Keisuke Hara - [Diary]
2003/02版 その2

[前日へ続く]

2003/02/11 (Tues.) VI-309

Cat and Mouse 私が子供の頃、熱烈に本を読んでゐたのは、 おおむねミステリのおかげである。 叔父の一人がミステリの愛読者で一通りの古典を全て揃へてゐて、 しかもそれを惜しげもなく私にくれたもので、 幸福な時代を過したものであつた。 クイーン、クリスティ、カー、ダイン、チェスタトンなどが 全て「新作」として私に登場してゐたあの頃、 あのときほど読書が楽しい時代はなかつたとさへ思ふ。 そんな私の特にお気に入りの作家は クリスチアナ・ブランドであつた。 思へば、昔々、その昔、 ブランドがクリスティを継ぐ「期待の新人」 と呼ばれてゐた、そんな金色の時代があつたのである。 ミステリ好きには説明の必要もないが、 ブランドは技巧派中の技巧派として知られるイギリスの女流作家で、 代表作は「緑は危険」あたりになるのだらうか。 とにかく筋が複雑過ぎて、 しばらく経つとまた初々しく読み直せると言ふお得な作家である。 今日の画像は「猫とねずみ」「はなれわざ」「疑惑の霧」、 いずれもハヤカワ・ポケット・ミステリ。 ミステリマニアの経済学部の O 川先生に聞いたら、 今でもブランドの長編は手に入り難いらしいので。 個人的には「疑惑の霧」が好きだ。


2003/02/12 (Wed.) VI-355

danceparty そんな健全な読書少年だつた私の若き日の 最初の「駄本」との出会い。 「分裂病者のダンスパーティ」(植島啓司著、リブロポート、1985年、初版)。


2003/02/13 (Thurs.) VI-355

この季節の集中業務はほぼ終了の模様のため、 今日からは通常の日記ページ。

昨夜は祇園にヤケ酒(理由は秘密)を飲みに行つた。 丸鍋と雑炊などを食べて、日本酒を飲む。 平日の早い時間の祇園と言へば、 同伴出勤前のご飯食べが主な客層である。 同伴相手の接待をしながら、 携帯電話で店に指示を出したりしてゐる、 その筋の女性の貫禄ある采配を観察。 さうやつてみんな一所懸命に働いてゐるのだなあ… 私もくじけず頑張らねば、と思ひなおして、 鴨川を越へて夜道を帰つたことであつた。


2003/02/14 (Fri.) VI-422

大学院入試の面接と教室会議。 ゼミ形式の単位の成績報告、その他。 夕食は鶏肉のシチュー。水菜のサラダ。

今日は修士論文の提出日でもあつた。 私の研究室の Y 君は A 堀先生のところで疑似乱数をやつてゐたが、 まあまあの所まで行けたと A 堀先生も言つてゐたので、一安心。 他の院生に目を向けると、 確率論の研究室でオリジナルの結果のある論文が結構出てゐると 言ふ話をA 堀先生から聞いて、偉いなあと感心。

私が修士論文を書いてゐた頃、つまり約10年前では、 修士論文の合格水準は「もうちよつとでジャーナルに投稿できるくらい」 と言はれてゐた。つまり、これから一年以内(D1 の間)に、 まずい所を直すなり、ギャップを埋めるなり、 さらに発展させるなり、日本語から英語に翻訳するなり、 もう少し何とかすれば雑誌に出せると言ふくらい。 修士論文で雑誌に出せるくらいが本当のラインなのだが、 遅れが一年以内くらいなら見込みで出してやる、 と言ふ感じだつたのだと思はれる。 もちろん、本当にそう出来るかどうかは別として、 その見込みがあるくらい、と言ふ意味である。 それがどんどん緩くなつて、 今では勉強したことを上手にまとめてあれば上出来の方、 などと言ふ話を良く聞いてゐたので、 意外と言つては失礼だが、自分の定理のある修論なんて、 「なかなかやるじやん、R 大数理」と思つたことであつた。


