Keisuke Hara - [Diary]
2003/02版 その1

[前日へ続く]

2003/02/01 (Sat.)

今日あたりから関西の私大は入学試験シーズン。 わが R 大もさうである。 したがつて、例年通り、今日から二週間の間、 ここにその日の大学関連の出来事を書くことを控えます。 明日からは一昨年のやうに、 私の持つてる変な本シリーズでもやろうかな…

節分には太巻きを作らねばならないので、 今日はその練習のため、久しぶりに酢飯(*1)を作り、 巻きものを作つてみた。ちなみに納豆巻き。 納豆は芯になり難いので難易度が高い。

*1: 私のレシピでは、 砂糖3に対し塩1、酢はこれらと同量くらいで味見しつつ適当に。 米に対する分量も、味をみながら適当に。


2003/02/02 (Sun.) V-348

Aramata-Sibusawa 荒俣宏と澁澤龍彦の間には関係がありそうでなさそうで、 なさそうでありそうだが、実際は一度だけ接触があつた。 澁澤氏が「太陽」に花をテーマに連載エッセイを書いてゐたとき、 荒俣氏のところに綺麗な花の博物図譜を所有してゐないか、 書面で問ひ合はせがあつたそうである。 今でこそ博物図譜版画の大コレクターだが、 当時の荒俣氏はほとんどその種のものは所有しておらず、 このことをきつかけにコレクションにのめり込むやうになつた。 (この後の、狂気の蒐集ぶりは「ブックライフ自由自在」 (荒俣宏、太田出版、1992年)に詳しい。 この内容は雑誌 Bookman に連載されてゐたものである。) そのときの澁澤氏のエッセイが後に一冊の本に纏められたのが 「フローラ逍遥」(平凡社 1987年初版、画像右)であり、 その問ひ合はせがきつかけて集めた花の図譜について 書かれた荒俣氏の著書が「花空庭園」(平凡社 1992年初版、画像左)である。 どちらも今時の本にしては、非常に美しい装丁である。 おそらく両方とも品切れ状態と思はれるが、 たまに本屋で見かけたら買つて損はないと思ふ。


2003/02/03 (Mon.) V-445

Taruho-Sibusawa 機械(Deep Junior) vs. 人間(G. Kasparov) 第四ゲームは再びドロー。ここまでのスコアは 2 vs. 2 ポイントでタイ。 とにかく茫洋とした不可思議なゲームであつた。 正直に言つて私には良く分からない。 (専門家による解説は こちら。) タクティカルにもポジショナルにも目立つた狙いがない微妙な局面においても、 D ジュニアは非常にうまく、 少なくとも人間の最高レベルに負けることなく、 ゲームを進めることができる、といふことは言えるだらうか。 次回の第五ゲームはカスパロフが白番を持つ。 ニューヨーク現地時間で 2 月 5 日の午後 3 時 30 分より。 マッチの流れを決めるこの一戦、刮目して待て!

昨日は装丁が綺麗だと言つたが、 澁澤龍彦の昔のハードカバーは確かに綺麗な装丁が多い。 (しかし、何度でも繰り返すが、私は澁澤龍彦は大嫌いだ。) 例へば、 画面右の「毒薬の手帖」(桃源社、1972年第二刷) は本の表面全部が緑色一色に塗られた変わつた装丁である。 天や喉などページの周囲までも緑色なのが毒毒しい感じで、 エーコの「薔薇の名前」を思ひ出したりする (これはちよつとネタバレ)。 緑色は退廃を表すのださうで、 ワイルドにもそのやうな言葉があるし、 「失なわれた時を求めて」の登場人物シャルリュス氏の 自宅のサロンも緑色に内装されてゐる。理由はよく知らないが、 黴からの連想だらうか。 一冊では寂しいので、 画面左は稲垣足穂の宇宙論入門を含む 「人間人形時代」(工作舎、1986年第五刷)。 これはページの真ん中に丸い穴が空いてゐて、 閉じた本の向ふ側が覗ける。


2003/02/04 (Tues.) V-509

Tsukamoto フランスの確率論研究者 P.A. Meyer 氏がお亡くなりになつたとのこと。 つい先日のことのやうだ。 さう言へば、大学院の先輩の H さんが院生時代に Meyer の 教科書をフランス語で読んでゐたなあ。 私は残念ながら Meyer 氏自身を、 その業績、特に Doob-Meyer 分解とか、 Malliavin 解析に出てくる Meyer の不等式でその名前を知つてゐる、 と言ふ以上には知らない。 しかし、確率論フランス学派を率いたリーダーの一人であつたし、 また 67 歳と言ふ若過ぎる死であつたこともあり (こんなに若かつたとは正直、知らなかつた)、 私でさえも何故か感慨深い気持になつたことである。

