街に出ると今日から消費税込み表示になつてゐる。 表示方法が変わつただけで、 本質的な変化はないと思はれるかも知れないが、 私が大学時代の友人(某省庁勤務)から聞いた話によると、 これは「ゆとり教育」とセットの戦略ださうだ。 若者の多くが金融用語で言ふところの 「割引き」計算が出来なくなつてゐることを利用して、 増税を狙つてゐるのである。 つまり、1000 円に 5 パーセントの税金がついて、 合計値段は 1050 円と言ふのは誰でも計算できるが、 5 パーセントの税込みで合計 1000 円であるとき、 その内で税金はいくらだつたのか、計算できる日本人は、 若年層には既にほとんどゐない。 実際、今日私が大宮駅前で若者らしき人々にアンケートを取つたところ、 100 人中 40 人が 50 円と答へ、 57 人が「3 円」「500 円」等の謎の回答で、 正解者 3 人は若作りしたマチキン業者だつた。(*1)
朝、Chess Today で、 今モナコで行なはれてゐるトーナメントの モロゼヴィッチ vs. トパロフ戦のゲーム解説を読み始めたら、 「1. e4 c5?!」 や、 「2. Nf3 d6?! 黒はいつピースを出すのか。 これでは負けるのも無理はない」から始まり、 「8. ... b5!? 深い着想。 黒はルークを d7 に運んで d6 ポーンを守るつもり」とか、 「10. f4? モナコからのモロゼヴィッチの電話によれば、 f3 のつもりが盤が滑つたとのこと」(*2) とジョーク満載の註釈で朝から笑はせてもらふ。 エイプリルフール企画だらうか。 ジョークは別にしても、 ゲーム自体も非常に面白いもので、 モロゼヴィッチの華麗な完勝譜。 素人目には、これで良く勝てたなと思ふほどの豪快さだが、 逆に言へば、 ポジショナルな盤面理解とタクティカルなセンスの両面で、 それほどまでに卓越してゐると言ふことだらう。 もうこれで、半年分の講読代金の元は取れた。
明日はお休みして、次回更新は明後日土曜日の夜です。
*1: もちろん、自分探し主体のゆとり教育のもとでは、 円周率が約 3 であるやうに小数点以下はほぼ無効であり、 その意味では消費税は事実上、存在しない。 上記のやうな省庁の試みは、 滑らかな段階的戦略の途中経過であり、 このあたりの呼吸がまさにファイン・チューニングである。
*2: 実際は、このあたりまで、 シシリアン・ディフェンスのナイドルフ変化での一つの定跡。
一泊二日の休暇終了。 明日からまた頑張らう… 休暇中の読書、「舞踊会へ向かう三人の農夫」 (R. パワーズ著/柴田元幸訳/みすず書房)。 数年前に翻訳が出版されて評判になつたのだが、 興味はあつたものの、 タイミングを逸してずつと読んでいなかつた。 この春休みに読もうと思ひ、先日購入。 以前この本の感想を語つてゐた高槻の T 部長には、 あまり期待し過ぎないやうにと忠告を受け、 気楽に読み始めたのだが、 とても楽しんで読めるし、時代を越えた三つのストーリーが呼応し、 三点観測の形でテーマに収斂する構成の巧妙さが、 読後にしみじみと感じられる。 第一作にありがちな、 知つてゐることを全部詰め込んでしまつた感じの全力投球が、 結果的に成功してもゐる。 さらに言へば、これは 20 世紀のうちに読むべきだつた (これが私の一番の感想で、ほとんどこれだけと言つてもいい)。 訳者の後書には、 この小説をスティーブ・エリクソンの「黒い時計の旅」 と対応させてゐる文章もあるが、 私の好みではエリクソンの方がずつと上かな… と感じるのは、 最初物理学専攻だつたと言ふパワーズの方が私自身の感覚に近く、 その基調にあるセンスにそれほど感心しないのが主な原因だらう。
午後まで雨。自宅でひつそりと暮らす。
大学勤めの教員にとつて春休みなどは、 業界用語で「稼ぎ時」と言ふものであつて、 講義期間中は日々に追はれて出来ない種類の、 まとまつた時間の必要な勉強や仕事をするものである。 もちろん、そんな暇もなく、 会議やら雑務やらに追はれてゐるのが今は多勢かも知れない。
一昨日、ホテルで三ヶ月ぶりに TV を観たのだが、 その短い間に驚くほど異様なものになつてゐた。 と思つたのは、おそらく幻影で、 そもそも異様だつたのに慣れてゐただけかも知れない。 いや、それにしても、 ほとんど見せ物小屋のやうで、 何もかも禍禍しく彩られてゐた。