2003/02/15 (Sat.) VI-422

集中業務ほぼ終了記念の癒され計画第二段として、 評判のオ・グルニエ・ドール(*1)の林檎のタルトを購入して来て食す。 あまりの美味しさに感激する。これが本当の林檎タルト… 一緒に買つてきた苺のミルフィーユも素晴しい。 私が今まで食べてゐたミルフィーユは全て間違つてゐた。 否、あれらはミルフィーユではなかつた。

昨日、K 川先生と、 一部の数学者に有名なあるプログラミング言語で書かれたプログラムを 普通の C 言語(プラス特殊なライブラリ)に「翻訳」する プログラムがあると良いのではないか、と言ふ話をして、 その言語のマニュアルを貸してもらつたのだが、 だうにも醜く複雑な仕様で、手動ではとても無理だとすぐに悟つた。 でもコンパイラ・コンパイラで自動的に処理すれば、 何とかならないものでもなささうなので、執事にマニュアルを借りて、 yacc の上位互換の GNU Bison で遊んでみる。おお素敵…

*1: オ・グルニエ・ドール:フランス菓子屋、堺町通錦小路上ル。2001年開店。


2003/02/16 (Sun.) VI-422

確定申告の書類作りなど。 書類を作つてもお金が戻つて来るのではなく、 さらに追加で支払ふことになるので、 くたびれ損の骨折り儲けと言ふか、 とにかく毎年うんざりとする作業である。 しかし、これは国民の義務であるからして、粛々と行ふ。 大学の先生の多くは他大学での集中講義など、 学外活動を行つてゐるが、 その中には「給与」の形で出金されるものがあり、 その場合は小額であつても、申告の義務が生じるのである。

Bison を理解する例題として、色んな電卓を作つたり。 入力される言語の文法の定義ファイルを作り、 それを Bison に通すと自動的に構文解析器の(C 言語)プログラムが生成されるので、 それに必要なコードを足してコンパイルすると出来上がる。 簡単に出来て楽しい。元の目的はどこへやら、 オリジナル関数電卓を作つて「わーい、できたー」とか喜んでみたり。 数学と違つてプログラミングは、 何か動くものが出来るつて言ふのが良い…


2003/02/17 (Mon.) VI-436

午後の早い時間から教室会議。 少し間を置いて次は教授会。

普通の関数電卓はできたので、 GNU の gmp ライブラリを使つて多倍長関数電卓に拡張。 また「わーい」とか思つてゐたら、gmp ライブラリのデモとして、 まさに Bison と lex で生成した多倍長電卓の ソースコードが既に附属してゐるのを発見。 マニュアル片手にソースを読んで「ふむふむ」と理解する。 後はカーニハン&パイクの教科書の例に沿つて、 制御文を表すトークンの処理を追加して行けば、 いつそ自前インタプリタが出来さうだ。 これで、秘かな目標「打倒 UB○SIC」に一歩近づいた。

とは言へ、私は数学が専門なので、いくら面白くても、 こんなことにかまけてゐてはいけない。 だからと言ふわけでもないが、 図書館に行つて、30年近く前の理論物理の論文を探す。 私の生まれて初めての数学上の電撃的閃きだつたアイデアが (と言ふほどのものでもないが)、 やつぱりとうの昔にやられてゐたと言ふ例の論文である。 残念ながらそこにはなかつたが、東大がその文献を持つてゐると言ふので、 複写を郵送してもらふやうに依頼。 内容は瞬間子(インスタントン)の話らしい。 読みたいのはその論文の「補遺」に書かれてゐる、 複素解析を使ふ数学的な計算の部分だけなのに、 全体は 150 ページもある大論文で、 「コピー費と郵送費がこんなにかかりますよ」と脅かされたが、 補遺の部分だけ読んでも何をしてゐるのか分らない可能性もある。 やむを得まい。


2003/02/18 (Tues.) VII-13

午前中は私にとつては非常に珍しく電話ベースで仕事をする。 昼食は蕪の菜と鶏肉のパスタ。 午後は少しチェロの練習。メカニックを中心に指ならしをする。 しばらく中断してゐた確率解析のお勉強。 最初の山場である O-U 半群の超縮小性と対数ソボレフ不等式のところまで来て、 確率解析らしくなつてきた。 私は確率解析が専門と名乗つてゐるのだが、 実は整理された教科書で系統的に勉強したことがないし、 古典的な扱ひを主な興味の対象にしてゐるので、 今頃「ほほう…」などと感心しつつ、 モダンな教科書を勉強してゐるのである。 夕方から食材の買ひ出し。 里芋、大根、人参、お揚げなどで具沢山の味噌汁を作り、 白菜を鷄と軽く炒めたものをおかずに夕食にする。 夜も少しチェロを弾く。


