Keisuke Hara - [Diary]
2004/07版 その3

[前日へ続く]

2004/07/21 (Wed.) 少人数教育

昼食は生協カレー。 午後は「確率過程論」の最終講義試験。 続いて、「計算機代数学特論」の最終講義試験。 両方とも持ち込みを全て許可したので、 みんな良く出来てゐるやうだつた。 私が「鬼」だと言ふ評判が行き渡つたため、 最近は実際講義を受けてゐる人数と、 試験を受けに来る人数がそんなに変はらない。 つまり両方とも非常に少人数で、試験時間中は暇でしやうがない。 人数が多いと、出席のチェックや見回りなどで意外に忙しいものなのだが、 10 名程度では全員が一目で見渡せてしまふし、 そもそも全員、顔馴染みだ。 結局、チェス・プロブレムなどを考へて過してゐた。 道具の要らない娯楽は便利。 続いて、 研究室で「情報処理演習」のレポート採点など。 夕方ポストを見たら、OD 問題(*1)関連の文書があつたので、 誰かに話を聞こうと 6 階をうろうろしてゐたら、 O 川先生に呼びとめられて、 個研で昨日のセミナについて数学的議論。 帰宅して、夕食は蕎麦と冷奴。両方好物で、しかも安上り。

*1: オーヴァー・ドクター問題。 近頃は「余剰博士」問題と言ふらしい。 酷い名前だ。昔からある問題だが、 最近では、特に、 90 年代以降の大規模な大学院拡充に伴ふ、 博士号取得者の急増の結果としての OD 問題のことを指す。 (そこに問題の本質があるかどうかは別にして)


2004/07/22 (Thurs.) 確率の計算

朝一番からの試験監督補助。 遅れてはいけないと思ひ、 二つほど早い電車に乗つたら、 やはり人身事故で電車が遅れ、 到着したのはぎりぎりの時間だつた。 これは予定通りと言ふのだらうか。 事務室に行つたら、「H先生!もう先に行ってます」 と言はれ、会場に向かふ。 結構、事務の人つて教員の名前を覚えてゐるものなのだなあ。 私なんて滅多に事務に行かないし、行政にもノータッチなので、 名前を覚えられてゐると、悪い評判でもあるのかと思つてしまふ。 試験会場は階段状になつた大教室で、 登録者 300 人超、受験者も 300 人弱。 言はゆるマスプロ講義である。 これだけ学生がゐると 総勢 5 名から 6 名で監督にあたる。 普段の講義は大変だらう(もし学生が出席してゐればだが)。 その後、午前中はレポートの採点などして、 生協で昼食をとり、午後は院生のゼミ。 生協で買ひものをし、図書館で論文をコピーして帰宅。

夕方、生協で関数電卓を見てゐた。 1500 円くらゐの一番安いのを買ふかどうか迷つてゐたのである。 数学の研究には全然必要ないのだが、 私は日常的に娯楽として簡単な計算をするため、 シンプルな関数電卓があれば便利かな、と思つて、 一番小型で機能も最小限の、太陽電池で動く電卓を見てゐた。 すると、同じく隣りで電卓を見てゐた学生二人が話してゐるには、 「やっぱり統計処理の機能が重要やん。確率求めるし」と言ふ。 ふむふむ、実験系とか工学系だとさうだらうな、やはり。 あればあつたで良いけど、僕には要らないかな… などと思ひつつ横で聞いてゐると、もう一人の学生が、 「そやね、人生で一番大事なのは確率の計算やしね。」 と真顔で答へてゐて、驚愕した。 さすが、確率論の R 大学(笑)


2004/07/23 (Fri.) 2007 年

今日は試験監督補助が予定されてゐたのだが、 日程が変更されたのか、 結局、幸運にも放免されることになつた。 これで私は講義も試験監督も終了。 後は採点と評価報告を済ませれば夏休み。 昼食は、御飯を炊いて粗食。納豆と柴漬けなど。 夕食も、冷や御飯の残りで、またも清貧の食卓。

「大学全入時代」は 2010 年と聞かされてゐたのだが、 文部科学省の本日付けの発表によると 2007 年に繰上げられたさうだ。 実は今までも 2010 年ではなく、2009 年だつたらしいので、 予測が 2 年繰り上がつたことになる。 実際、もう次次年度なので、 かなり正確なエスティメイトと思つて宜しからう。 全入時代とは、大学と短期大学の定員数合計より、 志願者の合計数が少なくなつてしまふことをさす。 主原因は世間で思はれてゐるやうに小子化ではなく、 私立大学のこの十数年間の大幅定員増である。 この不景気の、「失なわれた」とまで形容されてゐた時期に、 私大は定員増を続けてきたわけで、 むしろ私にとつてはそこの方が謎めいてゐる。 一体、どんな理由なのか、きつと私のやうな三下には分からぬ、 高度に政治的な判断なのだらう。


2004/07/24 (Sat.) ボードレールの旅情

天気予報を見ると、ずつと先まで、 最高気温は 35 度、最低気温は 25 度を越えてゐて、 憂鬱になる。終日、空調の効いた自宅で過す。 どこかに、避暑したいなあ… それより夏のない所に住みたい。 湿度の低い、べたべたしない所がいい。 いや、ここの外ならどこでもいい。 ああ、ここでは泥さへも、 ぼくらの涙でできている!


