午前中は自宅で雑務をして、 うるめ鰯、すぐき、根菜の味噌汁の昼食をとつて出勤。 午後は M1 ゼミ。マルコフ連鎖の大数の法則、 エントロピーとの関係、正行列の積の漸近挙動への応用など。 うーむ、しかし、 こんな簡単なところでブラウアの不動点定理を引用するのはどうだらう… もちろん、この本で確率論を初めて勉強しやうなんて学生は、 そんな大定理を知るはずもないので、 定理の内容と意味を簡単に説明しておく。 単体からそれ自身への連続写像は必ず不動点を持つ、 と言ふ美しい定理で、拡張も色々知られてゐる。 結構すごいことがこの定理の系として鮮やかに言えるので、 使いたくなる気持ちは分かる。
素朴な学生をだませる程度の「証明」は、
「まあ、円板でやっとけば十分だよね。
不動点がないとすると、連続写像 A で、
どの点 x も 他の点 Ax に写されるでしょ。
で、x から Ax へ半直線を引いてね、
円周にぶつかつた所を y とする。
これは x から y への写像と思えるよね。
で、x をちょっと動かすと、
連続性から Ax もちょっとしか動かないから、
y もちょっとしか動かないので、この写像は連続でしょ。
とすると、円板を円周に写す連続写像が得られちゃうよね。
よって矛盾。ちゃんとした証明は、自分で考えるか調べるように」
ゼミの後は学生の就職の件であれこれ雑務をして帰宅。 夕食はカルボナーラ。夜は翻訳を少し。
朝は S 川先生の本で確率解析の勉強。 Ornstein-Uhlenbeck 過程の章がやうやく終わつて、 次は Littlewood-Paley-Stein 不等式。 生卵と納豆に御飯、根菜と油揚の味噌汁の昼食をとる。 最近購入した味噌がヒットで、 毎日の味噌汁が美味しくて幸せだ。 急用にて和歌山の実家に移動。 夕方、実家を出て京都に戻つてくる。 電車の中では主に「世界経済の謎」(竹森俊平)を読んだ。
再読中のプルーストは現在、 ちくま文庫版で第八巻「囚われの女」に入つたところ。 就眠儀式本はボルヘスのバベルの図書館シリーズ、 オスカー・ワイルドの巻。
朝はお勉強、昼食にオムライスを作り、 午後は共同翻訳のマージ作業に手を入れる。 変則的な章立ての対応とか、目についたエラーの訂正とか。 こんな作業をしてゐると、 つくづくタッチタイプが出来て良かつたなあ、と思ふ。 夕食はうるめ鰯とか。
この学期のプログラミング演習の時間に学生たちを見ると、 ほとんど誰もタッチタイプ(ブラインド・タッチ/タイプ)が出来ない。 画面を見て、資料を見て、キーボードからキーを探しつつ、 ぽつ(…)ぽつ(…)ぽつ、とタイプしながら演習をしてゐるのである。 (「a, a, a, …どこだつたつけ…」) タッチタイプが出来るのと出来ないのとでは、能率がおよそ一ケタは違ふ。 これはいけないと思ひ、 2回目か3回目の演習時間の前にタッチタイプの仕方を講義した。 「君達がどんな職業につくかは知らないが、多くの人は、 毎日、レポートや書類や原稿や資料を作つたり、メイルを書いたり、 と言つた仕事に忙殺されることになるでせう。 タイプが出来ると出来ないでは、 これは君たちが想像する以上に、 とてつもない大きさの能率、能力、時間の差になり、 しかもその差はどんどん開いて行くのです。 よろしいですか、まず、君たちのキーボードの f と j のキーを 見て下さい…(10分間説明)… よろしいですね、ポイントは正しい方法を知ること、 それに従つて少しの訓練をすることなのです。 今、それを知つたのですから、 今日から毎日わずか20分間程度の練習を二週間するだけで、 誰でも確実に出来るやうになります。練習して下さい。 もしかしたら、これは後になつてみれば、君たちが大学で学んだことの中で、 最も役に立つことの一つになるかも知れません…」