2003/02/19 (Wed.) VII-88

朝は確率解析の勉強をし、昼食にオムライスを作つて食べ、 午後から大学へ。卒論を見る他、雑用を色々。 その合間に朝の勉強で分らなかつた、証明の結語で 「後は容易」と書かれてゐた所を考へる。私にはどうも容易ではない。 個研にある確率解析の教科書の同じ所を参照すると、 全く同じ証明が載つてゐて、 私が分からなかつた箇所には「後は容易」どころか、 「よって示された」と書いてあつた。よほど容易らしい。 しばらく考えて、一応証明は出来た。 しかし、本当はもつと自明なんだらうか…

考えてゐる最中に卒研生の N 田さんが部屋に卒論を見せに来たので、 「ヘルダーの不等式で、等号が成立するのってどんな時だっけ?」 と尋ねたら、 「自分で考えて下さい。先生なら出来ます」と返された。


2003/02/20 (Thurs.) VII-88

月末に某 A 社で講義を頼まれてゐるので、ネタを考へたり。 プログラマはどうして数学を勉強した方が良いのか、 を話さうと思つて考へてゐると、 この前、某先生と「数学科でコンピュータ教育をするならば、 どうして *nix でなければならないか」を議論したことを思ひ出した。 世の中多勢は MS 製品なのに、情報学科ならいざ知らず、 数学科で *nix を教へる意味はないと思はないか、と問はれて、 私の返答は大体以下のやうなことであつた。

数学はサイエンスの中のサイエンスである。 サイエンスで一番大事なことは何か。 それはサイエンスを成立させてゐる、 問題への、自然への、宇宙への、システムへの、 正しい態度を身につけることである。 そのやうな態度の一つは、常に疑問を持ち、 その疑問を探究し、完全に自分が分かつたと思ふところまで、 究極の究極まで、奥の奥の真実のその奥まで、 ロジックを遡ることである。とすると、科学者が、そして数学者が、 絶対に口にしてはならない言葉は何か。それは、 「とにかくさうなつてゐるから、さうなつてゐるんだ」 である。 「なぜ、マイナスにマイナスをかけるとプラスなんですか」、 「なぜ、円周率は無限に続くのですか」と言ふやうな質問に、 そんな答へ方をする数学者は一人もゐないはずである。

しかし、残念ながら、世の中は複雑になり過ぎて、 なかなか原因の原因まで仕組みを辿るのが難しくなつて来てゐる。 我々の周りの多くのテクノロジは、 ブラックボックスとしてしか理解してゐないことが多い。 多くの人にとつてのコンピュータと その上で動くソフトウェアがその典型である。 人間は基本的に魔術的な思考をするやうに出来てゐるから、 やむを得ないことかも知れないが、 しかしながら、それを認めてしまつてはサイエンスの教育にならない。 少なくとも数学科のあるべき教育にはならない。 *nix ならば何か疑問があれば、 原理的にはそのソフトウェアの第一原因まで辿ることが可能である。 そこにあるソースコードを見なさい、 つまり、「定義にさかのぼりなさい」と言ふことができるから。 (実際にさうする人はほとんどゐないだらうが。) しかし MS に限らず商業ソフトウェアでは、どこかで諦めて、 「それは、さうなつてゐるからだ」と言はざるを得ない。 それは数学者にとつては許し難いはずだ、 と、まあそんな議論であつた。

念のために付け加へると、 上の議論は「もしコンピュータ関連科目を教へるならば」と言ふ仮定の話で、 私自身はそもそも数学科でのコンピュータ教育自体、 どちらかと言へば不要だと思つてゐます。 まあ、選択科目くらいが丁度良い感じではないか、と。


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp
kshara@mars.dti.ne.jp (for private)

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