出勤。 前期セメスタは明日からだが、 キャンパスは新入生のガイダンスや、 サークルの勧誘などで大賑ひ。 この四月から新しく赴任した Y 富先生が来てゐたので、 今週から始まる「情報処理演習」について打ち合はせ。 と言ふのも、 この演習科目は要は unix 系のコンピュータ・リタラシと言ふやつでほぼ全員が受講する上に、 数理科学科も学生定員が大幅拡大されたため、 とても一つの教室で収まらず、 同じ科目を我々二人が別の教室で受け持つのである。 序でに、一緒に生協で食事をし、 午後は、研究室で色々と用事を片付ける。 大学院の内部進学の推薦書を書くとか、 資料のコピーとか、伝票処理とか。 夕方になつて帰宅。 また慌しい日々が始まるなあ… 夜は講義の準備など。
今日から前期セメスタ開始で、 キャンパスは物凄い人出である。 昼には生協食堂の表まで溢れるほどの行列。 大学冬の時代にこれだけ学生が集まつたことを 素直に喜ぶべきであらう。
午後は卒研の打ち合はせなどして、 夕方から今期最初の教授会。 大学全入時代に向けてさらなる入試政策の展開だとか、 MOT 大学院がどうしたとか、憂鬱な話が続く。 私はもう慣れてゐるが、 この四月から新しく赴任された先生方は、 いきなり毒気の強い教授会にあてられたのではないか、 と少し心配である。
ところで今日、初めて知つたことには、 大学全入時代とは 2010 年以降のことを指すらしい。 何でもその年に受験生の数が入学定員数を割り込むのださうだ。 今でも競争率 1 倍以下の大学は沢山あるから、 正しい意味では既に大学全入時代だと思ふのだが、 まあ、一種の「かけ声」と言ふか、 キャッチフレーズの類だらう。 とりあへず、2010 年となれば私は 42 歳で、 丁度キリが良いなあ、と思つた教授会であつた。
今日も事故だかのせゐで遅れてゐる電車で出勤。 午後から「確率過程論」。 今日はイントロと言ふことで、 一次元格子上のランダムウォークを話のタネに、 調和関数との関係、原点に戻つてくる確率、 その時間間隔などの具体的な計算など。 続いて、「計算機数学特論II」。 こちらも第一回の導入として、 公開鍵暗号系の基本的アイデアなどを解説。 新学期早々、二回連続の講義でふらふら。 流石に、三時間立ち放しのしやべり続けは身体にこたへる。 休憩もなく続いて教室会議。 新任として T 下先生、Y 富先生の二人を迎へて、 今学期最初の教室会議である。 6 時半くらゐまで続いて、 そのあと、K 川先生、A 堀先生、Y 富先生、 院生たちと一緒に、生協で食事。帰宅は 9 時過ぎ。
学科の定員増により、所属の部屋が若干増加する変更があり、 その部屋の使ひ方が今日、漸く決定。 私と A 堀先生の二人に指導を受ける学生たちは、 新たに「数理ファイナンス研究室」 と名付けられる 6 F の部屋に住むことになる。 これは現在、 学科の書庫や資料室として使用されてゐる大きな部屋である。 この名前でいいのか、と A 堀先生に聞かれたが (A 堀先生は意外と気遣ひが細やかなのだ)、 私はあるときは確率論専門、 またあるときはモグリの暗号屋にして、数理ファイナンス専攻、 フリーランスのテキストハッカー、 と何とでも都合の良いやうに呼んで頂いて結構なので、 特に異論はなかつた。 他の学生たちも概ね、専攻するテーマに分かれて、 大移動することになつてゐて、 これからの引越し作業の難航が予想される。 まさしくこの難題に相応しい有能さを買われて、 調整係は A 井先生、A 堀先生の二名が担当。
午後から「情報処理演習」。 コンピュータ・リタラシの演習科目。 今日は、ログイン、ログアウト、ディレクトリの概念、 簡単なシェルコマンドとか。 最初、誰もログインできなくて焦つたが、 単に今までログインしたことがないので、 ウィンドウマネージャの選択が空になつてゐただけだつた。 Gnome か何かでもデフォルト設定しておけば良いのに不親切な設計だ。 ログインできなくて困つてゐる新入生や、 新任の先生が多いのではないだらうか。 続いて、M2 の暗号ゼミ。 ランダム・ラティス暗号の安全性評価の話。 生協で「日夏耿之介文集」(日夏耿之介著/井村君江編/ちくま学芸文庫) を購入して帰宅。
