Keisuke Hara - [Diary]
2004/08版 その1

[前日へ続く]

2004/08/01 (Sun.) メリトクラシ

夕方、ホテルのロビーで K 氏と待ち合はせて、 チャイニーズレストランでフルコースの夕食。 K 氏は今日の午後、奈良でお寺巡りをして来たらしい。 仏像好きなのださうだ。 中華のコースは値段も高かつたが、 それ以上に量が多く充実してゐて、十分に堪能できた。 食後はホテル内のライブラリ・バーでしばらく一緒に飲んで、 他愛もない話から、高尚な話まで色々。 その後、K 氏と別れて帰宅。

やはり最近はどこも、メリトクラシ(能力主義)なのだらうか、 この前、あつたネットワーカ N 氏もすつかり、 (本気なのかどうか分からないが) アンチ・アンチ・メリトクラシみたいな感じになつてゐた。 ところで、A 社の K 氏は、「一体、H 君(私)の給料は、 R 大ではどうやって査定されてゐるんだらう」 と社内で議論したと言ふ。(何が疑問なのだらうか?) そこで、R 大の究極の平等主義的給与体系を教へてあげた。 一言で言ふと、生まれ年で決まるのである。 「すがすがしいシステムだねー」と K 氏にも好評だつた。 是非、A 社に報告しておくさうである。 日本の大学にもメリトクラシを、 と言ふ運動は最近良く聞く話である。 例へば、特に新しいポストを作るためには、 メリトクラシの導入は止むを得ない。 椅子の数が増えない以上、誰かに退席してもらふか、 より小さな椅子に移つてもらふ以外ないからである。 全員任期制にする、とか言つた過激な方向にまで、 振れてしまつたケースも既に見られるやうだが、 どこまで変化して行くのか分からない。


2004/08/02 (Mon.) イングソック

明日から九月下旬まで R 大学は夏期休暇。 勿論、学生にとつては、と言ふことで、 職員も教員も休みではない。 とは言へ、自由な時間が増えるので、 あれこれ計画を立てる一日。昼も夜も粗食。

「安心のファシズム」(斉藤貴男著/岩波新書)。 マスコミもアングラもファッショ一色で、 カウンタパートが弱体化してゐる昨今、 岩波はまだ頑張つてゐるのかな… これは薄い新書だが、斉藤貴男氏の集大成と言つた感じで、 取り敢へず殺伐とした気持ちになる本である。 本筋の部分ではないが、 ブッシュイズムや、コイズミ語録のやうな、 日米の保守系政治家の奇妙な発言は「ニュースピーク」(*1)だ、 と言ふ指摘は、(全く論理的でないのに)妙な説得力があつて、 少し考へさせられる。 私自身は、レーガン時代の「サウンド・バイト」技術が退廃した形か、 あるいは、本当に単に馬鹿なのかどちらかだと思つてゐたのだが、 ニュースピークか…さうかも知れない。

この本の中に、著者は空港の手荷物検査でいつも撥ねつけられる、 と言ふ逸話が書かれてゐるのだが、 私自身もかつて一回で通れたためしがない。 流石に、著者の背景などのせゐではなく、 疑心暗鬼と言ふものだらう。

*1: ニュースピーク: オーウェルの小説「1984」に描かれた世界で、 公用語として使用されてゐる人工言語。 見かけは単純化した英語で、 その世界を支配してゐるイデオロギを表現する手段であると同時に、 それ以外の全ての思考方法を不可能にするやう設計されてゐる。


2004/08/03 (Tues.) 夏の怪奇

今日から大学は夏休み。 午前中は羽生先生の対談集を読みさしてゐたのを寝台で読了し、 昼食は素麺を茹でて食す。 昼休憩中の執事を見かけた。 もう一週間くらゐ仕事場に泊まり続けで、 無論ずつと寝床では寝てないさうだ。 こんな人々に世界は支えられてゐるのだなあ…、 と、その背中にそつと手を合はせておく。 午後はチェスプロブレムを考えたり、 本を読んだりして無駄に過す。 夕食は適当なパスタで今日は二食とも麺類。 私は一人暮らしを始めてから、 常に一日二食である。一食に出来れば時間が増えて良いが、 食は私の人生の喜びの一つなので、一日二回が適当かと。 夜は勉強を少しと、チェロの練習など。