2004/07/25 (Sun.) 情報

午後に少し夕立があり、夕方以降は最近にしては涼しい。 夜はチェロのレッスン。

休日だからか、さうでないのか、 執事を見かけた。会社に 5 連泊したらしい。 後、一ヶ月以上この調子ださうだ。 働き盛りつてやつだねえ… そのときの会話。 昔々、私がまだお金持ちで、 今のやうな清らかな貧乏学者でなかつた頃、 某高級ホテルに頻繁に宿泊してゐたため、 マイレージのやうなポイントが、かなりたまつてゐることに気付いた。 その系列なら世界中どこのホテルの、どの部屋でも、 無料で数日泊まれるくらゐのポイントである。 避暑をこれで実行すると言ふ手もあるぞ、 確か上海にこの系列の凄い建物があつたな… それに料理が美味しいに違ひない、と思ひ、 執事に上海つてどんなところ?と聞いてみた (出張したことがあるらしいので)。 すると、 「日本と同じくらゐ暑いです。 女性人口が少ないので、女性が皆、強気です」 とだけの情報を与へてくれた。 ずいぶん、焦点を絞つた情報だが、 暑いのは嫌なので却下。


2004/07/26 (Mon.) 雲をつかむ

円町に健康診断に行く。 本来は秋に大学で職員の定期健康診断があるのだが、 私は秋から外留のため受けられない。 そこで、個別に自分で健康診断に行くやうに (経費は大学持ち)、とのお達しである。 猛暑の中、てくてくと病院まで歩くと、 健康でもそれだけで体調が悪くなつてしまひさう。 もとより血圧が低く、血液の少ない効率的な身体の上に、 おそらく水分不足で粘度の高くなつた血を 100 ml 抜かれ、 ふらふらしながら、また炎天下を帰宅。 昼食は自宅近所の担担麺専門店「担担」で、冷やし担担麺。 午後はしばらく安静にして、再出動の予定だつたのだが、 一天俄かに黒々とかき曇り、猛烈な雷雨。 雨は少ないが、もの凄い雷で、 近所にもあちこち落ちてゐた模様。 犬は雷を怖がるが、猫は別に何とも感じないやうだ。 うちの猫が鈍いだけかも知れないが…

本屋でクリスティの作品で知らない題名のものを見かけた。 おや、こんなのあつたかなと最初は思つた。 しかし、さては翻訳タイトル違ひだなと気付き、 その題名だけから原書(あるいは既にある翻訳題名)を推理、 熟考の結果、ずばり「マギンティ夫人は死んだ」? との予想のもと手にとると、"Death in the clouds" ("Death in the air")だつた。 この小説はかつて、 「雲をつかむ死」と言ふ翻訳題名でハヤカワから、 「大空の死」と言ふ別名で創元から出てゐたため、 子供の頃その両方を買つてしまつたことがある。 今なら敢て両方買ふかも知れないが、子供だつたので、 騙されて同じものを買つてしまつた! とショックだつたのを記憶してゐる。 今度は、空とも雲とも全く関係ないので、 余程のマニアでもない限り、 このタイトルから原書が何かは分からないだらう。


2004/07/27 (Tues.) 頻度と個性

午前中は定期試験の採点と評価報告書作成。 生協で昼食を取り、 次の冬にあるワークショップ開催準備のミーティング。 続いて、院生のゼミ。ランダムラティスの具体例計算など。 4 時からの教授会まで一時間ほどあつたので、 三田の I 先生から頼まれたお仕事。 文字頻度統計をとる簡単なプログラムを書き、 フリーでダウンロードできる英語の文章を取つてきて、 統計をとる。数百万文字でも処理は一瞬なので、 結局一番時間がかかつたのは、 聖書をテキスト形式で大量ダウンロードできるサイトを探すことだつた。 一時間で出来はしたけど。 どうも私は検索能力に難がある。 google hack とか、勉強すべきかも知れない。 続いて、教授会。 プロブレムを考へるが、一題も解けない内に終わつた。 今日は前期最後の教授会で、 その後に懇親会が予定されてゐるため短時間なのである。 私は毎回の如く参加しないで、そのまま帰宅。