昨日とは緑の縁で、今日も緑一色の装丁。 さすがにページの周りまで緑ではないが。
「翠華帖」 (塚本邦雄著、書肆季節社、三百三十三部限定出版、著者署名入、1981 年刊)。 これは歌集で各月毎に俳句と短歌が一首づつ集められてゐる。 私自身は塚本邦雄の歌は「いかにも」過ぎて、 どれもが少し鼻につくやうに思ふのだが、 やはり一つの歌集の中にいくつかぐつとくる歌がある。 この本では三月の章に含まれてゐる 「閑雅なる君のかなしみ苧環(をだまき)の花茅に繭ごもる蟲ありと」 と言ふ歌が学生時代の私の心にぐつと来て、 つい購入してしまつたものである。


2003/02/05 (Wed.) VI-60

bunko 限定本がその後で手に入り難くなるのは当然だが、 文庫本のやうに広い市場に出版されるものでも、 日本ではあつと言ふ間に品切れ絶版となり、 それきりになることが多い。 さすがにこんな名著は大丈夫だらうと思つてゐても危ない。 私自身、嗚呼あのとき買つておけば、と思つたことも数知れない。 サンリオ文庫のやうに文庫自体がなくなつてしまふ例もあるし、 岩波文庫のやうに「これぞ」と思はれる本から絶版になるやうな 場合もある。 今日の画像は、 「科學者と詩人」 (アンリ・ポアンカレ著、平林初之輔譯、岩波文庫、昭和21年第12刷)、 「未来のイヴ」 (ヴィリエ・ド・リラダン作、渡邊一夫譯、岩波文庫、昭和25年第8刷)、 「時は乱れて」 (フィリップ・K・ディック著、山田和子訳、サンリオSF文庫、1987年刊新装版)、 「ウサギ料理は殺しの味」(P.シニアック著、藤田宜永訳、中公文庫、昭和60年)、 「マダム・エドワルダ」 (ジョルジュ・バタイユ著、生田耕作訳、角川文庫、昭和51年初版)。


2003/02/06 (Thurs.) VI-169

Tal 人間(G.Kasparov) vs. 機械(Deep Junior) 第五ゲーム。 再び、ドロー。 第四ゲームの茫洋とした複雑さと対照的な、 驚くべきスペクタクル・ゲームとなつた。 なんと、D ジュニア側から、 わずか 10 手目で Bxh2+ のサクリファイスが炸裂。 キャスリングの後 g1 にゐるキング に向かつて、 ビショップを捨てて h2 のポーンを取りチェックをかけるこの手は、 素人ゲームでもたまに実行される筋ではあるが、 相手は人類最強のカスパロフである。 その後、ほぼ自動的な数手を動かした後、 長考に沈んだカスパロフは 17. Bxh7+ を選び、 その後のチェック繰り返しによるジュニア側からのドローを許した。 非常にタクティカルに複雑で、 これが正しい選択だつたのかどうかも良く分からない。 詳細な分析が待たれる。 とにかく、上のリンクのレポートにも、 「HAL と言うより Tal」(*1)と書かれてゐるやうに、 Junior が今までのコンピュータではあり得ないやうな高みに 達してゐることは確かである。 現在、2.5 vs. 2.5 ポイントで依然として タイ。 結着は第六ゲームに持ち込まれた。 刮目して、刮目して、最終ゲームを待て! 最終第六ゲームはニューヨーク現地時間で 7 日の午後 3 時 30 分より。

*1: HAL は「2001年宇宙の旅」に出てきた人工知能を持つコンピュータ。 もちろん、HAL は IBM を一文字前にずらしたもの。 Tal (タリ)は「リガの魔法使い」と呼ばれた、 独創的な攻撃スタイルや強烈な個性で有名だつたチェスプレーヤー。