今日の読書。「怪奇礼讃」 (E.F.ベンスン他著/中野善夫・吉村満美子編訳/創元推理文庫)。 西洋では怪談は冬のものであることが多いが、日本では夏。 初訳 18 編と、ダンセイニ、 ベリスフォード等の名品の新訳 4 編で編まれた怪奇小説傑作短編集で、 大変にお買ひ得。しかし、この手の幻想怪奇小説は、 やはり一部の好事家向きであることは否定できない。 普通の読者には古臭いだけでどこが面白いのやらさつぱり、 かも知れない。


2004/08/04 (Wed.) アトリエの風景

今日は曇り空で比較的涼しいので、 夏休みらしいことをしてみやうと思ひたち、 午後から神戸に行つてみる。 私の家の最寄駅は阪急なので、 十三で乗り換へて三宮まで、 運が良ければ一時間半もかからず、 大学に出勤するのとあまり変はらない。 しかも片道 600 円なので、 私は神戸を安上がりな行楽地として愛してゐる。 神戸の町を散歩して、市立博物館へ行く。 丁度今、ウィーンの美術史美術館から作品が来てゐる。 通俗的だとは思ふが私はフェルメールが好きなので、 フェルメールの「画家のアトリエ(絵画芸術)」を観に。 昔、妹とウィーンに遊んだときに、 美術史美術館にも行つたのだが、この絵の印象がほとんどない。 当時は特に好きではなかつたと言ふこともあるが、 流石に気付かないはずはないと思ふのだが…

今回、(おそらく再び)観た感想は、やはり凄い。 言ひ古されたことではあるが、光の表現の美しさが圧倒的である。 これはコピーでは分からない。 勿論、ピンホール・カメラの類の使用や、 点描法での表現などから来ることを知つてゐても、 いやむしろそれだからこそ、より深く理解されるのである。 それにこの絵は寓意が多く、 絵が「読める」とさらに面白いので興味が尽きない。 この絵の中の風景の手前にある「幕」は何なのか、 何故、絵の中の画家は当時より一世紀以上前の衣裳を着てゐるのか、 後の壁にかけられてゐる地図の意味は何で、 このモデルの女性の持つトランペットと本は何を意味してゐて、 テーブルの上のマスクは何なのか。

神戸市立博物館自体はそもそも博物館なので (常設展は神戸の町の歴史)、 絵画の展示に関してはデパート主催のなんとか展と五十歩百歩で、 最初は貧しげな雰囲気にうんざりしてゐたのだが、 この作品を観るためにわざわざ行くだけの価値はある。 会期中にもう一、二回行つても良い。 往復の電車の中では、 "9 Interviews" をハードディスクレコーダで聴きつつ、 テキストを読む。 私はアメリカの現代小説にそれほど興味がない方だが、 インタビューはなかなか面白い。 夕方以降は雨。


2004/08/05 (Thurs.) 視線のテクノロジ

午前中は掃除など家事。昼食は韓国風の冷麺。 一食分 200 円くらゐのスープ付きの麺を買つて、 キムチだけのせて食べてゐる。結構、美味しいが、 私の普段の食生活からすれば少々高価。 午後から勉強したり、手紙を書いたりの仕事。

漫画などで、照りつける太陽光線を表現するときに、 六角形の鎖のやうなものを描いたりするが、 それはカメラのレンズの効果であつて、 肉眼には見えないし、その意味では現実には存在しない。 しかし、我々はそれを眩しさの表現として受け入れてゐる。 フェルメールの絵画は写実的であると思はれるが、 我々にはカーテンやパンの表面に光の粒が見えるわけではないし、 そもそもそのやうなものは存在しない。 クリームのやうに沸き立ち、 霧のやうに輝くレースの固まりも見たことがないし、 実際存在しない。もし現実に似たやうなものがあるとすれば、 エル・ブリのムース料理くらゐだらう。 しかし、我々はそれを真実の驚くべき写実であると受け取る。


2004/08/06 (Fri.) 親切な古書店

朝は寝台で読書をし、 某古書店がポガニー挿絵の限定版「ビリチスの歌」 を取り置いてくれてゐると言ふので、 メイルで購入の連絡をする。 親切な古書店と言ふのも困つたものだ。 昼食はポモドーロと赤ワイン。 午後は「フレンズ」を観て怠惰に過す。 8 話くらゐ観たかも。 涼しくなつてから、近所の本屋まで散歩。 夕食は盛り蕎麦。今日も二食とも麺類。