今日で新学期第一週の講義と会議は済んだが、既に疲労困憊。 夕食は近所のバーで。心と身体を癒す。 子羊の赤ワイン煮込み、チーズの盛り合せ。 私はチーズの類が好きなのだが、 名前などの知識には全く疎いし、 レストランなどで説明を聞いてもほとんど聞き流してしまふ。 今日こそはちやんと聞いて名前を覚えやうと、 「こちらのウォッシュタイプは…」と始まつたのに集中したのだが、 後で思ひ返すとやはり忘れてしまつてゐた。 煮込み料理には空豆がつけ合はされてゐて、 懐しさのせゐか美味しかつた。 昔、季節には母が塩茹でしてくれて、 子供心には迷惑に思ひながらも、良く食べたものだつた。 帰宅した頃には、小腹が減つたので、 茹でたての讃岐饂飩に、葱を散らし、 生醤油と島とうがらしをかけて食す。 泡盛の香りが効いて、とても美味。 是非、お試しあれ。
最近、普通の新刊書店の一番良い場所で平積みになつてゐるのは、 イラク関連以外では、 貧しくとも豊かに暮らす方法と、もつとお金を稼ぐ方法である。 この二つは対照的だなあと思つてゐたのだが、 良く考へれば、両方ともそろつて貧乏臭いと言ふ点以外にも、 階層社会を積極的に認めてゐる点で通底してゐるやうに思ふ。 勝ち組指向の方は分かり易いが、 「貧しくとも豊かに」路線の方も、 ヨーロッパでは収入の低い大衆も、 自分の好きなことをしながら生活を楽しくエンジョイしてゐる、 イタリアの統計では人生で大切なことは、 一位がサッカー、二位が恋愛なのだよ、どうだ豊かだらう (私には貧しさの極致にしか受けとれないが)、 とか言つてゐるのは、 結局、ヨーロッパ的階層社会賛美なのではないか。
そして、入口の平積みコーナーを抜けて、 通路脇の雑誌を通りすがりに眺めるには、 「やっぱり今、ヴァカンスはバリでコテージ貸し切り」、 「お寿司を食べるならバンクーバー」、 「淑女は自分に 200 万円分のご褒美を」…、 ひよつとして不況脱出どころか、 既にもうバブルなのだらうか?
午前中は寝床で「確率過程論」の講義の準備。 この講義の第一回はほんの 5 人くらいしか来てゐなくて、 まるで人気がない。 この講義を持つのは初めてで、 かなり気合ひを入れて準備してゐたため、 少しがつかりした。 しかし、これくらゐ少人数だと顔色を見ながら進められて、 とても講義しやすいことは確かである。 昼食は近所のカレー屋でチキンカレー。 自宅で珈琲を飲みながら休憩。棋譜を読んだり。 午後はまた講義の準備の続き。 一応、ほぼ自明なものまで、 全部証明をつけることにする。 夕食は御飯を炊いていつもの粗食。 夜はチェロの練習など。
昨日の日記の続きと言ふわけでもないが、階層社会と言ふと、 大学の教員はやはり大学教員の子供であることが多い、 やうな気がする。 少なくとも私は何人かその例を身近に知つてゐるし、 それほど構成員がゐる職業でもないので、 そのサンプル数でも統計的に有意だと思ふ。 環境も遺産の一つであるから、 彼等はブルデューの言ふ「相続者」であり、 自然なことかも知れない。 私の父のやうに高卒と言ふ例はかなり少ないだらう。 父とその兄弟たちは子供の頃に両親を亡くしたので、 年長の兄弟はみな進学を諦めたのである。
私の小さい頃には家はそれほど豊かではなかつたやうに思ふ。 真夜中に父が食卓で勉強をしてゐる姿を覚えてゐる。 つまり、当時の家には台所にしか机がなかつたのだ。 その後ずいぶんと暮らし向きが良くなつて、 日本全体が急成長もしたこともあるのだらうが、 能力があつて、しかも頑張れば偉くなれるものだな、 と私などは素朴に感心してゐたものだ。 父は自分が進学しなかつたので高等教育の力を信じてゐたし、 自分の子供の頃に豊かさを知つてゐたため (原は和歌山で一番歴史の古い、紀州藩時代からの建設会社である)、 教養と経済的豊かさに郷愁にも似た憧憬があつた。 それが私をいくらでも甘やかすことになつたのだらう。 本ならいくらでも買つても良く、 教育費はどこまででも出す、と良く私に言つてゐた。 説教が五月蝿いので一年に一二度しか実家には寄らないが、 たまには顔を見せるのが礼儀であるだらう、 と時には思ふ。
この日記は、GNSを使用して作成されています。