良く知られてゐることだが、 英語の通常の文章では、"E" が最も頻繁に現れる。 次が "T" で、その次が "A", その後は、 "H", "I", "O", "N" などが続く。 十分沢山の文章をとれば、 3 つ 目までの頻度のパーセンテージはほぼ不動で、 順位も滅多に変はらない。 その次あたりからは文章の性質 (例へば、"I"(「私」) と言ふ単語が頻出するかどうかとか)、 文章の作られた時代などに依存して若干の変動があり、 このあたりの「第二群」に注目するのがコツである(何の?)。 しかし、かなり普遍性があることは確かで、 統計的に英文の特徴を明らかにしやうとする試みは、相当難しい。 英語の文章の個性はそれを読む人間には明白かも知れないが、 数学的にはかなり深い所に隠れてゐると言へるだらう。 日本語ではもうちよつと個別の統計的特徴が表層にあるやうに思ふ。 例へば、 ある世代から下は急激に漢字の頻度が低くなる、とか…

東京出張のため、次回更新は金曜日の深夜を予定してゐます。


2004/07/28 (Wed.)


2004/07/29 (Thurs.)


2004/07/30 (Fri.) スパイス

出張中は渋谷に宿泊。 水曜の夜は、「黒い月」へ。 次に来られるのは来年の秋以降なので、ご挨拶に。

木曜日、午前中はホテルで仕事。 昼食に出た序でに、 Bunkamura での 「グッゲンハイム美術館展」 に行く。 凄い作品が沢山貸し出されてゐたが、 Bunkamura などで観ても今一つ気分が盛り上がらない。 ショップに置いてあつた、 ペギー・グッゲンハイムの自伝の立読みが一番面白かつたくらゐ。 ホテルに帰つて午後も仕事。 夜は、渋谷のネットワーカ N 氏と下北沢で待ち合はせて会食。 「マジックスパイス」に連れて行つてもらひ、 言はれるがままにチキンカレーをレヴェル``虚空"で食す。 思つたほど辛くはなかつたが、 様々なスパイスが入つてゐるらしく、深い味わひである。 食後、若干、気分がハイになつたので、 マジックな何かが入つてゐるのかも知れない… その後、ベトナムコーヒー屋で舌を休めてから、 神泉の居酒屋へ。魚が新鮮で美味しい。サーバ業務について相談。

金曜は、午後から A 社に出向いてお仕事。 そのあと、研究開発室で雑談しつつ雨宿りして、 夕方近所の JR 駅から帰る。 A 社の誇る天才プログラマ K 氏と一緒に京都に戻つて来る予定だつたのだが、 K 氏はサッカーの試合を観に行くとかで、私は一足先に京都へ。 明日の夜、会食の予定。

フィッシャー事件はほとんど日本の報道で取りあげられないが、 やはり、ニュースバリューがない、と思はれてゐるのだらうなあ。 しかし、一方では個人のサイトでは日本でもかなり紹介されてゐて、 私が印象的だつたのは、 普段チェス系の情報を見ている 「戎棋夷説」や、 このニュース系のblog サイトでの過去の新聞記事の翻訳による背景説明など。 私は TV も新聞もやめてしまひ精々旅先で見るくらゐなので、 批判できる筋合でもないのだが、 フィッシャー事件に限らず、 日本のプロの報道はかなりの部分で (情報の質でも、面白さでも)負けつつあるやうに思ふ。


2004/07/31 (Sat.) ヘッドハンティング

台風の影響で京都も不穏な天候の中、 夕方から外出。 三条の楽器屋でチェロの弦を買ひ、 先日 N 氏に会つたときに話してゐた 「名経営者がなぜ失敗するのか」(S.フィンケルシュタイン著/ 酒井泰介訳(橋口寛監訳)/日経BP)を本屋で買ふ。 K 氏の泊まつてゐるホテルに行き、 ロビーでしばらく読書して時間をつぶしてから K 氏と待ち合はせ、 先斗町「ますだ」に飲みに行く。 端から順に全てオーダーした方が良いやうな食べつぷり。 その後、もう一軒、バーに行き、 「味味香」でカレー饂飩を食べて、 タクシーで帰宅。 帰宅すると玄関に猫に粗相されてゐてブルーになる。 猫トイレの掃除が随分さぼられてゐた模様で、 怒るに怒れず、粛々とトイレ掃除と玄関掃除。

K 氏は A 社の誇る天才プログラマの一人で、 かつて私も A 社の研究開発室に在籍してゐたときに、 某就職雑誌の取材を二人で受けたことがあるのだが、 そのとき「ヘッドハンティングされないやうに」と言ふ理由で、 写真撮影が禁止されたくらゐである。 私自身は当時、社内で最も仕事をしない、 特異な人材として取材を受けたので、 いくらでも撮つていただいて良かつたのだが。


[後日へ続く]

[最新版へ]
[日記リストへ]

Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp
kshara@mars.dti.ne.jp (for private)

この日記は、GNSを使用して作成されています。