近頃、本屋で思ふこと。 マスは報道も大衆もすつかり体制翼賛だが、 出版界ではその批判も多くなつたやうに見える。 しかし、それらの言論人たちは総じて、 2003 年の夏の国会で、有事関連法、情報保護法、 医療観察法の三つがさらつと通つてしまつた時から、 事実上は絶望してしまつてゐるのではないか。 その後は、国民保護法などが次々に通り、 今後、教育基本法と憲法の「改正」が控へ、 それもこの国民の多勢は喜んで自ら受け入れるだらう、 もう曲り角は曲がつてしまつたのだ、と言ふ感じ。この春の、 国をあげてのバッシング大会を見てしまつたら、 さう言ふ気持ちになるのも分からないではない。 しかし、 今の批判の攻勢は、最後に言つてはおくけど駄目だらうね、 と言ふ見切りが透けて見えるのが心配だ。 なんだか、愚衆を哀れむやうなその視線が、 体制側と似てさへゐるやうに思ふ。

今日で私自身で決めた夏休みは終り。 明日からは毎日似たやうな日々ですので、 不定期更新になります。 猶、8 月下旬からは、サーバを変更し、 新システムへの移行を計画しております。 (見かけは全く変はらないかも知れませんが)


2004/08/07 (Sat.)


2004/08/08 (Sun.)


2004/08/09 (Mon.) 良い理論

通りに出た瞬間に、地面に叩きつけるかのやうな光線と、 うだるやうな蒸し暑さに、外出しやうと思つたことを後悔しつつ、 京大に向かふ。 午後は京大での確率論セミナ。 講演者は Oxford 大の V 博士。 ラフパス理論のサーベイに近い感じの講演だつたが、 ハイゼンベルグ群などを使つて綺麗に整理された形で、 個人的には理解が進んで良かつた。何だか最近、 ラフパス理論は、 ほとんど当たり前のことを言つてゐるだけのやうに思へてきたのだが、 それは「良い数学」の証拠だらう。 これからこの理論を使つて何が出来るかが、問題なのだと思ふが、 私にはそのあたりは良く見えないし、 自分の興味のある問題と関連するかどうかも分からない。

夜は V 博士と奥さんの L さんを囲んでの食事に参加。


2004/08/10 (Tues.) Doob 逝去

J. Doob が 6 月 7 日に死去してゐたらしい。 (イリノイ大学の追悼文) 今日、確率論関係の ML に情報が寄せられて、知つた。 失礼かも知れないが、 とつくの昔に亡くなつてゐると思つてゐた。 と言ふのも、現代的な確率過程論の始祖みたいな人なので、 歴史上の人物のやうに感じてゐたのである。 勿論、Doob の"Stochastic Processes" は持つてゐる。 しかし、読んだことはない。 多くの今の若いプロバビリストはさうだと思ふ。 そんなタイプの名著である。 この追悼文では、ラプラス以降で、 確率論において最も重要かつ最も影響力のあつた本だと書かれてゐて、 それはいくら何でも言ひ過ぎだらう、と最初は思つたが、 あながち嘘ではない、とも思ひ直した。 それにロシアのコルモゴロフ、アメリカのドゥーブ、 と並べた形で評価されてゐて、 それもいくら何でも言ひ過ぎだらう、と最初は思つたが、 それもあながち嘘ではない、と思ひ直した。

また、思ふのは、 確率論はやはり非常に若い数学の分野だと言ふことである。 勿論、確率に関する問題自体は少なくとも 300 年以上前から、 数学界の中で重要なトピックとされてゐたし、 遡ろうと思へば、人類が初めてサイコロ状のものを投げて、 運命を「運」に委ねた時まで遡れるのだが、 きちんと数学の形になつた、と言ふ意味では、 かなり最近のことである。 私は、大体、漠然と20 世紀の半ばあたりではないかと思ふが、 どうだろう? 人によつてはもう少し前だと言ふかも知れない。 標準的かつ無難な意見はコルモゴロフによる公理的定義から、 とするもので、この場合 1930年代である。 しかし、重要な収束定理の幾つかはそれ以前に証明されてゐる。 20世紀半ばよりも後だと言ふ意見は衝撃的だが (例へば、1980 年前後だとか)、あり得なくはない。 いずれにせよ、 第一世代とでも言ふべき人々がまだ沢山、存命で、 それどころか未だ活躍中だつたりするのだ。 若い分野であることには違ひない。


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp
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