しかしながら、学期が終るころにも、 ほとんど誰もタッチタイプが出来るやうにはなつてゐなかつた。 つまり、二週間の練習を実践しなかつたのである。 R 大の学生はなかなかに聰明だから、 私の言葉が理解できなかつたわけではないと思ふ。 多分、聞いてゐる最中は、なるほどな、と思つたかも知れない。 さらには、二三日やつてみたかも知れない。 今はそんなにタイプすることもないし、 いずれいつか必要になつたら練習しやう、と思つたのかも知れない。 とにかく結局は、今回、マスターしないままで、 しかも、多分、ずつとそのままなのだらうな、と直感した。 しかし、それは何故だらう… 誰も無能なままゐたいわけではない、 正しい方法を知らないわけでもない、単に怠惰であるのでもない、 何故かそれが出来ないのだ。 「方法序説」を読んだ人がみなデカルトのやうになれるわけではない。 それはデカルトのやうな才能がないからでも、 不運だからでもあるが、おそらくそれが最大の原因ではない…
そう思つたとき、その演習中に、突如、悟りが訪れた。 悟りであるから、もちろん、それをうまく言葉には出来ないのだが。
昼食はうるめ鰯、じゃが芋と若布の味噌汁。 夕食はカルボナーラ。 昼間は確率解析のお勉強。 Burkholder(-Davis-Gundy) の不等式とその証明。 マルチンゲールのある区間での最大値の期待値を 終点での値で評価する Doob の不等式の一種の精密化で、 証明は易しくない。しかし確率解析の色んな所で本質的に効いてくる、 いはゆる「深い」不等式である。 不等式自体は知つてゐたが、全部の証明を勉強したのは初めて (駄目です…)。 また、この証明を読む中で、 ある不等式を Kunita-Watanabe の不等式と呼ぶことを知つた。 二乗可積分マルチンゲールの基本理論はお二人の有名な論文 (*1)の結果なので、このあたりのことは全部、 ある意味で Kunita-Watanabe 理論と言つてしまつて良いと思ふのだが、 特にこの不等式に名前が付いてゐるとは知らなかつた。
夜は膳所にチェロのレッスンに行く。 課題曲はマルチェロのチェロソナタ二番、今はアンダンテの所。 チェロでは基本的に和音を一人で弾くことが出来ないので (と言ふのも同時に三つ以上の音を出せないから)、 他の人と分担しない限り、楽譜の中に分散するしかない。 その和音の流れを読み取らなければ、 演奏上かなり変なことになりかねないわけだが、それがどうも良くわからない。 エチュードの曲でもさうだが、 ここに和音があつて、ここで別の和音に移つて…と先生に説明されると、 ぱつと目がそこにフォーカスされて明白に分かるのだが、 最初に自分だけで楽譜を見るときには、 実際にチェロを弾いてみても、それが先に分かつたことがほとんどない。 和声の理論をちやんと勉強してゐないからと言ふこともあるが、 理論的背景以外にも、 ここは普通さう言ふ風になつてゐるものなのだ、 と言ふやうなある種の常識と言ふか、 歴史的背景があるのではないだらうか…
*1: H.Kunita-S.Watanabe: "On square integrable martingales", Nagoya Math.J. 30 (1967) pp.209-245. その名も「二乗可積分マルチンゲールについて」(確かにその通りである…)。 他の分野では珍しいことだと思ふが、 数学では重要な論文が結構、大学の紀要やジャーナルに投稿される。 これもその一例。
午前中で JF の翻訳の仕上げをしてリリース版を投稿。 昼食は適当にそのあたりのものを食べて、 午後は少し確率解析のお勉強をして、 その後、買物に出かける。 安売りしてゐたディ・チェコのパスタを三ヶ月分購入など。 夕方は作りおき用のトマトソースを作つたり。
やうやく春休みの雰囲気。 明日の日曜日はゆつくり静養して、 来週からは自分の数学でも少し考へやう… と思つても、すぐに学会でその後は新學期。 また新しい講義をいくつか持つので、準備が大変さうだ。 毎年、ほとんど春休みらしいものがないなあ…
京都は一日中、雨。自宅で全くの休日を取ることにして、 猫と午睡したり、久しぶりに執事とチェスをしたり。