2003/02/07 (Fri.) VI-169

Hayashi カスパロフ vs ディープ・ジュニア戦第五ゲームでの、 ジュニアからの激しい捨て駒 10. ... Bxh2+ !!(!?!?)が熱心に議論されてゐる。 どこまで読んでもメイトの筋であるとか、 論理的にはつきり良いとか言ふ手ではなく、 投機的な勝負手 (コンピュータの勝負手?)であつた模様… ショートアナリシスは こちら。 ジュニアが短時間で物凄い深さまで読めることは分かつてゐたが、 その上でこのやうな種の、 論理的には結論のないサクリファイスを選択したことは驚異的である。 短期の内に実利に転換されない以上、 約ポーン 2 つ分ダウンの損はエンドゲームまで消えないのであるから。 充分深い盤面追跡の結果、ドロー(16. Bxh7+ 以降) もしくは「超タクティカル」なゲーム(16. g3 以降)になる、 とまで読んで(上のリンクの解析から分るやうに、 このドローの読みだけでも凄い)、 「機械」である自分が有利と判断したのだらうか。それにしても…

今日の画像は階段上の踊り場の、 Yoshifumi Hayashi(*1)の非常に珍しく気色悪くない、 綺麗な鉛筆画 "La Nuit de Noce" とマダム・クロ。

*1: 大抵、物凄く気持ち悪い絵ばかり描いてゐる仏在住の日本人画家。 非常に精密な鉛筆画なので、綺麗なものを描いてくれれば良いのだが。 日本で出版された画集には 「脳髄を懐胎したある唯物論者の花嫁」(トレヴィル、1994)など。 この本はあまりの気持ち悪さからか、 当時、今世紀最大の奇書などと呼ばれてゐた。


2003/02/08 (Sat.) VI-258

Bylsma 音楽は別にしてただの図譜として見ても楽譜つて綺麗なものだなあ、 と思ふのだが、ある人が数式もさうだと言つてゐた。 今日の画像は "Bach, The Fencing Master --- Reading aloud from the first three cello suites" (A. Bilsma, Amsterdam 1998). 著者署名入り、 A.M.Bach による無伴奏チェロ組曲の写譜のコピーなどおまけつき。 バッハの無伴奏チェロ組曲の最初の三つの写譜を肴に、 筆跡や音楽の構造からあれこれと子細に分析したり、 チェロやバッハに対する思ひを語つたり、 と著者ののびのびと自由なおしゃべりと、 無伴奏チェロ組曲への愛に溢れる、非常に楽しい本。

最近辛い日々が続くせゐか、 さつさと今の稼業を全て引退して、 客のほとんど来ない古本屋でもやりたいなあ…と夢想したりするのだが、 その白昼夢に決まつて登場する場面の一つが、 パンと珈琲の貧しい食事を取り、 閑なので新聞をすみずみまで読んだあと、 客も来ないし、昼食はまだ遠いし、 注文しておいたラスキンの初版本もまだ届かないし、 やれやれ、などと肩をすくめて、 チェロを抱き、 ビルスマのこの本の適当に開いた所で、 少し読んでは、少し楽器を弾いて試してみて感心したり、 またページをめくつたりする場面なのである。

速報:ディープ・ジュニア vs. G.カスパロフ、 最終第六ゲームは、 ドロー。結局、3.0 vs. 3.0 ポイントでマッチもドロー。


2003/02/09 (Sun.) VI-258

lily カスパロフ対ディープ・ジュニアの全六戦は詳細な分析が 待たれる素晴しい勝負であつたが、 結果ドローは少し残念である。 特にタイで迎えた第六ゲームはドローを合意したものの、 シシリアン・ディフェンスのテーマの一つである Rxc3 の ポジショナル・サクリファイスが決まつた形で、 単純な駒数では負けてゐても、中央のポーン群の進行を考慮すれば、 カスパロフ有利であつたと思はれる。 カスパロフにとつては不満足な部分の多いゲームが続いたので、 「とにかく負けないこと」が最優先されたドロー合意であらう。 もし次回があれば…単に勝つことだけを目的にすれば、 機械が人間に圧勝することは易しいかも知れない。 それよりむしろ、如何に人間らしく、独創的で、 素晴しいゲームを目指すかが問題になるかも知れない。

今日の画像は書架の一部、 ボルヘス「バベルの図書館」のシリーズと、その前の 「百合を持つヘロマフロディット」(山本六三作銅版画、50の内44番、1979年)


2003/02/10 (Mon.) VI-258

エゴロフの定理を検索してゐてこのページに辿りついたと言ふ奇特な方から、 私が風呂敷のことを書いてゐたためか、珍しい風呂敷を送つてゐただいた。 紫色の無地の風呂敷の真ん中に、 マイナス 1 のルート、つまり虚数単位が描かれてゐると言ふ、 大変結構なものである。有難し。

画像は「アンリ・マッケローニ作品集」(1993年出版、950 部限定の内 4 番)。


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp
kshara@mars.dti.ne.jp (for private)

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