポジウムやら集中講義やら學会やらで、 西へ東へ大移動の一ヶ月。今から不安だ。 …と、四分の一ほど片付けた某書の校正を郵送して、 一息つきながら考へてゐたら、 今日くらいは休んでも良からうと言ふ気になつてきて、 そそくさと帰宅し、 いつもの通り食事をして風呂に入りチェロを弾いた後、 一仕事すべき所を、ハリー・クレッシング「料理人」や、 子母沢寛「味覚極楽」を読んだりと無駄に過してしまふ。

「味覚極楽」は名著中の名著として知られてゐるのに、 現在品切れなのは残念なことである。 私は図書館で借りてゐたのだが、近い内に返却日が来るので、 また読み返してみたのである。


2002/08/31 (Sat.)

八月も終わりか…いつ涼しくなるのだらう。 上海からの出張帰りの執事と、執事給与の一部を賭けた恒例の月末チェス。 30分プラス一手15秒。黒番。 レティ・オープニングに対し、キングズ・インディアン。 タリの棋譜を読んだばかりのせゐで、 ルークただ捨ての謎サクリファイスを炸裂させたのだが、 直後の白の応手に激しいポカが出て、 疑問手の効果が判定される前に即詰みで結着。勝ち。 おそらく心跳上海小娘たちにめろめろで、 まだ気が動転してゐるのだらう。 ちなみに局後の検討によると、疑問のサクリファイスは、 無理気味だがありえなくもない、と言ふくらいだつた模様。 午後は校正作業など。夕食は麻婆豆腐。

子母沢寛の「味覚極楽」は何度読んでも思ふことには、 聞書きした本人も序で、 「良き時代に生れ、良き時代に育った達人たち」と呼んでゐるが、 昔は偉くて粋な人がまだ沢山ゐたのだなあ…と思ふ。 この本は著者が当時のこれと言ふ人々に、 食べ物について聞き書きした話を集めたものだが、 食べ物の話によせて当時の傑物たちの姿が浮き彫りにされてゐて、 それが面白い。 特に筆を尽して説明してゐるわけでもなく、 さらりと、こんなものだつた、と簡潔に触れてゐるだけなのに、 それがどうにも良い感じである。

先程、読んでゐたのは、俳優伊井蓉峰のところで、 鰻のかば焼きについての蘊蓄のあと、 さらりとその晩年の暮らしぶりが書かれてゐる。 向島に一人で住んでゐたらしいが、その場所は、 「猛さん」(後藤猛太郎伯爵)から、妾の清香ごと伊井が貰つたのださうだ。 当時、愛人清香は既に亡くなつてのやもめ暮らしであつた。 聞書きの時の伊井は、「肘掛窓のすぐ下に茅か葦が青々と延びて、 墨田の川風に静かにそよいでいる。 横縞の浴衣でべったりと腰を落として話していた」そうで、 次から次へと職人風やら、役者風やら、若い娘やら、婆さんやらが、 訪ねてきては、開け広げてある座敷の前の廊下にぺったりと座つて、 額を擦りつけるやうにして挨拶しては帰つて行く。 伊井はそれにこつくりとうなづきながら話を続けるのを、 著者が聞書きしたと言ふ寸法である。 しかし、俳優の晩年は落ち目であつた。 身近な人が、先生(伊井)は駄目だ、 十五年も同じ下駄を履いてゐる、と愚痴をこぼしてゐた と言ふ。 その心は、ちよつとその辺りに行くにも人力なり車なりを使つて (だから下駄がへらない)、 先生は世の中が移り変わつてゐることに全然気付かないんだ、と。 しかし、伊井本人は、 「そう言ったって、みんな、こっちの言う通りにゃさせちゃくれねえよ」 と苦笑してゐた、と。


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp
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この日記は、GNSを使用して作成されています。