周りの知り合ひたちが次々に結婚してしまつて、 さうするとなんとなく疎遠な感じになるもので、 数少ない独身者としてはさびしい限りである。 配偶者控除も消え行くさだめのやうだし、 独身でも特に不便はないのだが、強いて言えば、 羨しいのは結婚すると愛人が持てることだ。 世の中には色々と贅沢があるが、 やはり「愛人」は、 P.メイルの「贅沢の探究」("Expensive Habits") にも一章が割り当てられてゐるやうに、格別の味わひがある(らしい)。 ただ問題は贅沢だけに高価なことで、メイルによれば、 次のやうな五種類の特別出費が必要となる(らしい)。 すなはち、「愛の証」(これはわかる)、 「改造費」(愛人の、ではなく、自分の、らしい)、 「罪ほろぼし」(妻への、である)、 「食費」 (愛人はハンバーガーなど食べないし、ビールも飲まない)、 「交通費」(愛人は車を持つてゐない。必要ないからである)、 の五つなのださうだ。
自宅で書類や論文の整理など雑務をする。 年度末はかう言ふタイプの仕事がたくさんあるな… 夕方より外出。 久しぶりに Cafe Rxxxxx に行く。 柚子のババロアで珈琲を飲みながら、新學期からの作戦を立てる。 十字屋でレオンハルト演奏のバッハのパルティータ(全曲) を購入して帰宅。
学生は春休みでも教員は特に休みではない。 朝、確率解析の勉強をしてから出勤。 Y 田先生と Willams の本の打ち合はせをしたり、 今度 M1 になる学生に少しつきあつたりした後、 午後は教授会。教授会の後は恒例の年度末懇親会だが、 大勢の人が苦手なので私はいまだに出席したことがない。 もちろん今回も欠席。 夕食は自宅で海老とトマトソースのパスタ。
こんな話を思ひ出した。キューバ危機の際の証券会社にて。
入社したての新人が先輩に色々と質問してゐる。
新人「もし核ミサイルがアメリカに向けて発射された、
と言ふニュース速報が流れたらだうしますか?」
先輩「これが一番易しい質問だな。買ひだよ、買ひ。
限度額一杯まで最大限に買ひだ」
新人「どうしてですか?売りに決まつてるでせう」
先輩「これだから素人は困るな…
そのニュースがデマならば株価は上がるし、
真実ならばその取り引きはチャラになるからだよ」
昼食は麻婆豆腐を作る。ついでに作りおきの肉味噌も作成。 午後は確率解析の勉強をしたり、 少し論文を読んだり。
夜は西院の料亭での宴会。 昔お世話になつた S 藤先生が移籍されるにあたつて、 是非一度会食したいと言ふ I 先生の希望を実現。 I 先生は S 藤先生と同じ時期に R 大学に赴任したので、 格別の思ひがあるらしい。 A 堀先生も留学の送り出し会の意味で、 そして私はなんとなく近所なので参加。 A 堀先生は BKC での国際シンポジウムのオーガナイズが終わつたとたんに、 今度は他のシンポジウムへの参加やら留学の用意やらで、 少々お疲れの模様だつたが、あい変はらずであつた。 つまり、会食やパーティの席で一番いきいきしてゐる。 R 大学の今後について議論を交して、深夜に帰宅。
朝はいつものやうに過し、昼食に海老ピラフを作り、 午後はずつとニュース番組を観てゐた。
ところで何故、人間は独裁体制に陥つてしまふのだらうか。 そして、「愚かさ」と言ふものには物凄い力があることに恐しくなる。 偉大なるなんとか様のおかげで、などと、 繰り返してゐる貧しげな人々を見ると、 ああ、こんな独裁を許してしまふやうな愚かな人々の上には、 例へば大型兵器が使用されてもしやうがないよ、 と、間違つてゐると知りつつも、つい、つい思つてしまふことを、 少なくとも私はだうすることも出来ない。 その蔑みの心はその国の独裁者のそれに似てゐる。 例へば、もし今、中東や近隣の某国の上に核クラスの兵器が使用されて、 その後、何十年かかけて豊かな「民主主義国家」となり、 「国際社会の一員」となつたら、 そのとき、あれで良かつたんだと思つてしまふかも知れぬ。 そうだとしたら、かつて日本に核兵器を使用したことは正しかつた、 と胸を張つて言ふ人たちに、何と言ふのであるか。 私はどちらが政治的に、それどころか倫理的にも、 正しいとか正しくないとか言つてゐるのではなく、 それほど愚かさには、 正確には「愚かに見えることには」と言ふべきだが、 その人から人間性や人権を奪ふ力があり、 それを見る人からも何かを奪つてしまふ、 そのことをとても恐しく思ふのである。
この日記は、GNSを使用して作成されています。